「Ubuntu」リリース10周年--その功績を振り返る

Jack Wallen (Special to TechRepublic) 翻訳校正: 石橋啓一郎 2014年11月05日 06時30分

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 1999年、Mark Shuttleworth氏は(巨大なDebianメーリングリストアーカイブで開発者をかき集めて)Linuxに取り組む開発者のチームに出資した。それから5年近くを経たものの、2004年に「Ubuntu 4.10」がリリースされた。このバージョンのUbuntuは、「Warty Warthog」と呼ばれた。

 筆者はこれをよく覚えている。2004年より前、筆者はもともと「Red Hat Linux」の熱烈な信奉者であり、その後(Red Hatがデスクトップに力を入れるのをやめてから)は「Fedora Core」を支持していた。筆者がUbuntuに乗り換えた理由は単純だ。Fedoraでマルチメディアを扱えるようにするのに掛かる手間に疲れたのだ。インストールを終えるたびに、mp3ファイルや動画ファイル、ウェブブラウザのプラグインなどに対処するという悪夢が待っていた。それで、そろそろ新しいディストリビューションを探すべきだと考えた。いくつかのディストリビューション(「Mandrake」、「Lindows」、「SuSE」、「Xandros」)を試してみたが、すべてがうまく動くものは1つもなかった。筆者はFedoraに逆戻りし、デスクトップとしてはEnlightenmentをインストールした。それでも、その使い勝手には不満を感じた。

 Ubuntuが登場し、そのLinuxの世界では前例のない使いやすさを知ったのはそんなときだった。デスクトップとして「GNOME」を採用し、一連のツールを導入することで比類なきシンプルさを実現したUbuntuは、Distrowatchのランキングを駆け上り、Linuxディストリビューションとして最高の人気を獲得した。初めて新規ユーザーが安心して使えるLinuxディストリビューションが現れたのだ。Microsoftのやり方にうんざりしたユーザーは、完全に「新しい言語」を覚える煩わしさを感じずに、別のOSに移れるようになった。

 Ubuntuは、大衆にLinuxへの門を開いた。また、批判の嵐にもさらされた。さまざまな理由から、Linuxコミュニティの各派閥はUbuntuを中傷しようとした。その人たちや他の人たちに、筆者は言いたい。

 Ubuntuのない世界を想像してみてほしい。もしMark Shuttleworth氏が、ユーザーにとって使いやすいLinuxディストリビューションの開発に取り組む企業を設立するリスクを取らなければどうなっていたか?

 「Linux Mint」もなかっただろう。

 「Elementary OS」もなかっただろう。

 「Lubuntu」「Kubuntu」「Edubuntu」「Mythbuntu」もない。

 「Bodhi Linux」もない。

 「Deepin」もない。

 「Ubuntu Kylin」もない。

 「Ubuntu Studio」もない。

 「Ubuntu Phone」もない。

 これがどういうことか分かるはずだ。Ubuntuは、新しいユーザーが流入してくる入り口を開いただけではない。簡単に作れて、維持できる他のディストリビューションへの門も開いたのだ。

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