初めて音楽をステレオイヤホンで聞いた時にはとても驚いた。耳で感じるのではなく頭全体に音が広がる感覚に感動した。
これは両耳が聞こえるから。私の次子は片耳失聴でひとつの耳しか機能していない。
気づいたのは次子が2才になったばかりの頃。公園で少し離れたところにいる次子を呼ぶと私のいる方に振り向かないのでおかしいと思った。気になり始めてから何度も試したがやはり方向が分からない様子。
この子の耳は聴力が足りない…確信して耳鼻科へ行った。耳鼻科では「2才児の聴力検査は難しい。3才児健診を待ってみては」と言われた。しかしながら早く治療すれば治るのではと藁をもすがる思いで大きな病院を紹介してもらった。そこでは各種検査に加えて脳波の検査をした。
ところで、先日こんなニュースがあった。これまで障害者手帳を交付するのに脳波検査をしていなかったことに驚いた。
聴覚障害:厚労省 突然の全ろう認定に脳波検査義務付けへ - 毎日新聞
次子の脳波は次子が完全に睡眠状態にならなかったので(小さい子供なので軽い睡眠薬しか服用させられず、しかも頭に計器をつけた状態)、正確には計測出来なかった。が、「片方はほぼ失聴、もう片方も少し聴力が弱い。おそらく生まれつき」との診断を受けた。その時医師が「お母さん、こんな低年齢で片耳の失聴に気づくなんて、お母さんはお子さんのことをしっかり見てらっしゃるんですねぇ」と感心していた。私の心の状態と医師の呑気な言葉に大きなギャップを感じたのを覚えている。
そして「難聴、失聴は原因が分からないことが多く、聴力のある方の耳もいずれ聴力が低下していくかもしれない。こまめに検査をしましょう」とも言われた。
もう頭の中は「代わってあげたい、代わってあげたい、代わらせてください!」のリピート。「私の耳なんてどうなってもいいから次子の両耳を健常にしてください。神様か仏様か八百万の神々か誰か叶えて…!」と。
次子の検査は3ヵ月おきに通った。数年悪化していなかったので検査は6ヵ月おきになった。そして今は1年おき。幸い聴力のある方の耳は初め少し聴力が弱いと言われていたが、最近の検査ではほぼ通常の聴力があるらしい(神様ありがとう、どうかこのままで)。
次子が幼稚園年中くらいの時、友達関係などで片耳失聴であることが差し障るかもしれないと思い、「聞こえなかったら、先生にきちんと言いなさい。お友達にも『もう一度言って』って頼みなさい。お母さんのお耳ととっかえっこ出来るならしたいのに…」とアドバイスしながらも弱音を吐いてしまった。
子供を産んだ母親として子供に「生まれつきの何か」があれば、仕方が無いとは分かっていても申し訳ない気持ちになってしまう。生まれてからの事故なら尚更かもしれないが、生まれてからの事故が「管理責任」なら生まれつきは「製造責任」みたいな感じだと思う(管理と製造に語弊があるが、気持ちとしてはそう)。
子供の障害は生活に不便だけれど、子供自体の価値を下げるものでは決して無いので、私は「申し訳ない気持ち」を子供に見せてはならないと思っている。見せてしまうと子供が「自分は十分でない人間」と思ってしまうと思うので。
私がつい弱音を吐いてしまったとき、次子は「お母さんのお耳はそのままでいいの。とっかえっこしなくていいの。ちゃーちゃん(次子は自分の名前を正確に言えずにこう自称していた)のお耳は片っぽは働き者でもう片っぽはネボスケやねん。ちゃーちゃんと一緒のネボスケ。でも多分もうすぐネボスケも起きるから」と。
泣きそうになるのを必死でこらえた。
ちゃーちゃんの働き者のお耳は本当に働き者で、片耳失聴児に懸念される言語習得も片方の耳からの情報を両方の脳に行き渡らせて問題が無い。ネボスケの分も頑張ってくれている。ネボスケはいつ起きるのかな。起きたらこれを聞かせてみたい。
両耳が聞こえる世界をちゃーちゃんにあげたい。