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浮舟さんへ(6)

 投稿者:福島の壮年  投稿日:2014年10月24日(金)15時11分4秒
  通報 返信・引用 編集済
  さて、私自身が当初考えていた以上に、ここまでの論述期間が
長引いてしまいました。
長々とお待たせして申し訳ありませんでした。
今回と次回をもって、一応の終着点としたいと思います。

前回までに記述した役割以外にも、地区部長の果たすべき
役割と使命と責任を下書きでは細かく列記してみましたが、
内部の方なら当然に知っていることであり、おそらくは覗き
見ているであろう少数の外部の方に、事細かく説明して差し
上げる必要はありませんので、全て割愛することに致しました。

最後の締めくくりとして、今回のこの論述の切欠となりました
浮舟さんが深く憂慮されて記述されたブログ『あさき夢みし』の
『自分のやるべきこと』以降のお書き込みに関して、所感を
述べながら、この騒動に関する私のスタンスを明確にして
おきたいと存じます。

>今、自分のやるべきこととは何だろうと思うことがあります。
>まずは、我が家の後継者を育成すること。

そうですね。
各家庭において、しっかりと我が子たちが信心の継承をして
いけるようにすることは、親として、とても大事なことですね。
「親の責任」とか「親の義務」とかという表現をすると、とても
重圧、重荷になってしまいます。
親子とは言っても、それぞれが独立し、互いに尊重すべき
一個人です。

親子兄弟は、遺伝による体質の相似性もありますし、同じ
家庭環境で過ごしてきたことによる共通点も多い(宿縁に
よる結びつきの強さ)わけですが、明確に別人格(善悪の
宿業の個別性)であることもまた、紛れもない事実です。

親は、わが子に対して、その子が今世で果たすべき使命の
自覚を促す助縁として、誰よりも濃い役割を担っています。
子もまた、自分の成長過程を通して、親に成長を促し、
今世での学びの機縁となっていきます。

私の義妹は、信心強情な家庭で育ち、兄弟姉妹の中でも
最も強くその信心を継承し、圏女として明るく朗らかに、
部員さんたちを励まし戦いながら、保育士としてもしっかりと
信頼を勝ち得て、別分県の圏男と結婚をし、誰もが婦人部と
して洋々とした人生を送れるものと思っておりました。

義妹夫妻に待望の長男(自営業の実家にとっては、将来の
跡取り)が生まれ、幸せな前途が約束されたかに見えました
が、長男が成長するにつれ「普通の子とは違う」ということに
気付きます。
地方の病院では対応できず、東京の専門医の診断を仰ぐ
ために、当時、神奈川にいた我が家に泊まり、詳細な検査を
受けます。
検査の結果、医師に告げられたのは、「遺伝子異常」という
ことでした。
ダウン症ともまた違う、極めて稀な症例でした。
そこからが、その義妹の本当の宿命との戦いでした。

某誌に体験を載せて頂き、そこにも書かれていますが、
「心中も考えた」というほど、精神的に追い詰められました。
詳細は書きませんが、義妹にとって人生で初めて我が身の
宿業の深さに気付かされ、「泣きながらお題目をあげ」、
檀那と一緒に一歩も引かずに戦う日々が続きます。

その長男も、今年、支援学校の高等部に進学しました。
その間には、体質と心労とが重なり、脳内のくも膜下に瘤が
でき、2度、緊急手術を受けています。
瘤は2度とも破裂寸前でした。
自ら「普通じゃない」と気付いて救急車を呼び、そのまま即、
緊急手術。
破裂していれば、脳内出血でも最も危険な「くも膜下出血」と
なりますから、かなり大きな確率で「死」を迎えたか、幸いに
一命は取り留めても、重い後遺障害に苦しむことになった
でしょう。

しかし、義妹には、「何としても長男を育て切る」という使命が
ありました。
そこで使命を放棄して死ぬわけにはいかないのです。
その使命を生命の内奥で深く覚知している義妹の死を、
長男を守る諸天が赦してはくれません。
長男にとって、まだ「元気な」母の存在は必要なのですから。

親子の関係とはそういうものだと、私は考えています。

同じように、学会の地区にあっては、地区部長・地区婦は
地区同志の皆さんにとっては、なくてはならない親であり、
地区部長・地区婦は、地区員の皆さんをわが子のように
慈しみ、育てなければいけない「使命」を持っています。
彼の醜悪なブログを公開した御仁は、その使命を放棄した
ばかりか、守るべき地区同志の皆さんがもし、そのブログ
記事を眼にするようなことがあれば、「信心に疑念」を抱か
せるような事態を自ら創出し、演出したのです。

それを眼にした学会員は、真っ先にそのことを糾弾しなけ
れば、大聖人から極めて重いお叱りを受けることでしょう。
「成りすましかどうか」などという世法的な責任のなすりあい
など、純真な学会員同志を誑かす仏法上の罪に比較すれば
遥かに小さい。
私は、そう思います。

また、地区部長に限らず、正の役職者の大きな使命と責任
には、次の「後継者を育てる」ということがあります。
これは、連絡や報告といった事務的な業務のみではできる
ことではありません。
地道な家庭訪問と一対一の対話。
その中にしか「人材育成」は存在しないのですね。
それは、健全な家庭環境を築くことにもまた、通じます。

>「何のために」「何を書くのか」

まさに、浮舟さんのこの問いかけを、彼のどら猫氏に
ぶつけたい思いです。
「何のために」あのようなことをしでかしたのか?
謝罪後にまでネットに執着し「何を言おうと」しているのかと。

>学会を変革していきたいと思うのであれば
>組織の中に潔く身を置き、
>藻掻きながら前に進んでいくしかありません。

>組織を離れ、批判したとて、女々しさが残るだけです。

まさに、その通りです。
更に、

>判断基準につきまして。

>この創価カテゴリ内のことに限らず、
>信心に関する全てのことについて申し上げれば
>「広宣流布を推し進めているか否か」、
>これこそが判断基準となりましょう。

これもまた、その通りであると、私は思います。

大河さんのところにコメントし、個人的な理由からそれを
削除した後に、大河さんが再掲されたことに私は抗議し、
削除を依頼しましたが、再掲して欲しくない部分を除き、
自ら再度、その内容を提示したいと思います。
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Commented by 福島の壮年 at 2014-09-08

仮に、どら猫さんご夫妻が、まだ学会に籍をを置く方たちで
あるとしても、今回の騒動に際し、「自分が悪かった」
「間違っていた」と心から懺悔する一念が芽生えないので
あれば、間違いなくまた同じ過ちを繰り返し、獅子身中の
虫となっていくことでしょう。

悶々とした恨み辛みを抱えて組織に害を成すくらいなら、
さっさと退会された方が、組織としてはすっきりします。
学会は、入会するも退会するも、本人次第です。
「一念三千」「色心不二」「依正不二」「現当二世」の法理から、
その先にどういう結果を迎えようと、それは、誰のせいでも
ありません。
全ては御自身の責任で、ご自身が抱えていかなければ
いけないことです。
どういう結果を迎えようと、「自己責任」でお願いします。
けして、他を巻き込むことのありませぬように
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私のスタンスは、一寸たりとも変わってはおりません。
これまで、退転した人たちの言い分を嫌というほど聞いて
きているし、幸いにも思いとどまりながら、未だに燻り続けて
いる不信の同志も見てきています。

本当に『獅子身中の虫』と、判断された時、その処遇は
極めて厳しい状況に置かれるであろうということを付記して
おきたいと思います。
(勿論、世間的な脅迫や恫喝などは一切ありませんが、
「信心」で受け止めきれるかどうかは、本人たち次第です)

こともあろうに、「同じ過ちを繰り返す」に等しい行為を
結果的に促し、助長している輩がいる。
どら猫氏と内通して、騒動を引っ張ろうと画策している者も
いる。(確かな状況証拠を多数握っています)

厳しく「仏法によって」裁かれ弾苛される前に、早く気付けと
申し上げたい。

>ネットでの発言は世界に広がります。
>ひとつの地区内でおさまるものでは決してありません。
>その影響力の大きさ、深さをこそ考慮するべきでしょう。

けして、ネット上でのことを侮ってはいけませんね。
確実に、発言者・閲覧者双方に、「身口意」の三業として
刻まれていきます。

(続きます)
 
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