韓国にいる“アジア最高の選手”。エスクデロ競飛王を日本代表へ!
Number Web 11月4日(火)16時31分配信
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恵まれた体格を生かしてのパワフルなドリブルや高いボールキープの技術など、そのスタイルは日本代表でも十分通用するレベルにある。 photograph by AFLO |
いまだ“ブラジル・ショック”は尾を引いているか。あるいは11月14日からのホンジュラス戦、18日のオーストラリア戦に頭を切り替えるべきときか。
ここでアギーレ・ジャパンに対し、ひとつ提案を。
10月14日、ブラジルに0-4で大敗した後に、こんな言葉がメディアで紹介されたことを受けてのことだ。
「名前に押されて萎縮していたのではないか。やられてもいいから、もっとやれよ、と感じた」(日本サッカー協会大仁邦彌会長)。
ならば、招集を強く推薦したい選手がいる。
「今はいろんな選手にチャンスを与えている状況ですよね。そういったなかで、見てももらえないところが本当に残念。呼ばれる呼ばれないは別にして、なぜ結果を残している自分を誰一人見に来てくれないのか。ましてや、日本人プレーヤーとして見てもらえない。メディアで報じられたとしても『元Jリーガー』として扱われるばかりで」
自分は結果を残している、そう言い切る男。
「ここ近年、アジアのステージで最も結果を残す日本人プレーヤー」、FCソウル所属のFWエスクデロ・セルヒオだ。
2012年夏、浦和レッズからFCソウルに移ると、2013年にFW、もしくはサイドアタッカーとして大ブレイクした。同年のアジアチャンピオンズリーグ(ACL)ファイナリストにして、2戦合計で1ゴール2アシストを記録。対戦相手の広州恒大のマルチェロ・リッピ監督をして「彼がアジア最高の選手」と言わしめた。今季も日本人最高のベスト4入りを果たしている。
パワフルなドリブルを生かすプレースタイルから韓国メディアでは「重戦車」とも呼ばれる。今季、公式戦でも3-4-3の1トップ、もしくは左ウイングとしてチーム最多の9ゴール、2アシストを記録。自らのゴールの他にも3度相手のファウルからPKを獲得し、チームに貢献している。
スペイン生まれでアルゼンチン出身の26歳。中学校時代から長く日本で暮らしたセルヒオは、浦和レッズ時代の'07年6月に日本国籍を取得し、アンダー世代の代表としても5試合プレーした経験がある。
セルヒオと日本との縁は幼少時代に遡る。'92年〜'93年まで父がプレーヤーとして浦和レッズに在籍。その後、一家が日本での生活を望みセルヒオも12歳(2000年)で日本に移住した。浦和レッズにはジュニア、ユース時代から所属し、'05年に16歳でトップ昇格。順調なキャリアを歩むかに見えたが、2012年にはトップチーム在籍8年目にして出場機会を得られない状態に陥った。
J1下位クラブやFCポルト(ポルトガル)のセカンドチームなどから誘いもあったが、未知のソウルを新天地に選んだ。チェ・ヨンス監督からの「とにかく来て、プレーしてほしい」という日本語での誘いに強く心を動かされたのだった。アルゼンチン出身で18歳にして日本国籍を獲得したセルヒオと韓国との縁はこの時に始まる。
最終更新:11月4日(火)16時31分
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