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2014.11.04

[映画] 25年目の弦楽四重奏

 2か月ぐらい前からだろうか、幻聴ということでもないが、ふとしたおりに、ベートーヴェン弦楽四重奏曲第14番(嬰ハ短調・作品131)のメロディが頭に浮かぶのである。不思議なことがあるものだなという感じで、じっと脳のなかに流れるを曲を静かに聴いていた。いや、静かでなくてもいい。喧噪のなかでも心を集中していくと、いわゆる音ではない音楽としてそれが聞こえるような感じがするのである。
 天啓のようにやってきたというような神秘的なことではない。もう20年以上も前だが、このベートーヴェン弦楽四重奏曲第14番をなんども聞いていた時期があった。マッキントッシュのハイパーカードで音楽を学ぶというシリーズの第二弾がこの作品だったのだ。ちなみに、第一弾がモーツアルトの魔笛、第三弾はブラームスで、第四弾はなかったと記憶している。
 ハイパーカードを説明するのも難儀な時代になったが、ようするに音楽を聴きながらリアルタイムに各種の解説が表示される仕組みだった。オペラの学習に向いている。ベートーヴェン弦楽四重奏曲第14番でも、「ほら、ここに耳をすませない。これが、ベートーヴェンらしい情熱なのです」みたいな説明が出てくるのである。

cover
ベートーヴェン
弦楽四重奏曲全集7
弦楽四重奏曲
第12&14番
 さすがにハイパーカードのメディアはもう再現できないが、気になって実家の書棚をあさったらCD-ROMが出て来た。幸い音楽部分は音楽CDとして聞ける。iPodで聞けるようにリッピングして、それからは脳内音楽ではなく、リアル音楽として聞くようになった。これをこの一か月くらい、毎日聞いている。病的というわけでもないと思うが、この音楽に取り憑かれてしまったかのようだ。
 ベートーヴェン弦楽四重奏曲第14番には各種の演奏があるが、私にはどれがよいのかよくわからない。私が聞いていたワーナーのはフェルメール・カルテットので聞き慣れたせいか、私には非常に合う。ただ、この音楽のもつエロス性みたいのは別の表現もあるんだろうなとか思っていた。
cover
25年目の弦楽四重奏
[Blu-ray]
 というところで、『25年目の弦楽四重奏』という映画の存在を知った。いや、この映画の名前とポスターくらいは知っていたが、特に関心を持っていなかった。まさかその弦楽四重奏がベートーヴェン弦楽四重奏曲第14番だとは思っていなかったのである。
 それがわかった時点で、こういうとなんだが、この映画を作りたいと思った人の気持ちが全部わかった。T・S・エリオットの詩も、シューベルトの逸話も。映画を見る前から既視感のある映画というのも始めての体験だった。
 驚いたのが、この映画の各所にはめ込まれているベートーヴェン弦楽四重奏曲第14番の各部分がよくわかることだ。そうなんだ、これなんだ、こんなふうに脳内で演奏されていのだ、という奇妙な感じがした。正確に言うと、フェルメールのとは演奏が違うので、ああ、ここはこうか、みたいにも思った。
 いずれにせよ、ベートーヴェン弦楽四重奏曲第14番がすべてあってそこからそれをモチーフにした映画を見るというのも奇妙な体験だった。

 映画としてはどうか。いい映画だったと思う。映画として傑作かというと微妙な感じはする。
 映画としての核の部分は、ジュリエット・ゲルバートを中心とした青春の残滓だろう。オリジナルタイトルの"A Late Quartet"はそうした含みで、四角関係と言ってもいいのだろう。まさに、ジュリエットを愛した二人の男と、その愛が音楽グループ「フーガ」になることを道づけた師、というか父代わりの物語であり、その意味では、まさに女の人生の物語そのものだった。
 その矛盾は彼女の娘アレクサンドラ・ゲルバートに集約されていくあたりの脚本も上手だった。物語はゆえに、二人の男による一人の女への愛の物語でもあり、二人は二人でそれなりに男の人生というものの後半生の惨めさをよく表していた。エンディングでダニエル・ラーナーのメモに"Juliette"と記すところが、この映画の軸ではあるのだろうが、こういう表現はやや文学的に過ぎて、映画的ではないようにも思えた。
 逆に、入り乱れた二つの性交の関係は率直なところ私には嫌悪に思えた。一夜の浮気という挿話はわからないでもないが、川端康成『千羽鶴』みたいな展開は私には嫌悪の対象である。そこまで描く必要があったのかと思う。だが、脚本の論理からすると暗譜演奏と情熱の意味合いが、そういう映画表現になるのもしかたないのかもしれない。
 とま、あまりネタバレに過ぎないように書いてみたが。
 エンディングに至るベートーヴェン弦楽四重奏曲第14番第7楽章 Allegroは見事なものだった。かなりエロス性の高い演奏だが、この映画にはよく調和していた。
 この映画にはもう一つ、妻を失いパーキンソン病になる老人の心という軸もあった(というか、これが四角関係を複雑にしていたのだが)、その文脈で不意に「マリエッタの唄」が出てくるのには驚いたし、亡き妻ミリアムとしてアンネ・ゾフィー・フォン・オッターが出てくるのは、鳥肌もの美しさだった。

Glück, das mir verblieb,
rück zu mir, mein treues Lieb.
Abend sinkt im Hag
bist mir Licht und Tag.
Bange pochet Herz an Herz
Hoffnung schwingt sich himmelwärts.

私の元に残る幸福よ
おいで、私の本当の愛
夜は森に沈むなか
おまえが私の光と日
心は不安げに高鳴る
希望は大空に舞い上がる

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