ポール・クルーグマンが,『ニューヨークタイムズ』(10月30日付け)のコラム "Apologizing to Japan" で,「日本にごめんなさいしなくちゃいけない」と書いている.
クルーグマンやバーナンキ元連銀議長は,デフレに陥った日本のマクロ経済政策が間違っていると批判していた.もしもアメリカやヨーロッパで同様の経済問題が起きたならずっとうまく対処できる用意があると思っていたのに,いざフタをあけてみたら,日本以上に対応がお粗末だった.だから「ごめんなさい」というわけだ.
1. 誤解をさそう新聞記事見出し
日本語でも,この発言を伝える記事がいくつかでている.どれも,クルーグマンがいままでの批判が誤りだったと述べたかのような印象を与える見出しがついてる:- 《ノーベル賞経済学者の「日本への謝罪」》(読売新聞 (Yomiuri Online),2014年11月1日配信)
- 《「欧米経済、もっと悪い」 クルーグマン氏 日本に謝罪》(東京新聞,2014年11月1日夕刊)
- 《ノーベル賞経済学者クルーグマン氏 批判してきた日本に謝罪コラム》(スポニチ,2014年11月1日)
だけど,実際の趣旨はまるでちがう.
これはクルーグマンやバーナンキの分析や政策提言が間違いだったという話じゃない.そういう分析・政策提言に真っ向から反した政策がとられてしまったことを「ブザマをさらした」(messed up) と言ってる.
対訳形式で引用しよう(太字強調は引用者によるもの):
と言っても,ぼくらの経済分析が間違ってたって話じゃない.ぼくが1998年に出した日本の「流動性の罠」に関する論文や,日本の政策担当者たちに「ルーズベルトのような決意」をもって自分たちの問題に向き合うことを促したバーナンキ氏の2000年論文は,かなりうまく年を重ねてる.それどころか,いくつかの点ではかつて以上に意義を増している.というのも,西洋の多くが,日本の経験とすごくよく似た長期不況に陥っているからだ.
[Now, I’m not saying that our economic analysis was wrong. The paper I published in 1998 about Japan’s “liquidity trap,” or the paper Mr. Bernanke published in 2000 urging Japanese policy makers to show “Rooseveltian resolve” in confronting their problems, have aged fairly well. In fact, in some ways they look more relevant than ever now that much of the West has fallen into a prolonged slump very similar to Japan’s experience.]
要点は次のとおりだ――フタをあけてみたら西洋は日本と同様の不況に陥ってしまった――しかも,輪をかけてひどい.こんな風になるはずじゃなかった.1990年代に,日本と同様の問題に直面しても,アメリカや西欧なら,日本人よりもずっと効果的に対応するだろうと想定してた.ところが,そうはならなかった.日本の経験を手引きにできたにも関わらずだ.その反対に,2008年以降にとられた西洋の政策は,自らすすんで事態を悪くしてるとは言わないまでも,あまりにも不適切で,比べてみると日本の失敗の方が小さくみえるほどだった.かくして,西洋の労働者たちは,日本が回避して見せた水準の苦しみを味わうことになった.
[The point, however, is that the West has, in fact, fallen into a slump similar to Japan’s — but worse. And that wasn’t supposed to happen. In the 1990s, we assumed that if the United States or Western Europe found themselves facing anything like Japan’s problems, we would respond much more effectively than the Japanese had. But we didn’t, even though we had Japan’s experience to guide us. On the contrary, Western policies since 2008 have been so inadequate if not actively counterproductive that Japan’s failings seem minor in comparison. And Western workers have experienced a level of suffering that Japan has managed to avoid.]
これはコラムの前半だ.ちょっとでも目を通した人なら,「実際に西洋でとられた対応が日本以上にひどかった」というのが論点であって,いままでの批判が間違っていたとは言っていないのがわかる.さっきの新聞各紙のように誤解をさそう見出しをつけるのは,執筆者が理解していないか,故意に誤解をねらっているか,どちらかではないかとぼくは勘ぐってしまう.
ちなみに,この「謝罪」はクルーグマンがなんどか述べているレトリックで,ぼくも前に紹介したことがある:「クルーグマン「日本に謝罪」発言の断片的引用にはうんざりですよ」
2. なにが失敗だったの?
さて,アメリカ・ヨーロッパの政策対応は,どういうところが失敗だったとクルーグマンは言うんだろう? コラムでは,財政政策と金融政策の2点にわけて書かれている.▼ 財政政策について.90年代の日本は公共投資支出を増やして不況に対応しようと試みたけれど,不十分だった;他方,いまのアメリカやヨーロッパは,不況のさなかにすすんで緊縮策をとるという愚を犯している.
誰もが知ってるとおり,1990年代前半に日本は公共投資を急増させて経済を後押ししようと試みた.他方で,1996年後に,増税があったにも関わらずその公共投資が急速に減らされて,景気回復への進捗をそこなったことは,あまり知られていない.これは,大失敗だった.でも,ヨーロッパでなされたとてつもなく破壊的な緊縮政策や,2010年以降にアメリカでなされたインフラ支出の崩壊に比べれば,まだしもかわいいものにみえる.日本の財政政策は,成長を助けるのに十分じゃなかった.西洋の財政政策は進んで成長を台無しにした.
[Everyone knows that in the early 1990s Japan tried to boost its economy with a surge in public investment; it’s less well-known that public investment fell rapidly after 1996 even as the government raised taxes, undermining progress toward recovery. This was a big mistake, but it pales by comparison with Europe’s hugely destructive austerity policies, or the collapse in infrastructure spending in the United States after 2010. Japanese fiscal policy didn’t do enough to help growth; Western fiscal policy actively destroyed growth.]
▼ 金融政策について.日本の金融政策は,デフレへの対応でつねに後手に回り,しかも当時の日銀は時期尚早な利上げに踏み切った.ヨーロッパでも,欧州中央銀行やスウェーデン銀行は早すぎる利上げをやって,これが再度の景気後退・デフレにつながった.
日本銀行は,デフレへの落ち込みに対してあまりにも後手に回ったし,ちょっとでも回復の兆しが見えたら時期尚早に利上げをやりたがって,それでたくさんの批判を浴びてきた.これは公平な批判だった.だけど,日本の中央銀行は,欧州中央銀行が2011年に利上げを決定するほど見当違いなことはしなかった.あの利上げで,ヨーロッパは景気後退に舞い戻ってしまった.それに,スウェーデン国立銀行のすっとんきょうな行動決定に比べれば,日本の失敗なんてかわいいもんだ.スウェーデン国立銀行は,インフレ率が目標を下回っていて,しかも失業率が比較的に高い状況で,利上げをやった.現時点では,これはスウェーデンを正真正銘のデフレにたたき落としてしまったように見える.
[The Bank of Japan (...) has received a lot of criticism for reacting too slowly to the slide into deflation, and then for being too eager to raise interest rates at the first hint of recovery. That criticism is fair, but Japan’s central bank never did anything as wrongheaded as the European Central Bank’s decision to raise rates in 2011, helping to send Europe back into recession. And even that mistake is trivial compared with the awesomely wrongheaded behavior of the Riksbank, Sweden’s central bank, which raised rates despite below-target inflation and relatively high unemployment, and appears, at this point, to have pushed Sweden into outright deflation.]とくにスウェーデン国立銀行の場合には,指折りの専門家であるスヴェンソン副総裁(当時)の警告を無視して早期利上げに踏み切って警告された通りのデフレに陥ったことをクルーグマンは指摘している.スウェーデン銀行とラース・スヴェンソンについては,同じくクルーグマンによる次の記事を参照されたい:
- 「スウェーデン国立銀行のおかげでスウェーデンは罠にはまった」(2014年5月2日)
- 「スウェーデン版サドマネタリストの挫折」(2014年7月12日)
3. どうしてこんなことに?
こうした政策対応の失敗――「ブザマ」(mess)――について,コラムでは疑問を2点とりあげている:
- 「なんで誰もがこんなに考え違いをしてしまってるんだろう?」
- 「なんで西洋は,あれほどたくさんの著名な経済学者たちを擁しながら――日本の苦境から学ぶ能力は言うまでもなく――日本がやった以上のブザマをさらすことになっちゃったんだろう?」
それぞれについての,クルーグマンなりの答えは次のとおり.
▼ 1つ目の疑問について:
不況に効果的に対処するには,通例なら尊敬されることを放棄する必要があるんだ.通常なら賢明で美徳ある政策をとると――たとえば財政を均衡させたりとかインフレに断固として対処したりすると――まんまといっそう不況を深めてしまう.で,この考えの切り替えをするように影響力ある人たちを説得するのはすんごくむずかしい――ワシントンにいる体制のえらい人たちが赤字妄執を手放せずにいる様をみてごらん.
[(...) responding effectively to depression conditions requires abandoning conventional respectability. Policies that would ordinarily be prudent and virtuous, like balancing the budget or taking a firm stand against inflation, become recipes for a deeper slump. And it’s very hard to persuade influential people to make that adjustment — just look at the Washington establishment’s inability to give up on its deficit obsession.]▼ 2つ目の疑問について:
ぼくらの社会に深い分断があることに関わってるんじゃないかとぼくはにらんでる.アメリカでは,政府を総じて敵視しているあまりに(まして「あいつら」をなにか助けるような政府なんぞとくに敵視しているせいで),保守派たちは失業対策のどんな試みも阻止してきた.ヨーロッパでは,ドイツがあくまでも金融引き締めと緊縮策を主張して譲らないでいる.なぜなら,ドイツ世論は南ヨーロッパの救済を必要とすることはなんにだって猛烈に敵意を見せるからだ.
[I suspect that it’s about the deep divisions within our societies. In America, conservatives have blocked efforts to fight unemployment out of a general hostility to government, especially a government that does anything to help Those People. In Europe, Germany has insisted on hard money and austerity largely because the German public is intensely hostile to anything that could be called a bailout of southern Europe.]
以上,クルーグマンのコラム「日本に謝罪」の論旨についてざっくりと見てきた.へんな誤解が広まるのがちょっとでも防止できるとうれしいな.
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