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【政治】

田村元衆院議長死去 政変で光った策士「タムゲン」

 <評伝> 通称「タムゲン」こと田村元氏で忘れられないのは、鈴木善幸首相の退陣表明に伴う自民党後継総裁選びが大詰めを迎えた一九八二年十月二十二日夜の武勇伝だ。

 予備選回避に向けた自民党本部での鈴木氏、福田赳夫元首相、二階堂進幹事長の三者会談が行き詰まる中、総裁選びと何の関係もない国対委員長の田村氏が突然、会談の場に飛び込んできて「中曽根総理・福田総裁」の総・総分離案を提示したのだ。

 当時対立していた主流派(田中、鈴木、中曽根派)と非主流派(安倍、河本、中川派)の双方に歩み寄りを促す妥協案で、この案をめぐって協議は翌日未明まで紛糾。非主流派は受け入れたが、中曽根康弘氏が拒否して結局予備選に突入、中曽根氏が勝利した。

 後に田村氏は「福田総裁なんてとんでもない、と思った角さん(田中角栄元首相)が中曽根さんに『絶対に受けるな』と言って、中曽根さんが蹴ったというのが内幕だ」と明かしているが、「策士タムゲン」の面目躍如の一幕だった。

 この二年後の中曽根再選の際、与野党を超えた反中曽根勢力が二階堂副総裁を総裁選に擁立しようとした「二階堂擁立劇」にも田村氏は一枚かんだ。政変となると、どこからともなく現れて存在感を発揮する今はもういないタイプの政治家だった。

 大野派、村上派、水田派、田中派、竹下派と所属派閥が変わったため「派閥を渡り歩いた」と言われるが、本人は「たまたま所属した派閥がつぶれたり代替わりしただけの話」と、そう言われることを極端に嫌がった。最後の竹下派では「外様扱いされて不愉快な思いをした」が、その派内の警戒心が田村氏を派閥活動ができない衆院議長に就かしめたのだから人の運命は分からない。

 大柄で声も大きく荒法師的なイメージがあったが、慶応ボーイらしくダンディーで、人への心配りも細やかだった。「政治家の単身赴任は良くない」が持論で、愛妻家、良き家庭人でもあった。 (本社参与・荻野誠=元政治部長)

 

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