■冷戦は終わってた

というわけで、アメリカの介入が決まったわけですが、
当初はあくまでサウジアラビアの防衛が主眼でした。
クウェートがどうなろうが、アメリカが関係する理由はないわけです。

が、派兵が進んだ10月ごろからブッシュ1号大統領は
徐々にサウジの防衛だけではなく、クウェートからイラク軍を
駆逐してしまおう、と考え始めます。

この理由は全くわかりません(笑)。
本来、アメリカが自国の軍隊を使ってクウェートの主権を
回復しなくてはならない理由は何もないのです。
実際、軍部の最高責任者、統合参謀本部議長だったパウエルは
最後まで参戦には慎重でした。
もしかしたら、石油の利権に絡んだ裏取引があったのか、
なんらかの見返りがあったのかも知れませんが、
この辺りは全くの謎、という他ありません。

その後、11月29日にクウェートからイラク軍を撤退させるため、
“あらゆる手段”の使用を認める、という国連安全保障理事会の決議を取り付け、
さらに翌1991年1月12日にはアメリカの議会、
上下両院の軍事力行使認可決議も採択されます。
(Military engagements authorized by Congress/宣戦布告ではないのに注意。
大統領の軍事力の行使を認める、という内容の決議)

これによって、ブッシュ(父)大統領はアメリカ軍の総司令官として、
何をやってもいい、という権限を手に入れた事になりました。
この結果、1991年1月17日の航空攻撃、
および海軍の艦対地トマホークミサイルの攻撃によって
戦争の火蓋が切られる事になるわけです。



湾岸戦争で投入されたのは、必ずしも最新兵器ばかりではありませんでした。
写真はイギリス軍が持ち込んだセンチュリオン AVRE165。
1963年に採用された土木作業と障害物除去用の戦車で、
粉砕砲とでもいうべき165mmデモリッションガン(demolition gun)を搭載、
これで敵のトーチカなどを吹き飛ばし、ドーザーで地ならししてしまえ、という兵器です。

湾岸戦争の段階で、採用から28年も経っていたわけですが、
それよりすごいのは、そのエンジン。
センンチュリオン戦車のエンジンはミーティアですが、
これはあのイギリスの傑作航空エンジン、
マーリンを戦車用に改造してしまったものです。

第二次大戦における実戦経験から、
イギリスは戦車が高高度飛行を行う必要が無いことに気がついており、
この結果、マーリンご自慢のスーパーチャージャーを外し、
軽量化のためのジェラルミン製パーツを鉄製に変更してしまったのがこのエンジンです。
最終的には600hp前後まで馬力は下げてますが、
戦車のエンジンとしては十分だったようです。

なので、スピットファイアやP51に搭載されていたマーリンエンジンの末裔が
湾岸戦争にも参戦していたのですね(笑)。




ここでもう一つ注意しておく必要があるのは、この戦争が起きたのが、
ソ連崩壊(1991年8月)の直前といっていい時期である点です。
イラクがクウェートに侵攻した1990年8月の段階で、
すでにソ連とアメリカの冷戦は過去の話になりつつありました。
この時期はゴルバチョフのペレストロイカによって、
ソ連は大きく変わりつつあった時期なのです。

この結果、以前ならイラクのバックに居たソ連が反対して
成立しなかったであろう国連安全保障理事会の
決議が通ってしまったわけです。

そしてそれ以上に重要だったのは、もはやソ連が脅威でない以上、
アメリカ軍は、その全力をこの戦争につぎ込めた、という点です。
ヨーロッパに展開するアメリカ軍の主力を
他の地域の戦線に投入する、などという作戦は、
冷戦真っ最中のベトナム戦争の時代には絶対不可能だったわけですが、
ソ連の脅威が過去のものとなった湾岸戦争ではそれが可能だったのです。

この結果、現地指揮官シュワーツコフの強い要望もあり、
アメリカ陸軍最強の機構軍団、第7軍団が西ドイツから呼ばれる事になります。
これは重戦車師団2個、機械化師団1個からなる強力な軍団で、
さらに戦時に本土から送られるはずだった補助部隊、
第一機械化歩兵師団が追加される事になります。
(第一機械化歩兵師団は第一大戦以来の歴史を持つ師団で、
いわゆるBig red oneの通称で知られる精鋭部隊)

恐らく実戦に参加した機甲師団としては史上最強、
と言っていいのがこの第7軍団なのですが、
この指揮官、フランクス中将がこれまた史上最強のスカタンだったため(笑)、
その力を十分に発揮しないで戦争は終結する事になるのでした。

ここら辺りが今回のお話の中心となって行きます。
はい、今回はここまで。


BACK