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日めくりプロ野球8月

【8月29日】1960年(昭35) 「代打・麻生」巨人に引導を渡す2夜連続の殊勲打

三原が「1球に生きる男」と呼んで信頼を置いていた麻生。62年には代打専門の選手としては初めてオールスターに出場
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 【大洋1−0巨人】三塁コーチスボックスに立つ大洋・三原脩監督が横に大きく手を広げた後、その手を頭に乗せた。それがいつもの合図。背番号12がバットを担いで一塁側ダッグアウトから姿を見せた。

 川崎球場の大洋−巨人21回戦、4回裏一死三塁。得点は0−0。3番・金光秀憲左翼手の打順で三原に迷いはなかった。「ピンチヒッター・麻生」。

 巨人・水原茂監督も黙ってはいない。投手を右のエース・堀本律雄に代えた。首位大洋とは2ゲーム差の3位巨人はセ・リーグ6連覇を達成するためにも残り30試合を切ったこの時点で、絶対に落とせない一戦だった。

 勝負は初球でついた。「1球目?狙っていたよ」(麻生)の言葉通り、外角高めのストレートをさからわずはじき返した打球は、土屋正孝二塁手の頭上を超える右前適時打。名将・三原をして「1球に生きる男」と呼ばれた代打の切り札・麻生実男内野手はこの試合大洋唯一のチャンスで働き、1−0で大洋は勝った。

 その前日の8月28日にも4回に代打で登場した麻生は、中前2点適時打を放っており、2日続けてのヒーローとなった。

 6年連続最下位大洋の初優勝、そして日本一は勝負どころで快打を連発した、麻生のバットによるところが大きい。この年、麻生の代打成績は、打率.308で打点13。シーズン成績が打率.254で打点17ということを考えれば、いかに“1球に生きた”かが分かる。

 特に巨人戦での代打成績は群を抜いており、30打数11安打、打率.367。ジャイアンツバッテリーは「ピンチヒッター・麻生」のコールに震え上がった。

 試合前、三原はレギュラークラスの打撃練習をほとんど見ていなかった。どこかでお茶でも飲んでいるか、ベンチで番記者と世間話でもしているのが大洋時代のいつもの光景だった。

 しかし、代打陣が打席に入ると必ずバッティングゲージの後ろに立ち、鋭い視線でスイングをチェックし、打球の飛ぶ方向を目で追った。「ピンチヒッターで結果を出す選手はフリー打撃の1、2球目にいい当たりをする」というのが三原の持論。代打男・麻生はまさにその通りの選手。切り札誕生は知将の眼力の賜物といえる。

 麻生はノンプロの倉敷レーヨンから、59年に大洋入団。ルーキーイヤーは、遊撃手として先発出場の機会が多かったが、98試合で27失策。肩も決して良いとはいえず、60年に監督に就任した三原はキャンプ早々、麻生を呼び出し「お前の守りじゃ金にならん。バットだけなら十分金になる」と代打に徹するよう説いた。麻生もバット1本の稼業に徹することを決意し、攻撃の切り札として快打を飛ばし続けた。

1960年8月29日 大洋−巨人21回戦 川崎 大洋11勝10敗
  1 2 3 4 5 6 7 8 9
巨  人
大  洋
投 手
巨  人 ●伊藤(8勝9敗)、堀本−森
大  洋 秋山、○権藤(8勝5敗)−土井
 
本塁打  
三塁打  
二塁打 近藤昭(洋)森(巨)
巨  人  7安打7三振3四死球 1盗塁0失策9残塁
大  洋  4安打5三振1四死球 0盗塁1失策2残塁
試合時間2時間16分 

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