小説『リトルネロのねこ』

 以下は文芸同人誌『しあわせはっぴーにゃんこ』に執筆したものを大幅に改稿したものです。

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 不定形な暗闇があたかもタールの洪水みたいに押し寄せていて、世界のすべてがそれに包まれていこうとしている、かのように表象されている、ということによって僕は不安になっている。どんな不安かと言えば、ふっと誰かと目が合って、でもそれが鏡に映った自分の眼差しだと気づいたときみたいに。だが、僕は一本の枯れ木のように突っ立っている。同時に、いずれ呑み込まれるという諦念にも似た予覚がある。その塊の表面のおうとつが夏の陽光を――そう、僕はいま、現在が夏だと気づく――無限に照り返しながら気怠げな崩壊を暗示する。それはべっとりとした乾いた呪い。僕は淡い紫がかった色彩のワイシャツを着ていて、僕は既にやめたはずのタバコをその胸ポケットから取り出して、一本を口に咥える。すっとマッチを擦り火をつける(僕はタバコを吸うときはライターを使っているはずだ)。紫煙がゆらり立ち昇りその拡散の過程、その進行を観照する。すべてはもちろん崩壊の過程である、と言った作家は誰だったか(というレトリックを使いながら、僕はそれがフィッツジェラルドだということを知っている)。押し寄せる闇の極点、崩壊の極点、その特異点に達した瞬間、僕の神経回路に一本の白い覚醒が引かれる。もちろん、僕は夢を見ていた。
 六時二十四分、目覚めはあまり良くない。僕は低血圧で、しかもいまは冬だからだ。枕元のペットボトルを手に取り僕はミネラルウォーターを少し摂取する。水分が体に浸潤して、ちょっとだけ気分がましになる。ましになること、それ以外はなにも望めないように思えた。
 徐々に、現実を成り立たしめる差異の信号、そのさざなみのような群れの、周波数にチューニングできるようになってくる。寝起きは憂鬱であることが僕は多く、適応は困難だが、不可能ではない、しかしその負荷は蓄積する(いずれエラーが発生するだろう)。
 僕は、あたかもそれが重労働であるかのように、なんとかカーテンを開ける。――それだって、まったく、難しいことだ。窓からささやかな慈悲に似た陽光が射す。しかしベランダには堕落したゴミ袋が山積しており、気力を削ぐ。気力がないからこそ山積したゴミ、それがフィードバックを構成している(解っているなら直すべきだ、ということを僕は解っている、ということが空転している、ので、僕の反省=再帰は空虚に折り返される襞となっている、それは地均しを要求する)。
 スマートフォンをいじって僕は着信もLINEも来ていないことを確認する。予定調和の失望。そもそも彼女は生きているのだろうか? 生きていれば良いなと思う。

「それで、クリスマスに電車で二時間かけて会いに行って結局会えてないんですか?」と言われ、僕は「そうだよ。僕が待ち合わせ場所に着いて、直前になって「鬱だからやっぱり行けない」って。それからもちらほらLINEなんかでやりとりがあったけど、結局、フェードアウトするみたいにそれ以来会えてない」と答えた。
 やれやれという呆れ顔を浮かべながら三島橙子は僕を憐れむように見た。
「先輩ってやっぱりダメですよね」
「僕がすっぽかされたんだよ。べつに同情してほしくはないけど、気遣ってはほしいな」
「気遣ってますよ。そういう人と付き合うのやめたほうが良いですよ」
「そうかな」
「はい。それに、付き合ってたと言っても、たった二ヶ月で、しかもその子の家がどこかも知らないんでしょう?」
「ネットで知り合ったからね」
「どこが好きだったんですか?」
「彼女の書いた詩がとても好きだった」
 これを聞いて橙子が「はあ」と呆れた溜息を付く。
 ここは僕が通っている大学の文芸サークル「コワレモノ」。そういう名前のサークルだ(以前、「もっとかっこいい名前のサークルにしたら良いのに」と僕が言い、橙子が「例えば?」と訊き、僕が「フラジャイル」と答えたとき、彼女はひどく笑っていた)。
「それで――」橙子は彼女自身の艶やかな長い黒髪に触れている、それは大人びた雰囲気を纏っている、「その、恵里佳さんだっけ? やっぱり、メンヘラとは付き合うべきじゃないですよ」
「もう付き合ってないよ。振られたし」僕は胃が痛くなっている。彼女の言うことはよく解る。メンヘラ女子と付き合ったってろくなことがない。そう、ろくなことがないのだ。「まあ、厳密に言えば、振られたかどうかも曖昧なんだけどね」
「大変ですね。ほら、以前もメンヘラと付き合って、そしてひどいことになってたでしょう」彼女はきわめて落ち着いた挙措で、パイプ椅子から、すっと立ち上がる。「私、タバコ吸ってきますね」
「タバコ、身体に悪いからやめなよ」
 僕がそう言うと、
「べつに死ぬのは良いんですけど、肺癌は嫌ですよね」と彼女は慨嘆しながら、ドアを開け部屋を出る。ぎぃっ、という音がして、扉が閉じる。

 葛西恵里佳から連絡がなくなってもう二ヶ月が経つ。そろそろ僕は立ち直っても良いはずだ、と思う。しかしスマホに通知が来たりするたびに、僕は恵里佳からのものではないかと思ってしまう。自分でも呆れてしまう。
 また、彼女からじゃないかと思い、バイブレーションのあと、スマホを確認すると、こんなメールが届いていた。
〈件名:しあわせはっぴーにゃんこメール〉
「いまなら先着百名にしあわせはっぴーにゃんこ権を差し上げます!」
 やれやれ、わけの解らないスパムメールだ。せめて「夫がかまってくれない暇を持て余した人妻です。体だけのお付き合いで良いので会ってくれませんか?」というようなメールを書けば良いと思う。しかしスパムメールだってそれを書くことを生業としている連中がいるのだ。鬱病にならないか心配だ。
 橙子は、タバコを吸ったあと、部室に戻ってきて十分ほど経過したのち「じゃあ、彼氏が待ってるので」と言って、出て行った。それから僕は少し中世哲学の解説書を読み(最近、スコトゥスの「存在の一義性」の概念に興味を惹かれていた)、そして大学を出て、電車に乗って、歩いて、自分のマンションに帰って、ベッドのうえに倒れこんだ。
 僕は葛西恵里佳について思考する。彼女の纏う暗い陰影、そこから滲む咽び泣きのようなノイズ、どろりとしながら凝り固まった信念システム、そしてとても高度な美しさと同時に、奇態なまでに幼い顔貌。僕は彼女の涙に取り付かれている。それは悪魔が持っている宝石のような妖艶な輝きを放っている。
 僕は彼女の詩を思い出している。僕は彼女の詩のなかでとりわけ、愛について記したものの純粋さに惹かれた。それは極めて、「閉じた」印象を与える、孤絶した詩群だった。僕はその孤独に寄り添いたいと思っていた。しかし今思えば、その「愛」なるものは、呪いに近似した祈りであり、祈りに近似した呪いであったやもしれない。
 僕は彼女の詩が掲載されているある文芸同人誌を読む。彼女はいなくなっても、詩はここにある、と思うと、それは少しは僕を、ましな心境にもしてくれる。
 しかし、しかし、
 いや、やめよう、僕はただ、なるたけ平穏無事に、雑念に惑うことなく、粛々と本を読んで暮らすべきだ、そうだろう、と思いながら本棚に雑然と並べられた膨大な書物の群れを眺めるが、また同時にそれらすべてに火をつけて燃やし尽くしてしまいたいという衝迫にも駆られる。
 つまるところ、僕は困惑しているのだろう。
ちょっと疲れたな、と思いながら、僕は睡眠薬を無造作に飲む。睡眠薬がなければ眠れない生活がどれだけ続いているだろう。まったく、自然な眠りというのは最高だ。
 おやすみ。明日が良い日であるように。

 やれやれ、基本的にはこの頃悪夢しか見ないということが改めて確証される。夢のなかで、僕はふらついた足取りで、のっぺらぼうのように無貌の街の、灰色のおもちゃ屋にいる。そこで僕は小さな犬のぬいぐるみを見つける。その犬は皮膚病を患っている。僕は、かわいそうだなと思っている。その犬は吠えない(なぜならぬいぐるみだから)。僕はぬいぐるみを手に取ると、それはざらりと砂のように崩れ落ちて、中からガラケーが出てきて、そのガラケーに電話がかかってくる。僕は恵里佳だと思い込んで出たのだが、その相手は高校の体育教師で、僕は明日マラソンをしなければならないらしい。恵里佳は、と思いながら、彼の高圧的な声を聞く。「政府による情報操作というもの、それはとてもひどいものだと思いませんか?」、そう彼は言って、電話が途切れる。

 三島橙子が言うには、憂鬱なときにこそ部屋を綺麗にしなければ、心まで淀んでいくばかりであり、僕は可及的速やかに掃除をすべきなのだったが、まったくする気が起こらないまま放っておいたところ、橙子がある日僕のマンションに来て、少しだけ掃除していってくれた。「ベランダはね、ゴミ置き場じゃないですよ」と言って僕を叱責し、僕らはベランダも掃除した。「ゴミ置き場じゃないなら、何?」と訊くと、彼女は「喫煙スペース」と返答した。
 やはり――極めて素朴なことを言うならば、ゴミがないほうが心が落ち着く。こうしたほんの少しずつの生活の改善が、きっと少しずつ僕のひからびて枯渇した生の活力を再び賦活してくれるだろう。解っている、そんな常識的なことはとうの昔に解っている。しかし、また、どうせ何かに躓いては、終わらせたくなる、終わりたくなる、そしてまた自らを鼓舞する、回復したような気になる、その繰り返し、繰り返し。

 三島橙子がその流麗な黒髪の存在を圧倒的に誇示しながらタバコを咥えて佇むのを見ながら、僕は彼女の存立性格の鋭角的印象について考えた(それは闇夜の月光にきらめくナイフに似ていた)。
「やっぱり、先輩はどこかで、救い、というものに縋り付いているように見えます」と彼女は宙空を見遣りながら述べ立てる。
「というのは?」そう僕が訊き返す。
「いろんな側面がありますが、たとえばその一つに、共依存的な性質って言うんですかね、どこかでメンヘラ女を救ってあげて、自分も救われようとしている、そういうメサコン的なところがあるんじゃないですか?」
「ずいぶんと厳しいことを言う」僕は困惑する、「しかし、それは根拠があって言うわけじゃないだろう?」
「でも――そうなんじゃないですか?」
 解ったようなことを言う女だ。
「昔はそうだったかもしれない、でもいまは違うと思う」
「思ってるだけ?」
 僕が返答に窮していると、彼女は、
「根拠があって言うわけじゃない」
 とからかうように口にした。
 三島橙子のエレガントな黒髪がその発言の威力を補強しているように思えたが、しかしそれは至って無関係なことだ。

 自室で僕はぼんやりと他人行儀な壁を眺めていたがそれにも倦み、また、本を読む気もしなかったため、僕は新宿のバルト9に映画を見に行った。『THE IDOL M@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!』というアニメーション作品で、TVシリーズが好評だったことによる劇場版である。このアニメは弱小プロダクション・765プロ所属のアイドルたちが、トップアイドルを目指して、笑いあり涙ありの成長を成し遂げていく、はっきり言って最高のアニメだ。僕は以前鬱病の頃これ以外に生きる希望がなかった(鬱病のときは本を一冊も読めなかった)。
 最終的には765プロの女の子たちはみなトップアイドルになっていき、それ自体としては喜ばしいことだが、しかし全員で揃って活動する機会が少なくなっていくことに、主人公の女の子、天海春香が悩む。その子といわば対比的にえがかれるのが星井美希であり、彼女は「個」として「きらきらする」ことをためらいなく肯定できる女の子である。それに対して「みんなで、みんなで」とときにヒステリックに見えるほど「仲間」に固執するのが春香だが、この「個」と「集団」の疎隔において、それを媒介し縫合する機能を果たすのが如月千早であり、その際に765プロは「家族」として表象される。この擬似家族的媒介はまた千早の視点から見れば、機能不全家庭に育ったトラウマからの回復過程でもある。
 劇場版の内部で、如月千早が写真を取ることを趣味としているのが個人的に気に入った。おそらくそれは彼女にとって、一方では歌うことにばかり熱心で世界を見ることを疎かにしていたことへの補償であり、他方で流転していく世界を手元へと定着させ我有化する身振り、対象喪失不安への対処でもあるように思われる。しかし、そう考えながら僕は葛西恵里佳のことを思い出していた。どことなく恵里佳は千早に似ているような気がしていた。彼女にもこの映画を見てもらいたいな、なんて思う。それをちらと伝えるようなメッセージを送ってみるものの、しかし彼女からの連絡は無論ない。
 彼女もまた千早のような機能不全家庭に育っていたのであり、その彼女を僕は救おうとしていたのかもしれないし、そしてまた橙子が言うように、そこに彼女を救うことによって自身が救われようとする機制が無意識裡に作動していたとしてもおかしくはない。とはいえ当時の僕の意識の上では、僕はひたすら純粋に、彼女の裡に潜む、秘めやかな詩情にただひたすらに心酔していた。それは勘違いだったのだろうか? いやそんなわけはない。
 わからないまま、僕は逃れ去りながらも残存する彼女の表象に絡め取られいまだそのなかにいるのだ。
 ――といった話を橙子にしてみたらば、彼女は「メンヘラ男がメンヘラ女についてぐだぐだ言ってる」と、一笑に付して、スマートにそれを切って捨てた。
 黒髪がエレガントで綺麗だ、と僕は思った。

 何か、行為をせねばならない、と監獄のように閉ざされた鬱屈のさなかで思う。僕は何かをしなければならない(たとえそれが自殺であっても良い、自殺、それも行為だからだ)。
 スマホのヴァイヴレーションが鳴る、またしても僕はそこに恵里佳を幻視する、しかしまたスパムメールだ。
〈件名:しあわせはっぴーにゃんこ権は生得権である〉
「しあわせはっぴーにゃんこになりたくないのですか?」
 いったい、なんだというんだろう。それに生得権だなんて、そもそも先着百名じゃなかったのか。しあわせはっぴーにゃんこ権、ははっ、と僕は砂漠みたいに乾燥した実のない笑いをあげる。な~にがしあわせはっぴーにゃんこだ、そんなものは保健所で駆除されてしまえ。

 またしてもスマホのヴァイヴレーションが鳴り、それが恵里佳ではなくきっとスパムメールだろうと思って防衛的にスマホをチェックすると、TwitterのReply通知だった。そこには「しあわせはっぴーにゃんこしません?」という文字列が、変な萌え系のアイコンをした自称しあわせはっぴーにゃんこから届いていた。僕は率直に言ってしまえば、それが誰かなど関係なく、ひたすらに苛立った。何か手酷い返事をしてからブロックしようと思ったのだが、なかなか効果的に心的ダメージを与えPTSDに追い込められそうな文言が脳裏に浮かばず(なにせ憂鬱なときは思考力も鈍る、これは精神医学的にも事実だ)、僕は試しに「どこ住み? 会える? しあわせはっぴーにゃんこしよ」と出会い厨顔負けの軽薄な返答をした。
 すると――目の前に美少女が出現した。
「ミラクルハッピー!はぴぴぴぴ~!!世界を救うネコミミにゃんこ、ぬこ宮ぬこ子です!!」
 謎の煙幕を周囲に纏いながら眼前に立ち現れたのは、碧眼で銀髪を生やし、それどころか猫耳としっぽも生やした、アニメか、と言いたくなるような容貌をした女の子だった。
「しあわせはっぴーにゃんこ、しましょう」
 彼女がその萌えボイスで凛然と言い放った。

 しばらくして、三島橙子を自室に招き入れて、
「というわけで、ほら、こういう美少女が現れたわけだ。ぬこ宮ぬこ子って言うんだって」
 と解説した。
「……まさかとは思いますが、この「ぬこ宮ぬこ子」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。もしそうだとすれば、あなた自身が統合失調症であることにほぼ間違いないと思います」と彼女は冷徹に述べた。
「そうは言っても、実際に、こう、存在している。君にも見えるわけだし」、僕は三島橙子を引き連れて、僕の部屋のベッドのうえに丸くなって寝ているぬこ宮ぬこ子を見せている。
「しかし……いやだとすれば集団幻覚……」普段は凛としている三島橙子が動揺を隠せない光景を見つつ、僕はぬこ宮ぬこ子の頭を撫でると、彼女は「にゃーん」と言った。
「どうやら、しあわせはっぴーにゃんこらしいんだ」と僕が適当に言い、
「しあわせはっぴーにゃんこってなんですか?」と、知ったこっちゃないといった具合で三島橙子が答えた瞬間、ぬこ宮ぬこ子はパッと目を開け、元気溌剌な顔をして、
「私は人をしあわせはっぴーにゃんこにしちゃうしあわせはっぴーにゃんこの妖精、ぬこ宮ぬこ子です!」
 と脳髄を蕩けさせるような甘ったるいきゅんきゅんした声で明言した。
「それで、しあわせはっぴーにゃんこというのは?」
 橙子の問いに、ぬこ子は、
「しあわせはっぴーにゃんこはしあわせはっぴーにゃんこです!」
 と答えにならない同語反復的な返答を寄越すばかりだった。
 呆れ顔で三島橙子は言った。
「先輩、タバコ吸いに行きません?」
「……オーケー、タバコを吸いに行こう」
 こうして、僕はひさかたぶりにタバコを燻らせた。僕らがベランダでタバコを吸っているあいだも、ぬこ宮ぬこ子は僕のベッドのうえを専有し、ごろにゃあんといった感じにくつろいでいた。
「先輩、あれは、ほんと、いったいなんなんですか?」茫洋と紫煙を立ち上らせながら彼女は言った。
「さあ、妖精でも、萌えキャラでも、幻覚でも、なんでも良い。ただ、在る」
 タバコを吸い終えた僕らが戻ってくると、気怠げにぬこ宮ぬこ子がベッドで目をこすりながら、「にゃあん?」と言った。
「それで、君はしあわせはっぴーにゃんこなんだよね?」そう僕は尋ねた。「しあわせはっぴーにゃんこ」だなんていう意味内容を欠いたシニフィアンが上滑りしながら自堕落に口から発せられ、僕は少しばかりの空虚感に襲われた。 
 彼女は、
「にゃん」
 と言った。
「質問を変えよう。君の目的はなに?」
「目的、それはしあわせです!」彼女は大きな瞳をきらきらと輝かせながら述べた。
「抽象度が高い」と三島橙子がさっと突っ込む。しかし、
アリストテレスも究極目的は幸福だと言っています!」
 とぬこ宮ぬこ子は依然としてそのスタンスを崩さない。
「だから抽象度が……」
「それじゃあ具体的に、ザクッと、ササッと、パパッと言ってしまいましょう」ぬこ子は誇らしげな表情を浮かべる。「しあわせになるための願いを一つだけ叶えてあげます」。そう口にした彼女の視線が僕の目と合った。
 そのとき、すっと、「葛西恵里佳のことを忘れたい」と口に出しそうになったことを、僕は恥じた。

 僕がぬこ子を追い出してしまうかと思案していると、それを察したのかぬこ子は「それではしあわせはっぴーにゃんこから捨て猫になってしまうにゃん!」と応じた。少し癪に障る。
「捨てちゃいましょう」橙子は断じてぬこ子を認めようとはしないが、ぬこ子が、「や、やめてー!」などとこれまた萌えボイスで言うものだから、橙子は「もう知りません」と、半ば怒りながら部屋を出て行ってしまった。僕をこの状況で一人にしないでくれ、と思ったが、しかし仕方がない。
「願いを叶える、ねえ……」
 僕が応対に困っていると、だが彼女は突如としてすべてを見透かしたような視線で僕を貫くように見た。少しだけびくっとする。彼女の視線に反抗するように、
「じゃあ、葛西恵里佳にしあわせになってもらいたい、というのは、可能かな」
と、僕は少しばかり挑発的な調子で言ってみせると、彼女はこう答えた。
「でもその子、もう死んでるよ?」
 僕は何を言われているのか解らなかった。

 葛西恵里佳は既に死んでいる、とぬこ子が述べたとき、もちろん僕は当惑したが、しかし同時に、そうか、と思ったのも事実だった。彼女が自殺という選択肢を選んでいたとしても決しておかしくないと思っていたからだった。
 彼女もそういえば猫を飼っていたな、と思い出す。さみしくて猫を飼い始めたのだろう。ずっと付き合っていた彼氏と別れたそのさみしさを紛らわすために。彼氏と別れて、そして猫を飼い始めていなかった頃は、自殺のため身辺整理などをしていた。その彼女に僕は告白し、なんやかやあって付き合ったものの、いまは完璧に連絡手段がない。
 彼女の家に行ったことはなかった。でも鬱で遠出したがらない彼女に会いに行く際は、彼女の家――彼女は実家暮らしだ――の周辺で会うことが多かった。彼女の最寄り駅にでもふらっと行ってみようかな、と僕は思い立ち、そうすることにした。
 電車にもぬこ宮ぬこ子は着いてきていた。座席に座りながら、
「そんなにつらいにゃん?」と彼女が訊くので、僕は、
「わからない」と答えた。
「そうにゃんかー」と応じる彼女はそれにとくに興味がなさそうだった。
 駅の周辺はこれといって何もない郊外で、少し歩くとショッピングモールがある。そのショッピングモールのペットショップで以前恵里佳と猫を眺めたことがある。僕はそこに向かい、ねこ子と共に、静かな眠りに沈んでいる猫たちを眺めた。
 ぺろぺろと猫がミルクを舐めている。平穏に。
「しあわせはっぴーにゃんこ、か」と僕はひとりごちた。猫という生き物のもつその不可思議なまでの平和の感触を僕は味わっていた。
「しあわせはっぴーにゃんこですねえ」とぬこ子はまったりと表情を弛緩させながら言う、「みんな猫になってしまえばいいのに」
 たしかにそうかもしれない、と僕は気まぐれのように思った。明日にでも、世界がすべて猫で満たされていて、「にゃーん」だなんて鳴いている。そうなれば良い。それは確かに平和だ。
 その思った瞬間、レジでペットフードを買い終えた女性が僕らの背後を通りすぎようとし、ちらとその顔が目に飛び込んできた。
それは、葛西恵里佳だった。
 僕は虚を衝かれた驚きとともに振り返り、無様にも、待ってくれ、恵里佳、と言った。振り向いた彼女は、きょとん、とした表情を浮かべていた。しかし、彼女を見間違うわけがない、それは確実に恵里佳だった。
 
 半ば強引に彼女をそのショッピングモールの喫茶店に連れ、僕は彼女にいくつもの質問を浴びせたが、彼女はやはりきょとんとした感じで、こう答えた。
「それで、その、私があなたの元恋人にとても良く似ていた、と」
 声の調子からして、とぼけているようには思えない。しかし、あまりにも似すぎている。似ているなんてものじゃない、寸分たがわぬ、まさしく恵里佳でしかありえない。だが同時に、彼女に宿っていた独特の迫力というか、暗い闇のようなもののおどろおどろしさが感じられなかった。
「私、小林咲と申します。はじめまして」そう快活に笑う彼女を見て僕は気が気じゃなかった。
 僕は目眩がしていた。葛西恵里佳、葛西恵里佳、と僕は譫言のように繰り返す。僕はどうすれば良いのか検討もつかず、螺旋のような目眩が訪れていた。
「そろそろ、私、帰りますね」と言って立ち去ろうとする彼女を僕は呆然と眺めた。僕は追いかけるべきだっただろうか。しかしこのときの僕は追いかけられなかった。僕の筋繊維はまるで役立たずな伸びきったゴムのようになっていた。

 それから僕とぬこ子は電車で帰路に着いた。帰りにはすっかり時刻も遅くなり、マンションまでの夜道を歩いていると月が出ていて、月光の照射は僕をより一層狂おしい気持ちにさせていた。
「月が出ているね」と僕は言った。
「僕は、君から葛西恵里佳が死んだと聞かされたとき、ショックを受けると同時に、少し安心もしていた。そう、安心してしまっていて、そうであることが少し罪悪感もあったけれど、しかし、でも、」
 僕が暗いトーンで話すのに対して、彼女は、明るい顔で、
「にゃあん」
 と言った。僕の懊悩など知ったことではないと言わんばかりの、それこそ猫のような無関心さで発せられたその声は、月明かりのなかでがらんどうに響いた。

「それで、どうしたんですか?」と三島橙子はサークルの部室で聞く。
「どうしたもこうしたも、ね。何も、何もない。本当に何もない。じつはこのあと、まったく進展はなかったのさ。作劇的カタルシスの片鱗もないほどにね。僕には結局彼女が誰か解らなかったし、小林咲と葛西恵里佳が同一人物かどうかも解らないし、それから、会えてすらもいない」
「はは、それじゃあ、本当に何も解決してないじゃないですか」彼女はシニカルに笑みを浮かべた。「ただ、何かが上滑りしただけ、そして何かがずれただけ」
「そう、ただ、」ただ、落ち着かない解離的な浮遊感のうえで、表層的な流れだけがあった。
 僕は葛西恵里佳に死んでいてほしいのかもしれない。だが、生きていてほしいとも思っている。
 あのあと僕はぬこ子に、小林咲にもう一度会いたいとか、葛西恵里佳を蘇らせてほしいとか、あるいは僕を死なせてほしいとか、そういうことを願おうとした。だけれど、僕はやめた。僕はぬこ子に、こう願った。
「明日の朝の目覚めが良くなるように、魔法をかけて」
 それはほとんどやけになって気まぐれで言ったような願いでもあり、もしくは少し気取った言い回しでもあり、また実直に口をついて出た言葉でもあった。
 彼女は、
「わかったにゃん!」
 と破顔して、宙空から謎の原理で取り出したピンクのステッキをきらきらと輝かせつつアクロバティックに振り回してから、「しあわせはっぴーにゃんこになあれ!」と言った。そのステッキからはピンク色の靄のようなものが緩やかに吹き出ていて、それに少しずつ身体が埋もれていって、僕は少しずつ眠くなっていった。ひさしぶりに睡眠薬なしで眠れて、しかも明日の朝は爽快に起きれるんだ、と思うと、素直に、嬉しかった。
 翌日、僕は極めて晴れやかな気分で目が覚めた。カーテンを明けると、太陽が眩しかった。慈悲のような陽光だった。
 ぬこ子は僕の願いを叶えると、「じゃあがんばってにゃん!」と無責任かつ具体性のないアドバイスを僕に言ってから、また奇態な演出的な煙に包まれてしゅわりと消えてしまった。彼女が消えて、ああ、消えたなぁ、と思った。ただそれだけ。ただそれだけ。
 何も。何も。
 それから僕は、比較的に良い目覚めのときもあれば、身体を空虚が充溢して麻痺しているような最悪の目覚めのときもある。本当に、どうしようもないやるせない気分で、早く死んでしまおうと思うときもある。でも生きていける、生きていける、と錯覚しようと、僕は無様にあがいたが、どうにもやはりじりじりと、終わっていく、終わっていく、という想念に取り憑かれてもいった。
 そして僕はどうなったかと言えば、実に滑稽で無様なことに、件のショッピングモールのペットショップにしばしば訪れては、彼女――もう小林咲だか葛西恵里佳だか解らないが、ともかくもそれは「彼女」なのだ――が現れないかとひたすらに待ち続け、そのあいだは、なんともゆったりとまどろむ猫を見ながら、「しあわせはっぴーにゃんこ、しあわせはっぴーにゃんこ」と繰り言を反芻するのだった。
 あるとき、そうして待っている僕のことなど知らずに、彼女は、ふらりとまた、キャットフードを購入しに訪れた。僕はしかし彼女に話しかけない。
 彼女は笑顔だった。ほんのりと微笑を浮かべながら、そして、亡霊のように去っていくのだ。きっと家ではかわいい猫と戯れるのだろう。
 僕はもう彼女が誰であっても良かった。小林咲でも葛西恵里佳でも、あるいは幻影でもなんでも良かった。ただ「彼女に幸せになってほしい」と思っていた。ひとりよがりにそう思った。それから「彼女に幸せになってほしい」という塊から「彼女に」が剥落して、「しあわせになってほしい」となり、それから「なってほしい」というのも剥落していって、ただ「しあわせ」という言葉だけが残った。それだけが残留して心のなかを循環的に舞った。それは錯誤でしかなかった。僕は亡霊に祈っている、僕は無に祈っているのだ。もちろんそうだ、無に祈るのでなければ、何が祈りか。それは動く無だ。ざわめく無だ。がらんどう、がらんどうだ。
 そう、それは祈りに似た呪いで、呪いに似た祈りだった。
「しあわせ」「しあわせ」「しあわせ」「しあわせ」「しあわせ」と心のなかで繰り返すうちに、それは次第に単なるリズムになって、純然たる言葉、意味を欠いた言葉になっていって、リフレインしては消えていく光になっていった。
 僕は待っている。その空漠とした光が、僕のなかで循環するその言葉が、ほんの少しでも、僕の魂と調和しながら、僕の身体に降り積もって、生ける言葉として定着することを。そしてそれが寸分のずれも含み込まずにすこやかに育つ有機的な一本の木になることを。そしてそれが快活な陽の光を浴びることを。
 〈それ〉は鳴き声にも似ていたが、言ってみれば、まだ、真空のようなものだった。「何がしあわせはっぴーにゃんこだ」と思ったときの、あの空無だ。いずれその真空を満たしに何かが来るかもしれないと思ったが、そうした予感めいたものを、どう処理して良いのか僕には解らなかった。
 僕はベランダで一本の煙草を吸った。大気中へと紫煙が拡散していくのを見ながら、僕は、「しあわせはっぴーにゃんこ」と言った。その言辞は僕の口唇欲動を満たすためにのみあるかのようでもあったが、僕はいずれ「しあわせはっぴーにゃんこ」というその言葉が暖かい春の陽光のようなもので充満して、そして僕の基底部で芽を吹き、根を張り、生活、生活というものを、したたかに立ててくれるものなのだと、思った。あるいは思うべきだった。そう思わなければならなかった。そしてその生命が、彼女の――もう誰だかわからない匿名の場としての彼女の――その底に流れる詩情と巧妙に一致することを祈った。何も解りはしないが、詩だけは確かに思えた。彼女を好きになったときの確信のように。そしてしあわせはっぴーにゃんこという空疎な言辞には、生の源泉としての詩情を育む母体となってもらわなければならなかった。それは祈りという名の機能する無であらねばならなかった。だから僕は「しあわせはっぴーにゃんこ」と繰り返し、繰り返し、心のなかで唱えた。
「しあわせはっぴーにゃんこ」
「しあわせはっぴーにゃんこ」
「しあわせはっぴーにゃんこ」
「しあわせはっぴーにゃんこ」
「しあわせはっぴーにゃんこ」