ノーベル物理学賞・中村教授「喧嘩したまま死にたくない」古巣・日亜に関係改善呼びかけ
青色発光ダイオード(LED)の開発で、今年のノーベル物理学賞の受賞が決まった中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授(60)が3日、皇居・宮殿「松の間」で行われた文化勲章の親授式後に都内で会見。かつて開発の対価をめぐる訴訟で争いを繰り広げ、しこりが残る古巣・日亜化学工業(徳島県)に関係改善を呼びかけた。「けんかしたまま死にたくない」と、過去を水に流し、“仲直り”に向けて話し合いの必要性を説いた。
中村氏が、古巣との“仲直り”を提案した。この日の会見で、日亜化学工業に対し「過去のことは忘れて関係を改善したい」と呼びかけ。ノーベル賞受賞後の10月8日には「研究のバネになったのはアンガー(怒り)」と断言していた激憤の研究者が、矛先を収める意向を示した。
さらに「日亜がLEDで世界をリードしたからこそ、私のノーベル賞につながった。小川英治社長、青色LEDの開発をともにした6人の部下、全社員に感謝したい」とまで言い切った。訴訟以降は日亜と接触すらできていないが、「お互いに誤解があった。けんかしたまま死にたくない」と切実に訴えた。
深過ぎる因縁があった。中村氏は、日亜勤務時代に青色LEDの製造技術を開発し、特許出願した日亜は業績を伸ばしたが、当時、中村氏が手にした報奨金はわずか2万円。退社後の01年に中村氏は対価を求め訴訟を起こし、04年に東京地裁は日亜に200億円の支払いを命じた。日亜控訴、高裁和解勧告後、05年に日亜が大幅減額の約8億4000万円を支払うことで和解が成立。当時、中村氏は「全く不満足」「日本の司法制度は腐ってる」などと吐き捨てていた。
裁判のいきさつを含め、怒りのイメージが強い中村氏だが、兄・康則さん(62)は「対立を恐れず正しいことを主張するだけのことで、実はバランスが取れた人間」と反論する。中村氏も、サポートし続けてくれた日亜創業者の小川信雄氏(故人)には一貫して感謝を示しており、一方的に批判し続けてきたわけではなかった。
この日、中村氏は「入社して数年間、母校の徳島大の装置を自由に使わせてもらった」と恩師の多田修名誉教授(92)らにも感謝を述べ、ノーベル賞の賞金(推定4000万円)の半分を同大学に寄付する意向を明かした。
多田氏は、これを受け、「けちな中村が寄付をするのは、ノーベル賞よりサプライズだ」とジョーク。日亜との関係改善表明については「日亜に行って直接話せば、気持ちが通じるはず。私も同席して応援したい」とエールを送っていた。