2014-10-30
■[イラスト]絵における「動き」とは一体何なのか?という話

さて、はっきりいって、廃棄物放置場所と化しており、全く更新してなかったこの日記でありますが、
いしかわじゅん氏「安彦良和は動きがかけない」⇒安彦氏「アニメーターの僕に、動きが描けないだって?」(「王道の狗」白泉社版4巻から)
こっちのエントリを読んで思う事があったので更新しときます。内容は「映像コンテンツにおける動き」です。
まあ、上記のエントリの話は、いしかわじゅんが「安彦良和は動きがかけない」って批判してるわけなんですけど、これねえ、
リアルなキャラクターを描くためのデッサン講座 (漫画の教科書シリーズ)
- 作者: 西澤晋,カラーズ
- 出版社/メーカー: 誠文堂新光社
- 発売日: 2009/07
- メディア: 単行本
- 購入: 6人 クリック: 185回
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こっちでアニメーターの西澤晋が全く逆のこと言ってて面白いんですがね(ちなみにこの本はとても良い本で絵を勉強してる人なら一読の価値があります)。どんな話かってーと、この本の野球のバッティングの4サイクルプロセスって話の所なんですが、引用しますが、
アニメの場合はすべての行程を描くことができますが、漫画はその中の一枚ないし二枚で動きを表現します。しかも、すべての漫画家の絵に躍動感があるわけではありません。そのポイントは、「吸入」の絵と「排気」の絵が「描けているか」「描けていないか」ということに大きく関係します。この工程の絵が描ける人はやたらと流線やタッチを使わなくても動きの流動性を感じさせる漫画を描くことができます。アニメーターや漫画家として活躍している安彦良和さんや、漫画家のあだち充さんはこの工程の絵の挟み込みが上手です。その反対に、「爆発」の絵しか描けない人はやたらとタッチをいれて、動きのない絵をそれなりに見せることになります。
これですね。いしかわじゅんの言ってる事と正反対のことを言ってる訳ですよ。いしかわじゅんは安彦良和を「動きの描けない漫画家・アニメーター」と呼び、西澤晋は安彦良和を「流線やタッチを使わなくても動きの流動性を感じさせる漫画家」と呼んでるわけです。
どっちが正しいのかって?まあ、僕はそれには触れないでおきますわ。ある批評家が「黒だ」と言った絵を別の評論家が「白だ」というなんて、別に珍しくもなんとも無い話です。絵の世界の評論なんてそんなもんです。主観の話ですからね。
ただね、絵における「動き」については主観ですまない問題もあるんです。今日はそっちについてお話しておきます。
カメラにおけるシャッタースピードの話(関係ないように見えるかもしれないけど、今回の話はこれをやらないと始まらない)
さて、まずはこの話から。といっても、いきなり商品紹介から入りますけど
- 作者: A・ルーミス,北村孝一
- 出版社/メーカー: マール社
- 発売日: 2000
- メディア: 単行本
- 購入: 34人 クリック: 580回
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これ、有名なルーミス本です。絵を描いた事がある人ならお世話になった人も多いと思います。ルーミスの絵画教本は日本でも翻訳されて広く読まれた本なんですがね。この本の中で、ルーミスは「カメラが出現するまで画家はシャッタースピードが1/1000の画像なんて見たことがなかった」(うろ覚え)って話をしてます。えっとルーミスって画家なんですが、この人も絵を描く際にカメラを使う人でして、フィルムカメラ時代からカメラを使って資料集めてた人です。
で、なんですけど、このシャッタースピードが1/1000の写真って、どういう写真かと言いますと、これ、スポーツ写真なんかでよく使われるのですが、
これ、クリエイティブ・コモンズの奴から借りてきた奴ですけど、松井のスイング中の動作のワンシーンがキレーにうつってますよね?こういうの画像は、カメラでいうと高速シャッターで撮られた写真と呼びます。
普通、人間の目には、プロ野球選手が全力でスイングしている時、彼らの動作がこんな風に止まって見える事はありません。人間の眼は、こんなにシャッタースピードが速くないからです。ところが、カメラが生まれてシャッタースピードの速い写真が出回り始めると、アーティスト達は、それまで見たことがなかった画像を参考資料に使えるようになったんです。こういった高速シャッターで取られた写真というのは、アーティスト達に新たな時代、新たな表現というのをもたらしました。中世の巨匠達では絶対に参考にできなかった映像資料を手に入れた訳ですから、それに飛びつかないほうがおかしいです。高速シャッターで取られた写真表現というのに触れたアーティスト達は、その後、様々な分野で、この表現を使うようになっていきます。
で、こっからカメラにおけるシャッタースピードの話になるんですけどね、まずwikipediaへのリンクを貼っておきます。
こっからは、カメラの構造の話になります。寄り道ばっかだな、と思われるかもしれませんけど、これ大事な話なんです。
カメラのシャッターってのは、半月形をした円盤になってまして、こいつが回転することで光を遮ったり通過させたりしています。で、シャッターに入った光が、フィルムまたは撮像素子に当たった時間がシャッタースピードです。この時間が短いほど、「シャッタースピードが短い」と良い、この時間が長いほど「シャッタースピードが長い」と言います。
スポーツ写真などで、「シャッタースピードが短い」写真が使われるのは、1/1000のシャッタースピードで取れば、スイング中の一瞬の瞬間をクリアに捉える事が可能だからです。wikipediaのシャッタースピードの短い写真の例にもありますが、高速シャッターを使えば、高速走行中のF1カーをクリアに捉える事が可能ですし、スイング中のバッター、シュートモーションに入ったサッカー選手をクリアに捉える事も可能になります。とにかく高速シャッターはスポーツ写真で大活躍だって事を覚えておいてください。
ちなみに、ふつーのシャッタースピードだと、F1とか、スイング中のバッター、あるいはボクシングをカメラで写してもボケまくってて何してるんだからわからない写真になります。デジカメで人を写すとき、被写体に「動かないでね〜はいチーズ(死語)」なんて言いますが、アレは被写体が動くとボケてしまうからです。
で、なんですが。
ここで、ある問題が生まれるんです。どーいう事かというと、
これ、wikipediaにある1/2000秒のシャッタースピードで映したF1の写真なんですが、動いてるように見えます?
ぶっちゃけ、まるで動いてないように見えますよね?シャッタースピードを早くすれば、高速走行中のF1の写真とる事もできるんですが、一方で、今度はまるっきり動いてないように見えてくるんです。
これ、ボクシングのスポーツ写真とかで、よくあるんですけど
こーいう写真なんですけど、ぶっちゃけ、これ動いてるように見えませんよね?まるで止まってるように見えてしまう。
こういった問題が噴出しやすいのがストップモーション映画なんかです。えっと、これまた、wikipediaの「モーションブラー(動きブレ)」の項目から引用しますけども、
古くからある特撮手法である、1コマごとに撮影した静止画を繋げて動きを表現するストップモーション・アニメーション(コマ撮り)においては、撮影されたフィルム(ビデオ)を普通に再生すると、一般的な動画と比較した場合にどこかカクカクとした『ぎこちなさ』を感じる。なぜなら、実際に動いている物体を撮影した場合に必ず生じるはずの「ブレ」がないために、見ている人間が(意識する、しないにかかわらず)ブレの無いことを見極めてしまうために、違和感を持ってしまうのである。したがって、撮影した画像に対してこのモーションブラーをなんらかの方法で加え、再生した際に自然な動きのように見せる方法が模索されていた。
特撮制作会社のインダストリアル・ライト&マジックは、1980年公開の「スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲」で雪の惑星ホスに棲息する哺乳型生物トーントーンや四足歩行兵器AT-ATの特撮で、低速度撮影(シャッタースピードを落として故意に被写体のブレを生じさせる)と、動きをコンピュータ制御したカメラ(モーション・コントロール・カメラ)との併用によって、カメラの前を通過する宇宙船のスピード感を表現することに成功し、特殊合成撮影の新次元を開拓した。
これを応用・発展させた手法が、1980年の映画「ドラゴンスレイヤー」で初めて試みられた“ゴー・モーション”である。従来のストップモーションにおいては、支柱に乗った操り人形を操演担当者が手で動かして一コマずつ撮影していたのだが、本作ではコンピュータ制御の可動支柱を使用し、人形を動かしながら低速度撮影してブレを生じさせることにより、画期的なリアリティを表現することに成功している。ただし、支柱をマット合成で消去するなどの手間がかかるのが難点で、普及には至らなかった。
映画『ジュラシックパーク』では、当初フィル・ティペットによるストップモーションアニメに、CGのモーフィング技術を応用してモーションブラーを追加する方法で動く恐竜の映像を製作する予定であったが、CG技術の進歩によって劇中に登場する恐竜はフルCGのものに取って代わられる事となった。
今日のCGアニメーションにおいてもモーションブラーの再現は重要であり、多くのCGアニメーション制作ソフトウェアには効率よくブラーを生成する機能が搭載されている。
ってのがあります。
ストップモーションアニメでありがちな問題なんですけど、動きがすげーカクカクな事がありますよね?、実際に動いている物体を撮影した場合に必ず生じるはずの動きブレ、これを「モーションブラー」と呼ぶんですが、これが無いんで、違和感のある動きになるんです。
ちと、つべにあるストップモーションの動画貼っとくので、みてください。
こちらですが、この動画で面白いのは、最近のストップモーションは、プログラムでモーションブラー加えられるようになってるので、以前と比較すると断然なめらかに動かせるようになってる所です。キレーにモーションブラーが入ってるカットがあります。それでもカクカクなの部分のが多いですけども。
で、次にもう一つ。古典アニメの傑作、「トムとジェリー」のジョセフ・バーベラ、ウィリアム・ハンナ時代の動画貼っておきますが、
こーいうのがあります。ジョセフ・バーベラ、ウィリアム・ハンナ時代のトムとジェリーの動画で面白いのは、アニメーションの中にモーションブラーを取り入れている所です。モーションブラーのおかげで、トムとジェリーの追いかけっこが妙になめらかに見えるようにできてます。トムの動きにしょっちゅうモーションブラーが入ってる所に注目してくださいな。この動画で白眉なのは、3:13からのキツツキとトムのやり合いです。モーションブラーを上手に使うことで、キツツキの動きのスピード感が非常に上手く表現されています。こういうキツツキの動きを「漫画表現」と呼ぶのは、僕は違和感があって、「スローシャッタ−で考えられた表現」と呼ぶべきだと思ってます。ジョセフ・バーベラ、ウィリアム・ハンナの偉大な所はココです。まあ、怪我の功名的な部分もありますが。
ここまでモーションブラー(動きブレ)の話をしてきた訳ですが、何がいいたいかというと、モーションブラー(動きボケ)はアニメーションや映画を滑らかに見せるために必要だって事です。
動画においては、フレームレートをあげる事で、この問題を解決する事が可能なんですが、フレームレートが低いTV映像、アニメ、あるいは漫画なんかでは、ブレが入ってないと、人間は動きを認識しにくくなります。
最近はコンデジでも高速シャッター可能な時代ですから、高速シャッター可能なコンデジなら、動いてる物体をクリアに捉えることが可能です。20万くらいのカメラ買って、20万くらいの望遠レンズ買えば、飛び散る汗まで捉えた競技写真だって撮ることが可能です。
ただ問題があります。
そういう写真は、色も鮮明だし、画質も最高ですが、動きがないんです。
高速シャッターの写真はほとんどそうですがね。またwikipediaから画像引っ張って来ますが、
低速シャッター
高速シャッター
こーなりますが、高速シャッターのほうは水が凍ったような写真になり「止まった」表現になってしまうです。一方で低速シャッターの写真の場合、水流が表現されてます。
シャッタースピードを上げれば、画質がクリアになりボケが減る。一方で、動き、流れを表現するボケも無くなります。
つまり一枚絵やアニメ、低フレームレートの映像作品においては、画質と動きはトレードオフの関係にあるんです。
これはカメラの表現、漫画、イラスト、油絵から水彩に至るまで全部そうなんですが、画面の画質をクリアにしてボケを減らそうとすればするほど、画面からは動きが失われます。
一方で、画面に動きを入れれば入れるほど、ボケをいれざるを得ず、画質が低下し、情報は失われます。どういう事かって?これも、幾つか、例をだしときましょう。
これはいわゆる低速シャッターによる流し撮りの表現になります。流し取りについてはwikipediaに載ってるから、そっち読んでください。こうすれば、動いているようにみえますよね?しかし、背景の情報はほとんど失われます。
もう一つわかりやすい例として、ボールと少年とシャッタースピードの奴を貼っときます。
こうするとわかりやすいと思うんですが、低速シャッターの場合、ボールは動いているのがわかります。動きブレが入ってるからです。ただし、一方で、ボールの形状、ボールの質感は低速シャッターでは失われます。高速シャッターの場合、まるで止まっているような写真ですが、一方でボールの形状、質感がより鮮明に捉える事が出来ています。
こういった写真を出せば、理解して頂けると思うのですが、動きと画質はトレードオフだって事です。これは、映像表現に関係する人間なら、遅かれ早かれぶち当たる壁です。
で、こっからが漫画における動きの表現の話になるんですけどね
さて、こっからが本題。あまりに長い前振りになりましたが、僕が20年ほど前に、「クライング・フリーマン」を読んで、「すげーかっこいいんだけど、何故か違和感がある」と感じたコマを紹介しときます。
- 作者: 池上遼一,小池一夫
- 出版社/メーカー: グループ・ゼロ
- 発売日: 2013/12/20
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このコマです。フリーマンが足でナイフ投げてる所。
実は、随分長い事、このコマに何で違和感があるのか、理由がわかんなかったンです。違和感の正体を理解できたのはカメラについて詳しくなってからです。
えっと、ここまでエントリ読んでくれた方はわかると思うんですが、このコマね、シャッタースピードが滅茶苦茶なんですよ。
何がおかしいかって、ナイフに動きブレが入ってないのに、足の動きには動きブレが入ってるんです。
あのですね、このシーン、高速シャッターで考えるなら、ナイフにも足の動きにもブレは入りません。一方で、低速シャッターで考えるなら、ナイフと足の両方にブレが入ってないといけない。なのに、このコマの場合、足にはブレが入ってて、ナイフにはブレが入ってないんです。両方、高速で動いているのに、片方しかブレが入ってないんです。これが違和感の正体でした。
実は、こういう間違いは、スラムダンクでよく井上センセがやってます。明らかに高速シャッターのコマなのにバスケットボールにブレが入ってたり、逆に低速シャッターのコマなのに、バスケットボールにブレがなかったりね。スラムダンクは持ってる人多いでしょうから、探してみてください。この手の間違いは結構あります。
まあ、この手の間違いを探すのは僕の邪悪な楽しみの一つでして、アニメや漫画で「広角で背景描かれているのに手前の人物が望遠で描かれているコマ」とか、「遠近法での間違いを犯しているコマ」とか、「高速シャッターで考えないといけないのに低速シャッターの表現入れちゃってるコマ」とか見つけては喜んでます。ぶっちゃけ、絵が上手い作家さんでも、この手の間違いはしょっちゅうやります。特撮映画とかでも、この手の間違いが時々あって、そういうの見つけては喜んでます。
それで、なんですが、池上遼一とか井上雄彦って漫画家さんは、基本的に高速シャッターで描く人でして、モーションブラーを使った作画はそれほどやりません。シャッタースピードの速い絵を描く人達なんです。あだち充なんかもそうですね。これ、井上雄彦センセとか、あだちセンセとかは、実際のスポーツ写真参考にして描いてるのが丸わかりって人達です。なんでかってーと、スポーツを高速シャッターの望遠レンズ表現で描いてるからです。
シャッタースピードの速い絵の作画例として、こういった作家の絵を紹介しときますが、
これ、「クライング・フリーマン」の1シーンですが、もう典型的な池上表現です。普通、人間の目にはこんな風には見えません(見える人がいるのかもしれませんが)。普通は動きブレが入るので、ここまで鮮明に空中で回転している動きは捉えられません。池上センセは、こういう風にアクションを表現するタイプの人で、高速シャッターで取った望遠写真みたいな表現を好む人なんです。
こっちはスラムダンクの奴です。以前、スラダンに盗作疑惑が持ち上がって、ちょっと騒がれた時に、明らかにコマの参考元にした写真として、これらが挙げられました。盗作疑惑は僕にはどうでもいいんです。この画像もってきたのは、元の写真と比較しやすく、元画像だと、どこにモーションブラーが入ってるのかとかがわかりやすいんですわ。
最初の画像の奴だと、写真のほうは手とユニフォームにモーションブラーが入ってるのがわかります。それから望遠レンズで撮ってるから背景もかなりボケてます。一方で、漫画のほうは、背景ボケてませんし、肩にもブラーいれてるんですよね。ココ、背景がボケてないのは、厳密にいえば間違いです。望遠レンズの表現なんでね。まあ、漫画の世界なんで、被写界深度無限大の望遠レンズ表現しても良いんですが。CGの世界では可能なわけだし。
で、次のコマですけど、ほぼ写真どおりの描き方してます。ブラーの入る位置も全く一緒。ただ、背景がなんかよくわかんない事になってますが。
最後のコマはかなり興味深いです。写真は望遠レンズの高速シャッター表現です。これは間違いないです。というのも、ボールも足の動きにもブラーが入ってないのでね。ところが、スラダンの絵だと、足とボールにブラーいれてしまってんです。正直、ちょっと違和感を感じる絵になってます。上半身止まってて、下半身だけ動いてる、なんか奇妙な感じの絵です。
スラムダンクはバスケ漫画なんで、基本的には望遠レンズと高速シャッターで撮った写真を参考にして描かれている作品です。それ以外にバスケのワンシーンを写真でクリアに撮る方法はありません。ただ、そういう写真はあんまり動きはありません。空中で止まってるように見えるような写真、コート上で止まってるようにみえる写真になってしまう事がありがちです。
これはスポーツ写真全部に言える事なんですが、撮る側としては
「出来るだけ動きブレを無くしてクリアな画像が欲しい。一方で、動きの向き、角度、スピードを表現する動きブレが入ってないと読者に動きを伝えられない」
っていう矛盾した状況に陥るんです。よくある妥協点としては、「顔と身体には動きブレがないが、ボールと手足の先にちょっと動きブレが入っている写真」という場所になります。スラダンはそーゆー表現が多いです。
これ、スポーツ写真以外だと、風景写真でも、同じような問題がありまして、
これ、以前みつけて感心した写真ですが、画面手前の草むらに綺麗なモーションブラーがかかっていて、風の向き、方向性って情報が伝わってくる写真なんです。基本的に、一枚絵で動きを描きたい場合、こういう形での妥協点を探す作業になりがちです。
さて一方で、シャッタースピードが遅い絵をメインに描く漫画家もいます。こっちは鳥山明、森川ジョージなんかになります。
ちと、いくつか、スローシャッターの漫画のコマの作図例として、はじめの一歩やDB,ワンピースの絵を紹介しときます。
これはガゼルパンチのコマですが、はじめの一歩の特徴として、この手のスローシャッターの表現を多用するってのがあります。だから、画面にはモーションブラー(動きボケ)の表現が異常に多いです。こういった表現をする為、はじめの一歩は、他の作品と比べるとコマ内での「動き」を表現できています。その分、線画の命であるフォルムが失われるのはしょうがない事ですが・・・
こっちはワンピースの一コマです。ガトリング銃をぶっ放して、それをスローシャッターで撮影したような表現になってます。ただ、ワンピースって出来の悪いストップモーションみたいなコマを描いちゃう事が時々あります。どういう事かというと、
ここのゴムゴムのガトリングのシーンですけど、手に全くモーションブラーが入ってないのに手が複数に見えるコマがあります。これは感心しない描き方で、昔の出来のわるいストップモーションや出来の悪い特撮映画みたいな描き方です。そういう作品で足が何本にも見えたり、手が何本にも見えたりする事があるかと思うんですが、アレは真似しちゃダメです。出来の悪い映像作品であって、真似するようなクォリティのモンじゃないんです。
これはドラゴンボールの一コマ。このコマもスローシャッターで考えられているので、悟空もピッコロも動きブレが入ってます。鳥山明や森川ジョージは、この手のスローシャッターで考えたコマというのが非常に上手い作家です。モーションブラーを使って動きを表現する絵が上手です。
ただ、画面にモーションブラーを沢山描き入れるって事は線画の命であるフォルムの情報を失わせているに等しい訳で、フォルムの美しさを追求するタイプの作家さんにとって、こういった表現は忌み嫌われる事が少なくありません。そういう作家さんは、こういう表現はしません。
ちと、ハイスピードムービー貼っときますが
フォルムの美しさを追求するタイプの作家さんってのは、こっち系の動画を参考にします。こっちの画像で、ハイスピードムービーになった所からをコマ送りで見て欲しいんですけど、手と足の一部にちょっとだけモーションブラーがのってて、身体の他の部分にはのってません。こういう表現になります。ハイスピードムービーだと、大体240コマ/1秒ですけど、そういう表現を好むタイプの作家は多いです。
池上絵や井上絵を見てみればわかると思うんですが、手と足にちょっとだけモーションブラーをいれる事で読者に動きを伝えようとするコマが多いです。あだち充の場合、野球のスポーツ写真でよくある表現ですけど、バットとボールにちょっとだけモーションブラーがのってるって表現をよく使います。
静止とアクションについて
今回の話は「映像作品における動き」です。これで大体、カメラの話は説明し終えた訳ですが、この話をする際に、必ず抑えておいて欲しいポイントは、「動きと画質の間にはトレードオフが存在する」って所です。
カメラで激しい動きをしている物体を描写する場合、シャッタースピードを上げないと動きブレで被写体がボケます。ただ、シャッタースピードを上げれば上げるほど、動きのベクトルを示す情報である動きブレが失われ、画面から動きが失われるんです。
この問題を動画で解決しようとすると、フレームレートを上げないといけません。ゲームの世界では60コマ/1秒がよくありますが、映画(24コマ/1秒)よりも、ゲームや3DCGのほうがヌメヌメ動いてるように見えるのは、こいつのせいです。
一方で、一枚絵と写真の世界では、フレームレートをあげるなんて事はできませんから、「動きと画質の間のトレードオフ」は解消できません。これはどうしようもない問題だったりします。
それといしかわじゅん関連の話しておくと、「動きと画質の間のトレードオフ」に関して、AKIRAの大友センセは画質重視の作画をしており、動きの情報を示すモーションブラーはあまり使ってません。なんで、あの漫画の場合、1コマ内では、動きはそれほどありません。僕は、AKIRAの作画を見て、「動きのある漫画」とは呼びません。画質は素晴らしいですが、動きの情報は極端に切り捨てた漫画になっています。
あと、例のコレですけど、このシーンと、
鳥山明のこの絵比べて、どう思います?動きを感じるのは鳥山絵のほうです。モーションブラーが入ってるからです。大友絵の場合、効果音が入ってなかったら、何が起きてるかわかりません。一方で、鳥山絵のほうは効果音なくても、前後のコマの繋がりがなくても、「殴られている」事が一瞬でわかります。一方で、絵のフォルムについては、大友絵のがわかりやすいです。ボケがない訳ですからね。鳥山絵の場合、悟空のフォルムが失われてしまってます。
それと、この場面において、いしかわじゅんが言ってる「インパクトの場面の省略」という手法に関しては、
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こっちでアメリカの画家のジェームズ・ガーニーが詳しく説明してる事でもあります。この2冊は、とても良い本なので、マジでオススメです。絵を勉強する人、カメラをやる人、3DCGをやる人はガーニーの本は読んでおいたほうがいいです。
「空想リアリズム」のほうでガーニーは「静止とアクション」って話をしてます。
これはガーニーの「IMARO」って油絵です。この絵はガーニーの「静止とアクション」の話の際に、一つの例として使われているのですが、「空想リアリズム」から引用します。
静止とアクション
絵はそれを観る人に大して、絵の中に描かれているものをそのまま1度に提示します。複数枚のパネルもアニメーションもなく、見せることができるのはある一つの瞬間だけです。見る人はその構図から、これまでに起きたこととこれから起こりそうなことについての手がかりを読み取ります。アクションを見せたい場合は、物語の中で最も緊張の高まるところはどこかを考えましょう。ハワード・パイルが「究極の瞬間(Supreme Moment)」と読んでいたタイミングです。
(筆者 注・ハワード・パイルはアメリカの画家。多くの画家を育てた事でも有名でアメリカの画壇では非常に強い影響力を持ってます。彼の残したレジュメは今でもアメリカのアーティストの間でコピーされては読まれ続けてたりします。〜特集『ハワード・パイルのレジュメ』)
絵ではある程度まで、アクションを見せることを避けて、時の経過を感じさせないような表現も可能です。フェルメールの絵に描かれているもののほとんどは、永遠に続く現在の中に存在するように見えます。エドワード・ホッパーの絵にはよく、謎めいた緊張感の中で待っている人々が描かれています。
左下のような本のカバーの絵(Imaroの絵のこと)では、私はメインのキャラクターが今にもアクションを起こそうとして立っているところを描き、その後に起きることは読者の想像に任せてあります。デザインは安定した構図で、すべての人物が三角形(つまり最も安定した形)にきちんと収まっています。
このバランスをひっくり返して逆三角形の構図にすると、ポーズにエネルギーを与えることができます。右上の人物(ここで上記の絵)は、ライオンを担ぎながら大股で歩いていますが、こちらの構図は上部が重く不安定です。彼はこのポーズを長時間続けることはできません。また、通常は目にすることがないような力をつかっています。
ドラマチックな映像ではたいてい、クライマックスに向けてハラハラするようなシーンが作られています。N・C・ワイエスは「人物に暴力的なアクションをとらせるのは芝居じみていてドラマチックではない」というパイルのアドバイスを思い出しながら、最高にドラマチックな瞬間の直前をよく描いていました。彼は生徒達に、「深い感情の中には、ある種の気品とアクションに対する抑制力があり、こちらのほうがより表現に富んでいる」と説いていました。殺人の前の恐怖や後から来る良心の呵責の方が、殺人の行為自体より題材として面白味があるということです。
しかし、時にはアニメーターがキーフレームポーズと呼ぶ、連続的な動きの中での主要なアクションの瞬間を表したポーズを描くほうが効果的な場合もあります。右ページの上の絵(ここでは上記の絵)は、ティラノサウルスに追われてたウィル・デニソンが、飛び立ったばかりの彼の翼竜の鞍に飛び乗ろうというところです。もし彼がジャンプしようとして身構えているところや、彼が鞍に乗ってから安全に飛び去っていくところを描いていたら、それほど面白い絵にはあならなかったでしょう。
この話、最初の西澤さんの話につながるんですけど、、野球のスイングを絵にするとき、どの部分を描くか?というのは常に問題になります。スイングする前のみなぎる緊張感をメインに描くか、インパクトの瞬間を描くか、あるいは三振した瞬間の静寂を描くか。
ガーニーは「殺人の前の恐怖や後から来る良心の呵責の方が、殺人の行為自体より題材として面白味がある」って話をしてますが、ハワード・パイルのいう所の「究極の瞬間」ってのは、事前と事後に訪れる事が多いです。例えば、セックスなんかも、事前と事後のほうが、絵の題材として面白味があります。これは、覚えておいたほうが良いです。
ただし、やっぱり、最中の絵のが面白い場合も多いんです。例えばダンス・シーンです。ダンスの絵を描くとき、「主要なアクションの瞬間」を描かないでどうするんだって話です。
ただ、こういう風なアイス・スケートの写真みたいに描写しても
こういう絵は、動きの説明をするのには良いですが、絵としてはスピード感に欠ける絵になってしまうんです。じゃあ、どーすりゃいーんだよって話になるんですけど、
これはジェームズ・ガーニーが描いた「Masked Dancers」って絵です。この絵のポイントは、ダンサーが激しいダンスをする最中に片足を移動させた瞬間を捉えている所。手と足にモーションブラーが入ってますよね?これのせいで、絵の中で「動いている事」が表現されてるんです。
ガーニーはこれ以外にもスピードブラーを使った絵も描いてます。スピードブラーってのは、高速で移動するオブジェクトをカメラが追跡する事で生まれます。カメラで流し撮りする時に背景にかかるブレです。
これはガーニーの「Will Arrives」って絵です。スピードブラーが背景にかかっているのがわかると思います。背景にスピードブラーがかかっていると、画面に凄いスピード感が生まれます。(最初のほうで紹介したF1の流し撮りでは背景にスピードブラーがのっているので動いているように見えるわけです)
また、これ以外にも、画面で動きを表現する方法があります。代表的なのはSLの写真です。
これ、SLの写真ですけど、蒸気機関車って、絵を描く人間やカメラヲタにとっては最高の素材です。ってのも、SLは蒸気を吐いてくれるので、蒸気の流れる方向で動きのベクトルを読者に伝えることが可能なんです。
これは、板野サーカスと同じ理屈なんですが、
こーゆー風に煙はいて進んでくれる物体ってのは、動きのベクトルを煙が表現してくれるので楽なんですよ。
ついでに漫画版「風の谷のナウシカ」の話もしときましょう。アニメ板と違い、漫画版の風の谷のナウシカでは、「飛行機を動かせません」。止め絵で、メーヴェやガンシップの動きを表現しないといけない訳です。さて、宮崎駿は、これをどうやって表現してるかというと、
このコマみたいにスピードブラーを使う方法と
このコマみたいに、メーヴェによく分からない煙を吐かせる事で動きのベクトルを表現するって方法です。
あのですな。
宮崎駿って、漫画家じゃなくてアニメーターでして、1度は自分で漫画家の才能無しって事で漫画家の道諦めてたみたいですが、漫画版の「風の谷のナウシカ」ってね、「止め絵でいかにして動きを表現するか」っていうのがすっげえ勉強になる漫画なんです。特に3巻のナウシカがドルクの包囲からカイに乗って脱出するシーンとか、何回読み返しても、「すげえなあ」と感心します。漫画みたいな止め絵であれだけ動きを表現できるなんてありえない。画面一つ一つに動きを表現するためのギミックてんこ盛りです。普通の漫画家は、あーいう事はまずできません。今回は字数の問題上、そっちの説明はやりませんけど、動きの表現の為に一コマ一コマが考え抜かれてるんです。
ホントはナウシカの漫画版で、止め絵で動きを表現する方法について、細かく例をだしながら説明するのが良いとは思うんですが、それやってるといくら字数があっても足りないので勘弁してください。
最後にまとめておきますが、「絵で動きを表現する」、とは何なのか?というと
そろそろ疲れてきたんで、まとめに入ります。
まず、今回のエントリで繰り返し述べてきた事ですが
「動きと画質の間にはトレードオフが存在する」
ってのを覚えておいてください。
動いているオブジェクトを描写しようとした場合、シャッタースピードをあげる事で動きブレを抑えてクリアなオブジェクトの画像を捉えることが可能になります。一方で、シャッタースピードを上げれば上げるほど、動きブレが失われます。そして、動きブレが失われてしまうと、人間は画像から「動き」を認識できなくなります。
動いてる物体をクリアに捉えようとすると、240コマ/1秒みたいな感じで考えないと、クリアなオブジェクトを描けない。だが、240コマ/1秒で考えた絵から、動きブレが失われ、動きが認識できなくなる。
このスケート写真みたいに、並べていけば動きの説明には問題はないんですけど、スピード感はまるでない。
動きを描写するというのは、このトレードオフと格闘する事に他なりません。
映画の世界でいえば、このトレードオフを解決する為に、様々な手法が考え出されました。映画における24コマ/秒の壁を破る為、カメラの機構そのものをいじって、「ショースキャン」を生み出した特撮の神様、ダグラス・トランプルみたいな人もいます。
漫画やアニメの世界でいえば、アニメでモーションブラー、スピードブラーを「描く」ことで動きを表現したりします。トムとジェリーがわかりやすいのですがね。日本では板野サーカスみたいに、煙なんかを使って動きのベクトルを表現するのが生まれてます。
特撮は、ストップモーションで恐竜動かしたりする関係上、いかにしてストップモーションに動きブレを加えるかという事について、色々な手法が考え出されてきました。
絵画の世界では、絵にモーションブラーを書き込むのはそれほど市民権を得ませんでした。代わりといっちゃなんですが、絵画の場合、「殺人の前の恐怖や後から来る良心の呵責」といったシーンを描くことで、視聴者に「事前、事後のアクションを想像させる絵」というのを画家は好んで描きました。
こういう風に「動きを描く」ってのは、先人達の様々な業績を学ぶって事でもあります。なんで、真面目に勉強しましょうって所で〆ときます。
あと、今回の話でカメラの話を沢山しましたが、イラスト描く人はコンデジ一台もっといたほうがいいです。今時、コンデジなんで安いもんだし。
OLYMPUS デジタルカメラ STYLUS XZ-2 1200万画素 裏面照射型CMOS F1.8-2.5レンズ ブラック XZ-2 BLK
- 出版社/メーカー: オリンパス
- 発売日: 2012/10/26
- メディア: エレクトロニクス
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大体、オリンパスのXZ2位コンデジがあれば十分だと思います。ただ、今回は「動き」の話で、「動きのある写真」をとろうとすると、地獄を見るしかないんですがね・・・・スポーツ写真って金食い虫なんですわ。高い一眼レフに高い望遠レンズ必須なんで、簡単に50万とか飛んでしまう世界です。なんで、あんましオススメはできかねます。一眼レフ購入は自己責任でお願いします。下手にハマると気がついたら10万のレンズいくつも買ってたりして地獄を見ます。
今日はこのあたりで。ではでは。
悟空が超スピードで飛びかかる(=ブラー/動の表現)=コマ内時間の起点
↓
ピッコロの顔面のねじれ(パンチが当たった瞬間にフリーズしたような、ストップモーション的/静の表現)が、パンチの衝撃を強調=コマ内時間の終点
みたいな感じでしょうか。
スローシャッターの場合、パンチが当たって激しく揺れる顔面にもブラーは発生する筈なので、これも写真的には正しくない(けど物語を説明する上では正しい)マンガ的な「嘘」表現のひとつなのではと思います。結論としては私も全く同じで、「前後のコマの繋がりがなくても、「殴られている」事が一瞬でわか」る、素晴らしいコマだと思います。
大友絵に関する動きに関しては構図とキャラのリアクション、皺の流動性なども含めて『全体的に止め絵なのに動いているように見せる技』であって、止まっている絵ではないのです。因みにこれは美術におけるムーブマンとも違います。
また、全てをカメラの技術を元に解説していますが、それ自体絵をわかっていない証拠です。こういうことを言い出す人がパースが広角、望遠、魚眼のいずれにも含まれないから絵として劣っている、などと平然と言い出します。今回はそのような話題ではありませんが『絵として間違ってる』などという大言壮語はそのくらいにされたほうが、恥をかかないと思いますね。
それが現実にありえないパース、表現でもマンガとして伝わりやすいといった点を感性で置き換えて表現しています。
もちろん、根本的に間違っている作家さんも数多くいますが、マンガのコマ表現を写真と同じに考えている点は短絡的といわざるを得ません。
ぜひ「マンガ表現における嘘のつき方」がある事もご理解ください
アレは、エネル視点で見たコマって事なんじゃないかと思います。
すぐ上の引用画像では、ちゃんとブラーが入ってい居るわけですし。
漫画表現としては間違っていなくても、一つの絵としては動きのない絵だ、
というのならそうでしょう。
いしかわ先生は夜話のなかで井上先生のことも「動きが描けない」とおっしゃってましたね。
「日本画っぽい絵柄に挑戦したらいいんじゃないか」とか言って。
そしたらバガボンドが始まったのでビックリしたものです。
また安彦先生の絵については、「動き」だけじゃなくて、「重力」とか「重さ」が欠如している、みたいなことを夏目先生がおっしゃってて、いしかわ先生も同調されてた気がします。
「床に叩き付けられているのに痛さを感じない」とか。
「宇宙空間の絵ばっか描いてたからかな」みたいな。
この、「重さ」や「重力」の表現が、「絵における動き」の表現にとって重要だと思うのですがどうでしょう?
動きにおける「重心のズレ」です。
コーナーを走るバイクの傾きでそのスピードがわかる、みたいな。
これが大友先生や鳥山先生はすばらしいと思います。
フェルメールは
「私の関心は、メイドが持っている壷の、色でも形でも質感でもなく、重さだ」
とか言ってたそうです。
メイドの骨格の姿勢や筋肉の硬直を正確に描く事ができれば、壷の重さも伝わるはずだ、という意味だと思います。
この場合は「静止している」という「動き」ですが。
全体的に、主に一枚絵における動きの表現について語られていましたが、その場合は漫画の絵を例に出すのは、アンフェアな気がします。
コマの間で動くのがいしかわ先生の言うところの大友先生的「インパクトの場面の省略」なわけで。
それがカット無しの1つの映像として映っている。これは実際にはありえないんだけど、その方が映像として気持ちいいよね。って話を読んだことがある。
なので、それを「間違い」と一概には言えないと思う。もちろん、そこまで考えてない場合ももちろんあると思う。」
各人の価値基準で、高速で動く表現をするのにブラーが良いと思えば使うだけであって、ここはスローシャッターのカメラで見ているシーンだからなどとは考えたりしません。
画角の違いもカメラという枠にとらわれる故の発想です。絵を描くというのは、そういう枠に縛られたりしません。表現したいことに合わせて条件を変えます(カメラで見た世界を表現したい時はもちろん画角を再現します)。1枚絵の中の動きというのは、ブラーなんかより、見る人の視線が画面上をどう動くかの方が重要ですよ。
絵画技法書類で画角等の説明が行われるのは、写真や目で見た情景が、なぜそう見えるのかをまず理解する必要があるからです。そのように描けというのではありません。その中から(またはそれ以外から)自分の絵を探せ、です。
不意打ちされました。
引用されているコマだと、直後にエネルに止められる(=勢いがない)という意味付けがなされているので、正解なのではないでしょうか。
ちょっと傾きもついているので、恐らく意図を持ってブレをなしにしてるのかなと。
また、ちょうど小林まことの柔道部物語を読んでいたのですが、
あの方の漫画は素晴らしいですねえ。
この記事内にあるような動きの描画もきっちりされてて、かつコマ運びとかがものすごく読みやすいという。
ワンピースのエネルの場面は勢いが無い訳ではなくて
雷が効かない事態に混乱していたが、態勢を立て直して
冷静に攻撃を見極めて防御した...という方が近いかと。
なんせ光の速さで動ける人ですし。
マンガは話の流れでも動きを表現できるので、
写真と単純比較出来ない点もあるでしょうね。
写真と漫画を比べたところでどうだというんだ?
こういう人の作品をあげつらって矛盾点だの指摘する人が
どれほどの写真を撮るのかみてみたいもんだ
写真と漫画を比べたところでどうだというんだ?
こういう人の作品をあげつらって矛盾点だの指摘する人が
どれほどの写真を撮るのかみてみたいもんだ
拳銃の向きではなかったか。
←矛盾点の有無に気付く
←シャッタースピードという観点が必要
大友絵が動いていないとは書いていない。シャッタースピードが速いと書いている。
写真撮影のシャッタースピードの観点だけで語られてもね。
現実では撮れないものを表現できるのも漫画の強みですよ。
それを間違いと言ってしまうのは結局漫画を漫画として読めていない証拠。
カメラ(写真)目線でしか漫画を見られないなんて視野がせまいねw
「カメラ(写真)目線で漫画を見るとどうか」ということを書いているワケでしょ?
視野が狭いとかそういうことではなくて。
あと、足を振り切ったポーズなので動きが一瞬止まるポーズだなって思います。
絵画の動きの話でいうと、動きのポイントを全部律儀にコマで割って見せているのも連続写真みたいで、もたついて見えるんじゃないかと。
ナイフの見開き。マトリックス以降だと、ワンカットの間にスローモーションに切り替わる映像も珍しくないので、時代が池上遼一に追いついたとも言えるかも。