明日が小説の校正締め切りなので、今日もじっくり書く時間はないが・・・・
オランダ国王の余りにも一方的晩餐会スピーチに、いまだ心がざらついている。
書ききっていればスッキリするのだが、時間に不自由していて腰を入れて
反駁できていないので。
駆け足だが、日本人に最小限知っておいて頂きたいことを箇条書きで書く。
まずこれを見て頂きたい。
スカルノ大統領のインドネシア独立宣言の書である。
日付の年度に留意されたい。
西暦では、1945年8月17日であるが、05年となっている。
これは「皇紀」なのである。皇紀2605年。
インドネシアの独立が日本のおかげであることをこういう形でスカルノ大統領は
宣言文に織り込んだ。
「侵略戦争」というのは、戦勝国側の一方的烙印で、あの戦争は白人による有色人種の奴隷としての使役からの開放でもあった。
そこをくれぐれも、日本人よどうぞ忘れてくださるな。
戦争の全てを肯定はせぬ、出来ぬ。
しかし、私達が幼児期より刷り込まれてきたように、日本だけが
一方的に愚かだったわけでもなく、悪かっただけでもない。
戦争は肯定しない。
言い訳もしない。
だが事実は事実として見ておかないと私達の父や祖父の名誉が、
そしてその子たちや孫達である日本人の名誉が足蹴に汚される。
あの戦争には白人からの支配から、アジアを独立させた戦争でもあった。
これをどうぞご記憶いただきたい。子にも伝えていただきたい、
インドネシアは、数百年間に及ぶオランダの支配下というよりは、略奪下にあり国民は家畜のごとく使役されていた。
オランダにとって、オランダ王室にとって有色人種は動物。人間ではなかった。
それから、まだわずか70年。国と王室の性根がそうやすやすと激変するわけでもないことは、ご理解いただけるだろうか。
1942年、3月1日。日本軍はわずか9日間でオランダを、インドネシアから駆逐、数百年に及ぶオランダの強奪からインドネシアを開放させ、更に動物ではないのだぞ、白人と同じ人間なのだぞ、と誇りを教えこんだ。
オランダが執拗に再度攻め込んでも、もう彼らは屈することがなかった。
そしてオランダは植民地を失い、しかもそれが小さい黄色い猿によってなされたことに、屈辱と怒り。
インドネシアの「国立英雄墓地」には11名の日本人が手厚く葬られている。
「英雄」墓地である。
インドネシア側にとっては日本の戦いは聖戦だった。
心からの感謝があった。
ここを忘れぬよう。
そして、日本が敗れた後もまだ帰国せず! 祖国に戻る道を選ばず!
インドネシアにとどまり、その独立に生命を賭けることを選んだ
日本人がいたことを忘れまい。
日本軍降伏後、4年5ヶ月におよんだイギリス、オランダとの独立戦争に身を投じた旧日本兵の数、千人とも2千人とも。それらの数すらつかめぬ名も無き英雄たちよ。
戦死者は、つかめた数が約400名。彼らもインドネシアの墓地に埋葬されているのだろうが、そのうち32名が各地区の英雄墓地に葬られている。
敗戦後もなおインドネシアに留まった日本男子たちの、心意気。
オランダがインドネシアに踏み込み、強奪を始めたのは1605年。
以来実に3世紀半にわたって、インドネシアの人々を家畜として
使役、人口わずか0,5%のオランダ人が全生産額の
65%を専有するという悪辣ぶり。
日本をどの口で侵略国家と呼ばわり、どの汚れた手で打ち据えるか、
オランダよ、恥を知れ!
国王よ、日本国の宮中で歴史をもし語るなら自国の負の歴史を棚に上げてくださるな。
戦争を肯定はせぬが、日本がロシアを打ち負かしたこともまた、
全てのアジア人に勇気と誇りを取り戻させたのは事実である。
第16軍を率いて、今村均中将ジャワ上陸を敢行、3ヶ月を要すると言われていたのに上陸10日後には、オランダ軍司令官はあっさり降伏。
このことへの恥辱もあり、オランダは執拗な恨みを日本に持つ。
今村均中将の言葉。
「独立というものは、与えられるものではなく、つねに戦い取るべきものだ。かれらが戦い取ることのできる実力を養ってやるのが、われわれの仕事だ」
それから、歩み始めたインドネシア独立への道。
戦争はよくない、平和をとインドネシアの人々がもし言い続けたとしたら、
独立はいまだ無く、オランダから搾取の対象であり続けたであろう。
日本がインドネシアになしたことは、300近い言語をインドネシア語として統一。
州の長官、副長官などに現地人を登用し、参議会を作って、行政や議会運営を習得させた。
インドネシア義勇軍を編成し、3万5千人もの将校、兵士を育成。こうして後の独立戦争の素地は整えられた、日本人の手で。
・・・・・・どこか日韓併合時代の日本政府のやりかたを彷彿させる。
日本人には本来、白人の強欲さも傲慢さもない。
朝鮮も日本が合邦せず、ソ連の手にわたっていたら、文字通り植民地とされて
強奪され、人々は家畜として使役され、現在の近代国家大韓民国の姿はなかったはずだ。
インフラを整え、ハングルを広め教育と健康に留意しつつ統治したのが日本である。
韓国の近代化の礎を築いたのは日本である。
日韓併合の全てを肯定はせぬ。だが、西欧の概念で、あの統治時代を植民地と呼ぶのは絶対に違う。
それは、日本国民は胸を張って主張すべきことである。
韓国に侵略呼ばわりされる謂れはない。
朝鮮半島での兵隊募集には応募者が殺到、日本兵として戦った。
朝鮮名のまま出世、日本兵の一団を率いていた者たちも複数。
これらは伝えねば。
過去のためではなく、これから日本人として生きていく子らのために。
27日には宮中晩餐会が開かれました。
その晩餐会に雅子妃は欠席。
療養中とはいえ、この時期の雅子妃はお元気でした。
大統領ご夫妻滞在中の雅子妃の私的活動は次の通りです。
11月26日
私的テニス 内宴ご欠席
27日
私的乗馬 宮中晩餐会ご欠席
28日
私的お出掛け「ジュエリーの今 変貌のオブジェ展」
29日
私的お出掛けオランダ大使公邸でホームコンサートとディナー
少なくとも、29日のオランダがらみの私的お出かけは控えて頂きたかったですね。
井沢先生のブログは半年くらい前から読ませていただいています。
ここに書かれていることは普通に学校で勉強するだけでは絶対に知ることができない内容ですよね。
一方的に日本は先の戦争のときに悪いことをしたということばかり教え込まれてきた気がします。
自分から何かおかしいと思って調べないと絶対に知ることができないことが多すぎます。
私は幸いにもインターネットを利用することで今まで知らされていなかった様々なことを知る機会が得られて幸運だったと思います。
自分の子供はまだ学校で歴史に触れる年齢ではないのですが、先の戦争のことをどのように教えられるのか興味がある反面不安もあります。
私自身が正しい歴史認識を持ち、それを子供に伝えられたらと思っています。
井沢先生、これからも投稿を楽しみにしています。
なんて素適なタイトルでしょうか。
私もオランダ国王の来日に関して
国王のスピーチの内容、
天皇陛下のスピーチ内容、
雅子紀の晩餐会への出席の意味、
オランダと韓国との関係など
諸々の事が心に引っ掛かってずっと引き摺っていました。
自国の恥を棚に上げて
晩餐会でわざわざ日本に対する被害妄想的発言をした事に対して、本当に腹が立って、どうしても許す事が出来ませんでした。
今回の井沢先生の記事は、私の思いをそっくりそのまま代弁してくださいました。涙が出るくらい本当に嬉しかったです。ありがとうございます。
私もブログを書いてまして、そこでも書いたのですが、ユ〇ク〇という会社の社長が、とんでもない反日発言を続けている事に触れました。その社長は日本の富豪とか言われていますが、その社長がオランダの法人に720億円相当の株を譲渡したというニュースの事も書きました。どうしてオランダなのかなと思っていました。
そこにオランダ国王来日と韓国との関係を知り、その社長も在日疑惑がありますので、なぜオランダなのか、その疑問が解決しました。そういうことかと。
先生の仰る通り、インドネシアの方々と終戦後も残ってオランダを撃退した日本の勇者の方々の名誉の為にも、この事実を拡散して行きたいと思います。
乱文が恥ずかしいのですが、どうしても先生に感謝の気持ちを伝えたくてコメントを書かせていただきました。
止むに止まれぬお気持ちからなのでしょう。
オランダ王室、オランダ国、そこに滞在している小和田恒氏の暗躍、高円宮、韓日ワールドカップ、鳩山家、日本ユニセフ、GHQ日本・皇室弱体化政策、雅子妃の入内、在日、創価、部●、オバマ政権のケネディ大使・・・・・と反日の輪は地下でつながっているのに、気がつかない日本人がまだまだ大勢います・・・・。
たしかに狡猾ですが、何ひとつ言い返せない日本政府も無能過ぎます。 反論しないということは認めたと、同意でしょう。
戦争が終わった後もインドネシアをオランダから守るために命をかけて戦い亡くなられた日本軍の軍人が持っていた侍魂のかけらも残っていないのでしょうか、今の日本国。
アジアを解放した日本軍の名誉を称え、英霊に手を合わせることが、当たり前の日本にならなければいけない。 日本の名誉もまた、取り戻さねばならない。 子孫の為にも。
先生、素晴らしい記事をありがとうございました。 日本人としての誇りを失うことなく次の世代に受け継がねばと思いました。
そのためには、歴史の事実をしっかりと知ること、これが何よりも大切なことですね。
>富と栄光のためでなく ただ名誉のために
おのれを捨てる・・・・
これぞ日本精神、武士道精神です。
イスラム国はアラブ全体の意思ではありません。「どうぞイスラムを叩いて下さい」と言っているようなものです。イスラム国(この名付け方も変)を背後で支援してるのは誰か、も十分怪しいです。
本当に世界を引っ掻き回したのは、誰?
その原因は日本地図の持ち出し未遂でした。
これを日本国内の権力闘争とする論もあります。
そうでないと言う100%の確証はないが、シーボルトの地図持ち出しが100%無かったと言う確証もない。
シーボルトの善き面だけを強調されて、私たちは教えられました。
しかし、シーボルトとて100%慈善のために、日本に滞在していたわけではない。オランダ出島の住人は日本の為に其処にいたわけではない。基本は利得の為。
日本人同士だって、他人に金庫の扉の開け方をおしえますか?家の見取り図を簡単にみせますか?
友好親善には、そこに利があって損が無いのが大前提。
そこいら辺を消し去って、イノセントでナイーブな認識しかさせないマスコミと教育は、日本人をどうしたいのだろうか。
すぐウヨクだ洗脳だ、美化だと罵られおちょくられるような風潮もありますが、そこに美が存在したのは確かです。
知覧の青少年たちが残した言葉に涙が出るのは、彼らが洗脳されて可哀想だからじゃない。
彼らの美しい思いが心を打つのだと思うのです。
先日うちの小学生の娘が長崎への修学旅行に行きました。5〜6人の班で学んだことを発表するわけですが、それらの感想文の中に被爆朝鮮人犠牲者について触れたものが結構ありました。
http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/map/detail/inori/tsuito_chosenjin_giseisha.html
当然ながらものすごい被害者ヅラです。
子供たちは普通に「昔の日本ヒドイ」と思ったことでしょう。そう書いてありました。
私は娘と話し合いました。
物事は筒型みたいなもの。○だと思うヒトと■だと思うヒト、それには穴が開いていると思うヒトがいて争っているが、それはある面全て正しい。
でもその一面は全ての真実ではない。
当時の世界事情、日本から見た世界、世界から見た日本という視点を持つことをこれからも大事に教えていきたいと思います。
急に冷えてまいりました、井沢先生もお体ご自愛され執筆されますよう…
密入国の不法滞在者が多くいたことも。
加害の側面には触れず、被害ばかりを強調する・・・・。