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法華狼の日記

2014-10-27

[][][]ハイファンタジーに比べてローファンタジーに不満を感じることが時々ある、ごく個人的な理由

作品要素の全てが異世界でつくりあげられているのが「ハイファンタジー」で、地球人が異世界に行ったりと現実の要素がふくまれるのが「ローファンタジー」というカテゴライズがある。前者の代表が『指輪物語』、後者の代表が『ナルニア国物語』といったところ。

これはジャンル内ジャンルのようなものであって、どちらが上等とか下等とかいう評価とイコールではない。完全な異世界を構築する仕事量と、その異世界を読者に理解させる技巧とで前者を高評価する向きもあるが、設定の物量と作品の面白さがイコールで結ばれるわけではない。一般の読者にとっては、せいぜい好みの問題だ。


そう思っていたら、よくわからないエントリを見かけた。id:chaoran氏のブログだが、このエントリひとつしか今のところあがっていない。

なぜオタクにバカが増えたのか、という話 - chaoran’s diary

「オタク」がそういう事ができる脳みそを持った人たちだけの娯楽だった時代に流行ったのが宇宙や異世界に飛び出す話しだったんですよ。(面倒なんでここではこの辺全部ひっくるめて「ハイファンタジー」と呼びます)

そんなハイファンタジーオタクたちが盛り上がって出来たオタク市場、これが一時期停滞します。顧客に対して市場が飽和したせいです。

「飛び出す」は読者や視聴者の視点のことと思えばいいが、いくら面倒でも「宇宙」に飛び出す物語をハイファンタジーと呼ぶべきではないだろう。技術面での描写や設定によっては、むしろ現実を強く意識させる要素になるはずだ。

SFは作品世界を現実と美しく接続するためにこそ、多くの設定を必要とするものだ。chaoran氏が主張したいのは、設定量が多そうに見える作品が昔は多かったということではないのか。

そう首をかしげていたら、直後に『新世紀エヴァンゲリオン』を「ローファンタジー」が浸透したきっかけのように主張していて驚いた。

そんな中でエヴァンゲリオンが出てきて、オタク界隈にそれまで子供向け扱いだった「ローファンタジー(現実世界をベースにしたファンタジー、とここではします)」とセカイ系がジャンルとして浸透します。(それまでにもそういう作品はあったでしょうが、エヴァブームによってこの手の創作の勢いがハイファンタジーを超え始めるに至りました。)

エヴァンゲリオンブームの何がすごいって、ハイファンタジーオタク以外の客層をガッと切り開いたことですね。

前述のように、作品要素の全てが異世界ならば『スレイヤーズ』シリーズもハイファンタジーに分類される。小説が出版されて人気になったのは1990年からだが、アニメ化がはじまったのは1995年と『新世紀エヴァンゲリオン』と同時期のこと。ちなみに、どちらも林原めぐみ主演のキングレコード作品であった。逆にローファンタジーに分類される『十二国記』は1991年から始まって人気を集めていた。

そもそも毎回のように巨大な敵が基地に攻めてきて、人工的な巨人に乗って守るという物語は、『マジンガーZ』あたりからつづいていた物語のフォーマットだ。特撮番組などの表現もとりいれながら発展し、最後に放り捨てたのが『新世紀エヴァンゲリオン』にあたる。現実に似た風景から導入するのは、ロボットアニメのひとつのセオリーだ。同じように防衛要素の強かった勇者シリーズが子供向けだというなら*1、より日常と接続した『機動警察パトレイバー』シリーズもブームを起こしていた。

『新世紀エヴァンゲリオン』が「セカイ系」を生み出したという主張だけならばわからないではないが、現実要素をとりいれた作品が人気をとるきっかけであるかのような主張は理解しがたい。「セカイ系」にしても、『美少女戦士セーラームーン』のような参照先が先にブームとなっていた。

ある時期にハイファンタジーが目立ったのは事実だと思うが、それはTRPGを中核とした『ロードス島戦記』やコンピュータゲームドラゴンクエスト』といった、異世界でプレイヤーが遊ぶゲームが人気だったためではないか。その人気が落ちついても、しばらくパロディとして参照されていた。そうしたメディアの関係を先に考察するべきであって、子供向けか大人向けかとは関係がないというのが、私の考えだ。


全体として事実関係に同意しがたいchaoran氏のエントリだが、下記の記述を読んでいて、ひとつ個人的な不満を思い出した。

ローファンタジーは「現実の拡張として理解が出来る」のでハイファンタジーに理解が及ばない客層を開拓し、セカイ系は作劇において登場人物の数を劇的に減らしました(セカイ系では局地戦の結果がそのまま世界の興亡なので、戦争をしても大人数を動かす必要が無い、つまり覚えやすいしわかりやすいのです)。

現実世界の人間が異世界に行くという形式は、なるほど異世界を読者が理解しやすくする手法のひとつと考えることはできるだろう。異世界の言葉でしか表現されないものを、どのように日本語で記述するかという課題を解決しうる。

「異世界ファンタジーに日本語や外来語が出てくる問題」の7つの解決法(※ステマ注意) - 魔王14歳の幸福な電波

日本人が異世界にワープしたり転生するタイプの作品だと、「主人公の一人称によって地の文を記述する」ことでかなり無理なく言語の問題をクリアできます。もちろん現地の人々は現地の言葉を喋っているはずですが、主人公本人にさえ理解できていれば「日本語で認識し直している」という体裁で日本語一人称の記述を理由づけることが可能でしょう。

そして私は、このような作品に対して不満をもつことがある。わかりやすさを目指すこと、それ自体は何の不満もない。

気にかかるのは、「ワープ」や「転生」のあつかいだ。作品では、異世界を舞台とした物語がつづいていく。主人公たちは異世界で困難にであったり楽しんだり、作者も主人公の直面することばかり力をそそぐ。しかし、異世界での出来事よりも大きな出来事が起きているではないか。

そう、主人公が「ワープ」や「転生」をした場合、そちらの起きた理由こそが異世界内での出来事より私は気にかかってしまう。異世界内にとどまる出来事より、そうした世界へと主人公を動かしたシステムは、はるかにスケールの大きな設定ではないか。なぜそれが物語の主軸にならないのか、という不満をおぼえてしまうのだ。


たとえば主人公が不幸な日々をおくっており、その代償として神様が幸福な転生を提示したとする。主人公ならば、そうした神様のふるまいに対して反発するべきではないかとすら感じる。その異世界で生きている人々を、たかだか主人公ひとりの不幸の代償として踏み台にさせることは身勝手だし、喜んで踏み台に乗る主人公に好感を持つことも難しい。

たとえ誰かの意思が介在していなくても、どこかからワープして来た世界ならば、またワープして去っていくかもしれないと感じてしまう。現実世界に戻りたいか戻りたくないか、どちらにしても主人公はワープした原因をさぐるべきではないか。主人公の力がおよばないかたちでワープしたとわかった上でも、個人的にはワープが物語の後々までからんできてほしいと思う。


そうした不満の少ないローファンタジーも当然ある。

たとえば1983年に放映され、日本における欧風ファンタジー映像作品の嚆矢となった『聖戦士ダンバイン』。複数の人間が異世界に行き、それぞれの立場で戦うわけだが、クライマックスで地上世界へと戻ってくる。いかにも現実とは異なる世界でつくられた巨大ロボットが、当時としては正確に表現された現実世界で戦う描写は、非常に新鮮で面白いものだった。

SFに分類されるが、1980年の大長編『ドラえもん のび太の宇宙開拓史』も良い。『ナルニア国物語』やブリガドーン伝説をモチーフとして、ドラえもんの道具ですらとどかない遠宇宙と行き来する、ローファンタジー的な物語だ。冒頭の戦いが異世界と通じる原因であり、その戦いが物語の最終目標となる。ワープした原因は初期に特定され、なおかつワープできる期間の制約がドラマの中心にありつづける。現実との接続が、物語の中心に存在しつづける。

大長編といえば、1993年の『ドラえもん のび太と夢幻三剣士』も狭義のローファンタジーとして楽しめる。現実では弱い主人公が異世界で大活躍できるという娯楽活劇で導入しつつ、やがて現実と異世界が浸食しあう物語となっていく。あえて弱い主人公を選んだ異世界側の思惑も描かれて、踏み台として終わらなかった。

どれも『新世紀エヴァンゲリオン』以前に子供向けとして発表された、人気のあったローファンタジー作品だ。


究極的には好みの問題かもしれないが、大きな設定が示されたら、それを冒頭で使いきることなく、活用しつづけてほしい。

現実の要素が多くふくまれるローファンタジーだからこそ、異世界だけで構築されたハイファンタジーには出せない面白味もあるはずだと思うから。

*1:実際には、『勇者特急マイトガイン』のように列車が文明の基礎をなす世界を構築した作品もあった。

大太郎坊大太郎坊 2014/10/28 21:03 元の記事を読んでみましたが、バカと言いたいがための労作としか読めませんでした。

現在の「萌え」や「日常系」層のような、いわゆる「ノリの軽いマニア」はそれこそ江戸の昔からいたわけで、なにを今更という感想しか湧きません。
犬坂毛野もウランちゃんもチャム・ファウもリリス・ファウも萌え層への媚がなきゃ産まれなかったんだい!

訳本が好きでSFやファンタジーも好きですが、ハイ・ファンタジーとかロー・ファンタジーとか特に意識してないですね。本場でももはや意味の無い分類です。
あえて言えば叙事詩的なものとか伝記的なものがハイ・ファンタジー?かと思うと氷と炎の歌がロー・ファンタジー扱いされたり。

ロー・ファンタジーに分類されそうな十二国記も気骨の太いファンタジーですよね。アニメのオリジナル展開もけして原作のテーマ性を壊してなかった良作ですし。
ライトノベルでも橙乃ままれ氏の一連の作品などは、中高校生にこそ読んでほしいと思います。
要はテーマと物語の中身。これからもどんどん良作は産まれて来るでしょうし、それをなるべく逃さずキャッチしていく感性を磨いていけば、自ずとバカがどうのこうのなんて気にもならなくなりますよ。

上毛三山上毛三山 2014/10/28 21:50 お恥ずかしながら、私、今までハイファンタジーとローファンタジーの定義を知らずにおりました。
漠然と作品世界の作りこみ度で二つに分けるものだと考えており、「ナルニア」はハイファンタジー、ゲーム的な設定を感じる(呪文=戦闘用)、ラノベであることなどから「スレイヤーズ」はローファンタジーだという認識でした。(ロードスはその中間くらいの認識)

「ワープ」に理由を持たせた作品として私がまっさきに浮かんだのは以前もお話した竹本泉先生の『さよりなパラレル』でした。ただし、理由はあるのですがかなりいい加減です(笑)
帯電体質で静電気に困っていた女の子が静電気防止シューズを履いていたところ雷が直撃。体内にエネルギーが蓄積し、並行世界を移動する「体質」になってしまうというものです。
「並行世界」とあるように、どちらかというとSFですね。「幽霊に出会ったら悲鳴を上げて逃げるのがホラー、幽霊とお友達になるのがファンタジー、幽霊を捕まえて研究するのがSF」(by山本弘)という定義でいくと、「ワープ」の理由を探るのはSF的なのかもしれません。
おなじ竹本作品の『ねこめーわく』では2足歩行に進化させられた猫が(これもおそらく並行世界)人間の生活を再現しようとしてアドバイスを求め、毎回主人公の少女をアヤシゲな魔術でもって猫の世界に召喚するという話もあります。ちなみにこの作品も全体的にはSF寄りです。

もうひとつ、これもSFですが「ワープ」(ウラシマ効果)を取り扱った作品を思い出しました。アーシュラ・K・ル・グィンの『内海の漁師』です。といっても読んだとき自分には難解で、解説でそういう話だったと知ったのですが(笑)。

上毛三山上毛三山 2014/10/28 21:56 すみません、ちょっとまぎらわしい記述があったので
「『ねこめーわく』では〜話もあります。」が同作品内でそういうエピソードがあるように読めてしまうので、このように言い換えます。

おなじ竹本作品では、『ねこめーわく』という〜(中略)〜猫の世界に召喚するという作品もあります。

hokke-ookamihokke-ookami 2014/10/29 14:37 大太郎坊さんへ
>現在の「萌え」や「日常系」層のような、いわゆる「ノリの軽いマニア」はそれこそ江戸の昔からいたわけで、なにを今更という感想しか湧きません。

ええ、そもそも『ロードス島戦記』が受けていた時代は、『指輪物語』などと比べてライトな作品あつかいされていたと思います。

>氷と炎の歌がロー・ファンタジー扱いされたり。

未読ですが、WEB情報から判断すると、定義的にはハイファンタジーに分類されそうですね。
実際にカテゴライズに異論があるようで、今のところモデルとなった歴史が露骨すぎるから「ロー」ということらしいですが……

>ロー・ファンタジーに分類されそうな十二国記も気骨の太いファンタジーですよね。

定義的にはローですね。
当時の少女向け小説で流行っていた転生型ファンタジーを、細かく設定を煮詰めて完成度を高めた結果として重厚な印象が生まれた、という評価を見かけたことがあります。実は原作はななめ読みしかしていないので、私個人はなんともいえませんが……
TVアニメ版は、もうひとり転生したがっている少女をピックアップすることで、転生型ファンタジーを相対化したのがうまかったと思います。

>ライトノベルでも橙乃ままれ氏の一連の作品などは、中高校生にこそ読んでほしいと思います。

うーん、実は『まおゆう』が商業出版前に話題になった時、あまり私は良い評価ができませんでした。
理由はいくつかありますが、あまりに主人公側に都合のいい展開だと感じたのが要因ですね。とにかく先進的な技術を主人公側が独占し、なおかつ先進的な技術が良い結果となるばかり。古典的な文明SF『アーサー王宮廷のヤンキー』を、さらに御都合主義にしたかのよう。敵の多くが矮小な小物なのも、悪印象でした。
ちなみに『ドラえもん』には、同じように主人公が未来技術を原始時代にもちこむ「石器時代の王さまに」というエピソードがあります。こちらは、文明社会から一部の技術だけもちこんでも機能しないこと、原始人にとっては未来人が愚かに見えること、といった相対化がきちんと描かれていました。そうした前例を読んでいたので、ことさら評価が低くなりました。


上毛三山さんへ
>お恥ずかしながら、私、今までハイファンタジーとローファンタジーの定義を知らずにおりました。

念のため、かつては「ハイ」に高尚という意味をふくめたカテゴライズではあったようです。でも、高尚さと個々の作品の良し悪しは、やっぱり関係ないですしね。

上下左右はおいといて上下左右はおいといて 2014/10/29 23:16 ギミックそのものが主眼になるかどうか、ってジャンル内ジャンルにはならないんですかね……
ちょっと毛色違いですけど、時間移動モノにおける「戦国自衛隊」と「BTTF」の違いみたいな

hokke-ookamihokke-ookami 2014/10/30 00:01 >ギミックそのものが主眼になるかどうか、ってジャンル内ジャンルにはならないんですかね……

シミュレーション物とか、SFやファンタジーというジャンル分割を横断するジャンルになる気がします。自信はありませんが。

>時間移動モノにおける「戦国自衛隊」と「BTTF」の違い

そちらについては、ぱっと適切なジャンル内ジャンルが思いつくわけではありませんが、前者はシミュレーション戦記で、後者はタイムパラドクス物かなあ。
いや、『BTTF』はパラドクスができるだけ起きないよう時間の流れを制御するので、SFパズラー物というジャンルが適切かな。パズラーというミステリ内ジャンルの応用みたいな造語ですけど。

周 2014/10/30 02:12 >「ナルニア国物語」
ナルニア創生を描いた第6作「魔術師のおい」は説話要素を抜きにしても第1作の前日譚としても上手く出来ていて面白かったです。特に主人公たちが最初に行くのが滅びを迎えた異世界で、その世界を滅ぼした元凶である第1作のラスボスを現実世界を経由してナルニアに連れてきてしまった為に主人公が原罪を贖う事になるのも意外性があって良かったです。(とはいえ、アスランのジーザス・クライストっぷりや異世界に移動できる魔法の指輪の由来がファンタジック過ぎる事や、「現実世界の人間が創生に関わったので言語問題は発生しない」という発想は今だったら受け入れがたいとも思うけど。)


>「石器時代の王さまに」
ジャイアンとスネ夫が「効率の良い作業をさせる為にひみつ道具をヒカリ族に貸してあげたら」とドラえもんに提案するも「歴史の混乱を招く上にヒカリ族の進歩を妨げる。」と断るシーンが「のび太の日本誕生」でありましたけど、試行錯誤を抜かして最適解だけを選択し続ける事の問題点を理解しているweb小説書きが少ないのはなんだかなーと思いますよ、ホント。(具体的に言うと「提督たちの憂鬱」や「帝国戦記」。特に前者は「大友の姫巫女」の作者である◆NdgHDvOgik氏から皮肉の籠ったSSを貰っている。)

はりはり亭はりはり亭 2014/10/30 04:26 わたしまともに読んだファンタジーは「指輪物語」「ナルニアン・サーガ」「永遠のチャンピオンシリーズ」(全部ではないけれど)くらいで、それでファンタジーを語ったら臍で茶を沸かされますが、そのわたしから見てもchaoran氏の論議はデタラメですね。セカイ系のアニメの歴史もファンタジーの分類論も長い論議の積み重ねがあるはずで、まずそこを参照せねばどうにもならないと思うのですが。
ただ「ハイファンタジー」「ローファンタジー」の概念わけは私も少々疑問で、法華狼さんはこの分類自体には異議をはさんでおられないようですが、大太郎坊 さんのおっしゃる通り、

>もはや意味の無い分類
だと率直に言って思います。
私はむしろ10/13の「暁のヨナ」のエントリのコメント欄で指摘された、ファンタジーだからこそ逆にむき出しになる政治性、差別性に興味があります。「指輪物語」の(ホビットやドワーフの存在で中和されているように見えるけど)金髪碧眼の白人至上主義、「ナルニア」のキリスト教中心主義(原理主義とは言いませんが)。たしかムアコックはハイファンタジーの差別性を論じていたように思いますが、そのムアコック作品でさえ、「混沌の領域」は「東洋」を指すのではないか、という描写があったような気が。

「ダンバイン」はもちろん法華狼さんや皆さんの方が詳しいでしょうが、あれ「現実世界」に戻る展開はたしかいろいろあったのではないでしょうか。物語の必然というより視聴率と売り上げという説が。結果的に良ければそれでも可ではありますが。当時のファンの中にも「現実に戻ってからつまらなくなった」「なぜ異世界で貫けなかったのか」という声が大きかったような。
ちなみに完全に余談でありますが、「指輪物語」の「バラド=デュア」という名前、なんとなく冨野風で、これほどの有名作でなかったらどこかで使っていたのでは?と思います(笑。でも「バラド=ドゥーア」だとそうでもないな)。

わはは大王わはは大王 2014/11/02 23:24 ココで書かれているファンタジーの定義から言えばワタクシ昔見ていてファンだったTVアニメ「魔神英雄伝ワタル」なんかバッチリ当てはまる気がするんですが。でも、アニメ、マンガも含めたファンタジー論議?では尽いぞお目にかかかったことがありませんな。
やっぱり、「ドラえもん」以外の子供向けはソレナリの人気作でも、異なるジャンル(カテゴリ?)だと論議の対象から落ちちゃうのかな?ロボット物とは言え物語の筋はそのまんまなのに。
最近デジモンの新シリーズが作られるとか情報がありましたが、これらの綿々と続く「異世界」の相棒との冒険譚、ココで言う「ローファンタジー」アニメ開拓の先駆けになった重要な作品だと思うんですがねぇ。

sandayuusandayuu 2014/11/03 03:45 はりはり亭さん
>当時のファンの中にも「現実に戻ってからつまらなくなった」「なぜ異世界で貫けなかったのか」という声が大きかったような。

当時リアルタイムで見ていた頃はネットなどなかったので(しかも子供の頃で交友範囲も狭かったので)極めて狭い範囲での話になりますが、自分の周りでは好評でした。現実的な背景の中に、異世界の巨大ロボットが出現するというシチュエーションはロボットアニメ好きには堪らないものがありますし、また異文化の衝突という側面もSF的で興味をそそられます。確かアニメ雑誌などでも、かなり盛り上がっていたように記憶しています。

はりはり亭はりはり亭 2014/11/03 19:42 >sandayuu 様
そうでしたか......いや、わたしの周りはたぶんsandayuu 様以上に狭い交友範囲しかなかったと思いますし(なにせアニメファンがいなかった)、なにかの拍子で聞いた一意見をあるいは針小棒大に覚えているのかな。でも確かにあった意見ではあると思います(出典が示せないのはすいません。記憶だけです)。
肝心の私自身の意見ですが、当時はあまりファンタジーの文脈でダンバインをとらえていなかったこともあり(私個人が、です。当時からファンタジーとしてのダンバインを論ずる声は当然あったと思いますし、私も読んだ覚えが。ただ当時の私はそれほど気にかけなかった)、またロボットものにそれほど思い入れがなかったこともあり(これは今もそう)、つまらなくはないが、なにがしたいのか中途半端だなあ、というものでした。

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