確信的誤読犯対応(1)

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忙しいんだけどなあと思いつつ、こういう「核心的誤読犯」をこれ以上放置してつけあがらせるのもなあと思うので多少書く。また法華狼氏からの言及だが、まずこちらから。北星学園大学の件について私が以下のように述べた点について、さらに下のように評している。

警備のコストを理由にすれば、大学が脅迫に屈することも許容するらしい。しかし非常勤講師に対しては言論で闘うコストを要求するらしい。そのような態度こそ脅迫者の利益になると思わないのだろうか。

どうやったらこう読めるのかねえと思うのだが、第一に後ろのツイートから「資源問題を解決することで雇い止めしないですむ(=脅迫に屈しない)ようになることが望ましい」と考えていることは明確。第二にそのためのコストを大学にだけ要求するのはどうか、と私が考えている根拠は植村氏が非常勤講師だからではなく「大学人ではない」から(前ツイート)で、その理由はさらに以前にした下のツイートからも明確。

この2ツイートは直接的には帝塚山学院大学の話だが状況は植村氏の場合と同じで、要するに大学教員としての行動に由来する問題でもアカデミズムでの業績に関する話でもないじゃん、ということ。なお「研究業績か」が「言論で闘うコストを要求する」ことと関係するという点についてはこちら(「自由と処分」)で書いたが、自律的な相互批判が機能することを前提に国家権力の介入を差し控えるというのが学問研究の自由の趣旨なんだから批判に対して釈明なり反論なりをするのは当然だよな、という話。

もちろん脅迫はそのような言論による相互批判を逸脱しているので警察力に頼って防衛することは当然だし、脅迫に言論で闘うというのもよくわからないが、それ以外の批判・疑問などにも対抗していないことの理由にはならない。わかりやすく言うと、「辞職しないとテロに及ぶぞ」と安倍総理を脅迫した人間が仮にいたとして、総理が警察力によってこれに対抗するのは当然だが、こういう脅迫者がいたからといって安倍総理に対する批判が一切無効になったり禁止されたりするわけはないということ(もちろん総理は大学人でも研究者でもないのでこれは公人理論とその前提たる言論の自由市場の問題だけど)。

第三は、そもそも上で引いたところから明確なんだけど私は常勤教員であれ非常勤を含む範囲であれ「学問研究の自由」を大学人の特権として理解することを否定していて、査読誌の自由という学的営為に関するものとして捉えている。その意味でも非常勤教員かどうかで線引きをしたように書くのは明確に誤り。常勤か非常勤かで差があるのは「任期切れでの雇い止めが許されるどうか」であり、そこに差異がある点については(このような制度自体をどう評価するかはさておき)事実としか言いようがないし、下ツイートでも言及している通り「脅迫を受けている」という理由で雇い止めに制限が課せられるとは考えられない(もしくは、そのように考えた場合の悪用可能性は非常に大きい)。

要するに法華狼氏が「おおやの主張していること」と述べた内容についてはまったくその根拠がなく、「誤読」である。問題は氏が故意にそのような誤読をしたのか、読解力と知的能力に問題があるためにナチュラルにそう読んでしまったのかという点にあるが、まあおそらく後者なんだろうなあと思うところあり。

その一つの根拠は同エントリに法華狼氏自身が「でも今回は、大屋教授が他人に求めている水準からすると......ということで「表明」を求めました。」と勝利宣言のごときコメントを付け加えていることで、いや「故意犯」的な自覚があったらこれはなかなか書けないなと。そもそも「思った以上に大屋教授は朝日検証を読む能力がなかったようだ」と氏が書いている点についても朝日検証自体の信頼性が疑問視されている(典型的には植村氏の利害相反問題)のに何言ってるんだろうというレベルでしかないのに、自信満々に「大学教授の資質を疑問視」とか言えるあたりの自覚のなさも踏まえると、まあ自己の能力に対する主観的評価と客観的評価の差異がわからないんだろうと思われる。ちょっと続く。

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