平成25年11月特集 映画によるまちづくり
法政大学大学院政策創造研究科教授
個人的にはここしばらくコンテンツ作品を活用した地域の振興に注目してきた。近年ではいわゆるコンテンツツーリズムの事例研究を中心に、依頼があれば自治体、関連団体等と映画制作、楽曲制作、そしてコンテンツマップ制作などの支援を研究と並行して行ってきた。もちろん衰退する地域の振興の機会創出が念頭にあってのことだ。映画には個人的にも一定の注目はしてきたつもりだ。映画祭が広範囲に実施されるようになり、集客事業としても重要なポジションを確保しつつあるし、またコミュニティ再編に寄与している点も評価することができるだろう。
ただ最近では映画祭から、映画によるまちづくりは更に多様化を見せている。ひとつはフィルムコミッションの組織化、活発化によるロケ誘致の積極的展開である。またひとつは地域映画の制作による対外的プロモーション展開である。同時に映画人材の育成を視野に入れているところもある。この背景には当然、経済産業省、観光庁等の施策が存在する点にもまた留意すべきであろう。
J、ナイの「ソフトパワー」の提唱、イギリスのクール・ブリタニア政策からコンテンツへの注目がなされるようになってきた。従来の地域振興という文脈のみならず、国レベルでの政策的な転換も押さえておく必要があるに違いない。
世界三大映画祭とは、FIAPF(国際映画製作者連盟)の指定した国際映画祭のうち、ベルリン国際映画祭、カンヌ国際映画祭、ヴェネツィア国際映画祭の三つを主に指す。最古のヴェネツィア国際映画祭は1932年にヴェネツィア・ビエンナーレという国際美術展の映画部門として誕生した。カンヌ国際映画祭がこのヴェネツィアに対抗して始まったというのは、よく知られたところである。
国内では地方映画祭としては湯布院映画祭がもっとも古いといわれている。1976年の開催以来、毎年、夏には全国から邦画ファンが集まっている。しかしこの湯布院映画祭以降、地方映画祭が急速に増えたわけではない。
つまり資金の確保、ボランティアスタッフの確保が地方ではまだ難しく、1980年代に入って公的資金の活用が可能になってからのことだ。例えばふるさと創生基金を使ったゆうばり国際ファンタスティック映画祭(本誌事例1)がその代表例である。これは地域の文化行政が首長の下で行われるようになり、「まちおこし」の一環として映画祭を企画する自治体が現れたということでもある。その後、1990年代にはバブル経済の崩壊によって、大規模な映画祭は開催されなくなったが、まず国の外郭団体から国内の映画祭への助成などが始まり、そこに地方自治体からの支援も加わって、日本各地に小規模な映画祭が次々と誕生していくという経過を辿る。
2007年度の「映画祭に関する基礎調査」(コミュニティシネマ支援センター)が映画祭に関しての代表的調査だが、その時点で127の映画祭が国内では実施されている。ただしその後、幾つかの映画祭は、開催されなくなった。(例えば20年続いたさっぽろ映画祭は2008年を最後に、14年続いたneoアジア映画祭も2009年を最後に開催されなくなった)
資金難、組織運営、観客の変化などがその原因と推察できるが、やはり持続的に運営していくのは至難の業なのだろう。また映画祭の数が増えたという側面も無視できない。
映画祭が地域振興に果たした役割は決して小さなものではない。ゆうばり国際ファンタスティック映画祭が自治体の破綻によって存続が危ぶまれたが、市民レベルの情熱によって規模の縮小こそあれ、維持されている背景にもその点がある。産炭地としての夕張は極度の人口減少に直面しており、定住人口の増加は現実的に望めないものだとすれば、やはり集客人口の増大に期待をかけるのも納得いくところではある。もちろん今後、各地の映画祭も淘汰されていくのかもしれないが、夕張に見られるような市民レベルの情熱が映画祭の継続に期待される点である。
2001年、文化芸術振興基本法が制定された。この法律では、映画を含んだメディア芸術の制作・上映支援などのために必要な施策を講じることが明記され、これと連動する形で、地方公共団体によるバックアップも示された。これを受けて文化庁は地域振興に結びつく映画制作について助成することを打ち出し、各地方公共団体はフィルムコミッションなどの設立・運営、および当該組織を通じての映画制作の誘致などを始めることになった。更に、『眠る男』(群馬県)や『船を降りたら彼女の島』(愛媛県)などのように、地方公共団体が「補助金」や「寄付」などに依存する形ではなく、映画制作に関して直接出資する例も見られるようになっている。
フィルムコミッションは映画等の撮影場所誘致や撮影支援をする機関である。日本では1980年代に大林宣彦監督が故郷・尾道で、多くの地元賛同者の協力を得て撮影した「尾道三部作」(『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』)が、その先駆けといわれる。現在、フィルムコミッションは地方公共団体、観光協会、コンベンションビューローなどの公的機関、そしてNPO、一般社団法人が事務局を担当していることが多い。また民間企業で同様のサービスを実施しているところもある。狙いは映画撮影などを誘致することによって地域活性化、文化振興、観光振興を図るということである。
全国的な組織としては特定非営利活動法人ジャパン・フィルムコミッション(JFC)がある。正会員は95団体(2013年4月現在)だが、実際には加盟していないものも含めて200前後のフィルムコミッションが全国にはあるだろうといわれている。ジャパン・フィルムコミッションは2001年から2009年まで活動していた全国フィルム・コミッション連絡協議会を母体としている。小規模なフィルムコミッションは人員、予算の問題でこの組織には加盟していない。
世界で初めてのフィルムコミッションは、1940年代にアメリカ合衆国ユタ州で発足したとされるが、イギリスではスクリーンエイジェンシーと呼ばれており、日本では映画等の撮影場所誘致や撮影支援をすることがミッションになっているが、イギリスでは作品に対するインベストメント機能を重視しているし、また映画だけではなくコンテンツ全般を対象にしている。
全体を統括するブリティッシュフィルムカウンシルは、イングランド内9カ所のスクリーンエイジェンシーに対して補助金、宝くじ関連ファンドによる資金面での援助を行っている。また公共放送局からの支援も受けており、基本的にはNPOという形で運営されている。
まだ日本のフィルムコミッションは歴史も浅く、当面模索は続くだろうが、例えば映画やテレビドラマのロケを誘致・支援する茨城県フィルムコミッション推進室は、2012年度のロケ支援作品数が前年度比74作品増の390作品となり、過去最高を記録したと発表した。また、2002年度の「いばらきFC」設立以来の累計作品数が3000作品を突破しており、これは市町村のFCが計25に増えたことで全県的な対応が可能になったということであろう(図表1参照)。なお、「いばらきFC」は全県を統括する形になっている。また活動を停止したフィルムコミッションがある半面、こういう実績も上がっていることには注目したい。
2003年に北海道穂別町(現むかわ町)が開町90周年を記念して制作した「田んぼdeミュージカル」という地域映画があった。崔洋一監督が監修したこの映画は各地の映画祭で大きな話題を呼び、その顛末はNHKでもドキュメント番組として紹介された。地域の高齢者が出演、制作したこの映画は少子高齢化に直面する地域のコミュニティ再生、活性化に大きく寄与したといわれている。地域映画といっても幅広く、広義の意味ではその地域を舞台にした映画までも含める考え方もあるが、現在、地域で独自の映画制作が相次いで行われる契機にもなる映画だった(本誌事例2)。
地域映画とはある特定の地域を主要な舞台にして物語が展開していく映画作品を指す。いわゆる地方を舞台とした映画作品は古くから存在するものの、近年、行政・市民・企業など地方側が主体的に動いて企画制作された作品が「ご当地映画」と呼ばれる。これらを一般的には地域映画と捉えるようになってきている。現実的には地方側は配給業務や宣伝などのビジネスに関する経験に乏しいため、多くの場合は映画会社・民間放送局・広告代理店などと組むことが多いが、あくまで一部は自主映画の形態をとることもある。「田んぼdeミュージカル」はその代表的な事例であろう。
例えば2012年公開の「ふるさとがえり」は、広域合併を経て13の自治体がひとつになった岐阜県恵那市が舞台になっている。形の上では一つになっても地域や心の交流はなかなか進まないという現実を前提にして、市民グループを中心に、人々の融和を目指した「映画制作によるまちづくりプロジェクト」が始まった。映画の企画段階から、様々なプロセスをイベント化、市民総参加型を目指して多くの人を巻き込んでいったことで知られる。この作品は全国の大学や公共ホールなどでの公開という形を取っている。
また同じ2012年公開の「人生、いろどり」は高齢化と過疎化が進む徳島県上勝町で、木の葉や道ばたの草を料理のつまものとして販売するビジネスを立ち上げた高齢者の女性たちが成功を収めた実話を映画化したものだが、こちらは配給ルートに乗せて公開という方法を取っている。
また複数の都市を舞台とした場合でも、同一県内若しくは近隣市町村など狭い地域が舞台の場合は地域映画と呼ぶことが多いが、舞台が広範囲になると「ロードムービー」と呼ばれることがあり、その境界は明確ではない。本来はコミュニティ再編、集客などの地域振興を目的にしてきたが、近年ではその土地が抱える社会・経済問題など負の側面を描いた問題提起的な作品も制作されるようになってきてもいる。
最近は、2001年12月に施行された文化芸術振興基本法、それを受けた文化庁の地域主導の映画制作に対する助成等の動きに対応して、各地方公共団体によるフィルムコミッション等の設立・運営、および当該組織を通じた地域映画づくりへの関心が高まっている。また地方を舞台としたアニメーション映画が「ご当地アニメ」として注目されることもある。
地方からのクリエイティブ人材の流出を避けるために、様々な施策展開が行われるようになってきた。地方都市にコンテンツ産業が定着すれば雇用も創出されるし、またコンテンツ産業は若年層には魅力的な領域ともいえる。また確かに札幌のクリプトンフューチャーメディアが開発した「初音ミク」、GReeeeNなどを育てた仙台のエドワードエンタテインメントのように地方独自の成功事例も目につくようになってきた。これもインターネットの普及、デジタル化によるコスト削減が地方に大きく寄与しているとみることもできる。つまり地方のハンデキャップはほとんどなくなってきたということであろう。
映画について見れば、先述した地域映画も人材育成という側面を持っている。とくに自主映画的なアプローチの作品では地元の人材を活用したものもある。とくに経済産業省及び各地方経済産業局を中心に人材育成の施策が目白押しだし、札幌市、横浜市、大阪市、福岡市など自治体が独自に人材育成を行っているところも少なくはない。ただ残念ながらそれほど多くの結果が得られていないのは、あくまで日本のコンテンツ産業は東京を中心とした企業で、OJT(企業内での教育訓練)という形で人材育成が行われてきたという経緯があるからだろう。前述したように地方都市のコンテンツ企業が結果を出した例もあるが、ノウハウの移転にはまだ多少の手間がかかることは予測しなければならない。
これは経済産業省が行っているコンテンツ産業や伝統文化などを海外に売り込む「クール・ジャパン戦略」にも共通するのだが、従来、民間企業や個々のクリエーターの努力で取り組まれてきた産業的イノベーション、そしてプロセスが明解に存在するので、公的支援のあり方に関しては更に、議論を重ねていく必要があるに違いない。日本のポップカルチャーを中心に文化産業の海外展開支援、輸出の拡大や人材育成、知的財産の保護などを図る官民一体の事業を行うことが「クール・ジャパン戦略」には盛り込まれているが、少々、遅きに失したという感想を持たざるを得ない。
以上、みてきたように映画によるまちづくりは活発化してきている。しかし同時に個々の問題点を解決しながら、より効果的、持続的な手法を練り上げていかなければならない。いわゆるブームで終わってしまうことだけは避けるべきだろう。日本のコンテンツは様々な領域の差こそあれ、総体的には充分に海外競争力も持ち得るものだ。もちろん映画は外部に情報発信を行うツールのひとつでもあるが、同時に地域アイデンティティを醸成するためのツールでもある。コンテンツ作品にはその両面があることを忘れてはならない。また視点を変えると消費財としての側面と文化的財としての側面を併せ持つものでもある。そして地域においては映画祭、地域映画、人材育成という個々の展開も相互に連関するものだということも理解する必要がある。やはり点ではなく面で捉えることが、今後の地域を左右していくことになるだろう。それがコミュニティの再編の意味なのだと思う。
参考文献:
増淵敏之(2010)『物語を旅するひとびと―コンテンツツーリズムとは何か』彩流社
増淵敏之(2012)「コンテンツツーリズムの現状とその課題」『都市計画』第295号pp・20−23