中村修二教授文化勲章:記者会見の一問一答

2014年11月03日

文化勲章を受け会見する中村修二・米カリフォルニア大教授=東京都新宿区で2014年11月3日、内藤絵美撮影
文化勲章を受け会見する中村修二・米カリフォルニア大教授=東京都新宿区で2014年11月3日、内藤絵美撮影

 文化勲章の授与式後の中村修二さんの記者会見一問一答は以下の通り。

 ◆午前中に文化勲章をいただきました。天皇陛下から直接いただいて、非常に感動しました。日本人として最高に光栄です。

 今回の受章もノーベル賞も、日亜化学工業(徳島県阿南市)の貢献があると思います。日亜化学は現在でもLEDの世界市場シェア30%、世界一の企業です。1993年に高輝度の青色LEDを開発してから、ずっとダントツ一番です。現在の小川英治社長がリーダーシップを取り、日亜化学が世界のリーダーとなって青色LEDの応用を進め、今回のノーベル賞に至ったと思います。私は小川社長に非常に感謝していますし、もちろん、日亜化学の全社員、私の当時の部下6人にも非常に感謝しています。

 と言いますのは、皆さんご存じのように、日米両国での裁判のために、私は日亜化学と関係が悪いんです。ノーベル賞と文化勲章を機にぜひ関係改善を図りたい。(改善のために)ぜひ皆さん(報道各社)に手伝ってほしいんです。

 もう一つ、徳島大に(私が受け取る)ノーベル賞の賞金(約4000万円)の半分を寄付します。日亜化学に入社して最初の10年間、半導体の測定装置が全くなかったんですね。徳島大にいつも(装置を)使いに行っていたんです。当時、多田修先生(現・徳島大名誉教授)のところに行ったら「勝手に使っていいよ」と言われ、使い放題でした。米国ですと、大学の装置を使うときに、1時間当たりなんぼとお金を取るんですね。徳島大はそんなこと一切なしに、自由に使えた。そういう装置を使って青色LEDができたので、感謝を込めて、賞金の半分を寄付すると決めました。

 −−2005年に東京高裁で日亜化学と和解が成立した後に両者の間でトラブルはありましたか。

 ◆一度日亜化学にコンタクトして仲直りをしようとしたんですが、接触できなかった。知りあいが何度か、仲良くさせようといろいろやってくれたが、コンタクトがお互いに取れないんですね。今回はマスコミを使って何とか(連絡を取りたい)。私の希望としては、小川社長と二人でざっくばらんに話し合いたいと思います。お互いに誤解があった。過去のことを忘れて、将来だけを見て、関係を改善したい。

 −−関係改善を呼びかける会見を開くことは、日亜化学には伝えているのでしょうか。寄付をするときは徳島大に行く予定ですか。

 ◆日亜化学にはまったく言っていません。なかなか接触が取れませんから。極端に言うと門前払いのような形ですから。(徳島大への寄付は)賞金をもらってから(大学に)コンタクトしたいと思います。

 徳島にも行きたいんですけど、現状では行けないんですね。日亜化学は四国最大の企業なんです。徳島で10メートル歩いたら、日亜化学の関係者に会うというところですから、関係をよくしないと現地には行けない。そういう意味で関係を早く改善したいんです。徳島大は私の母校で、学生や先生が来てくれと言ってくれるが、日亜化学との関係をよくしないことには行きづらい。

 −−小川社長に会うために徳島に行くことも考えていますか。

 ◆そういう目的で、今回皆さん(報道各社)にお会いしています。いつでも喜んで会いに行きます。

 −−徳島にとってLEDはどういうものだと思いますか。

 ◆日亜化学で青色LEDが最初にできましたし、現在も世界のトップ企業です。日亜化学を中心にして産業集積を目指す、徳島県の「LEDバレイ構想」は素晴らしいことだと思いますし、世界の中心としてぜひやってほしいですね。例えば、うちの大学(カリフォルニア大)とも協力関係ができたら、構想は世界に広がると思います。

 −−日亜化学との関係改善に向けて心境が変わったきっかけは。

 ◆ノーベル賞、文化勲章は、やはり日亜化学の貢献が大きいです。LEDを世界に普及させたのは日亜化学ですし、そのリーダーシップを取ったのは小川社長ですから、やはり感謝しないといけない。

 −−どなたかのアドバイスがあったのでしょうか。

 ◆前から日亜化学を定年退職した方や多田先生もよく言っていました。多田先生は「お前は日亜化学と早く仲直りせんとあかん」と。以前から仲直りはしたいと思っていました。

 私の古里は二つです。愛媛には高校卒業まで18年間いましたし、徳島にも26年間いて、両方が古里です。愛媛とは何も問題ないが、日亜化学との関係が悪くて徳島には行けない状態でした。第二の古里に公に行きたいものですから。

 −−ノーベル賞が決まった直後に、原動力は怒りだと。今はどんなことに怒りを感じていますか。

 ◆日亜化学との関係が良くなれば怒りはなくなります。でも他の怒りはまた出てきますから。怒りというのは、私にとっては広い意味があるんです。誰でも怒りはあると思うんですよ。仕事をしていたら上司に対してとか、仕事がうまくいかないことに対してとか。私の場合は、例えば友人が私を怒らせるようなことを言っても我慢して、その怒りを仕事に向ける。

 −−特許法改正の動きに対して怒りはありますか。

 ◆怒りはありますよね。私の裁判を通じて、企業は報奨金を上げた。天井知らずにまで上げた企業が何社かあるんですよ。そういうふうになってきたら、日本政府はいきなりそれをやめると言うんですから、これはちょっと怒りを感じていますよね。

 −−日亜化学を許すというのはどうしてですか。

 ◆人生短いですからね。けんかしたまま死にたくない。どっちが悪いとかどっちがいいとか言うと、エンドレスの議論になる。そういう細かいことは言わずに、お互いに誤解があったから、過去のことは忘れようと。将来だけを見ていこうと。私ももう60歳ですから、死ぬときはみんな仲良く、けんかはなしでやりたいですね。

 −−徳島大には寄付をどういうふうに使ってもらいたいですか。

 ◆まだそこまで考えてないですね。多田先生が(装置を)気前良く使わせてくれたお礼として寄付するわけだから。後で徳島大の人と相談したいが、徳島大に好きなように使っていただいて結構です。

 −−愛媛に帰省する予定はありますか。小さいころの思い出として、今の研究につながるようなエピソードは。

 ◆来年2月の最初の週に帰る予定です。子供のころは山を駆け上って遊んだところで、小学校まで勉強せずに遊んで遊んで……。それが自然に対して興味がわいて、自然を考えるようになって、科学が好きになった元だと思いますね。

 −−日亜化学との間の誤解とは。これからの進展によっては、研究拠点を日本に戻すこともありますか。

 ◆言ったらキリがないから、一切言わずに、過去のことは忘れましょうと言いたいです。研究はずっとカリフォルニア大学でします。もちろん日亜化学と関係が改善できて、共同研究をしたいということになれば、日米を行ったり来たりすることもあります。

 −−日亜化学にどういう反応を期待しますか。

 ◆小川社長が話し合いをしたいと言ってくれたら理想ですね。

 −−小川社長と会ったら、最初にどんなことを言いたいですか。

 ◆過去のことは忘れましょう、将来だけを見て仲良くしませんかと。

 −−中村さんから小川社長に謝罪するわけではないと。

 ◆それはないですよ。だって、悪いことは一切していないわけですから。

 −−文化勲章親授式で天野浩・名古屋大教授とは言葉を交わしましたか。

 ◆天野先生が風邪をひいていたので、「なんで風邪ひいた?」って言ったら、(天野氏が)「毎日マスコミがずっと来て、休みが取れなくて風邪をひいた」と言うから、「マスコミはマスゴミだから、適当にあしらわないと風邪ひくわ」って言ってね。

 −−受章を喜びあったりは。

 ◆お互いに「おめでとう」と言いました。

 −−天野教授との間でわだかまりは。

 ◆ないですよ。天野先生、赤崎先生とは研究の競争だけ。研究を除いたら普通の友人という感じですから。

 −−日本経済を立て直すにはどうすべきだと思いますか。

 ◆日本はノーベル受賞者がいっぱいるでしょ。アジアでダントツでしょ。いい発明をしていい製品を作れるんですよ。日本国民は非常に真面目な民族なんですよ。例えば、納期1カ月でこれを作ってくれって外注するでしょ。僕は今米国にいて、世界の状況を知っていますが、ちゃんと納期を守ってそのとおり作るのは日本だけですよ。米国なんて、3カ月で作れと言ってもできたためしがない。だいたいその2倍、5、6カ月かかる。これ(真面目さ)があるので、日本でいい発明ができて、いい製品ができるんですよ。

 問題はその後なんですよ。世界を相手に商品を売ることができない。携帯電話もテレビも太陽電池も日本でしか売れない。ガラパゴス化。世界標準化しないんですよ。これは言葉の問題。英語が一番下手なんですよ。科学分野は英語が標準語になっているんですよ。ですからね、英語を第1言語、日本語を第2言語にするくらいの改革をしないと、いい発明、いい製品ができてもノーベル賞をもらうだけになってしまう。

 −−日亜化学側に手紙などを送る予定は。

 ◆それはないですね。

 −−まずは会見を開いて、反応を待つと。

 ◆それが残っている唯一の方法だと思います。よろしくご協力をお願いします。

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