社説:道徳の教科化 子供の何を見守るか
毎日新聞 2014年10月23日 02時35分
小中学校の「道徳の時間」を「特別の教科」(仮称)にし、子供たちの成長などを評価する。
この中央教育審議会の答申を受けて文部科学省は学習指導要領改定などを急ぎ、2018年度にも検定教科書で授業を始める。
何のための教科化か。
複雑な内面の問題とも向き合う道徳は、押しつけ的な「規格化」や、一定の価値観などが物差しになりがちな「評価」はなじまない。私たちはこう疑問を投げかけてきた。懸念はぬぐえない。
今は「教科外活動」の道徳は、教科ではないから、検定教科書も成績評価もない。授業は週1回が通例だが、学校によって取り組み度合いに開きがあり、実際には他の教科の授業などに充てられているところが少なくないと指摘されてきた。
11年の大津市の中学生自殺事件など学校の深刻ないじめ問題が注目され、道徳教育の不十分さが背景にあるとも論じられ、今回の教科化議論へとつながった。
いわば「格上げ」によって道徳教育を「軽視」されない、実効あるものにしようという考え方である。
もしそれが一律実施を促したり、チェックしたりするためなら、中央統制的な空気で一線の先生たちは息苦しさを感じるだろう。
答申は、特定の価値観を押しつけたり、言いなりに行動するよう指導したりすることは道徳教育に全く反するとし、多様な価値観と向き合い考える力が大事だと強調する。
また、ネット時代の情報モラルや生命倫理など、今日の社会問題をテーマに取り入れることも提言する。難しい面もあるが、子供たちを引きつけ、考えさせるだろう。
評価は必要だろうか。
答申は、道徳に数値的評価、つまり点数化して成績序列を作ることは否定しており、総合的な観点での記述式となる。まだ具体的ではない。
だが、学習指導要領や検定教科書の大枠内で、多様なテーマ設定や独自の取り組みはどこまで可能か。評価も、ただ理解・態度の「達成度」を比較して測ることにはなじまないはずだが、つい「いい子」度合いを尺度にしてしまう懸念はないか。
内面にさまざまな課題を抱え、支援を必要とする子供たちを見守り指導する先生は多い。その記録は、評価よりも、同僚の先生や家庭などと分かち合う情報やヒントとして生かすことが大切ではないか。
今の時代に根差し、グローバルな視点で新たな道徳教育をという理念には賛成だ。
そのためには、できるだけ枠をはめず、多様で独自の工夫を生かした取り組みができるようにしたい。