あれから一年
衝撃の「ホンマでっか!?」出演から一年が経とうとしている。
あの頃は、映画「陽だまりの彼女」の番宣の為に、異様に松本の露出が多かった。
自分も、軽い気持ちで、あの番組を見ていた。
リーダーのコメントも寄せられると言うので、どんな風であろうかと。
結果は何故か、松本潤に「裏切られた気分」になったと言う最悪なものだった。
何となく違和感を感じながらも、それでも「5人で嵐だ」と思っていたからである。
だが、デビュー当時から、嵐を見ているある方は、15年間松潤問題は解決されぬまま来たのだと
当方にメッセージをよせてくださった。
寄せてくださった方は、本当に嵐を心配しながら嵐を応援されてきた方だ。
簡単にデビューからの出来事が、時系列で書かれている。
興味深い内容なので、公開させて頂きたく思う。
※もし問題がある様なら、申し出て頂ければ、何時でも記事は削除致します。
2000年7月頃:生放送の歌番組で松潤が「嵐は特に仲良くないです」と発言。
2002年頃~ :松潤問題。 (ファンの間では、キャラ変え事件または反抗期事件)
その頃の松潤は、笑顔をみせなくなり人をにらみつけるようになる。
周囲をどなりつけることが増え 基本、謝らない。人の話は、基本批判的にとらえる。
・「嵐って別に仲良くない」
大野さんに「ほとんどいっしょにいなかったし。この人好きじゃない。」
・相葉ちゃんに「踊りがへた。何で(同じMAINの生田斗真でなく)
嵐になったのかわからない。」(雑誌インタビュー)
この頃のコンサートやファンイベントは、松潤のご機嫌次第、
機嫌が悪いと今のVSの番協みたいな空気が流れておりました。
本人と周囲は、キャラ変えだといわれてましたが、ファンの我慢は限界でした。
こちらの皆さんがおっしゃってるような意見がたくさんでておりました。
私もまだその当時は若く、気持ちを制御する事ができず、やり場のない気持ちに
ファンを辞めようと思ったことが度々あります。
しかしこの頃嵐は全員でこの問題の対応をしておりました。
翔くんは、コンスタッフ、ファン、共演者、ジュニアと、松潤とのやりとりのすべてでフォロー 。
主に、松潤のイライラから生じた険悪な空気をなごますこと。
「すいません、本当は(松潤は)こんなヤツじゃないんです!」雑誌(日経エンタともう1誌)
に掲載されています。
嵐全体みているニノは「嵐の悪役は俺がやる!悪役が2人になってどうすんだよ!」
とその頃のコンサートからニノのメンバーへの言葉づかいが敬語になりました。
吐き捨てるように言ってたツッコミも、笑顔で言うようになり
コンサートMCで 松本に語りかけます。
「松本さん、最近性格がとがってますから、犬でもかったらどうですか?」
これをキッカケにニノは、メンバーに抱きついたり、手をつないだりし始めます。
自らがニノ犬!になり、年長二人の松潤に対するイライラを和らげておりました。
(年長といえどまだ若かった二人に)
大野くんはけっして口に出す事はありませんでしたが苦労されていました。
何かあって上から呼び出されて怒られるのはリーダーだったこともあり。
険悪になりかけた時に、なごやかにするのはとても上手で 。
「この人がリーダーでなかったら解散していた」(嵐談)
そして、その当時一番被害があったのは相葉ちゃんだと私は思います。
相葉ちゃんの人間的器の大きさでこの頃の嵐は喧嘩しないでいられました。
だから、まだまだ実績もなかった嵐をファンも全力で支えなければいけないと思い
とどまったのを覚えています。
確かに中には、嵐をずっと応援していくならメンバーの批判はしない!
と個々に決意された方もいらっしゃいました。
2004年に嵐が24時間テレビのパーソナリティを担当した時に
(前日コンサート、翌々日もコンサート、その間に24時間というスケジュール)
相葉ちゃんの個々のメンバーへの手紙で、
「松潤へ、振りをまちがえてごめんなさい....やっと嵐のメンバーになれました」
嵐全員泣いていましたが事情を知るテレビの前のファンも泣きましたよ。
24時間後のコンMCでは、松潤は茶化して
「相葉ちゃんの手紙が聞き取れず、あの場の雰囲気で泣いた。」なんて言っておりました。
ニノ「なんて書いてあったっけ?」
翔くん「やっと嵐の正式メンバーになれました。・・だっけ?」
「いつも振り間違えてゴメンね。でしょ?」と松潤に突っ込まれていました。
また「嵐の宿題くん 」では、小倉さんが「ねえ、嵐全員、松本くんに気を使ってない?」
とよく言っておられました。
2005年頃、松潤とニノがお互いの舞台を見に行ったことなどから、
ニノは松潤の本質に気がついたと。
「翔さんが防弾ガラスだとすると、潤くんは押すと砕け散ってしまいそうな繊細なガラス」(雑誌インタビュー)
ニノは、昔も今も松潤を注意しないのではなく、
注意すると松潤の薄いガラスが割れちゃうみたいだから難しいと。
ただその薄い硝子が、ファンを含む周囲を傷つけてるってことがこの頃も問題だったわけですが… 。
結局嵐の中で解決し始めた頃?
(周囲が松潤の取り扱いに慣れてきたころ?)
2006年:VS嵐の前身「まごまご嵐」がスタートし
井上真央主演(松本潤共演)の「花より男子」が高視聴率をあげ、
2007年冬放送の続編の「花より男子2」は、前作以上の大ヒット。
この時嵐結成7年目にして嵐のCDやDVDが、売れるようになります。
このことで、2007、2008頃のコンサートDVDは、メンバーが単独で写ってる時間にけっこうな差!
「松本潤とその仲間たち」状態!
やっと、解決したかに思えた問題だったのに 、再び泣くファンが増えた。
しかし、それと比例するように、嵐の人気も売り上げも伸び始めました。
この時、嵐はトップになる夢を叶えたんだと、
嵐内格差に矛盾を感じながら矛先をお納められた方、
ファンを辞められた方、アンチになられた方様々です。
この頃の松潤は嵐の中でも俺は俺!慣れ合いは嫌い!とかインタビューで答えておりました。
(何時までもグループに属するのはナンセンス。俺はネクストステージに行く発言もこの頃)
「俺様全開!」
そして一部の松潤ファンは、潤くんがあのトゲトゲモードを修正しはじめたのだから成長だ!
CDが売れたのも松潤のおかげ!新規が増えたのも松潤のおかげ!と言いだします。
でも私は
2005年:相葉ちゃんが、ゴールデン「天才、志村どうぶつ園」にレギュラー出演 。
2006年:・ニノがハリウッド進出!「硫黄島からの手紙」が公開されたのがこの年。
・大野くんの舞台、風シリーズ3作目の「テンセイクンプー」 の成功。
・翔くんが、ジャニーズ史上初のニュースキャスターに就任した年。
時間をかけて、丁寧に少しづつ「嵐」の地位をひっぱりあげてくれたのは、
松潤だけでなくメンバー全員ではないでしょうか…
※2006年冒頭 大野くん&翔くんの、ソロコンサート全国ツアー開催。
これは歌やダンスの振付、構成、演出も全部本人1人で行うもので、
大野くんも翔くんも短い期間の中、プレッシャーと戦いながら、
素晴らしい結果を残してますよ。
(ソロコン開催をきかされたのは開催1カ月前。それも「まごまご嵐」ボート部のレース開催の日)
がしかし、嵐のコンサートでは、年長二人の意見でさえ却下のコン隊長
それに嵐の大ブレイクは全員が大活躍した2008-2009年。(数字上ですが)
2008年:嵐の冠バラエティが2本始まり→大野くんの「魔王」→国立競技場。
花男でも感じなかった嵐大ブレイク はこの年だと私は思っております。
2009年頃:メンバーが活字に残る媒体(日経トレンディ。ドル誌では×)
でこの話をしたということは、嵐の中では、乗り越えられたのだろうと…
(だからファンは我慢してただけですよ)
2010年頃~:ファンがコンサートについて思っていることを正直に発言し出したのではないか。
2012年頃~:アマゾンレビュー 荒れだす。
他Gメンにはあり得ない嵐アンチからではなく、嵐ファンからの批判が聞かれるように。
この頃から嵐を応援するブログがあふれ、愛を語るブログもあれば、アンチブログもあったり。
たくさんの個人ブログが出来たように思います。
時が経って大きくなった嵐。
今はコンレポなんて300個以上あり、たくさんの嵐ブログがあって
拝見させていただくだけで、嵐のスケジュールなどがいち早くわかったりする現在。
昔はこのような本音を語れる場所がなかった(少なかった)だけだと思います。
古参でもずっと我慢しておられるファンは今もたくさんおりますよ。
松潤は何も変わってなどいません。古参も新規も昔も今も苦しまれてる方はたくさんおります。
ノーストレスで、心の底から楽しんで応援出来る日が一日も早く来て欲しいものである。
あの頃は、映画「陽だまりの彼女」の番宣の為に、異様に松本の露出が多かった。
自分も、軽い気持ちで、あの番組を見ていた。
リーダーのコメントも寄せられると言うので、どんな風であろうかと。
結果は何故か、松本潤に「裏切られた気分」になったと言う最悪なものだった。
何となく違和感を感じながらも、それでも「5人で嵐だ」と思っていたからである。
だが、デビュー当時から、嵐を見ているある方は、15年間松潤問題は解決されぬまま来たのだと
当方にメッセージをよせてくださった。
寄せてくださった方は、本当に嵐を心配しながら嵐を応援されてきた方だ。
簡単にデビューからの出来事が、時系列で書かれている。
興味深い内容なので、公開させて頂きたく思う。
※もし問題がある様なら、申し出て頂ければ、何時でも記事は削除致します。
2000年7月頃:生放送の歌番組で松潤が「嵐は特に仲良くないです」と発言。
2002年頃~ :松潤問題。 (ファンの間では、キャラ変え事件または反抗期事件)
その頃の松潤は、笑顔をみせなくなり人をにらみつけるようになる。
周囲をどなりつけることが増え 基本、謝らない。人の話は、基本批判的にとらえる。
・「嵐って別に仲良くない」
大野さんに「ほとんどいっしょにいなかったし。この人好きじゃない。」
・相葉ちゃんに「踊りがへた。何で(同じMAINの生田斗真でなく)
嵐になったのかわからない。」(雑誌インタビュー)
この頃のコンサートやファンイベントは、松潤のご機嫌次第、
機嫌が悪いと今のVSの番協みたいな空気が流れておりました。
本人と周囲は、キャラ変えだといわれてましたが、ファンの我慢は限界でした。
こちらの皆さんがおっしゃってるような意見がたくさんでておりました。
私もまだその当時は若く、気持ちを制御する事ができず、やり場のない気持ちに
ファンを辞めようと思ったことが度々あります。
しかしこの頃嵐は全員でこの問題の対応をしておりました。
翔くんは、コンスタッフ、ファン、共演者、ジュニアと、松潤とのやりとりのすべてでフォロー 。
主に、松潤のイライラから生じた険悪な空気をなごますこと。
「すいません、本当は(松潤は)こんなヤツじゃないんです!」雑誌(日経エンタともう1誌)
に掲載されています。
嵐全体みているニノは「嵐の悪役は俺がやる!悪役が2人になってどうすんだよ!」
とその頃のコンサートからニノのメンバーへの言葉づかいが敬語になりました。
吐き捨てるように言ってたツッコミも、笑顔で言うようになり
コンサートMCで 松本に語りかけます。
「松本さん、最近性格がとがってますから、犬でもかったらどうですか?」
これをキッカケにニノは、メンバーに抱きついたり、手をつないだりし始めます。
自らがニノ犬!になり、年長二人の松潤に対するイライラを和らげておりました。
(年長といえどまだ若かった二人に)
大野くんはけっして口に出す事はありませんでしたが苦労されていました。
何かあって上から呼び出されて怒られるのはリーダーだったこともあり。
険悪になりかけた時に、なごやかにするのはとても上手で 。
「この人がリーダーでなかったら解散していた」(嵐談)
そして、その当時一番被害があったのは相葉ちゃんだと私は思います。
相葉ちゃんの人間的器の大きさでこの頃の嵐は喧嘩しないでいられました。
だから、まだまだ実績もなかった嵐をファンも全力で支えなければいけないと思い
とどまったのを覚えています。
確かに中には、嵐をずっと応援していくならメンバーの批判はしない!
と個々に決意された方もいらっしゃいました。
2004年に嵐が24時間テレビのパーソナリティを担当した時に
(前日コンサート、翌々日もコンサート、その間に24時間というスケジュール)
相葉ちゃんの個々のメンバーへの手紙で、
「松潤へ、振りをまちがえてごめんなさい....やっと嵐のメンバーになれました」
嵐全員泣いていましたが事情を知るテレビの前のファンも泣きましたよ。
24時間後のコンMCでは、松潤は茶化して
「相葉ちゃんの手紙が聞き取れず、あの場の雰囲気で泣いた。」なんて言っておりました。
ニノ「なんて書いてあったっけ?」
翔くん「やっと嵐の正式メンバーになれました。・・だっけ?」
「いつも振り間違えてゴメンね。でしょ?」と松潤に突っ込まれていました。
また「嵐の宿題くん 」では、小倉さんが「ねえ、嵐全員、松本くんに気を使ってない?」
とよく言っておられました。
2005年頃、松潤とニノがお互いの舞台を見に行ったことなどから、
ニノは松潤の本質に気がついたと。
「翔さんが防弾ガラスだとすると、潤くんは押すと砕け散ってしまいそうな繊細なガラス」(雑誌インタビュー)
ニノは、昔も今も松潤を注意しないのではなく、
注意すると松潤の薄いガラスが割れちゃうみたいだから難しいと。
ただその薄い硝子が、ファンを含む周囲を傷つけてるってことがこの頃も問題だったわけですが… 。
結局嵐の中で解決し始めた頃?
(周囲が松潤の取り扱いに慣れてきたころ?)
2006年:VS嵐の前身「まごまご嵐」がスタートし
井上真央主演(松本潤共演)の「花より男子」が高視聴率をあげ、
2007年冬放送の続編の「花より男子2」は、前作以上の大ヒット。
この時嵐結成7年目にして嵐のCDやDVDが、売れるようになります。
このことで、2007、2008頃のコンサートDVDは、メンバーが単独で写ってる時間にけっこうな差!
「松本潤とその仲間たち」状態!
やっと、解決したかに思えた問題だったのに 、再び泣くファンが増えた。
しかし、それと比例するように、嵐の人気も売り上げも伸び始めました。
この時、嵐はトップになる夢を叶えたんだと、
嵐内格差に矛盾を感じながら矛先をお納められた方、
ファンを辞められた方、アンチになられた方様々です。
この頃の松潤は嵐の中でも俺は俺!慣れ合いは嫌い!とかインタビューで答えておりました。
(何時までもグループに属するのはナンセンス。俺はネクストステージに行く発言もこの頃)
「俺様全開!」
そして一部の松潤ファンは、潤くんがあのトゲトゲモードを修正しはじめたのだから成長だ!
CDが売れたのも松潤のおかげ!新規が増えたのも松潤のおかげ!と言いだします。
でも私は
2005年:相葉ちゃんが、ゴールデン「天才、志村どうぶつ園」にレギュラー出演 。
2006年:・ニノがハリウッド進出!「硫黄島からの手紙」が公開されたのがこの年。
・大野くんの舞台、風シリーズ3作目の「テンセイクンプー」 の成功。
・翔くんが、ジャニーズ史上初のニュースキャスターに就任した年。
時間をかけて、丁寧に少しづつ「嵐」の地位をひっぱりあげてくれたのは、
松潤だけでなくメンバー全員ではないでしょうか…
※2006年冒頭 大野くん&翔くんの、ソロコンサート全国ツアー開催。
これは歌やダンスの振付、構成、演出も全部本人1人で行うもので、
大野くんも翔くんも短い期間の中、プレッシャーと戦いながら、
素晴らしい結果を残してますよ。
(ソロコン開催をきかされたのは開催1カ月前。それも「まごまご嵐」ボート部のレース開催の日)
がしかし、嵐のコンサートでは、年長二人の意見でさえ却下のコン隊長
それに嵐の大ブレイクは全員が大活躍した2008-2009年。(数字上ですが)
2008年:嵐の冠バラエティが2本始まり→大野くんの「魔王」→国立競技場。
花男でも感じなかった嵐大ブレイク はこの年だと私は思っております。
2009年頃:メンバーが活字に残る媒体(日経トレンディ。ドル誌では×)
でこの話をしたということは、嵐の中では、乗り越えられたのだろうと…
(だからファンは我慢してただけですよ)
2010年頃~:ファンがコンサートについて思っていることを正直に発言し出したのではないか。
2012年頃~:アマゾンレビュー 荒れだす。
他Gメンにはあり得ない嵐アンチからではなく、嵐ファンからの批判が聞かれるように。
この頃から嵐を応援するブログがあふれ、愛を語るブログもあれば、アンチブログもあったり。
たくさんの個人ブログが出来たように思います。
時が経って大きくなった嵐。
今はコンレポなんて300個以上あり、たくさんの嵐ブログがあって
拝見させていただくだけで、嵐のスケジュールなどがいち早くわかったりする現在。
昔はこのような本音を語れる場所がなかった(少なかった)だけだと思います。
古参でもずっと我慢しておられるファンは今もたくさんおりますよ。
松潤は何も変わってなどいません。古参も新規も昔も今も苦しまれてる方はたくさんおります。
ノーストレスで、心の底から楽しんで応援出来る日が一日も早く来て欲しいものである。