2000年代以降、地方では「鉄道駅の建て替えラッシュ」が発生している。
このわずかな短い時代に地方の鉄道駅がいかに生まれ変わったかをコモンズに掲載されている素材を引用してみていきたい。上が旧駅舎で、下が新駅舎だ。一部の駅は今まさに建て替えの最中にある。
柳原駅(長野県長野市)
姫駅(岐阜県多治見市)
鯰田駅(福岡県飯塚市)
さて、どちらの駅舎のほうが文化的な風情があるだろうか?
どう見ても旧駅舎である。旧駅舎は小ぶりながら、よそに一つない独自のデザインをしていて、田舎のひなびた環境にしっくりきている。駅舎の目の前に大きな樹が生えている駅は絵画のような雰囲気だ。
一方、新駅舎は無機質の極みだ。ローカル線駅はプレハブ小屋のようになり、ターミナル駅は無駄に豪華になったものの、まるで体育館や公民館のような土建屋行政臭プンプンの低俗な建物だ。木造建築でもなければ駅のシンボルの大樹も花壇も撤去されてしまい、田舎の癖に自然が全くない。都会の駅の方がよほど自然がマシなレベルだ。地域の誇りどころか、思い出にも残らない粗末な税金の無駄の産物だ。
恣意的に選んだわけではないのだが、「もともと地域ブランドや観光のレベルが低い地域」や「金権政治家の地元の地域」ほど悲惨な施工事例が多いのが気になるところだ。
あえて強調したい。地方創生は手遅れなのだ。理由は土建屋利権政治がすでに地方を破壊しつくしているからだ。
日本では1960年代以降、政治家と官僚と土建屋が結託して大型公共事業が全国規模で行われた。美しい山河の表面はコンクリートで埋め尽くされた。伝統集落の点在する田畑には新幹線駅や高速道路のインターチェンジや原発が作られ、そこから道路や新幹線の高架橋や高圧電線が国土全体に張り巡らされてしまった。
それでも残された情緒のある地方は、寅さんのロケ地になったり、国鉄の「ディスカバージャパン」キャンペーンなどでちやほやされた。しかし、そういうものも、バブル期の開発でほとんどが失われた。
そんな劣性の中で、戦後昭和、バブル、平成とどうにかこうにか生き延び続け、21世紀に残せていた情緒のある鉄道駅すら、いまだに半世紀前の理屈で建て替えられているのだから、まさに「お里の知れる」ことだと思う。
小学生レベルでもわかる話だ。
地方の鉄道は観光でしか生き残れない。観光活用ができなければ死ぬしかない。
昭和の後期の時点でわかり切っていた話だが、地方はただでさえ人口が少ないうえに少子高齢化である。貴重な若者は東京に流出している。残った限られた人間も、車社会化している。一家に一台ではなく一人一台車を所有し、土建屋利権政治によって作られた無駄に豪華な道路を用いて仕事も買い物も娯楽もクルマ移動である。徒歩1分のコンビニにすら車を出しているのは、案外、元気な大人たちだ。
そうなると、そんな地方で鉄道は先細り産業でしかなく、利用をするには特別な理由が必要になる。観光に他ならないだろう。
どの駅も、風情のある駅舎を中心に、趣のある景観が広がっていれば、そこは観光資源である。東京の人間はおろか、ファスト風土のバイパス沿いに住む地方人にとっても、余暇体験には好都合なはずだが、そういう観光のニーズを率先して殺し続けた2000年代の土建屋利権政治は愚の極みだ。
皮肉にも、小泉首相が「観光立国」を掲げ、三位一体の改革で下らない田舎のバラマキを抑制していた時期にこうした地方駅の更新作業が進んでいたのだから、いったいどれほど民度の低い政治だろうか。膨大な税金を用いて作った新駅舎は、そう遠くない未来に廃線化されてただの廃墟になることは明白だろう。
(コモンズより)
台湾はどうか。
台湾では、ローカル線の小さな駅でも、ターミナル駅でも、日本統治時代に作られた駅舎を大切に修繕しながら維持し、守り抜いている。
老朽化の痛みが激しくなった駅や地震被害を受けた駅も、元通りの建物を復元するようにしているし、もちろん自動改札やバリアフリー対応をするなどの時代に必要とされる更新作業は行っている。
台湾も大都市以外はクルマ社会化しておりローカル線は厳しい経営だが、箱根登山鉄道や江ノ電のような観光路線化を上手く実現していて、観光列車を走らせたり、名物の駅弁やお土産物を売っている。たまに戦前のSLを動かすことだってある。そんなわけで、日本からも多くの人が台湾ローカル線旅行を求めてやってきている。廃止になった駅も取り壊すことなく、「鉄道歴史館」などの観光資源になっている。
もはや「日本の鉄道の原風景」を見たいなら、飛行機で台湾まで人っ跳びしたほうが手っ取り早いのである。台北までのフライト時間よりも長い時間新幹線に乗っても、行きついた先にはコンクリートの下らないハコモノ駅しかないのが日本の現状だ。
ハッキリ言って日本の地方より台湾の地方の方がよほどずっと先進的で、理想の「地方鉄道のあり方の転換」が実現できている。東京首都圏と台北を比べると東京の方が進んでいることは明白だが、地方部分を見れば日本よりも台湾の方が社会の質や文化的程度が圧倒的に高いのだ。