社会
中国残留邦人、進む高齢化 戦後70年前に考える
戦後の混乱で旧満州に取り残された中国残留邦人。来年、戦後70年の節目を迎えるのを前に、中国残留邦人への理解を深めるシンポジウムがこのほど、横浜市内で開かれた。最も大きな問題として指摘されたのは、残留邦人1世の高齢化だ。その1世に介護が必要となったとき、どう支援するのか。シンポではさらに、一緒に帰国するなどした2、3世の教育や、記憶の継承をめぐる課題も浮き彫りになった。1~3世の3世代の残留邦人がパネリストとして登壇したシンポの様子を紹介する。
●不安
「戦後69年が経過し、0歳で孤児となった子どもでも70歳を迎える。一番上は82歳。高齢化が進んでいる」。パネリストで、約30年にわたって残留邦人問題を取材してきた朝日新聞社編集委員の大久保真紀さんはシンポの冒頭、そう切り出した。
中国で半世紀近くを過ごしてから帰国した1世は、中国の文化を持ち、中国語を母語としているため、慣れない日本での老後の生活に不安を抱える場合が少なくないという。介護が必要になった場合、高齢者施設などで自由に会話ができる中国語が通じず、慣れ親しんだ食習慣が続けられない可能性もあるからだ。
10歳の時に旧満州・黒竜江省で終戦を迎え、1996年に永住帰国した1世の門伝富美さん(79)=横浜市保土ケ谷区=もその1人。通訳の助けを借りながら、日本語で「いつ自分のことができなくなってしまうのか、とても心配」と、老後を憂いた。
残留邦人の多くは帰国後、経済的な困難を抱えていたが、国は2008年から老齢基礎年金の満額支給など新たな支援策を実施。大久保さんによると、残留邦人の暮らしは一変したという。
ただ、高齢化に伴う課題は未解決だという。大久保さんは、施設や病院で中国語での介護支援を受けられるよう、「中国の文化に理解のある2世、3世の介護士を育てるなどの工夫も、これから後押ししていく必要がある」と指摘した。
●教育
シンポでは、中国残留孤児1世とその家族の葛藤を描いた演劇が上演された。
戦後、旧満州で生き延びるために2歳の娘を見殺しにしたと思い続けてきた母と、残留孤児となった娘が40年ぶりに日本で再会する場面が見どころだ。
祖父が残留孤児で、自身が11歳の時に家族とともに帰国した残留邦人3世の大学生鈴木芹奈さん(19)=横浜市港北区=は、祖父から詳細な体験を聞いたことがないという。だから演劇も「なじみのないストーリー」に感じられた。
だが、中国と日本で育ち、二つのルーツを持つ自身の境遇に「自分は何人なのか」と悩む時期もあったという。
転機は高校時代。「あなたはハーフでなくダブル。二つの文化の良さを生かして」と恩師に励まされ、自分の良さを受け入れられるようになった。「将来は、ダブルの個性を持ちながら海外に出て活躍したい」と目を輝かせる。
また、10歳で家族とともに帰国した在留邦人2世の伊藤春美さんも、中国語のほか苦労して身に付けた日本語と英語を生かし、通訳などで日中の異文化理解を助ける懸け橋となっている。
領土問題などを契機に日中関係が悪化している中、大久保さんは「二つの文化を持つ残留邦人2世、3世は、両国をつなぐ人材になってくれる。日本の社会になくてはならない『宝』だ」と強調した。
ただ、2世、3世の誰もが活躍できているわけではない。
大久保さんによると、鈴木さんと伊藤さんは「とても優秀な例」だという。10歳前後で帰国した子どもたちの多くは、中国語でも自分の考えをまとめられない一方で、日本語の習得にも時間がかかる。学校や日常生活の悩みを打ち明けたくても、仕事や言葉で苦労している両親には言い出せず、抱え込んでしまうケースが少なくない。
帰国した残留邦人の子孫に対し、教育や生活面でのさらなる支援が必要だが、まだ不十分だという。
●継承
残留邦人1世の高齢化が進み、特異な体験を語り継いでいくことは困難さを増している。
「祖父が日本に連れて帰ってきてくれたおかげで今の私がいる」と振り返った鈴木さんは、「祖父に感謝をするのと同時に、祖父や残留邦人がどんな生き方をしてきたのかをきちんと知り、自分の口で語り継いでいきたい」と語った。
伊藤さんは「一番苦労した1世が安心して暮らすことができ、『日本に帰ってきて良かった』と思ってもらえる社会にしたい」と強調。「日本の生活様式に不慣れな1世を、高齢化した同じ1世が支えているのが現状。支援の輪が広がってくれれば」と話し、残留邦人への理解を訴えた。
肉親と引き離され、戦争の爪痕を一身に背負い、中国で苦労を重ねてきた残留邦人1世。大久保さんは「厚生労働省は経済的な支援を広げる良い政策を実行してくれた。今までの苦労の分も余生を楽しんでほしい」といたわった。その一方で、「できれば周りの日本人や子孫に、自分たちの経験を伝えてほしい」と呼び掛けた。
また「新しい文化を日本に持ってきてくれた」と残留邦人を評価し、「日本の財産として、共に生きていきたい」と話し、シンポを締めくくった。
◆中国残留邦人
国策で「満蒙開拓団」として旧満州などに送り出され、敗戦の混乱で中国に置き去りにされた日本人。その多くが肉親と離ればなれになった女性や子どもだった。厚生労働省によると、1972年の日中国交正常化以降、国は帰国援護を続け、永住帰国者は約6700人、家族を含めると2万人を超える。ただ中高年となってから帰国した1世は日本語の習得などが難しく、就労に支障を来し生活に困窮したほか、地域にも溶け込めないケースが少なくなかった。国は2008年、残留邦人への新たな経済的支援策を実施したが、継続的な支援が求められている。
【神奈川新聞】