寝室に入ると、私はベッドの上に腰を下ろした。
そのまま仰向けになる。そして隣にお姉さんが寝そべった。
「さあ、始めましょうか……」
お姉さんが、懐から何か箱のようなものを取り出した。
それは透明なピルケースだった。中には何か黒いものが入っていた。
カチャリ……
お姉さんはケースを開け、中の黒いものを取り出した。
「ほら、これがアリサちゃんを変えてくれる魔法の種よ?」
「タネ……?」
「そう、タネ……これからこの種が、アリサちゃんの体の中に入るの」
「そうすれば、あなたもお姉さんの仲間になれるわ」
お姉さんが、黒い種を掌に乗せて微笑んでいる。
「ところで、これがアリサちゃんのどこに入るか……分かるかしら?」
「…………」
……私はコクリと頷いた。
この寝室に来たときから、もう覚悟はできている。
「は、はい。お……お願いします」
「そう……アリサちゃんは賢い子ね……」
「フフ……アリサちゃん、そんなに硬くならないでいいのよ?お姉さん馴れてるから、痛くないように種付けしてあげる」
「ビューティーになるってことは、とっても気持ちよくて、素敵なことなの……。だからそんなに緊張しないで、ね……♪」
「は……はい……」
お姉さんは微笑を絶やさない。そして彼女は、掌の種をゴクリと飲み込んでしまった。
「え……?」
驚いた私に、お姉さんはパチリとウインクした。そして、優しい声で囁いた。
「フフッ、アリサちゃんにあげる準備をしているの」
「ほら、後はもう何も見なくていいわ……。安心して、お姉さんに全部任せなさい?」
そう言うと、お姉さんは掌でそっと私の目を塞いだ。……そして、私は闇に覆われた。
……怖くはなかった。
お姉さんの体温を感じる。彼女の掌の温かさが、これから起こることへの不安を溶かしてくれた。
私はお姉さんに体を摺り寄せ、そのままゆったりと体を預けた。お姉さんは片方の手でずっと私の目を覆ってくれている。
お姉さんの息遣いを感じる。温かい闇に包まれながら、私は何ともいえない期待感が、胸の中で少しずつ膨らんでいくのを感じていた。
そして……
お姉さんの手が、スカートの中に入ってきた。
「ん……」
「フフ……大丈夫よ……」
お姉さんが下着に指をかけた。そして、そのままスルスルと脱がされてしまった。
「綺麗よ……アリサちゃん……とっても綺麗」
お姉さんに見られている……。お姉さんの視線が、私のあそこに当たってくる。
……自分でも不思議だった。本当ならこんなこと、恥ずかしくてたまらないはずなのに……視界を封じられた私は、なぜかとても穏やかな気持ちで、お姉さんの掌の闇に身を委ねていた。
「少しほぐしてあげるわね」
「あ……!」
私は小さく呻いた。お姉さんの指が、私のあそこに触れている。
「種はね、ココから入れるのよ?」
「だから少しほぐして、種が入りやすいようにしてあげないといけないわ」
クチュ……クチュ……
「あ……あっ……」
「もう濡れているわね……。フフッ、アリサちゃんたら……こういうコト、ちょっと期待していたのかしら?」
「え……?ち…ちがいます…………あっ……ああぁ……」
「フフッ、恥ずかしがらなくてもいいのよ?種付けには、濡れれば濡れるほど良いんだから」
ク……チュ…………クチュ……クチュ…………
クチュクチュ……クチュ…………クチュクチュクチュ…………
「あっ……あぁ……あん……ぁ……」
「種はアリサちゃんの一番奥に入っていくの……。だから……フフッ、たっぷりほぐしましょうね?」
クチュ………クチュクチュ……クチュクチュ…………クチュクチュクチュクチュ…………
「この種は、アリサちゃんのお腹の中で芽を出すの……」
「生命の始まる場所……赤ちゃんが宿るところで、この変異の種は発芽するのよ?」
「あ……あっ……」
「ゆ……ゆび……入ってくる……あっ……あん……」
クチュクチュクチュクチュ……
クチュクチュ…………クチュ………クチュクチュクチュクチュ…………クチュクチュ……クチュ…………
「フフ……もう十分ほぐれたようね。種の方も、ちょうど準備ができたようだわ」
「じゃあ、これから種を入れるわよ?」
「アリサちゃん、痛かったりするかもしれないけど、すぐ馴れるから少しだけ我慢してね?」
「あ……ん……は…はい……おねえさ…ん……」
……私はそう答えるだけで精一杯だった。
お姉さんの指が止まっても、私は未だ、快楽の微睡みの中にいる。
快感が、お腹の中をぐるぐると渦巻いて意識に絡み付き、私の覚醒を妨げている。
そんな、不明瞭な意識の中で、私はあの黒い種を思い出していた。
「これから、あの種が私の中に入ってくるんだ……不気味な黒色の種子が膣穴をこじ開けて、私の子宮に侵入してくるんだ」
……そう思うと、私は少し不安になった。指だけでこんなに濡れてしまったのに……これから始まることに私は耐えられるだろうか?
「アリサちゃん。これからどんな音が聞こえても、決して眼を開けてはダメよ?」
「お姉さんの掌でちゃんと隠していてあげるから……終わるまでいい子でいるのよ?」
「は…はい……」
……やがて、私の耳元で奇妙な音がした。
それは、濡れた何かがブチュリと裂けるような音だった。
ブチュル……ブチュル……
ヌチュチュッ……ブ…チュゥ……シュルシュルシュルシュルシュル……
おぞましい粘着音。ドパドパと滴る水音。……それはお姉さんの腕が“変わった”という証だった。
男の子の股間を犯したときの、あの異形の変異が……今私の目の前で起こっているのだ。
グチュ……グチュゥゥ………ジュブ……ジュブ…………
「怖がらないでいいからね……大丈夫よ……」
お姉さんの“右腕”から、温かい粘液が私の太股にたぱたぱと零れ落ちた。
「あ……」
粘液は太股、下腹部、おへそ、胸へと滴り落ち……やがて私の一番大切な部分をボタリと濡らした。
「ああぁ……!」
温かい粘液を浴びせられ、私は思わず叫んでしまう。
お姉さんはそのまま粘液を滴らせて、その部分を濡らし続けた。
ボタ……ボタタ……ボタ……ボタッ、ボタッ…………
「あ……あんっ……熱い……あんっ……んんんっ……」
しばらくすると、股間にむずむずと疼きが走るようになった。
「あ……なに…これ……?あぁ……お、おまたが……ジンジンする……」
「十分ね……中の方は、入れながら馴染ませてしまいましょう」
「フフフ……じゃあ、そろそろ種付けを始めるわ……ほら、力を抜いて楽にしなさい?」
「は、はい……」
「フフ……行くわよ……」
お姉さんが耳元で囁いた。そして――
ブチュリ……
触手が私の膣内に入ってきた。
「あ……入ってくる……」
粘液に塗れた触手の先端が、ウネウネと蠢いて、私の内部に侵入してくる。
すると、触手は一旦そこで侵入をやめ、しばらく膣の入り口でのたくるような動きを続けていた。
「あぁ……んっ……んっ……」
やがて触手の動きが止まった。私の膣口に、僅かに先端を埋没させたまま、お姉さんの触手は不気味な沈黙を続けていた。
そのとき、私は理解した。そうか、だから触手は止まったんだ……。触手の先にあるもの……それは……。
私はギュッっと眼を瞑った。そして、そのときが来た――
「……!!」
お腹の中から、プツリと音がした。
……処女膜が避けたのだ。
そして触手は小さな裂け目をミリミリと引き裂いて、一気に貫いた……!
「あ……あああぁぁぁぁっ……!!」
私は絶叫した。滑る触手が肉を裂き、狭い膣肉を押し開いて、侵入してくる!
……だが、私の悲鳴を聞いても、触手が止まることはなかった。
滑った肉の塊が、私の純潔を奪っていく。
私の中の、まだ誰も入ってきたのことのない場所を、お姉さんが蹂躙していく。
「ああぁぁっ………は、はいってくる………あああっ…!!!」
温かいものが、頬を伝っていくのが分かる。
それでも、私はやめてとは言わなかった。お兄ちゃんの顔を思い出し、必死に、体内に入ってきた異物を受け入れようとした。
「アリサちゃん……お兄さんのことを考えてるのね……」
お姉さんの声が聞こえる。
「痛いでしょう?ごめんね……でも、もうすぐよ……?」
「あっ、…あ…あ……あっ……」
ドパッ……ドパ……ドパ……
突然お腹の奥に、温かいものが吐き出された。
私は挿入前にお腹の上に垂らされたものを思い出した。
これはさっきのあの粘液だ。肉茎の先端からまたあの粘液が染み出しているのだ。
「もうすぐだからね……?ほら、もうすぐ中に“粘液が馴染む”から……」
「あっ、あっ……」
「フフ……もうすぐよ……?もうすぐ楽ニ……ナレルカラネ……」
そのとき聞こえたのは、いつものお姉さんの声ではなかった。
自分が今、人間じゃないものに犯されているということを改めて感じた。
そして自分もまた、彼女のようになるんだ……と思った。
そう思うと……ゾクゾクとしたものが体中を駆け巡った。すると徐々に私の中が広がって、お姉さんを自分から受け入れ始めた。
何もしていないのに私の膣壁が広がり、ウネウネと動きはじめる。お姉さんの触手を奥へ奥へと受け入れて、その先にある子宮へと導いていく。
「あら……?フフッ、アリサちゃんたら……」
「あっ……あっ……おねえさ……ん……」
「フフッ、可愛い子……粘液が効いてきたみたいね」
「ほら……もう少しで、種が入るところまでいけるからね……」
「お……姉さん……!あっ…あっ………すご……い……!」
「フフフ……可愛いわぁ……♪女の子に種付けするのは、これだからやめられないのよね……♪」
私は力を抜いてお姉さんに身を委ね、膣内に沈み込む触手を受け入れ続けた。
そんな私を労わるかのように、お姉さんの触手は優しく膣襞をかき分けて、ゆっくりと奥へ進んでくれている。
私は嬉しくなった。そして、そんなお姉さんの優しさににますます心を蕩かせた。
やがて――
「あ……」
その瞬間……私は口を開け、舌を突き出し放心した。
「あ……ひ…………あっ……あっ……!」
お姉さんの触手が“馴染んだ”という実感があった。
……頭の中が蕩けていく。気持ちいい。
「あんっ……あんっ……んんっ……あぁ…ん……あぁ……!」
気持ちいい……!うねる肉茎が粘膜を押し上げるたびに、稲妻のような快感が全身を貫いた。
「すごく可愛いわよ?アリサちゃん……。フフ……とっても素敵……♪」
「あぁ……ああぁ……♪」
気付くと私は、だらしなく涎を垂れ流しながら、何かを叫んでいた。
私の意識は、裸のまま、創造を遥かに超える世界に投げ出された。
「あぁ……あっ……おねえ……さぁ……ん」
「こ……これしゅきぃぃ……ああ……もっろ……もっろしへぇぇ……?」
悦びの濁流に呑みこまれながら、私はあられもない言葉を垂れ流していた。
滴り落ちた涎が、胸の辺りにまで流れていっているのが分かる。視界を覆う指の隙間からチラチラとしたものが見えた。
それはお姉さんの触手だった。……もう眼を瞑ることすら忘れていた。
「フフ……長かったわね。やっと届いたわ……」
「ほら、子宮の入り口に、お姉さんの触手が当たっているのが分かるでしょう?」
「あぁ……あ……」
「ほぉら……感じるでしょう?触手の先端が、アリサちゃんの子宮にピッタリとくっついているわ」
「フフ……この触手の先から、種が出てくるのよ?女の子をビューティーに変える魔法の種が、ここから送りだされるの……」
「ああぁ……分かりま…す……」
「お姉さんの……アリサの奥に……当たってるぅぅ……」
触手の先端が、子宮の入り口に当たっているのが分かる……。
お姉さんの異形の器官が、私の子宮口にピッタリと密着して、先端から温かい粘液がトプトプと溢れてくる。
「フフフ……この種が入ると、子宮の中で発芽してアリサちゃんの細胞を侵蝕するの……。そしてあなたは進化するのよ?」
「ああ……お姉さぁん……」
「そ、それ……ちょうだい……?あ…アリサ……しん…か……したい……」
「フフフ……アリサちゃん、欲しいの?この“種”が……」
「あ……ああぁ……!ほし…い……で…す……」
「フフッ、お腹の中に欲しいの……?お姉さんに……種を植えつけられたいの?」
「あうっ……あうぅぅぅッ……!ほ、ほしいです……あ、アリサ欲しい……」
もう、自分でも何を言っているのか良く分からなかった。
ただただ“種が欲しい”という欲求が、体の奥から湧き上がって来て……私はお姉さんにしがみついて、種付けを懇願していた。
「種、欲しいよぅ……あぁっ、お姉さん、アリサに植えつけてっ?」
「アリサ、ビューティーになりたい……しんかして……お兄ちゃんと結ばれたいぃ……!!」
「そう……フフ、そんなに求めてくれるなんて、嬉しいわ」
泣き喚く私を見て、お姉さんが微笑んだ。そして彼女は、私の体を優しく抱きしめてくれた。
「素敵よアリサちゃん……」
「いいわ……じゃあお姉さんに任せなさい?ほぉら、きもちよぉ〜く植えつけてあげるわね……」
「ああぁっ、お姉さぁん……!」
私はガクガクと体を震わせた。
来る……種が来る……。私……このままお姉さんに抱かれながら…………!
「フフッ……アリサちゃん、もう果てていいのよ?」
「イクのと同時に、種を送り込んであげるわ。アリサちゃんの絶頂に合わせて、子宮に植えつけてあげる」
「ああぁ……何か来る……。来ちゃう……あっ、あっ……あぁっ……!」
「フフ、いいのよ……?ほぉらアリサちゃん、イッちゃいなさい……?」
お姉さんの触手が、奥へとねじ込まれた。
触手の細長い先端が、小さな子宮口を押し広げて、私の胎内ににゅるりと侵入した……。
「ア……アアアアアアアアーーーーーーッ!!!」
私は絶叫した……。手足をピンと伸び、体が仰け反る。そして、襲い来る巨大な絶頂感に呑み込まれた。
全身がビクビクと痙攣し、お姉さんとの結合部分から愛液が噴出した。……次の瞬間、体の奥でドクンと音がした。
「アアッ!!!」
ドクン……ドクン……ドクン……ドクン……
お腹の中に、温かいものが広がっていく……。
目の前が真っ白になっていく。私が、心地良い霧の中に溶けていく。
ドクンドクン……ドクン……ドクン……
ドクン……ドクン……ドクン……ドクン……ドク…ン……ドク……ン……ド……クン…………
「ア……ア…………ァ……」
心地いい……溶ける……。
変わっていくのが、分かる。体の奥から私が……私じゃないものに侵蝕されていく。
ドクン……ド……クン……ドク………ン………ド………ク…………ン…………
混じり合う。溶ケル……。体の中が別のモノに置き換わっていく。
お姉さんの黒い種が、瑞々しい力となって、私の体に染み渡っていく……。
私が生まれ変わる……。
変わっていく……私は、もう私ではない……。わたしは……ワタシハ……。
白い、全てが白い……。白い闇が私を呑みこもうとしている。
やがて、私の感じられる世界の全てが白に染まり、私自身もその白色の中で溶解した。
意識がふわりと溶けてなくなる瞬間……お姉さんの声が聞こえた。
「おめでとう、アリサちゃん」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
バスルームから彼女が出てきた。
「気分はいかがかしら?」
「あ……はい……もう落ち着きました」
「気分はいいです……すごく……いいです……」
「そう……それは良かったわね……」
彼女の着ていた制服は、所々、粘液で濡れてしまった。
だから着替えを用意したのだが、彼女はそのまま着替えずに制服を着て出てきてしまった。
「制服、大丈夫だったの?洗ってあげるから、着替えてきていいのよ?」
「いいえ、そんなに汚れていませんでしたから、大丈夫です。このまま帰れます」
「そう……」
私は彼女の制服を見る。それは驚くほど綺麗だった。
“そんなに汚れていない”どころではない……彼女の制服にはシミ一つついていなかった。……どう見てもクリーニングしたての制服だった。
「…………」
「フフ……面白いわね……」
エントランスを出ると、外はもう暗くなっていた。
しとしとと、雨が降り出している。
「もう夜だわ。日暮れが短くなったわね」
「はい」
「一人で帰れる?」
「はい。大丈夫です」
「そう……じゃあこれを、持っていきなさい」
私は傘を差し出した。
「…………」
彼女は私の差し出した傘を、暫くの間じっと見つめていた。
が、やがて傘を手に取り、にっこりと微笑んだ。
「ありがとう、お姉さん」
「フフッ、じゃあまたね。また何かあったら、連絡していいのよ」
「アリサちゃんのためなら、お姉さん、いつでも力になってあげるから……♪」
「……はい♪そのときは電話しますね」
「フフッ、待ってるわ。じゃあね……」
彼女は、傘を開き歩き出した。
「あ……アリサちゃん?」
「……はい?」
「フフ、お兄さんにもよろしくね……」
「…………」
「はい」
彼女はペコリと頭を下げた。そして、私に微笑んだ。
「…………」
その透明感のある笑顔を見て、私は密やかな満足感に満たされていた。
変異しても、彼女の純粋さは何も変わらない。むしろ、美しさが増したようにも思える。
汚れを知らず、混じりけのない水のように純粋な……。
そんな彼女の思い。それはきっと、どんなに頑なな理性をも溶かしてしまうことだろう。
「フフ……とっても素敵よ……?アリサちゃん……」
彼女はもう一度私にお辞儀し、歩き出した。
雨に濡れた交差点を渡り、歩道を歩いていく。その小さくなっていく背中を、私はしばらく眺めていた。
「…………」
彼女がどういう変異をしたのかは聞いていない。……だが、それは重要なことではない。
これでまた一人、この街に闇が生まれた。それで十分だ。後は雄を求める異形の本能が彼女を導いてくれるだろう。
その価値を思えば……彼女がどのような変異を遂げ、どういう能力を得たかなどということは、どうでも良いことだ。
それは私の役目ではない。彼女の能力に関しては、きっとこれから、彼女の兄が身を持って“確認”してくれることだろう。
そんなことをぼんやりと思いながら、私はマンションのエントランス前で、彼女の背中を見送り続けた。
すると突然、グオオオオンという爆音が聞こえてきた。
グオオオオン……ウオオオオン……!
しとやかな雨音を切り裂いて、荒くれたエンジン音が鳴り響いた。
私は思わず眉を顰めた。彼女と紡いだ上質な幸福の余韻が、獣の猛るような音に汚されていく。
……暴走車だ。
「…………」
暴走車は瞬く間に接近し、私の前を通り過ぎた。
その瞬間……、フロントガラス越しにハンドルの握っている男の顔が見えた。
彼は笑っていた。
「…………」
(このような場所で、汚い騒音を撒き散らして……)
(軽薄で粗暴で……ああ、なんて醜いのかしら)
……やはり、彼らは管理されなければならない。
彼らに自由意志など必要ない。私達が管理して精を搾り、家畜としての悦びを与え……彼らを真の幸福へと導いてやらねばならない。
その直後、暴走車は減速することなく交差点に突っ込んだ。
車は交差点を曲がろうとしていた。後輪が滑り、外側に大きく膨らみながらも何とか交差点を曲がりきった。
……私は帰ろうと思った。
そして、エントランスの中へ入ろうとした。
……そのとき、耳を劈くような音がして私は振り返った。
それはさっきの車の急ブレーキの音だった。交差点でも減速しなかった暴走車が、その先の直線で突然ブレーキを踏んだのだ。
私はハッとしてその先を見た。
暴走車の前には、道路を渡っている少女の姿があった。……それはアリサちゃんだった。
……だが、車は止まらなかった。いや、止まれなかった。
無理もない。相当なスピードで暴走していたのだ。加えて、路面は雨で濡れている。
私は走り出した。……だが、もう間に合わなかった。
「……!!」
一瞬の間の後、少女に車が突っ込んだ。
……その瞬間、私は奇妙な光景を見た。
フロントバンパーに激突した彼女の体が、無数の雨粒となって飛散したのだ。……そして彼女は消えた。
私は車の傍まで駆け寄った。……彼女がいない。
あたりを見回しても、どこにも彼女の姿は無い。路上にはクラクションの音だけが木霊している。
車が停止した。
すぐに、男が車から飛び出してきた。彼は時折嗚咽を漏らしながら、錯乱したかのように周囲を見回している。
男は車の前に回った。そして彼女の姿がないと分かると、恐る恐る車の底部を確認した。
「た、たしかに……いま……」
やがて男は、少女の姿がどこにもないということに気付いたようだった。
すると男は呆然とした顔になり、そこに立ち尽くしたまま動かなくなっってしまった。
しとしと……しとしと……
聞こえてくるのは、静かな雨音だけだ。……まだ男は動かない。その肩が小刻みに震えていた。
「お姉さん」
声が聞こえた。私はとっさに振り向いた。……そこには一人の少女が立っていた。
彼女だった――
「……アリサちゃん」
私は彼女を見た。
彼女は微笑していた。穏やかな目をしていた。
痛みを感じている様子はない。体にも、掠り傷一つ見当たらなかった。加えて、服も全く汚れていない。
「ひっ」
男の悲鳴が聞こえた。彼はそのままドチャッっと濡れた路面に尻餅をついた。
「…………」
腰を抜かした男の目の前に、彼女は無言で立っている。
しばらくして、彼女はスッっと視線を落とした。
そこには、潰れた金属のフレームと破けたビニールが無残な姿で転がっている。
彼女は静かに言った。
「傘、ごめんなさい」
「…………」
「……いいえ、構わないわ」
「…………」
それだけを言うと、彼女はまた歩き出した。
雨が、歩く彼女の肩を濡らしていく。私は傘の残骸を拾い始めた。
「うわぁ……!」
男が逃げるように、車に乗り込んだ。
その場でUターンし、交差点へと走り去った。
しとしと、しとしと……
雨は静かに降り続ける。
私は顔を上げ、彼女を見た。雨の中、ゆっくりと遠ざかっていく少女。
傘は無い。雨粒が彼女の肩を濡らし、背中を濡らし、チェックのスカートに染みを作っていく。
だが私はもう心配していなかった。
だって彼女は“もう濡れて”いるから。もう、彼女に傘はいらないのだから……。
私はまたうつむいて、金属の破片を拾い続けた。
……破片を拾い終わった。私は顔を上げ、もう一度彼女を見た。
彼女の肩はもう濡れていなかった。スカートの黒い染みが急速に狭まっていくのが見えた。
「フフフ……綺麗よアリサちゃん。とっても綺麗だわ……」
このまま雨の中を歩く彼女を、ずっと見ていたいと思った。
少女が道路を渡り終わった。
そのまま歩道に入ったところで、ふと、彼女は立ち止まった。……そして、ぽつりと呟いた。
「待っててね、お兄ちゃん」
……彼女は微笑っていた。透き通るような笑顔だった。
To be continued……