「千島・南樺太は日本領」 ソ連結成時1959年作成の地図で明記
産経新聞 11月3日(月)7時55分配信
■ポーツマス条約の有効性認める
ソ連内務省が1959年に作成したソ連誕生当時(22年)の領土を表す地図が見つかり、千島列島と南樺太は日本の領土と記されていた。ソ連は戦前から、日ソ基本条約で認めたポーツマス条約を事実上否認して南樺太、千島樺太交換条約で日本に帰属していた千島の返還を主張していたが、地図ではポーツマス条約の有効性を認めていたことになる。(編集委員 岡部伸)
地図はオランダ大使などを務めた大鷹正氏が外務省ソ連課勤務だった60年、日ソ漁業交渉でモスクワを訪問した際に市内の書店で購入したもの。
地図は、ソ連内務省測地・地図整備総局学術編集地図作製部が54年に原案を作成、59年に同局リガ地図製作所で1万部を製作、「世界の政治地図」として販売された。その一部「ソ連結成時の地図」は、ソビエト政権が誕生した22年当時の連邦を構成したロシアソビエト社会主義共和国をはじめとする各共和国の境界や、近隣諸国の国境線を描いている。
反革命派のザバイカル政権が誕生し、日本などが出兵した極東シベリアは極東共和国で、領土はウラジオストクから北樺太までで、境界線を隔て南樺太と千島列島は日本とされている。
一方、第二次大戦直前に侵攻して併合する係争地のフィンランドのカレリア地方は「カレリア労働コミューン」(20年6月8日)と書かれ、独ソ不可侵条約の秘密議定書で40年に併合するバルト三国とポーランドはソ連領と記されていない。
ソ連は59年当時、参戦前のソ連結成時点では北方四島を明白に日本領と認めていたことがうかがえる。
日本はソ連誕生から3年後の25年1月、北京でソ連を国家として承認、日ソ基本条約を締結。この際ソ連はシベリア出兵した日本軍の撤退を確実、迅速にするため、南樺太を割譲した日露戦争後のポーツマス条約の有効性を認めた。しかし、同時に条約については、「ソ連政府が政治的責任を帝政政府と分かち合うものではない」との声明も発表している。
この声明通り、ソ連は40年に日本が不可侵条約を提案した際や41年4月の中立条約締結時などで、ポーツマス条約に拘束されず、南樺太と1875年の千島樺太交換条約で合法的に日本に帰属していた千島列島の返還を要求した。
ソ連の千島、南樺太に対する執着が大戦末期のヤルタ密約につながり、中立条約を破った対日参戦で南樺太と千島列島を占領。北方領土問題は現在も続いている。
プーチン政権は、北方領土領有の根拠を「大戦の結果」としているが、スターリンは日本が降伏文書に調印した1945年9月2日の演説で、「歴史に残した汚点を40年間取り除こうと待っていた。南樺太と千島が引き渡され、日本の侵略から防衛する基地となる」と語っている。
最終更新:11月3日(月)7時55分
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