第十話:決闘のあと
頬を優しく焦がすような柔らかな温かさの中、私は眼を開けた。
気がつけば、体を横たえられていたらしい。どうやら眠っていたようだ。
段々と覚醒してくる意識の中に、枯れ木が爆ぜる乾いた音が紛れ込む。
音に誘われて私が顔を動かすと、少し離れた位置に焚き火が見えた。
しっかりと組まれた木材に、丁度良い勢いで燃え盛る炎。
言うまでもないが、意図的に行わねばめったに火が起こる事は無い。
であるならば、誰か──と言っても分かっている──が火を起こしたのだろう。
「……敗けたのか、私は」
「おう、起きたか」
上体を起こしながら、私は火を起こしたであろう人物に向かって呟いた。
目当ての人物は、火を挟んだ向こうに居たらしい。木をくべながら、チェスターは笑った。
……くそ。随分差を付けられたものだ。思わず、歯を食いしばる。
私にとっては全力を出し切った死闘であったが、チェスターはまだまだ余力を残していたらしい。
証拠に、打倒した私を寝かしつつも、火を起こすなどしている。
もっと言うのならば、痛みのないこの体だ。
拳打の一撃一撃にあれだけ魔力を込めておきながら、お互いの重傷を治癒するほどの魔力まで残していたらしい。
生まれ変わるまでに約二十年、生まれ変わってから十二年のブランク。
それを言い訳にするつもりはないが──私がもたついている間に、この男は随分と腕を上げたようだ。
「完敗……だな」
「ああよ。ガキの体と、鍛錬を欠かさなかった俺じゃあこういう結果にもならァな。
まだ体に慣れ切ってねぇんだろ? 極僅かだが技のキレが鈍かったぞ」
そこからさき、しばしの沈黙が流れる。
……正直に言えば、悔しい。悔しくて悔しくて、握る拳から血が垂れるも厭わぬ程だ。
理合は磨いたつもりであった。魔力も、前世と比較して申し分ないほどに練り上げた。
しかし、結果はこれだ。
手足短き子供の体。より深く理解した「理」を以てしても、前世の肉体で刷り込んだ技がどうにも馴染まなかった。
チェスターが最後に繰り出したあのフェイント──前世の体であれば通り過ぎる手を掴めていたと思うし、それをさせないために一瞬でも早くチェスターが動いていれば、反応出来ていたと思う。
全てが終わった以上それらはすべてたらればの話であるし、結果は変わらぬ。負けも受け入れるつもりだ。
……だが、これがお互いの命を掛けた果たし合いであれば、私は今日間違いなく死んでいたのだ。
侮ったつもりもなく全力で果たし合い、負けた。ともすれば命を失っていた愚かに、歯が軋みを上げる。
はるか高みに足を踏み入れた宿敵に、嫉妬を感じえない。今命を落とした私に比べ、奴はその武で命を掴み取った。
私よりも最強に近い位置に居る。それが、羨ましくてかなわぬ。
「お前は」
「なんでェ」
「一体何と闘うつもりで武を磨いていたのだ」
おそらく、チェスターに敵う者は、表にはまず居ない。裏の世界は広いが、それでも奴と互角に戦える者を探すだけでも相当骨であろう。
だと言うに、この男は何を目標に戦っていたのか。
私はふと気になり、そんな事を聞いてみる。──答えなぞ、とうに分かっているのに。
「……さァな。考えた事もねぇぜ。
お前さんが死んで以来、ぽっかりとやる気を失っちまったはずなんだがな。
必要だから武を磨いている。毎日続けてきた事だ、そんな風に思っちまってるんだよ」
──そう、理由など無いのだ。目標も、不確かな二文字のみ。
結局同じだ、最強を諦めきれない武術家なんて、誰しもがこんなものだ。
「お前はどうなんだよ」
「考えた事もない」
「だろうなあ。まあそんなモンだろ?」
やはりな。私はなんだか急に可笑しくなり、喉の奥から笑いを漏らした。
チェスターの方はと言うと、私の答えに満足したか、豪快に笑っている。
ああくそ、悔しい。全力を出して負けたのに、満足している自分が悔しくてしょうがない。
当面の超えるべき目標が出来たのだ。こんな存在は師匠以来の事である。
「次は勝つ。その面を地面と接吻させてやろう」
「はっ、何時でも来やがんな。勝ち続けて寿命で勝ち逃げしてやるぜ」
全く、口の減らん奴だ。
だが言う通りには絶対にさせん。奴が逝くまでには十回やって十回勝てるようになってやろうではないか。
……ふむ、なんだか久しく無い気分だ。
悪友と言うのは、良いものだな。
「んじゃあ、そろそろメシにしねえか。鳥を落としてあンだよ」
「そんな事までしていたのか? ……やれやれ、少しは老いたらどうだ爺め」
歳の割に元気も過ぎるチェスターを見て、思わずため息を吐く。
この男が老いで劣化する、という場面が全く思い浮かばんな。生涯現役とは良く言ったものだ。
削った木に鳥を刺すチェスターを見て、私は宿敵の強さに感謝した。
「ひっかひ……今更なんだがよ、お前はん、なんでそんな姿になってふんだ」
「……本当に今更だな。まあ待て、ゆっくり話してやる」
焼きあがった鳥に私が歯を立てようとした瞬間だった。
すでに口いっぱいに鳥を頬張ったチェスターが、聞き取れるか否かの瀬戸際と言った声をかけてくる。
食べ物を口に入れている最中に喋るな。そう言ってから、私も鳥に齧り付いた。
遠火でようく焼き上がった鳥は、非常に食欲を誘う香りを放っている。
香辛料も塩も無いというに口に泉を作るその香りは、もっとも原始的な食欲を誘う香りだ。
また、この焼き加減がいい。表面に脂が浮き、自らの脂で乾いた音を立てながら揚げたような状態になっている鳥の皮は、歯を入れた瞬間に薄い焼き菓子のような食感を与えて崩れさる。
儚げなその歯触りに頬を緩めた直後に襲いかかるのは、これでもかというほどの肉汁だ。
それは、皮と肉の間に程良くついた脂肪が溶けだした、極上のスープ。乾いたような皮の歯触りからとたん溢れだす波濤の如き旨味。緩んで隙間だらけになった頬から涎が湧き出てくる。
腹が減っているのもあるが、これは堪らぬ。肉の僅かな塩気だけで、立派な料理を名乗れよう味わいだ。
話をする、とチェスターに言っていたのも忘れ、私は鳥に夢中になった。
心地よく歯を受け入れて崩れさる皮と、ぎっちりつまった肉の繊維が優しく解けていくこの感触。ほどけた肉の間には、極上の肉汁が絡まって──
気がつけば、私は鳥の一匹を平らげていた。あまり大きくない鳥ではあったが、前世の老いた私ではとてもではないが食べきれぬ量だ。
……ううむ、育ち盛りと言うやつか。久方ぶりに感じた強い食欲。美味い食事でそれを満たす事が出来た私は、例えようもない満足感に包まれていた。
最高の運動に極上の料理。これは思いもかけず贅沢な一日になったな。
「がっツくのう、そんなに腹が減っていたのか」
「この体になってから、どうもな。さて、では話を始めるか?」
私に少し遅れて鳥を食いつくしたチェスターが、私の食べっぷりをみて笑っていた。
まあ前世の私からすれば考えられない勢いであったからな。……その私より百年単位で歳を重ねているチェスターが、鳥一匹を平らげるというのも中々な話であると思うが。
さておき、そう。私がなぜこんな奇縁に恵まれたか、か。
「正直に言えば、分からん。気がついたらこの身に生を預けていた、としか言えんな」
「まァ俺も長生きしちゃいるが、そんなハナシ見た事も聞いた事もねえ。強いて言やァお前さんだけだ。
幸運だったと思うほかはねぇやな」
やはり、チェスターほど長く生きていてもこういった出会いは初めてらしい。
ふと、私は自らの手を見る。マメもない、傷もない小さくすべすべした子供の手だ。
「とはいえ、羨ましいハナシだ。幾らか腕が落ちるとはいえ、学んだ事を覚えて人生を生きなおせるとはな。
お前さん、最強の十二歳児なんじゃあねぇか?」
「やめてくれ。
……だが、流石の私も十二の子供に負けたくはないな」
「そりゃそうだろう。たかが百年と少しとはいえ、一生を使って培った武だからな、十二のガキに負けたら凹むだろうよ」
「たかが、か。私からすれば百年もの年月をたかがと言えるお前達エルフが羨ましかったものだがな」
「今となってはお前さんもエルフだろう」
「違いない」
すっかりと辺りは暗くなり、焚き火を挟む私達に僅かな沈黙が訪れた。
遠くに聞こえる獣の声が、煩く感じる。
「弟子をな、持ってンだ」
沈黙の中、夜の闇を切り開くかのように、ぽつりと声が生まれる。
言葉は、私にとって意外なものであった。
「弟子? お前がか」
「おうよ」
私がこう聞いたのにも、訳がある。
昔からチェスターは「プライム流決闘術は俺が生み出した俺のモノだ」と言って、数多いる弟子入りの希望者を無碍にしてきたのだ。
苦心して生み出した、最強に近づくための財産。それを他の者に与えるなど、と言っていたチェスターだ。一体どういう心境の変化があった?
「弟子は取らないのではなかったか?」
「そのつもりだったんだがな。お前が死んだ後もアルマの嬢ちゃんが必死にシジマの技を広めてるのを見て、ちと羨ましくなっちまってなあ」
白黒入り混じった頭を無造作に掻くチェスター。
「俺が死んだら何が残るのか、ってな。お前はアルマの嬢ちゃんを遺したが、俺にはなーンもない。なんか妙な焦りが生まれちまってな」
私の相槌が無いのも構わず、チェスターは続ける。
その顔はどこか悲しげだった。
──何が残る、か。私にはアルマが居た故にそのあたりの心配は無かったが──最強を得ずに死んだら何が残るか。考えた事が無かったわけではない。
弟子がいる私ですらそうだったのだ。歳など感じさせぬ生命力に満ち溢れたチェスターとて、老いを感じる事はあるのだろうか。
言葉に続きがある事をなんとなしに察していた私は、黙して言を待った。
予想通りに、チェスターは続ける。
「けど眼鏡に叶う奴はそうはいなかった。どうしてもお前さんやアルマの嬢ちゃんが浮かんできてな。この程度の奴らにプライム流決闘術は伝えれねえ、そう思っていたんだが……
つい最近、ようやっと後継者を見つけてな。
思ったんだよ、時代が変わるんだってな。俺やお前の時代が終わって、次の奴らの時代が来るってよ」
「……お前らしくないな。生涯現役ではなかったのか」
「もちろん、今更降りるつもりはねえさ。ただ、その後継者ってぇのが問題でな」
「どうしたというのだ。お前が自身の目で選んだのだろう。何が問題なのだ」
「……強すぎるンだよ」
途端、チェスターの顔がひどく嬉しそうな笑みに変わった。
……強すぎる? この男にそれほどまでに言わせるものなのか。
「強すぎる、だと?」
「おうよ、まだ十五になったばかりのガキなんだがな、この弟子ってのがとんでもない才能を持ってやがンだ。
この年の頃の俺は──って考えて、嫉妬するほどにな」
言葉とは裏腹に、楽しそうなチェスター。
私もアルマの才を眼の前にした時、同じような感覚だった事を思い出す。
まるで水に付けた紙のように技を吸いこんでいく天才。シジマの技を残せると思った私は、思えば笑っていたと思う。
私より歳を取っているというのに、今更弟子を持つ喜びに気付いたか。
我が子を自慢するかのようなチェスターの様子に、呆れていた表情がつい笑みに染まった。
「間違いなく、このガキは俺を超える。そう思った瞬間、無性に嬉しくなっちまってな。歳を取ったと思ったモンだぜ。
でな、でな、そのガキってぇのが……なんだと思うよ?」
……しかし、これは行きすぎではないか?
まるで子供のようにはしゃぐチェスターに、笑みが固まる。
誰だこの男は。いつもに増した間抜け面。こんな奴に負けたのか、私は。
先ほどまでの神妙な空気はどこに行ってしまったのか──なんだか無性に阿呆らしくなってきた。
このまま話を聞いていても、のろけ話が続くだけだろう。年寄りの話は長いと言うしな……私は嘆息する。
「知るわけがなかろう……エルフの文字を読めるようになった最近まで、三十年近く世界を知らなかった私だぞ。裏社会に引き籠るお前が、最近取った弟子など知る筈がないだろう」
「だよな、知らんよなァ、んじゃ教えてやるよ! 聞きてェだろ!?」
嗚呼面倒くさい。前はこんな男じゃなく、もっとこう……研ぎ澄ました刃の様な男だったのだが。
これじゃまるで牙の抜けた犬ころだ。まるでかつて孫が出来たばかりの師匠の様な──
……孫が出来たばかりの、師匠?
「これがな、なんと俺の孫なンだよ!
教える事を片っ端から覚えていって、技が成功すると「お祖父ちゃん」つって喜んで駆けよってくるんだ。
これが可愛いのなんのって、もうな!」
ま、孫だと……?
今こ奴、孫と言ったのか?
予想外の宿敵の呆けっぷりと、予想だにしなかった言葉が私の頭を混乱させる。
まるで師匠の様な、と思ったが──同じ印象を与える理由があったと言うのか。
い、いや、そもそもだ──そもそもこの男──
「お前、結婚していたのか?」
「あァ? 随分今更だな。そんなモンとっくにしとるわ」
……初耳だった。
武の道しか頭にない男とばかり思っていたが、嫁と子が居たのか。
しかも孫まで居ると来たものだ……なんだか、無性に頭が痛くなった。
「でなァ、この孫ってのが──」
「いや待て、待て。その話は長くなるのか? 長くなるのであれば御免だぞ」
「ンだよ、こっからがいい所だってェのによう……」
所謂孫馬鹿。師匠で一度それを体験している私は、掌を広げて見せて制止する。
こうなった「お祖父ちゃん」の話はかなり長い。忍耐力は無いでもない方だと思ってはいるが、そんななけなしの自信など容易に崩れ去る長さだ。
師匠の話は師と弟子と言う立場故に黙して聞くしかなかったが、相手がチェスターであれば話は別。同じ悲劇は繰り返させぬ、絶対にだ。
「まァいいさ。そんじゃ、本題に行くとするか。
お前にちと頼みがあるんだよ」
何とか事前に話を止める事が出来た私は、安堵の息を吐いた。
しかし──頼み、か。面倒な事でなければいいが。
「……ちなみに断れば?」
「アルマの嬢ちゃんにお前の正体をバラす。きっと毎日忙しくなるぜェ……?
それこそ修行なんざしてるヒマねぇだろうなあ……?」
くそ、人の弱みを楽しそうに振りまわしおって。
分かってはいたさ。どの道聞くしかないことだ。はなから面倒でない事を祈ることしかできん。
「言ってみるがいい。無理難題は止せよ」
「無理でもねえさ。ちと話は戻るが、いいか?」
「……手短にな」
どうやら、頼み事は孫関連の事で間違いがないようだ。
そういえば師匠の孫息子は元気にしているだろうか。生きていてもおかしくは無い年齢だと思うが。
頭痛を考え事で紛らわせながら、私は今後の身の振り方を考える。
面倒な奴に弱みを握られてしまったからな……これから先も厄介事を押しつけられるに違いない。
せめて学業に身を置いている今は勘弁してもらいたいところではあるが……それも今は分からぬか。
まあいい。ともかく目の前の問題を片付けねば。
「さっきも言ったとおりなんだが、この孫ッてぇのが天才も天才でな。
俺のプライム流決闘術をぐんぐんと修めて行ってるわけなんだが……
問題はこのガキが、ちと強すぎることでな。同年代に競える奴がいねェのよ」
……ふむ? なるほどな。
ここまで言われれば、私とて察する。
一先ずは思うたよりも厄介な事でもなさそうだ。
とはいえ、まずは奴の話を聞くとしよう。
全く、この孫煩悩めが。
「ンで、そこで頼みなンだが……偶にでいい。うちのガキと闘ってやって欲しいんだ。
いくら強いとは言ってもまだまだ俺ら達にゃ敵わねえ。
だがうちのガキと張りあえるガキは、お前さんくらいしか知らなくてな」
頼み事は、予想通りのものだった。
孫に友人が出来なくて手を焼く祖父と言ったところか。
……やれやれ、なんともまあ丸くなったものよな。
しかし、ガキ扱いか。この姿では仕方のない事とはいえ、なんともむず痒い。
「……それくらいならば引き受けよう。
随分と「お祖父ちゃん」をしているな、チェスターよ」
「なんとでも言え。お前も孫が出来たらこうなるさ。
せっかく拾った今生だ。一生独身なんて寂しい真似はせんほうが良いぜ? なんだかんだ、結婚ってのも悪くはねェもんさ」
「そんなものかのう」
「そんなモンだ」
呆れる私をよそに、大笑いをするチェスター。
孫が出来るとこうも丸くなるものなのか。
私は外見が。チェスターはその心が。
お互いに変化の多い友人同士、私達は雑談などを繰り広げる。
闘争と言う火を挟んだ旧交は、空が白むまで続けられた──
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