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武に身を捧げて百と余年。エルフでやり直す武者修行 作者:赤石 赫々

第一章

第九話:シジマの彼方

「ほう、良い場所じゃあねえか」
「だろう。人を呼ぶ事になるとは思わなかったがな」

 アールバク山──私がいつも修行している秘境。
 普段私以外人間が滅多に訪れる事の無いこの場所だが、今日は一つ新たな影があった。

 お互いの顔を見る事もせず、各々の準備をしつつ、軽口を交わし合う。
 一見、和気藹々とした空気すら纏っているようなこの場だが──その実、はちきれんばかりに膨らんだ紙風船。ほんの少しの衝撃で弾ける様な危うさを孕んでいた。

 我慢して我慢して我慢して、三十年ぶりに宿敵と拳を合わせようとしているのだ。
 私は腕を組み合わせ筋肉を解し、チェスターは仮想敵に向かって拳を突き出している。柔と剛を象徴するかのような準備の仕方だ。
 おそらく、不本意ながら私は今、チェスターと同じ事を思っているだろう。

 早く闘いたい。
 この十二年間、力を隠しながら己のみで行える修行に時を費やしてきた。
 なんともどかしい事であっただろうか。そんな私が、前の生涯を通して互角だった男と全力で拳をぶつけられるのだ。
 これで震わぬ心など、枯れ木にでもくれてやればいい。五十年は無かった様な心の震え。今の私を支配するのは、闘争への期待だけだ。

「そろそろいいんじゃあねぇか? 日が暮れちまわァ」
「私もそう思っていたところだ」

 ほうら、やっぱり。奴と互角に渡り合える者など、そうはいまい。
 結局飢えているのは奴も同じ。で、あれば考えが似るのも至極当然の事だ。

 私は、シジマの構えを取った。「流水」と呼ばれる、守りを重視した基本の型──その構造を長い年月をかけて脳に溶かし、肉体に浸透させた(ことわり)による武装。
 対するチェスターは、左手を腰のあたりまで下げ脱力した、打撃を意識した構えだ。
 長い時を奴との闘いで過ごした私には解る。あれもまた、基本の構えであるという事を。

 熟練の者同士が戦う時に決め手となるのは型の相性ではなく、やはりというべきか当人同士の錬度である。基本の動きと言うのは流派の全てが内包された、基礎にして極める事を至難とする奥義でもある。
 小細工のない純粋な闘争──堪らぬ。涎が垂れそうにすらなる。

 もう言葉はいらぬ。
 一刻一秒でも早く闘いたい。

「シジマ流「元」師範、スラヴァ=シジマ──いざ」
「プライム流決闘術が開祖、チェスター=プライム、参る」

 敢えて前世の名前を名乗ると、チェスターは顔に強烈な笑みを張り付けた。
 奴とて退屈していたであろう。日々の空虚でボケる前に引導を渡してやるとしよう。

 開戦を告げる名乗りを済ませたものの、私たちは動けずにいた。
 ──二人とも、微動だにしない静謐。しかし闘いが始まっている事は、互いが分かっていた。
 先ほどよりも動きがないというのに、楽しくて仕方がない。一瞬気を抜けば顔を打ち貫かれるようなこの緊張感、久方ぶりだ。

 ──静寂。
 風すらも吹かぬ、無音が支配する。野生の魔物達はこの場の異常に気付いたか、周囲には一つたりと生命が感知できない。
 ただ一つ、いや、二つの例外が私達であった。
 魔物ですら逃げ出す殺気を中和するかのように、闘気を発し合う私とチェスター。
 ……ふむ、少し驚かせてみるのも悪くはないやもしれぬ。

 永遠に続いても驚かぬような静寂が、ふと打ち破られる。
 先に動いたのは、護りの構えを取る私であった。
 一瞬。まさに一瞬だけ表情に虚を浮かべたチェスター。刹那の無意識を感じ取った私は、瞬時に駆けた。

 5マートルはあろうかという、距離を、一足に詰める。
 虚を突かれたチェスターの顔が苦く染まる。が、それも一瞬に満たぬ紆余。
 脱力した左手が、空気に溶ける。極限までのリラックスからゼロから最高速へ達した左腕が、速度で消えたのだ。
 だが、私はその初動を見逃す事は無かった。闇に紛れた蛇の如く、速度で姿を晦ました重金属(アダマント)の鞭が襲いかかる。
 まともに受ければ骨まで食い千切ろう、毒の方がまだ温いとさえ思える一噛み。しかし初手を譲り、蛇の如き動きを予測していた私は突きだされる腕に手甲を這わせた。

 鉄板だろうが打ちぬくような腕の勢い、存分に使わせてもらおう。
 添えた手甲の皮が根こそぎ剃られて行く。良く出来た剃刀とてこうはいくまい。
 僅かな痛みが走るが、この勢いを買うのならば安いもの。私は、添えた右の手を使い、力の向きを操る。
 しかしこの爺、腕を上げていやがる。守りの構えから動くと言う奇策を使い、虚を付かねば──あるいは、私の体がもう少し大きければこうも上手くかわす事は出来なかっただろう。

 さて、せっかくもらいうけた勢いではあるが、この男相手に大技を仕掛けるにはちと足りぬ。
 本来ならばニヤけた面の一つでも地面に叩きつけたいところではあるが──私は、添わせた手を僅かに逸らした。
 すると、強烈な勢いの向きが変わる。向かわせるは天。僅かな力に唆された剛速の鞭は、天へと跳ね上がる。

「げ」

 小さく声を漏らすチェスターの額に、汗が浮かぶ。
 それはそうだ、跳ね上げられた左の手。防御など無縁のその体勢は、キツいのを打ちこんでくれと言わんばかりの無防備。焦ってもらわにゃ困る。

 添わせた手をそのままに、残る左手に魔力を込める。さて、今の奴にどれだけ効くか。
 シジマ流掌底「勁」──炸裂する魔力を掌に込め、捩じり込む!
 さしものチェスターとはいえ、この体勢からでは威力を殺すのが精々だろう。
 当たる直前に後ろへと跳ぶチェスターだが、掌は奴の脇腹を確かに捉えた。

 まるで猛牛にでも弾き飛ばされたかのように、老人の体が地面と水平に飛んでゆく。
 奴がごく一般的な武術家であれば即死を疑わぬ手ごたえだが──かつて裏の武術を纏め上げた男。まともに入ればともかく、すでに後ろに跳ばれていた一撃では眠気覚ましにしかならぬであろう。

「鈍っておらんようだな」
「ほざけ。朝飯前だぜ」

 口の端に血を滲ませながらも、その顔は笑み。
 お互いがお互いの実力を認め合っているからこその軽口。
 ああ、楽しい。闘いとはこんなに楽しいモノだったか?
 極上の料理に口を付けたかのようだ。もう止まらぬ、止まるわけがない。

 チェスターも私も、気がつけば頬が痛くなるほどに笑っていた。
 言葉の必要性を失った私たち。二合目は、お互いが同時に仕掛けた。

 油断の無いチェスターは、悔しいが強い。
 あの撓る鞭のような左腕が厄介だ。脱力状態の緩やかな動きから瞬時に繰り出されるゼロからの最高速。
 それでいて蛇を思わせるかのように自在かつ老獪な軌道。威力は鋼すら容易に打ち砕くと来たもの。
 天に恵まれた長いリーチを以て作られる奴の間合いは、広大だ。過去の私とて手を焼いていたあの間合い、子供の体を持つ今の私にとっては途方もない広さにさえ感じてしまう。

 だが、その分私は小回りと身軽さを得た。
 それでも不利は変わらぬだろうが、もとより承知の上。
 今の奴に打ち勝つには、冥府に足を踏み入れる覚悟が必要だ。

 それは奴とて分かっているはず。
 自身の長所なんぞとうの昔に把握しつくした爺だ、当然リーチを活かした闘いを展開してくる。

 チェスターが優秀故に立てられた対策。
 私の間合いが奴に近づいたとき、奴の間合いは完全に私を飲み込んでいる。
 ……繰り出される剛の蛇。思ったよりも(はや)い!
 ハナから防御を狙わねば、恐らく防ぐ事は適わなかっただろう。

 的確にこめかみを狙うそれに対し、腕を置く事で防御を試みる。
 体勢だけは崩すな、倒れれば全てが終わる。急所を打たれるのはもってのほかだ。
 一瞬の内に、一撃に見合う覚悟を決める。来る、来るぞ、来た!

「~ッ!!」

 予想以上に速く、重い一撃。鉛の塊に縄を結んで引き回した物が衝突したのではないかと錯覚するほどの衝撃。
 防御の体勢を保ったまま、私は地面に靴跡を描きながら滑って行く。
 重い、重すぎる。受けが通用せん!

 予想以上に腕を上げたライバルに、唇を結ぶ。
 この爺、一体何と闘うつもりだったと言うのだ。

 何とか体勢を維持する私に、追撃を加えんとチェスターが駆ける。
 確かに一撃は重い。私の一撃よりかよっぽど高等な打撃であろう。
 だが、舐めるな。シジマの構えは防御の構えよ。

 的確に顔面を狙う、チェスターの剛拳。
 顔にあんなもの食らえば、死すら幸運、顔が吹き飛んでもおかしくないと思われるそれに、手をかける。
 受けに徹したシジマを舐めるな。語る代わりに、今度は腕を下へと払った。
 必然、勢いを操られた体は腕に従って地へ向かう。私はその軌道上に膝を置いていた。
 腕を突き出す勢いと同じだけの勢いで、チェスターの顔に膝が突き刺さる。
 鼻の潰れる感触が膝に伝わる。だが、チェスターは顔に膝をめり込ませたまま、右腕を握りしめる。
 不味い、と思った時には腹に拳がめり込んでいた。私は血反吐を吐きながら、吹き飛んだ。強制的に距離が引き剥がされる。

「がふ、ヴえ……ぐっくっく、楽しいな、チェスター!」
ばっだぐだ(まったくだ)──ざいごぶだぜ、おばえ(最高だぜ、お前)!」

 喉に残る血を吐き出しながら、鼻を満たす血を吹きだしながら、私達は笑いあう。
 チェスターは血みどろで元の顔が分からない程。だがその表情は老人がこうまで出来るのか、と言うほどに純粋な笑みだ。
 私の方は顔はそれほどでもないが、内臓がひどく傷んでいる。ダメージの最中の反撃でいい加減に出して良い攻撃じゃあ無かっただろう、あの拳は。

 お互いがお互いに理不尽。
 チェスターの一撃は私がいなす。だが私の反撃をモノともせずにチェスターは構わずに攻撃を続ける。
 そうして受けたダメージが、私の方が多いというのだから泣けてくる。
 それでも楽しく感じてしまうのは──やれやれ、我ながら脳味噌が腐ってるとしか思えんな。

 しかしそんなモンだ。最強を諦めきれないガキってのは、そんなモンである。

 曲がった鼻を戻すチェスター。私の方も詰まった血を吐き出して呼吸を問題ないものにした。
 なら問題は無い。さあ続行しよう。

 距離など有ってないようなもの。一瞬で私を間合いに収めたチェスターの、愚直なまでに磨かれた拳が繰り出される。
 私はその拳を取り、裏返して可動域の限界以上に曲げようとした。
 このままでは折れる──そう感じ取ったのだろう、チェスターはまたも残る右腕で私の鼻を砕いた。痛みを意に介さないのかこの老いぼれは。少しは怯みやがれ、それは反則だって言っているだろう。
 だが、今度は私も引かない。直角まで立てたチェスターの左手を押し込むように、一歩を踏み出す。
 潔いまでの快音が響き、チェスターの掌が自らの腕に接面する。
 間違いなく折った! 私の顔は敵の最大の武器を潰した歓喜に染まる──が、次の瞬間には苦悶に打ちふるえる。
 膝が胃に突き刺さるのが見えた。地獄の様な痛みと熱さが、腹部を支配する。これには私も堪らず崩れ落ち、吐瀉物と血を撒き散らして地面を転がった。
 痛みに体を支配されるも妙なまでに冷静な脳は、それでも体に休息を許可しない。
 私の体を踏みつぶそうとするチェスターの足が見えると、痛みを忘れたかのように腹部から手を離して、チェスターの足を取る。
 崩れた体勢故に軌道をそらすのが精いっぱいだったが、片足を振り上げた故にチェスターの体を支える脚は一本。
 ならば容易に崩せるとばかりに、私はチェスターを転がした。

 刹那にも満たぬ静寂。お互いが痛みに顔を顰めながら、体勢を立て直し、距離を取り直して対峙する。

「はぁー、はぁー……どうだ、そろそろ限界が近いんじゃあないか?」
「ぜい、カハっ……てめえこそそうだろう……バカヤロウ、爺をもう少し労れや。遠慮なしに折りやがって」

 胃と腕。私も奴も、手痛いダメージを受けた個所を庇っていた。
 痛みであれば問題はない。だが、お互いに体力がもう底を尽きていた。
 願望にも似た質問を、私達は仕草で答える。
 次の一合が最後になるだろう。言わずとも、それを理解した。

「行くぜぇ……!」
「来いやァァッ!」

 攻めと守り。対照的な合図を皮切りに、影が交わる。
 ダメージはほぼ同じ。しかし、それでも私は自分の有利を理解していた。
 最大の武器たる左腕を潰したのだ、奴の取る行動は蹴りか右腕による打撃のみ!
 対する私は胃を破ってはいるが、痛みだけならば行動の制限はない。ダメージだけで言えば私の方が大きいが、最後まで立っていた方が勝者だ、勝ち名乗りを上げるまで膝を地に付けるつもりはない。

 極限まで圧縮した意識が、刹那を永遠に変える。
 ゆっくり(・・・・)に見える世界の中、私は見る。拳に絶対の信頼を置くプライム流決闘術、やはり最後の一手は右の拳か!
 だがそれは私の予測範疇、完全に読み切った攻撃ならば「映し木の葉」で返せる!

 迎撃用に、私は流水の構えを取った。
 弧を描くように振りぬかれる右の拳──

 それは、私を掠める事は無かった。

「(馬鹿な! フェイント、回転ッ!?)」

 腕を取らんと構える私の両腕。チェスターの右腕は、その手前を通り過ぎていく。
 この男が間合いを測り間違えるなど有りえぬ……この局面でフェイントだと!?

「(ならば蹴りか、回し蹴り──まさか)」

 右拳で無くば、何で来る! あてを外された私は、駆け引きに負けたことで一瞬の空白を意識に浮かべてしまう。
 ……気付いた頃には遅かった。剣士の剣に例えられるプライム流決闘術の左拳。
 この局面でこの男がそれを使わぬはずはなかったのだ。

「(折れた左拳で……ッ!)」

 ……ああ畜生、悔しいなあ。
 凝縮された世界の中、私は意識を白に染め上げる直前、顎に奴の左腕が触れるを感じた。
 折れた左の拳。裏拳となったそれが、私の顎を打ち砕いた。
 
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