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武に身を捧げて百と余年。エルフでやり直す武者修行 作者:赤石 赫々

第一章

第八話:好敵手

 武術の授業の時間がやってきた。
 普段であれば、適度に手を抜く必要がありながらも、他ならぬシジマの技に触れる機会があるこの授業は嫌いではない。
 もちろんそこにはアルマの視線を含めての感情でもある。いくら面倒な事が多いとは言え、武術の授業は、日々の学業より幾分かは張り合いのある時間だ。

 だが、今日は少し様子が違う。

「嬢ちゃんもモノを教える立場になるたァな。
 本当に長生きはしてみるモンだぜ」
「まだ未熟な身ではありますがね。師匠の──シジマの火を絶やすわけにはいきませんから。
 ……尤も、後継者に迎えたいと思う人材を見つけたのは、最近も最近の話ですが」

 生徒達に指導しつつも、私の動きを監視するアルマに加え──
 前世の私の動きを知りつくす好敵手、チェスター=プライムまでもがこの場にいるからだ。

 ……この糞爺め。裏社会の人間が何食わぬ顔でアカデミー何ぞ来やがって。
 アルマの住まう表の舞台よりも暗く深い裏の武術会。その元締めが、何故だか平和なアカデミーに来ていやがるのだ。
 前世じゃあ事あるごとに組み手と言う名の喧嘩をしていたチェスターだ。その実力もあいまって、私の技はある意味アルマ以上に知っているだろう。

 ──やりづらい。私が感じたのは、そんな感情であった。
 我が娘相手ですらやりづらいというに、馬鹿みたいに争いあったチェスターが相手では、正体を隠しきる自信がない。私は、嫌な汗を掻いていた。

「おいどーしたんだよ、すげえ青い顔してるぜ?
 あのじーさんが怖いのか?」

 隣のシドが、青ざめた私の顔を見て、茶化すように笑う。
 正直冗談ではないのだ。非常に──死ぬほど不本意だが、確かに今の私はチェスターの存在を恐れているのだろう。

「さて皆注目してくれ。
 今日は私の師匠とライバル関係にあった、チェスター=プライム氏に来て貰っている。
 おそらく彼を知る者はこの場にはいないと思うが、それでも私以上の腕を持つ方だ。特に打撃の技術は私とは比べ物にならない程の達人だ。
 今日は特別に君たちを指導してくれるという。安心して指導を受けてくれ」

 あたりにざわめきが巻き起こる。
 それはそうだ。事実生徒達の中に、このチェスター=プライムという男を知る者はいるまい。
 ……まあ私は知っているのだがそれはさて置き──表の舞台には決して立たず、如何にして人を倒すかとばかり考えている連中だ、知らなくて当たり前である。
 それほどまでに無名な男をアルマは「私以上の腕を持つ」と紹介したのだ、アルマがエルフにとって最強の代名詞である以上、それは冗談にしかとれぬ言葉であろう。

 今言った事の全ては冗談などではない真実なのだが。

 チェスターが使うのは攻めに重点を置き、打撃を得意とするプライム流決闘術。
 本来であればカウンターを重視した護りの構えであるシジマ流からすれば相性がいいはずのそれは、生前の私をひどく苦しめたものだ。
 いまだ私の域にも至らぬアルマでは、勝負にならぬ──とまではいかないが、勝ちを掴むのは雲に手を伸ばすが如くであろう。

「では、今日はまず基本の動きを復習しよう。
 基本を学んだ後は、模擬戦を行うぞ」

 私の思惑など存じぬとばかりに、今日も武術の授業が始まった。
 実際に私の思う事など露にも知らぬのだろうが……よりにも寄ってチェスターなんぞ呼びおって……
 アルマに対する恨みごとの一つも言えず、私は敢えて理の伴わぬ構えを取る。
 しっかりとした構えなんて取った日には、アルマはともかくチェスターには即座に看破される自信がある。
 もはやそれはある種信頼と言ってもいいかもしれない。あの爺が耄碌してない限り、私との戦いを忘れるわけがないと──そんな、勝手な信頼だ。

 フェイントの類ですらなく、敢えて構えを崩すなど武に対する冒涜のようで心苦しい。
 わざと料理の塩を抜くような所業に、気が引ける。
 だが、こうでもせねばチェスターの眼を欺く事など出来まい。

 アルマの指示に従い、どこか足りぬ(・・・・・・)技を繰り出していく。
 嗚呼もどかしい。爺め、(はよ)う帰らんか。
 自分より数百歳年上の悪友相手に、心中で毒づく。伝わるはずもないのだが、焦りからついそんな事を考えてしまうのは、まだまだ私が未熟たる証である。

 ──しかし、それでも私は自身の見立ての甘さを知ることになる。

「おい、坊主……スラヴァっつったか?」
「あ……? はい、そうですが……」

 アルマと共に生徒たちを見回るチェスターが、私の所で歩みを止めたのだ。
 厭らしい笑みに歪んだ口髭が、憎らしい。
 手を抜いた型で私と分かる要素は無いはずだが──

 静かに焦る私に、チェスターが顔を近づける。
 動きの止まった私に対し、チェスターは私にしか聞こえぬ程度の小さな声で呟いた。

「……巧く手を抜くなァ、坊主」
「──!」

 私は表情を強張らせた。
 正体にまでたどり着いたかは分からない。だが、手を抜いた事を看破されていたからだ。
 無様を晒した表情を取り去り、平静を務めながらにチェスターへと向き直る。

「……何の事です?」
「いやいや、別に咎めようってワケじゃあねえ。
 ただな、要素レベルでぽっかり手を抜くなんざ、器用な事するなと思ってなぁ」

 ──完全に見られていた、か!
 動きの出来は完璧なれど、そこに「理」は存在しない。ただの型の模倣であった私の動きを、しっかりと観察していたと言うのか……!
 良質の料理から塩を抜いたかのような私の動きを、この男はしっかりと味わっていたのだ。

 もはやこうなっては言い訳も、捕えられた網の中で足掻くが如しか。
 下手に嘘を重ねれば、より悪い状況へと導かれる。私は、自らの置かれた状況を理解した。

「貴方は──」
「皆まで語るなや。嬢ちゃんには黙っていてもいいんだぜ。
 そうさなあ……学校が終わったら、校長室に来い。そうすりゃ今までどおりだぜ坊主」

 何を想ったかは知らぬが、チェスターは大口を開けて待っているところに飛び込めと言う。
 これは避けられえぬ命令だ。今の言葉は、言外に「来なければアルマに告げる」と言ったようなもの。
 ……性が悪いところは全く変わっちゃいねえか、狸爺め。

「あい分かりました。そのようにいたしましょう」

 結局のところ、私は沸騰した釜に飛び込む他ない。
 鬼が出るか蛇と出るか、か。師匠は良くも言ったものだ。
 来るか来ないか、なんて選択しすらも与えなかったチェスターは、ひどく満足そうだ。
 ようやく顔を離したチェスターは、ひどく攻撃的な牙を見せつけながら、言った。

「楽しみにしているぜ、スラヴァ(・・・・)よう」

 ……なんだと?
 いままで「坊主」と呼ばれていたのに、急に名を呼ばれた事で動きが止まる。
 いや、違う。名を呼ばれるだけならば斯様な寒気など感じない。
 この呼び方は、まるで──!

「──! 貴様、どこまで……」
「そりゃあ後のお楽しみだ。喝喝喝(カッカッカ)、待ってるぜ」

 ひとしきり笑って満足したのだろう、私の元を去ったチェスターは、他の生徒の技を正していた。
 冷たい汗を流す私だが、今は平静を装うほかない。
 アルマの指示する技の名前が、どこか遠く感じた。







 非常に気が進まぬ中、今日の学業を終えた私は、校長室を訪れていた。
 他の部屋よりも幾分か立派な扉の前に、私は立っている。
 普段であれば生徒が校長に用事を持つ事は少なく、この扉の前に人が居ると言うのは珍しい事である。
 実際に、私とて校長に用など無い。
 用があるのは──この場で待つと言っていた、チェスター=プライム……あの糞爺にだ。

 ……手を抜いている事を看破されたという、弱みを握られての呼び出し。
 一体何を言われる事やら。あの男なら存外、あれだけで私に感づいたかもしれぬ。
 今の私は、相当に気が重かった。もう少し上手くやるべきだったか。いやしかしあれ以上手を抜くとかえって不自然になり、今度はアルマの追及を受けていただろう。
 考えても出ぬ答えを次から次へと浮かばせながら、私は校長室の扉を叩いた。

「失礼致します、スラヴァ=マーシャルです」
「おお、スラヴァ君か、入りなさい」

 自らの名を告げると、校長の優しげな声が聞こえてくる。
 許可を得た私は扉に手をかけ、押しあけた。
 ……なんとまあ、扉の重い事。気分の重さが加重された扉は、本来軽い筈なのにとても重かった。

「よう、待ちくたびれたぜスラヴァ(・・・・)

 この男さえいなくば、こんな思いなどせんかったものを。
 恨みごとの一つでも吐いてやりたいが、そうすれば多分、確実に正体が見破られる。
 代わりにため息をひとつ吐きだした私は、校長室へと足を踏み入れた。

「お待たせしたのならば申し訳ありません。
 それで、如何様な御用でしょうか」
「なァに、そう構えるこたねえ。
 お前さんと昔話(・・)がしたくてなあ」

 ……ち。心中で舌を打つ。
 何が正体を見破られる、だ。とっくに見破られているのではないか。

 だが予測はしていた。この男ならばやりかねんと思っていた故か、驚きが少ないのが、自分でも不思議に思う。
 厭らしい笑みに、今度は敵意を隠す事もなく、校長が居るのも忘れてチェスターをにらみつける。

「ふむ、チェスター殿はスラヴァ君とお知り合いか。
 しかしスラヴァ君、目上の方にその眼はいただけんぞい」
「構わねえさ、こいつとは深い仲でな、そんくらいは気にしねえ。  
 それより、さっきの話は本当に良いんだな?」

 私の態度を咎める校長を、チェスターが制止する。
 ああ、そりゃあ私とお前はそういう仲だからな。校長に謝罪の意を示しながらも、私は心中で毒づいた。

 しかし──さっきの話、とはなんであろうか。
 本当に良いのだな、と聞くと言う事は一度は許可を取り付けた物なのだろうが……
 ともあれ、今は後手に後手を重ねた状況だ。余計な事はするまい。
 私は、黙して自らの処遇を待つ。

「ええ、ええ。他ならぬチェスター殿の頼みとあれば、構いませぬ。
 じゃがくれぐれも手荒な事は──」
「そりゃ保障しかねる。が、まあ善処はするぜ。
 おいスラヴァ、ちいとばかし込み入った話をしようぜ?」

 ──成るほど、な。
 チェスターの言の真意を、私は感じ取った。
 何時確信を持たれたのかはわからぬが、悔しい事に私は奴の手の上に居たというわけだ。
 畜生め、アルマも余計な事をしてくれたものだ。

「ええ、構いません」
「決まったな。じゃあ校長殿、(おィ)(たちゃ)ァ席を外すぜ。
 あんたももう歳なんだ、安静にせいよ」
「ほっほ、まだまだ現役じゃよ。
 スラヴァ君、明日の授業にはでるのじゃぞ?」

 もはや私が事を諦めた以上、とんとん拍子に話は進んでゆく。
 確かに余計な事をしてくれた。が……血が滾るのもまた事実。

 校長室を出た私たちは、お互いに指し示す事もなく廊下を歩く。
 思わず溢れそうになる魔力を抑えながらに歩くのは大変だ。つい昂ぶってしまいそうになる。

 ゆっくりと校舎を出た私たちは、そのまま校門も出る。
 寮はアカデミーの敷地内にあるため、学校の外に出てしまえばもう人の姿はなく、静かなものであった。

「おいスラヴァ」
「なんでしょうか」
「気持ち(わり)ぃ喋り方はやめな。とっくに気付いてんだ」
「……ちっ、無駄に鋭い爺め。いい加減耄碌せいや」
喝喝喝(カッカッカッ)! お前さんが生きているとあっちゃ、まだまだ耄碌するわけにゃいかんなァ」

 周囲に人が居ない事を確信した私は、喋り方を過去のモノへと戻す。
 ……不本意だが、やはりしっくりくる。
 こまっしゃくれたガキの様な喋り方など、性に合わなかったのは確かだ。

「それで、どこで()るんだ。急な事だろう、場所はどうする」
「似てる奴が居ると紹介されて本人に会うたぁ夢にも思わねぇからな。
 どこかいい場所はねぇのか?」
「……ふむ、では私が使っている場所がある、其処に行くか」

 好意的に見ても孫と祖父にしか見えぬ男たちが、静かに林の中を歩いている。
 聞く者は居ないが、もし居れば物騒さに頭を抱えるような会話を続けながら、目的地を決めた私たちは歩みの方向を変える。

「鈍ってないのだろうな」
「舐めンな、生涯現役だぜ」

 宿敵の嬉しそうな声を聞いて、私は駆けだした。
 子どもと老人とはとてもではないが思えぬ速度で、二つの黒い影と化した私たちは、アールバク山へ向かって駆ける。

 一時はどうなるかと思ったが──もはや、それもどうでもいい。
 久しく得るであろう実戦に向け、私は堪え切れずに笑いを上げるのであった。
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