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武に身を捧げて百と余年。エルフでやり直す武者修行 作者:赤石 赫々

第一章

第七話:前世の奇縁、更に絡まる

「……最近つまらんなァ」

 斜日の赤い光に照らされた部屋の中、一人の老人が、自らの髭を撫ぜていた。
 柔らかな椅子に腰を預けながらも、足などを組んでいるその様は世辞にも行儀が良いとはいえない。

 髭を撫ぜるのに飽きたか、老人は手を動かし、けだるそうに机の上へと伸ばす。
 伸びた手は緩慢な動作で机の上の冷めた紅茶をつかみ、口へと近づける。

 使っている茶葉は最高級と言うにふさわしいもの。しかし、冷めてしまってか、その味はひどく無感動だ。
 エルフの耳を持つ老人は、ため息を吐いてカップを置いた。
 手持無沙汰になった手は再び髭へと向かった。口の上の髭は、少しだけ紅茶で湿っている。

「──スラヴァの奴が死んで、丁度三十年か。……長いのう、長すぎる」

 部屋に似合わぬラフな服装の中に、無造作に手を入れ、くしゃくしゃになった写真を取りだす。
 そこには。この老人ともう一人、更に老いた老人──スラヴァ=シジマが映っていた。

「──馬鹿野郎が。これだから人間っつうのはいかん」

 握りつぶしそうになる写真を握りつぶさぬよう、老人は一瞥した写真を懐へと戻す。
 起こしていた上体がどうでもよさげに、椅子へと投げられる。老人の体とはいえ急な荷重に、椅子が悲鳴を上げた。

 老人の名は、チェスター=プライムと言った。
 自らプライム流決闘術を編み出した──表の歴史に刻まれぬ武術家である。
 エルフの世にも、人間の世にも。歴史には決して書かれぬ裏の部分(・・・・)に属する者がいる。
 アルマ=シジマは、これは表の武術家を代表すると言って良い者ならば、このチェスターという老人は、裏を代表する武術家であった。

 ──かつて、スラヴァ=シジマと互角であった武術家。それがこの老人、チェスターである。
 歴史に記す事の出来ぬ、金と権力と命をかけた戦い。もう五十年以上昔の話ではあるが、歴史に記されぬ──所謂裏の世界で頂点を張っていたのが、この男だ。

 エルフという種族に生まれながら、何をそんなに急ぐのかと言うほどに練り上げた。
 来る日も来る日も人を殴り続けた。いつの間にかてっぺんにいた。
 そんな彼がスラヴァ=シジマと出会ったのは必然であった。

「畜生め。またあいつとドツキあいてえなァ」

 拳でつかみ取った財産。彼が腰掛けるこの椅子も、広く高級な調度品に満たされたこの部屋も──何もかも空虚に映った。
 欲しくて欲しくて闘ったというのに、この手には何一つ残らない。
 直に八百歳を超える男が、無感動に手を広げる。

 結局一番欲しかったのはなんだったか──きらびやかな部屋から、急に色が失われる。そんな気がした。

 ──その時だった。

「お館様、居りますか?」
「あァ、いるぞ。入ってこいや」
「では失礼して──」

 華美な装飾のこらされた両開きのドアから、メイドが訪れる。
 後二百歳若ければ手を出していたと思うほどの器量よし──そんな彼女の手には、一通の手紙と思われるものが握られていた。

「お手紙でございます、お館様」
「見りゃわかるわンなモン。で? 誰からだ」

 適当な人物のモノだったらば、持ってこないで捨てておけ。
 言外にそう語るチェスターに、恭しい表情を保っていたメイドが微笑(わら)う。

「シジマ」
「──あン?」
「アルマ=シジマ様からです」
「ンだよ、お嬢ちゃんからけェ。
 (ひっさ)しぶりだな……持ってこい」

 思わぬ名に、チェスターの表情が変わる。
 期待していたモノとは違ったが──期待している人物からの手紙など来るはずがない。
 それでも、予想よりかは上等な差出人であった。メイドに近く寄るよう命じ、近づいてきたメイドの手から、優しく手紙を取る。

 小気味良い音を立てて手紙の封が切り裂かれ、中から現れたのは武術家のものとは思えないほどに繊細な文字。
 嬢ちゃんらしい──そんな事を呟き、チェスターは笑った。

 堅苦しい挨拶から始まる、形式ばった手紙。
 親友ともいえるライバルの弟子から送られるにしては丁寧すぎるそれに笑いを重ねていく。

 旧友からの微笑ましい手紙。
 それに眼を走らせていたチェスターは──ある一文で眼をとめた。

 その表情から、笑いが消える。
 視線で穴が開くのではないか、若しくは興奮のあまり紙が千切れるのではないか。
 チェスターの、長い付き合いのメイドが危惧するほどの変わりよう。

「お館様……?」

 心配したメイドが、チェスターに声を掛けた。
 この老人がこんな表情をするときは余程怒っている時か──その反対。よほど愉しい時のみである事をメイドは知っていた。
 今回はどちらか。その答えは──

「くくく、喝喝喝(カッカッカッ)
 おもしれェ事ほざきやがる、おい、見て見ろや」

 心底愉快そうに笑うチェスター。
 解答は差し出された手紙に載っているのだろうか──メイドは、手紙を読み進める。
 やがて彼女は、その笑いの意味にたどり着いた。

 ──お話は変わりますが、私はついにシジマの名を継ぐにふさわしい者を見つけました。
 何としてでも彼を弟子に取り、師匠の志を継いでもらうつもりです。
 一応、師匠の友であった貴方には教えましょう。
 その者の名前は、スラヴァ=マーシャル。十二にして師匠の技を思いださせる「映し木の葉」を使う少年です。
 見た目は全く似ていないのに、どこか師匠と重なるその姿。貴方にも是非見せて差し上げたいものです。

「──成るほど」
「くっくっく、面白(おもしれ)ェだろう?
 あの馬鹿と同じ名前のガキだとさ。それも、あのアルマの嬢ちゃんが似てる、と言ったモンだ」

 大笑いを続けるチェスターは、誰の目にも心底楽しそうに笑っていた。
 事実、チェスターは楽しくてしょうがなかった。
 スラヴァに心酔しているあの嬢ちゃんが似てるってのは、一体どんなモンだ?
 ──会いてぇ。会ってみてえ。

 失われた色が戻ってくる。
 人生、長生きしてみるモンだ。
 ようやく笑いを収めた、しかし満面の笑みの老人が、装飾華美な椅子から立ち上がる。

「明日出るぞ。場所は言わなくてもわかるな?」
「明日ですか? 彼女の稽古の方は──いえ、無駄ですね。
 分かりました、そのように手配しておきましょう」

 そうと決まれば、行くしかあるめぇ。
 刻んできた八百の年月など感じさせない、幼さすら感じさせる笑い。
 かつて裏の社会で最強を名乗った男が、腰を上げる──








「ぇえっきしぇえいい! む、風邪でも引いたか?」

 誰ぞ聞く者が居れば間違いなく「親父臭い」と評価していたであろうくしゃみを放った私は、妙な悪寒を感じて、そんな事を呟いた。
 私は休日を利用して、アールバク山を訪れていた。高い標高は確かに地上よりも寒いが、魔力を纏っている私にとっては大したものではない。
 だが現にこうして妙な寒気とくしゃみを伴っている。考えられる理由は風邪にでもかかったかというところだが──体調管理には気を付けているつもりだ。その甲斐もあって風邪なんてとんと引いてはおらぬのだが。
 とは言ったものの絶対などはあり得んからな。用心に越した事はあるまい。
 前世の教訓だが、病とは誠に恐ろしいものだ。どんな達人とて膝をつきかねん。
 それに、苛め抜いた前世の体ならともかく、今の私の体は──鍛えているとはいえ前世と比べると──ひ弱な十二歳児のもの。今日は無茶はせぬ方がよかろう。

 ──滝行はまた今度にして、今日は影武をより重点的に行うとしよう。
 私は、自らの分け身を生み出して、対峙する。
 こうして修行を重ねていて分かった事だが、どうも今の私と分け身ではやや分け身の方が強いようだ。
 肉体の性能的には殆ど変わらぬのだが、やはり小回りが利くよりも間合いが広い方が厄介であるらしい。前世の姿を模した分け身は今の私よりか大分間合いが長く、長く続けるとやや私の方が不利だと分かったのは収穫である。

 ともあれだ。今は一週間に二度しかない実戦の稽古を行う時。
 退屈な五日間で溜めた知識、練った戦法──十分に試さねば。貴重な外出、ただでは帰れぬ。

「──いざ」

 誰に向けるでもない、もはや儀式となった言葉を放つ。
 こうして週に二度の、私と私の戦いの火ぶたが切って落とされた。
 今日は他の事をするつもりはない。存分に打ち、打たれるとしよう。

 いつものように、山に打撃音が響き渡る。
 戦いは日が落ちるまで続き、私は何とか残した体力で寮へと帰った。
 魔力が足りぬ故、体の目立たぬところにはまだ傷が残っている。……いくら週に二度しかないとはいえ、修行に費やす魔力が多すぎたか。もう少し自制心を身につけねば。
 つい生き急いでしまう我が身を律し、なんとかベッドにもぐりこんだ私は、すぐに寝息を立て始めた──




 そして、朝が来る。
 変わる事のない永遠のサイクルとはいえ、今日からまた修行の遠き日々が始まるかと思うと少し憂鬱になってしまうのは仕方のない事か。
 学園の制服に身を包み、食堂へと向かう。
 食堂があるのは寮の一階だ。寮は男子と女子で分かれているため、此方の男子寮の食堂は少年であふれかえっている。
 今日の朝食は──魚か。前世では晩年良く食べたものだが、今生では脂の美味さを再認識した私だ、特に思う事もなく食事を受け取って席へ運ぶ。
 シドが居ないかと食堂を見まわしてはみたが、その姿は発見できなかった。あの坊主の事だ、休み中にはしゃぎ過ぎて寝坊しているに違いない。
 仕方が無いので、一人で食う事にしよう。金属の冷たさを感じるナイフとフォークを手に取り、食事に対する感謝の念を想う。

 ふむ、良い香りだ。これだけ多くの生徒のために一度に作ったものとしては、なかなかどうして……
 魚から立ち上る食欲をそそる香り。先ほどああは言ったが、やはり魚は良いものだ。
 鼻から胃は、近い位置にあるに違いない。そう想ってしまうほどに空腹を刺激された私は、魚をフォークとナイフで切り分ける。

「ああ、この子です。やあスラヴァ、おはよう」

 ……嗚呼、なぜこの子は私の食事を邪魔するのだ。
 ようく見知った声がして、私はナイフの動きを止めた。
 アルマの勧誘と、私がそれから逃げようとするというやり取りは、最初のやり取りから一カ月程度が経過した今も続いていた。
 私は注目を集め騒ぎになるからと、食事中は勧誘をやめるよう彼女に提案し、彼女もそれを飲んだのだが──
 ええい、不可侵条約の時間に、それも朝食に仕掛けるとは何事か。

 私は、文句の一つでも言おうと、声のした方を──視線の上にあるはずのアルマの方へと振り向いた。 
 ──確かにそこにアルマはいた。だが、予想だにしない、もうひとつの「見知った顔」がそこで笑っていた。

「ほぉう、この坊主がなあ──初めましてだな坊主。
 ワシゃあチェスター=プライム。こいつの師匠の……ライバルってところかのう」

 鬱陶しい鼻の下の白髭、前世の私よりか小さいその体躯。
 そして、尖った耳──何よりも厭らしい笑み。
 忘れるはずがあろうか、その顔は──

「彼の言っている事は本当だよ。
 スラヴァ、紹介しよう。私の師匠(せんせい)の友人、チェスターさんだ。
 お手紙に君の事を書いたら是非会いたいとおっしゃってね、こうして紹介させてもらおうとしたんだ」

 チェスター=プライム。
 我が生涯のライバルにして、裏の拳王とまで言われる剛拳の持ち主。
 幾度となく競い合ったこの馬鹿面、忘れるものか。
 そうか、確かにそうだ。アルマが若くしているのならば、この糞爺が生きていてもなんらおかしくはない。むしろ、死んでいるわけがなかったのだ。
 次々と蘇ってくる前世からの奇縁。私は、不確かな「縁」で頭を締め付けられるような感覚を覚えた。
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