第六話:今生の縁、前世の奇縁
食と言うのは、生き物が生きてゆく上で絶対に欠かせぬ要素の一つである。
性別も年も種族も関係なく、等しくすべての動物は食を欠かして生きていくことはできない。
例外として植物だけは光と水を食んで生きていると師匠が言っていたが──あの人はたまにとんでもない事を言う、と当時の私はよく笑っていたものだ。
ともあれ、生き物が生き物である以上必ずや欠かせぬ行動の一つだ。
それは、人間としての生を終え、エルフとして再び生命の道を歩み始めた私も例外ではない。
ここ、アルファレイア総合アカデミーでは朝・昼・夜の三度、食事が配給される。
人間だったころに通っていた一日二食が基本であったが──こうした文化の違いを見ると、やはりなんとなく人間だったころが懐かしく感じる。
さておき、今時分は丁度一日の折り返しを指していた。
そう。給食の時間である。
先ほどまで授業を行っていたために静かな集中に満ちていた教室は、今やちょっとしたお祭り状態にあった。
あたりから楽しそうな子供たちの声がいくつも響いてくる。
朝食で得た満腹感などとうにないだろう子供たちの声は、本当にお祭りでもしているかのように楽しそうだ。
私はそれを、どことなく羨ましげに見ていた。体こそ若くはなったものの、古びた歯車が如き心を持つ私には、これはもう二度と手に入らぬものだ。
ただ一つの目的のため、錆びようが擦り切れようが回し続ける。それが私のありかただ。
……そうは言うが、だ。
「スラヴァくん、一緒にご飯食べよー?」
「あっ、ずりーぞセリア! スラヴァ! 俺も一緒にメシ食うぞ!」
幼いとはいえ、まっすぐな友と食べる食事というのは、悪くない。
シドとセリアが、食事が載ったトレイを抱えて、私の元へとやってくる。
……前は私とセリアだけだった昼食だが、いつの間にかシドもその輪に加わっていた。
師匠が食事は大勢で食う方が美味いとよく言っていたが、なるほど。たった三人でも思わず顔がほころぶのだ、今なら少し理解できる気もする。
「ああ、喜んで一緒しよう」
私が言うが早いか、二人は持ち主が去って空いた机を私の机に付くよう動かし、腰を下ろした。
席の持ち主は、それぞれがそれぞれの友人の元に行っているらしい。そのうちの片方は、シドの席に座っているようだ。
そうして私たちは食事を開始する。
セリアの口から出る話題は、授業の内容やセリアが日常で抱いた疑問が中心だ。
対するシドの持ちかける話題は大半が武術の授業に関するもので、どの動きの何処に気をつけて鍛錬に励めば良いか、等を聞いてくる。
まだまだ武の頂から遠く離れた地にいるとは言え、シジマの技は一通り修めた私だ。シドの質問に対してはそつなく答えることが出来た。
シドが私と共に動く事が増えたのは、彼に所謂「コツ」を教え始めてからだったか。気がつけば、私たちは良き友人となっていた。
こうして話していると、食事よりもこうした交流が元の目的ではないかと思えてくる。
食事の進む速度は非常に緩やかで、孫が出来たらこんな感じなのか、等と考えてしまう。
学校など今の私にはただ拘束されるだけかと思ったが──中々どうして楽しいものだ。
塩の掛かった豚をナイフで小さく切り分け、フォークに刺す。
急ぐ事も無く、フォークに刺さった豚を口に運んだ。
「少し良いかな?」
その瞬間だった。
食事を楽しむ私達に、声が掛けられる。
──いや、私達にという表現は適切では無いか。
正しくは、食事を楽しむ私に、だ。
シドの緑髪の向こうに、深い海の様な深蒼が揺れる。
「私も一緒したいのだけど、構わないかな」
全エルフの憧れの的。
伝説となった格闘家、アルマ=シジマは、何処までも楽しそうな笑みを私に向けていた。
「アルマさまだ! いいよー、アルマさまなら大歓迎!」
「いいぜ、その代わり技を教えてくれよ!」
セリアにシドは、昂揚しているのを隠しもせずに即諾してしまう。
エルフにとっては、殊更シドにとっては憧れを体現したともいえる強さを持つ伝説の武闘家。断る理由などあるはずも無い。
……私にとっても、娘が食卓に付きたいと言っているのだ。普段であれば何も拒むことはあらんが──
気に掛かるのは獲物を狙うようなその目だ。
なんだか嫌な予感がする。私の頭は思考とは裏腹に、全力でそれを拒めと命令を飛ばしていた。
「スラヴァはどうかな? 私がいると落ち着かないか?」
そんな私の不安を見透かすかのようにアルマは笑う。私は、口の中の豚肉を噛むのもそこそこに、唾と共に豚肉を飲み下した。
……優しげに笑うアルマ。絶世と語り継がれる美貌から浮かぶ笑みは、妖艶とすら言える程に美しいものだと思う。
だがそれゆえに、危機感を覚える。万人にとっては女神の微笑でも、私にとっては我が娘とは思えぬほどに危機を煽るものだ。
落ち着かないかだと? そんな狩人の如き笑みを向けられて落ち着くものか。
しかし、私はそれでもその誘いを断る事は出来ぬ。セリアは兎も角、シドからは「余計な事を言うな」と思っていることが余すところ無く伝わってくるし──何よりも、ほったらかした娘の願い事を蹴る事など、今の私には出来ぬ。
「いえ、そんな事はありません。ご一緒にどうぞ」
「そうか……っ! ああ、じゃあ遠慮なく座らせてもらうよ」
結局、私はその誘いを受け入れた。
私の許可を得て嬉しそうに笑うアルマに、少女だった頃の彼女を幻視し、やはり断る事など出来る訳も無いと改めて認識した。
空いた机を動かすアルマ。それを見て、シドも四人で食べるに易いよう、自らが座る机を動かした。
断られる事は最初から考えてなかったのだろう。空いた机には既に、アルマの分の食事が載っていた。
「さて、それじゃ私も食べようかな」
少しサイズの小さい椅子に腰掛けたアルマは、行儀良く肉を切り、口に運ぶ。
……懐かしい。よくこうして彼女とは飯を食べたものだ。
思わず前世の食事風景を思い出し、私はふと笑った。
「ん? 私の顔に何かついているか?」
しかし、そんな瞬間をアルマに見られてしまった。
優しげな笑みを絶やさないその口調からは、怒っている事など感じさせない。少しからかっているだけだろう。
「あ、いえ。何でもありません」
「そうか、ならば良かった」
いかんいかん、アルマの前で過去を思い出すと、つい前世に引き釣られそうになるな。
これ以上、自ら怪しい行動をとることも無い。気を引き締めた私は、談笑と共に食事を再開させた。
材料費はそう掛かっていないと聞いたが、このアカデミーの料理は美味い。恐らく調理師の腕が良いのだろう。そんな事を話しながら、食事の時間は過ぎていく。
シド、セリア、私。この順番で私たちは食事を終え、後はアルマの僅かなパンを残すのみとなった。
談笑途中にアルマはパンの一口を指で押し込むように口に入れ、食事は終了した。
壁に掛けられた時計──数時間ごとに鳥が飛び出す仕掛けが施されたもの──を一瞥する。食事の時間にはまだ余りがある。
……とは言っても、このアカデミーの食事の時間は人間だった頃の学校よりも多くとってあり、こうして時間が余るのはいつものことだ。私たちは、その時間を何時も談笑に充てる。
だが、今日は少し様子が違った。
「美味しいな、此処の食事は」
アルマがいるためか、やはりいくらか緊張しているのだろう。セリアとシドの口数がいつもより少ないため、アルマの吐く息が大きく聞こえた。
「さて、と。食べ終わったところで──」
アルマの瞳が、しっかりと私を捉える。
予測はしていたが、今仕掛けるのか。アルマが私に対し何かを抱えているのを、私は感づいている。食事の最中は外したのだろうか──などと思いつつ、出方を見る。
大して汚れてもいない口の周りを拭き終わったアルマが、布を置く。
すると、アルマは──触れ合うのではないかと思うほど、私の顔に自身の顔を近づけた。
「なあ、スラヴァよ」
「……近いです先生」
もう逃がさん、そんな意思が伝わってきた。
顔は接しそうなほど近く、両の手は私の肩をしっかりと捉えている。
これは逃げられん。私は、適当な理由を付けて場を立つことを諦める。
シドとセリアは、良く分からぬ状況に疑問符を浮かべている。ええい、頼れるのはいつも己ばかりよ。
圧縮されているのではないかという短くも長い沈黙の後、アルマの瞳の色が変わった。
もしや正体に感づかれたか。覚悟を決める私に、アルマが言ったのは──
「私の、シジマ流の元で技を磨き──シジマの名を継ぐ気は無いか?」
「……む?」
「突然で悪いんだが、君にはその才能がある!
どうだ、この世で最も強い男の名前を──スラヴァ=シジマの名を継ぐつもりは無いか!?」
弟子にならんか、と。そういうことだった。
他ならぬ弟子に、弟子にならぬかと誘われるとは、これいかに。
もとより賢く無い頭が悲鳴を上げる。なんだこれは。どう答えればよいのだ。
「す、すっげー! アルマ先生直々のお誘いだぜ! 流石スラヴァ!」
「スラヴァくん、凄いことだよこれは!」
大声を上げて昂揚するシドとセリア。
叫びにも似たそれに、教室中の目が私とアルマに集まった。
集まった目は例外なく憧れや興奮に染まっている。これがこの質問に対する、エルフの子供の正答か。
エルフが誇る最強の武術家からの、才能を見込んでの誘いだ、断る理由など何処にも無いだろう。
だが、私は違う。
眼の前の少女は確かに伝説の武術家だろう。歴史書に刻まれている以上、それは私からしても変わることの無い事実。
しかし、弟子だぞ。アルマはスラヴァ=シジマの──前世とは言え、私の弟子なのだ。
弟子に弟子入りなど、聞いた事が無い。他の分野であればまだしも、他ならぬシジマ流で、弟子入りなど出来よう筈が無い。
「お、お断りします」
「何故だ? 君は埋もれさせるには惜しい輝く原石なのだぞ。
君は必ずや私を超える、それだけのものをもっているんだ!」
そりゃあそうだ。既に私はアルマを超えているのだから、その気になれば、明日にでも師を超える事は出来よう。
アルマには足運びなどを見てもまだまだ隙があるし、纏う魔力にも極微小な乱れが見えるのだから。
やはり最強を志すには行住坐臥、戦いに身を置かねば──と、思考があらぬ方向へと飛んでいく。
と、とりあえずこの場を切り抜けねば。
時間稼ぎでも良い、一度退却してこの予想だにしていなかった状況に、対策を立てるのだ。
「それとも、スラヴァには夢があるのか?
……ならば、私も強制は出来ないが──すまん、先ずは君の話を聞くべきだったな」
幸い、他ならぬアルマ自身が逃げ道を示してくれた。
アルマが垂らしたこの縄は、切れ込みが入っている罠かも知れぬが、今はこれに掴まるほか無い。
考えろ、この場を切り抜ける最上の一手を。
「が、学者。そう、私は学者になりたくて──」
……考えを絞る私だが、飛び出してきた答えは自分でも「無い」と思う無様なものだった。
最近では、魔物の皮などを売って得た金で、参考程度に他流の武術書などを読み漁っている私だ。
教室中から「無いわ」という声が聞こえてくる気がした。
「……アレだけ武術の本を読んでいるにも関わらずか?」
どうやらそんな私の行動はアルマも知っているようで──何時の間にやら観察されていたのだろうか。
ともあれ、今この場は──
「ひ、昼休みに図書室とか行かねばならぬので、これで!」
逃げよう。どうにもならぬこともある。
いたたまれなくなった私は、逃走を図った。
これが武を競う試合であれば意地でも後ろなど見せぬが、こういう状況であれば喜んで逃走しよう。
後ろに聞こえてくるアルマの声。仮でも教師という立場ゆえに走れぬ娘を置き去りに、私は走った。無論、行く先は図書室などではない。
「わ、私は諦めんからなスラヴァ!」
私を弟子にしたい弟子との、長い戦いが始まった瞬間であった。
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