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武に身を捧げて百と余年。エルフでやり直す武者修行 作者:赤石 赫々

第一章

第五話:老人の朝は早い

 武術家の朝は早い。
 空もまだ暗く、日が昇りきらぬ前に私はゆっくりと瞳を開いた。
 寮の部屋に備え付けられた時計を見て、時刻を確認する。
 ……朝の四時半。うむ、今日も変わらぬ時刻である。

 もはやこれは前世からの習慣か、私はこの時刻に必ず目を覚まし、動き出す。
 今日は唯一修行ができる、週に二度しかない休日。一日の時間は限られているのだ、さっそく行動を開始せねば。

 二段ベッドの上に眠る同級生──名前をエリック=パリスターという、そばかすの似合う人懐こい少年──を起こさぬよう、気配を消しつつ、音を立てぬようにベッドから降りる。
 そのまま衣服を収納するクローゼットへと向かい、私服に着替えた上から。学院の魔法の授業に使うフード付きのローブを纏っていく。
 この幼き身には余裕たっぷりに織られたローブはお世辞にも運動用とは言えぬが、それでもこのフードを目深に被れば、顔が隠せるので重宝していた。
 この時間ならば心配も無いとは思うが、これから行う走りこみの最中を見られると、少し厄介なことになりそう故、こうして顔を隠す手段があると心強い。ついで程度に杖も持てば、完全に魔道を志す者だ。まさか武術家とは思うまい。

 ──とはいえ学校を出る前に外出の許可を取っているか、という検問があるため、学校を出るまではフードを被る必要はないのだが。
 そんなわけで被ったばかりのフードを取り去ると、クローゼットに備え付けられた鏡には、どうみても魔法使い見習いとしか思えぬ少年の姿があった。

 ……ふむ、十二年間連れ添った体とはいえ──いや、慣れぬものだ。
 前世の私とは似ても似つかぬ、赤銅の髪。
 翠色の瞳は薄暗い現在の時刻でもしかと輝いている。目鼻立ちは──幼いころから言われているが、父の方に似ているようだ。一つ一つの部位が主張をしつつも調和していて、子供ながらになんとなしに将来を期待させていた。
 ──尤も、常に攻撃的な意志を持っていたためか、その眼光は妙に鋭かったが。
 しかし──エルフは線の細い美丈夫が多い種族とは聞いていたが、なるほど意識してみれば確かに整っている。これが今の自分の顔とは思えない故に、そんな評価が湧いて出た。
 ……実感が湧かぬが、これではまるで自画自賛だな。鏡に映る、目つき以外は可愛らしい少年を見て、苦笑する。

 そういえば、じっくりと鏡を見たのはいつ以来だろうか。
 前世では道場に大きな鏡があったため、型の確認などをすると嫌でも目に入ったものだが。
 特に興味もなしと思っていたせいもあり、鏡を見たのは久しぶりだった。そのせいか、やはりなんとなく自分の顔としてこれを思い浮かべるのは難しいところだ。

 ──ふむ。余裕が出てきたら身だしなみの一つでも整えた方が良いだろうか。
 邪魔にならぬよう無造作に切られただけの髪の毛を一房摘み、そんな事を思う。
 まあそれはやるとしても明日以降だな。誓った事を実行せぬ者の常套句なぞ思い浮かべながら、私は部屋を後にした。

 まだ朝日も昇らぬこの時間、寮の廊下は静まり返っていた。
 おそらく起きている生徒は一割にも達しまい。朝方特有のひんやりとした空気を吸いながら、私は寮の外へ出る。

 外へ出ると、心地よい露の匂いがした。これがあるから早起きと言うのは止められぬ。

「お、スラヴァの坊ちゃんか。今日も早くて立派だねえ」

 学校の門に到達した私にそんな声をかけたのは、小太りな守衛の男だった。
 週終わりの休日の度に出かけるのだ、流石に顔も知れるというもの。
 私はいつもどおりに外出許可証を出しながら、笑顔を作る。

「好きな事をしているだけですからね、立派なことでもありませんよ。
 では、いつもの許可証です」
「……うん、確かに。坊ちゃんなら信用できるんだが、一応決まりだから言っておくよ。
 危ない事を避けて、門限までには帰るんだぞ?」

 優しそうな笑いに手で挨拶を返し、私は準備運動を始める。
 激しい運動の前には、こうした準備も大切だ。 
 ──そう、激しい運動ができるのである。
 私は、知らずに口角を歪めていた事に気づく。

 思う存分体を動かせるとは、休日とはなんと素晴らしき日か。

 逸る気持ちを抑えながら、静かに準備運動を終えた私は、のろのろと走り出した。
 木々に囲まれた道の中を走りながら、徐々に速度を上げていく。
 上がり続ける速度が馬に並ぶころには、守衛の姿は見えなくなっていた。
 ここで目深なフードを被る。少年が馬以上の速度で疾走していては、不審がる者もいる事では在ろうが──仮に追われても巻く自信がある私にとって、顔さえ見られなければなんら問題は無い。

 ……目指すは子供らしく、私の秘密基地だ。 
 速度の上昇がようやく落ち着いたところで、私は小さく笑いをもらすのであった。




 走り続けて約三十分が経つころ、私は目的の場所までやってきていた。 
 アカデミーを囲む林を駆け、学園から離れたために手つかずの森からつながる場所に、そこはある。
 標高約二千マートルと少し。深い森に護られたそこには、めったに人が来る事はない。

 ──そう、山である。
 人が入る事はめったになく、アカデミーから視認のみ出来る、ここ霊峰アールバク山に私はやってきていた。
 森に囲まれている立地の上に、なんらかの精霊的な力が支配しているため寒く、そして凶暴な魔物も居るこの山に足を踏み入れる者は滅多に居ない。
 様々な理由から人が少なく、自然はあるし滝行まで出来る。ああ、なんと贅沢な修行場であろうか。
 貴重な休みに往復一時間もかけて出向く甲斐があるというものだ。

 何時も修行を行う場所に到達した私は、ふと山の上からアカデミーを見下ろす。
 今の季節は、丁度日の出のころが重なっているようだ。地平の向こうから顔を出す太陽を見ながら、私は呟く。

「もう少し距離があると、走りこみも兼ねれて良いのだがな」

 いくら道が入り組んでいるとはいえ、この季節に三十分では汗も流せん。
 木々を避けながら走るというのは足運びや反応を鍛えられるので良いが、こんな短時間では僅かな魔力も消費できん。
 とはいっても、場所がこれ以上離れると、せっかく取れる実戦形式の修行に充てる時間が減ってしまう。
 ままならぬものよ。どうにもならぬこの身の不自由を吐きだしながら、私は荷物を足下に置く。

「さて、今日は禅から始めようか」

 目深に被ったフードを取り去りながら、木々に育まれた冷たく清浄な空気を胸一杯に吸い込み、少し湿った草の上に座禅を組む。
 ……風が葉を揺らすのみの静謐に、手付かずの自然から生み出されるうまい空気。
 これほど精霊が好む条件が揃った山が残っているとは、エルフの国とはなんと贅沢な修行環境だ。ほとほとエルフ達には嫉妬の念を感じざるをえん。
 だが、今日は禅が捗りそうだ。愉悦に歪む心と口角を正しながら、私は精神を集中する。

 ──我が身を巡る自然。山の精霊たちは森に居る彼らより、ひんやりと厳かな色を湛えている。
 森の精霊たちもそれは良質な魔力を与えてくれたが、滅多に人の入らぬこの山の精霊たちはそれ以上だ。
 私の体に蓄えられていく自然の魔力。あまりにも良質なそれは、何時までも禅を続けてしまいそうになるのが玉に瑕だ。

「(──む? 精霊達が騒がしいな)」

 そうして禅を続けていると、体内の精霊達が何かに怯えるように騒いでいる。
 私がまた心に乱れを生じてしまったかと思ったが──

 どうやら、客のようだ。
 わずかばかり転がった砂利が擦れる音を生むと同時、私はゆっくりと立ち上がった。
 同時に、禅を組んでいた私から精霊達が散っていく。予定よりは少し早いが、まあいい。

 それよりもよほど上質な来客だ。
 隠す気すらない殺気──凶暴な魔物が生存競争を繰り広げるこの山において、己が捕食者であると言う自負!
 力量を測ることすらせぬ、獲物が逃げても追い殺すという圧倒的な自信。ああ、これだから山というのはやめられん。

「ゼノベア、か」

 岩場の影からゆっくりと、毛皮に包まれた巨大な体躯が現れる。
 巨大とは言っても、エルフや人間など人型の生物から見た言葉ではあるが、それでも3マートルに届こうかというその体躯は見事なものだ。
 ……いや、大きさは大した問題でもない。特筆すべきはその密度。
 ギッチギチの限界まで砂鉄を詰め込んだ袋の様な、はちきれそうに膨らむあの筋肉。
 少し力を入れれば弾けそうなそれに力が加えられ、膨張する。
 熊の類に入る獣ゼノベア。闘争心が強く、食欲も旺盛。しかし何よりも脅威として人が恐れるのは、その凶悪な躯だ。

 先述の通りの巨大さに余すところ無く搭載された筋肉は魔力を纏った戦士の体をも容易に引きちぎる。
 また高密度の筋肉とあわせた針金の如き体毛は、両手剣の様な重量を持つ刃物でさえ苦もなく弾き返す曲者だ。
 更に基本的には個体数が少ない代わりに何処にでも住まうこの猛獣は、稀に人里に降りることもある。
 そうなった場合は大変だ。旺盛な食欲で作物も人も構わずに食らう獰猛な獣──発見された時には既に出ている被害を「食い止める」ため自警団や冒険者組合、時には王国の兵隊が派遣されての大捕り物が行われる。
 ──まさか、こんな場所でこれほどの大物に会えるとは。

 地の底から鳴り響くような呻きをあげ、ゼノベアが四足でゆっくりと歩み寄る。
 山の生態系の長という自負を感じさせるその歩みに、私は口角を笑みに染める。

 心の臓から湯気が出るかのような感覚。私は普段抑えている魔力を解放した。
 それに加えてとった構えはいつもとは違い、手を閉じて腰をより深く落とした、打撃に重きを置いた構えである。
 幸運を感謝しよう。これほどの大物、そうは食う機会が無い。

 ──いざ。物言わぬ獣に通じぬ言葉を、殺意を込める事で伝える。
 殺意という尤も原始的な戦意。猛獣ゆえにそれには敏感であったか、ゼノベアは地面を踏み砕きながら跳びかかった。
 巨大な体躯ながら視認を困難にする速度を纏い、空を切って突進するゼノベア。

 しかし、余りにも正直がすぎる。
 獣ゆえに小手先を知らぬ「真っ直ぐ」。これが野生同士の戦いであれば、速度にて他の全ての要素を有耶無耶に出来たであろうが──
 こちとら、力を超える為に編み出された「武」を研鑽した武術家だぜ。
 分かりやすいまでに純粋な暴力。それを相手に後手を取るわけにゃいかんなあ。

 しっかりと目に映るゼノベアの身体。砲弾と化したそれに対し、手刀を薙ぐ。
 狙うはその瞳。だが、私がこの部位を選んだのは決して「柔らかい」からではない。

 単純に、視界を奪いたかっただけだ。
 すれ違うようにして砲弾の射線から身体を逃がしつつ、私の手刀はゼノベアの二つの瞳を、横一文字に切り裂いた。
 武術家の鍛えた手刀というのは、刃と同じ用途を持つ。それが強大な魔力を操る達人のものであれば、名剣にも並ぼう。

 結果として、この世の終わりをあらわすかの様な絶叫が、山中に響いた。
 死肉でも狙っていたか、近くに居た鳥達が一斉に羽ばたき、獣達が遠ざかる。
 たったの数秒で私とゼノベアしか居なくなり、辺りには痛みで怒りに染まった猛獣の叫びのみが木霊していた。

 目を潰せば、猛獣なんて物言わぬ木偶と同じ。
 もう少し楽しんでも良かったか、などと嗜虐的にも取れることを想いながら、のたうち回るゼノベアを一瞥する。

 ──動物相手に拳を振るう。前世、若い頃にはよくした馬鹿だが……なんとまあ簡素な一合。
 絶対の捕食者というのは、至上の暴力を振るうが故に、やはり慢心が生まれるのか。読みも「見」もせぬ故に、その力を除けば下位の獣に劣るであろう「山の王者」に、溜息を吐く。

「……楽にしてやるか」

 これならここ数日で戦った下位の魔物達の「野性」の方がまだ美味であったと嘆息しながら、私は暴れる熊に一歩近づいた。
 暴れる熊の適当な足掻きを避けながら、間合いに潜り込んだ私は掌底を天に向ける。
 角度をつけた掌をまた元の角度に戻しながら、魔力を込めた掌底を打ち込む。
 紙でできた風船に、急に空気を押し込むか如くだ。攻撃の指向を持たされた魔力は熊の身体に一瞬で満ちて、内部から破裂した。

 生き物の命を絶つが為に「勁」を打ち込むことは久しぶりだが──案外、感慨の湧かぬものよ。
 口や潰れた目、耳や排泄器官から一斉に吹き出した血を避けるように後ろへ飛びのいた私は、もう一度溜息を吐いた。
 無為な殺生であったかも知れぬ。これならば自分自身と戦っていた方がまだ有意義であったか。
 とはいえ殺意を持って挑まれた以上、法に縛られた人相手ならばまだしも、畜生を生かしておくつもりも無い。

「仕方が無い、か」

 私は物言わぬ屍と化した熊へと近づき、その襟首に手をかけて引きずり始める。
 害獣とは言え、奪った命だ。何らかの形にしてやらねば報われぬと、あの世の師匠に怒られてしまうというもの。
 これだけ大きいと少し時間が掛かるな……明後日辺り、またアカデミーを「抜け出す」必要があるか。

 最近ではめっきり獣に挑まれる機会も減ったゆえ、久方ぶりの来客を喜ばしくは想ったものの……
 かえって面倒な事になってしまったな。
 千キュロを超えた体躯を滝の方へと引きずりながら、私は皮をなめす準備を始めるのであった。
 ……まあ体力を使う仕事ではあるか。少しくらいは身体作りの一端を担えるだろう。
 肉の方は、その辺りの動物が勝手に食うだろう。
 今日の修行が出来なくなった事を嘆きつつ、滝に着いた私は手に魔力を纏わせ、熊の解体を始めるのであった。

 ……どうでもよいと思っていたが、エルフの美意識が高くて、本当に良かったとこの時ばかりは思う。
 持ってきたカバンから、消臭剤を取り出す。元は汗臭さをごまかすために購入したものだが、この消臭剤はこう言った血の臭いをも消し去ることを、私は知っていた。
 数週前に同じような事をしたが、その時は会う人間悉くに臭いと鼻を摘まれたからな……いや、ものは試してみることだ。
 因みに消臭剤や修行に使う道具の購入費だが、収入が無い身の私は、こうして倒した魔物の皮や爪などを売ることで稼いでいる。
 街で猛獣の皮を売ったのは怪しまれなかっただろうか、等と考えつつ──私の一日は過ぎていった。

 獣を相手取るというのは若い頃、武芸者の間で流行ったが、やれやれ。今思うと無為な殺生を重ねているだけだったな。
 それを考えると前世は多くの時間を無駄にしたものだ。今生こそはよりよく武に励もう。そう思う私であった。
 しかし──このレベルの魔物ですら身に入らぬとは。つくづく人を打ちたいと思ってしまうのは困ったものだ。
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