=====
以下の文章は、あくまで自分の知識に基づく一考察です。長文で申し訳ないですが、こんな考えもあるって話で読んでいただければ。なお、実際のゲーム名が批判的な文章と一緒に出てくるように読めるところもあるでしょうが、あくまで考察上のサンプルであって、揶揄中傷の意図は全くありません。そう読めるとしたら、それは自分の文章力の無さゆえなので、お叱りは甘んじて受けます。
=====
で、本文。
事の発端は、とあるアナログゲーム関連の講演会で、「日本人はなぜゲームにあそこまで真剣になるんだろうか?」って話から。確かに、アナログゲームの世界では、日本人はどのゲームでもたいてい上位(種目によっては世界トップ)に進出しています。モノポリーもラミーキューブもカタンもマジックもですね。で、そこからの流れで出た話題が、「日本人は、ゲームに負けることが不得手なんじゃないだろうか?」という話。それが今回の話題の中心になります。
いきなりちょっと脇に逸れ気味ですがデジタルゲームの話。日本のコンピューターRPGは、口の悪い人に言わせれば「盲導犬RPG」とか「電脳紙芝居」なんて呼ばれる方をされます。話を順番に追ってレベルを上げていけば、勝手に謎が解けて、勝手にストーリーが進展するということです。みんな仲良くエンディングにまで行き着く道理ですね。一方海外なんかだと、ハードな謎解きで有名なMight & Magicシリーズなんかが大幅に受け入れられてきたりしました。解けることを前提としていないであろうRogueやNethackのようなゲームすら、日本人の手にかかればいつかは解けるトルネコやシレンになります。
これはなぜなんでしょう?
道徳概念やら何やらの話で、“罪”と“恥”の文化、って話を聞いたことがある人もいるかと思います。説明すると、欧米人が道徳的に何かをすることをタブーとする場合、それは「宗教的に“罪”」であるからしない、というのが基準になります。「そんなことをすると、死後地獄に落ちるぞ」ってことですね。だから、アメリカあたりでは失敗をおそれずチャレンジすることが褒め称えられます。失敗は“罪”ではないからです。
一方日本人は、元々八百万の神様の国で宗教観念が薄いこともあり、あることがタブーであることの基準が「社会的に“恥”」であるからしない、に変わります。「そんなことをすると、世間様に顔向けできないぞ」ってことです。それゆえ、日本人は失敗することを恐れます。失敗するのは世間に対する“恥”だからです。
これをゲームに当てはめてみましょう。すると、「ゲームに負けることは“罪”ではないが“恥”である」という話が導かれます。
欧米人にとってのゲームは、勝利や目標をツールに使って、ゲームの過程を楽しむことが基準になります。ゲームに負けることは“罪”ではないので、負けて悔しくても“Good game.”でたたえ合う、いわゆるグッドルーザー的な考えが出てくるわけです。
一方で日本人は、ゲームの過程をツールに使って、勝利や目標を目指すのが基準になります。考え方が真逆なんです。なぜなら、ゲームに負けることはみっともない、“恥”に該当するから行為であるから。勝利そのものが価値観であり、勝利を楽しむという基準があるために、その逆である敗北を楽しめない、受け入れられない文化ができちゃってるのではないかと考えるわけです。RPGなら、ゲームの正解にたどり着けない(=ゲームシステムに負ける)ことを受け入れられないって話になるんですね。
TCGの世界で、入門用構築済みデッキ、という商材があります。しかし、日本のTCGでのその商品の中身は、トーナメントで勝利するための必須パーツ寄せ集め集だったりすることがほとんどです。なぜか。その商品を買う人にとっては、そのゲームを覚えて楽しもうとするために、トーナメントにおける勝利が必要だからです。トーナメントで勝てないカードしか入っていない商品は、たとえ入門用としても売れません。勝てないからです。プレイヤー側にもそんな商品を小ばかにする空気があります。「あんなクズカードばっかりのデッキ、誰が買うの?」ってせりふ、聞いたことありませんか? ゲームのルールを覚えるためにお金を払うって感覚じゃないんですね。トーナメントで勝つためじゃなけりゃお金を払わない。おかしな話です。
これは、TCGのシステムそのものにも言える話です。今日本でウケているシステムの多くは、それなりに運の要素の高いゲームです。その理由は、初心者でも上級者に勝つことが可能だから。どんなに腕の差で負けていても、資産差で負けていても、特定のカードを引けば勝てるゲームであればそれでいいのです。某掲示板で「初心者はゲームを楽しみたいなんて思っていない。覚えてすぐゲームに連戦連勝できて『すげー天才だよこいつ』と言われたいだけ」なんて話があったりもしましたが、正直、名言だと思います。掲示板に良くある「○○デッキを組むためのパーツを教えてください」なんてのもこの類。勝利のために、自分でデッキを組む楽しみを放棄しちゃってるんですね。
その流れで、逆に思考レベルの高いゲームは、日本ではどんなに栄華を極めても入門者が途絶えて衰退してしまいます。Dimension 0なんかは典型かと思います。あれはゲームシステムが良すぎて初心者が全く勝てずに逃げた良い例でしょう。D-0はパーツがあっても、デッキの回し方やゲームの基礎概念を理解するまで全く勝てないですからね。
日本にカジュアルゲーマーが育たない理由は、この勝敗でしか楽しめないという国民感覚が多分に影響しているように思います。でも、カジュアル層の育たないゲームは衰退するだけです。比較対象にアーケードの格ゲーを持ってくる話をよく聞きますが、あながち間違ってはいないように思います。今の格ゲーはマニアだけのためのものですね。
で、日本のTCGではそのカジュアル層を確保するためにどうしてるかというと、例えば遊戯王やデュエルマスターズのようにTVや雑誌で大々的なプロモーションを行ってその話題の行えるコミュニティを拡大させたり、リセやヴァイスシュバルツのように人気アニメやゲームのキャラを大々的に採用して、そのキャラのファン層をそのままカジュアル層にするのを狙ったゲームを作ったり(システム的にそのキャラである必然性のないゲームがほとんど)するのがメインです。心当たりあるでしょう?
でも、そんなお仕着せカジュアル層ばかりでは、ゲームは長続きしませんよ、やっぱり。それはメーカーの体力に依存しているから、ユーザー側から守れるものが減ってしまうばかりなのです。マジックがかつてコロコロのバックアップがあったときにドンとユーザーが増えて、無くなったらそのまま同じだけ減ってしまった、なんてこともあったでしょう。メーカーの方針に踊らされた例なんじゃないでしょうか。
自分は、かなりカジュアル寄りのプレイヤーであり、イベント主催者です。かつて蕃茄杯のトーナメントを立ち上げたときも、ガチトーナメントに対するアンチテーゼ的なものが多々あったりしたわけですし。負けてもなお楽しめるトーナメントを目指したら、こんな形になりました、ってとこです。現在そんなトーナメントをもっと開けないのはちと歯がゆいですね。
そんなわけで結論。自分としては、もう少し日本のプレイヤーが、ゲームの過程自身を楽しめる、敗北を受け入れる感覚を持ってくれればなーと思います。ゲームは面白いです。頭を使って、引いたカードやダイスの目に一喜一憂するのが楽しいんです。たとえ、負けても。
長文読了感謝です。ご意見ご感想はコメまで。みなさんの思うところががぜひ聞きたいです。
悩ましいなー。というのは、
>ゲームの過程自身を楽しめる、敗北を受け入れる感覚を持ってくれればなー
ココの部分は、考え方の根底にあるものなので、外から影響して変えるのが難しいですねー。
これこそ仰っているように、
>「盲導犬RPG」とか「電脳紙芝居」
をやってない人間は、日本人に皆無に近いですし、染み付いていると言えそうだなと思いました。
なんか、いい方法ないかしら・・・
例えば、私はD-0プレイヤーなので、D-0の人に対して「負けてもいいんだよー」「覚えて技術を上げる事自体が楽しいんじゃないか?」と発信する事が出来ます。
ただ、
>初心者が全く勝てずに逃げた
外から入ってくる人に伝えるのは難しいんですよねー。こればかりはどうしようもない。
とりとめないですが、
・話の趣旨には納得しました
・解決手段がちと思いつかない
そんな感じでした。
格ゲーで言えば、開始30秒で何もさせてもらえず負けましたというような過程を楽しめる人がいるとは正直思えず。そんな経験ばかりで敗北を受け入れる感覚をつかめるでしょうか。普通の人だったら匙を投げるのでは。
カジュアル層とガチ層というものがあるとして、ガチ層とカジュアル層が対戦した時はうまく手加減してやる事も大事なんじゃないかと。五回やって三回勝つぐらいの気分で。
入ってくる人に何かを求めるより、問題意識を持った人が、それに応じた対応をする方がスマートだと思うんですが、いかがなもんでしょうか。
全国大会問題外ランクの自分がその辺の大会に出る時ですら、DCIランキングとか賞品パックとか、マジックの場合には「勝ち」を意識せざるを得ない構造がありますからね…。
新しいパック代とか参加費の元を取るという発想にもなりがち。貧乏性ですが。
加えてスタンダードのトーナメントは、勝ちに行かないで楽しむのは難しいです。ファンデッキでは本当に何もできないで終わるのが普通なので…。といって自分はコピーデッキでは出たくもないし。
自分がリミテッド中心なのはそれが主因なのですが。
ボドゲの場合には、1回買った代物で基本いつまでも遊べるので、メーカーが収益を上げられるかを心配してしまいそうな位に(笑)ユーザーは金がかからないので、勝敗度外視でも楽しめるんですけどね。
もっともボドゲの会でも、初心者を交えてのインスト込みプレイでガチに勝ちにいく人に辟易させられることもあるので、やっぱり性向の差もあるかなぁとも。
ただ、そんな中でもEDHが流行っているのは、いい傾向かな?とは思います。
ただ、結論に関しては考えが違いました。
所謂「日本人の国民性」が悪いとは思わないからです。
「職人」がいるからこそ、アナログゲームに留まらず、様々な分野で日本人が活躍しています。日本の町工場でスペースシャトルの部品を作ってる、なんて話しも良く聞きますよね。そういうのは、日本人の国民性から来ている部分が大きいはずですから。
ですから国民性は変える必要無いと思いますし、そもそも変えられるものでは無いと思います。
私は、負けるのが苦手な日本人はしょうがないし変えられない、その日本人のカジュアル層をどう増やしていくか、だと思います。
「無理だ」と言われそうな気もしますけど。
あとは目的を達成する楽しみを教える。
(あるコンボを決める とか)
目的の為にどうするかを考えることは、パズル的であり、楽しいことだと思う。
みたいな感もあるけれど
指導者かな・・・
囲碁なんて典型よねぇ。
勝つことでしか楽しめないのは、
勝つことでしか楽しめない初心者、もしくは勝つことが目的のトーナメントでしかゲームをやっていない。と私は考える。
マンガでいっきに増えたものの、そのままごっそりいなくなったのは
そのせいじゃないかなぁ。
私が、非電源ゲームにハマッたのは
SAMOAで
勝つことが目的のゲーマーではなく、
楽しむことが目的のゲーマー達に出逢えたからだと思う。
蕃茄杯、やるならいつでも手伝うよーん。
しかも運要素の高いTCGに先に馴らされてしまうと自分がプレイヤーになれる錯覚に陥ってしまって、思考レベルの高いTCGにも同じスタンスで関わってしまうため順応できなくなってしまうのではないか、と考えています。
観客、気楽で楽しいんですけど、観客を増やす施策は手間がかかりますんでねぇ:p
ゲームに対する日本人の感覚の話は全く持って的を得ている、と思います。
『電脳紙芝居』の類ですらゲームと同時に攻略本買ったり攻略サイト見ながらプレイしてる奴とか多いらしいですからねぇ・・・
ただ、日本人でも過程を楽しむようになることは可能ではある、と思います。
問題は、そこに到達するには、周りに”育てる”人が居ないと駄目だという事。
そしてそれが一番最近のTCG環境で足りないものなんじゃないかなぁ、と。
こう言っちゃ何ですが、特に賞金トーナメントの存在するゲームではその傾向が強いようなイメージが。周りはみんな敵、っていう。
簡潔にまとめると、どなたか言ってた気がするけど、”指導者”に尽きると思う。
あと、”そういう場所を提供する”ってのも大事かも。
そう考えるとカジュアルプレイヤーを増やすためにまず『勝利ありき』の考えを改めないといけないのは、メインストリームの方々な気がしてきた。
・・・簡潔にと言いつつまったくまとまらない文章になったけど、捨てるのも勿体無い気がするのでこのまま投稿失礼します(^^;
p.s.Kさんの”観客”の話を聞いてて、某所の『ギャラリーがロン』等の珍事件が発生する麻雀を思い出した(笑)
日本人に限らず、東アジアの人間(中国人、韓国人、日本人)はこの傾向が強いように感じられます。
文化的特性があるのでしょうか。
農耕民族だから?
ギャンブル好きだから?
お米を主食の民族だから?(<−無関係
掘り下げていくと面白い分析が出てきそうですね。
ゲームつながりで、横道にそれることを承知で書かせていただければ、日本人にFPSがはやらない理由も同じ理由でしょうか。
これも勝ち負けがはっきりして、途中の過程を楽しめる要素が少ない。私は銃器に対する抵抗感が、ためらわせると思っていました。
あ、私はドンパチ好きなので、FPS大好きですよ。
ドMですから、負けても悔しくないし(それ違
ボコボコにされるのはストレスだし、勉強するのはかったるいし。
簡単に「俺ツエー」出来るゲームは他にいくらでもある訳で、それなのにあえて下準備が必要なゲームを選ぶ人は少なくて当然。
けどこれは啓蒙して意識改革出来るような問題でも無いし、そう言った感覚を受け入れた上でどうにかするより他無いんだろう。
となると現実的には「常に自分と同じ強さのプレイヤーと戦えるシステム」の構築しか解決策は無さそうだけど、そんなの作れるんかなぁ。
自分はMTGをやってだいぶ経ちますが、国内でプレイしてる限り、
確かに、敗北を受け入れられない雰囲気はあると思います。
そうなると、対戦相手に対する配慮も薄くなりますし、勿体無いなあと思うこともあります。
プロツアー行くと、握手に始まり握手に終わりますし。
TCGを競技として捉えるか、互いに楽しむためのゲームとして捉えるかの
違いと思っています。
勝ちにストイックな連中が負けると、悔しがったり不機嫌になる気持ちもわかりますが、
カジュアルゲーマーと一緒に楽しめる遊び心もあったほうが良いと思います。
競技とゲームのスイッチを切り替えるのは難しいと思いますが、
何とか身に着けてほしいものですね(自分も含めて)。
他のスポーツと同様に、カジュアル層はプロの試合を見て盛り上がり、
プロはカジュアル層にファンサービスをする、という構図が個人的な理想です。
そうすれば、キャラに頼る必要もなくなるでしょうし。
まだまだ時間はかかりそうですが、MTGについては良い方向に向かっていると思います。
今後とも、ジャッジ&主催よろしくお願いします^^
自分で、こんなの楽しいだろうなとデッキを作り、初めていく店でガチデッキに勝ってしまったとき……。負けた本人は目も合わせてくれず、次に私に当たる相手に、デッキ内容をリーク。しょっぱなから、本来ならノーマークのカードを除去られた時は悲しかった。
自分場合、めげずにその店に通いどうにか常連たちに認められたからいいものの、ほとんどの初心者は2度と大会に参加する気にならないだろうな。
賞品、賞金、レイティングが付きまとうゲームではカジュアルプレイヤーは増えないだろうな…。とくにアジア圏は……。
そんなひげは今じゃ子供と楽しく、ポケモン、デュエマや遊戯王をおもちゃ屋の店先で楽しんでおります。
人口が多いことが逆に初心者同士の対戦を可能にする土壌を作っていて、それが人口を増やすというように良い具合に回転してるってことでしょうか。
でも、MTGはコロコロ云々で一端人口が増えたのにうまく普及の軌道に乗らずに急激に人口が減りましたよね?
やっぱりよくわかりませんね。
恥の概念というより、日本人が自覚していない文化根本として「自分に対しても他人に対しても、失敗に対して極めて不寛容であり、失敗者は汚らわしい存在として貶めて構わない」という概念があることの方が重要ではないかと思います。
テーブルゲームは、失敗体験を極めてローリスクで積めるツールとしていいと考えてるのですが……
勝たないと恥とはとてもあっていると思います。引き分けすら恥扱いの記憶があります。
コスプレもその風潮があります。完璧コスじゃないと叩かれる。有名サイトに載ったとかじゃなくて、フツーに同人誌即売会でのコスとかでウォッチされます。別にMTGみたいにレーティングとかないのに。
私は、やってて楽しいので、MTGもコスプレもします。勝たなきゃ恥と思うのはいいけど、
押し付けないで欲しいですね。
そういう紳士淑女な気持ちの人が増えるといいなあと思います。
勝っても負けても、
「まだお時間大丈夫ですか?良かったらもう1戦いいですか?」
こんな会話してみたいなあ。
勝ち負け以前に過程を楽しめるようになって欲しいというのはよくわかります。
ただ、過程を楽しむより以前で、つまりルールや世界観さえ楽しむ以前に、そもそも入り口、いや受付でドロップアウトしてしまった場合は問題外でしょうか…?
遊戯王なんかはバトルエンピツみたいに楽しんでいる人が多いんですよね。
勝ち負けを競って思考するのが楽しいんじゃなくて、いろいろなモンスターがいろいろな技を使ったり進化や合体をしたりしながら戦っている姿を想像するのが楽しい。
だから、勝ち負けは運で決まってしまって構わないし、むしろそちらの方が気楽に楽しめるから都合よかったりするんです。
人生ゲームなんかも勝敗を競って思考するのが楽しんじゃなくて、子ども産んだり家買ったりというイベントを楽しんでるわけですよね。電脳紙芝居RPGにも通じる話ですけど、日本人はゲーム中に起こる出来事やストーリーを楽しんで重視している人が多いんだと思います。
だから、M10でファンタジーの雰囲気を大事にするって方向性は結構いいかもと思ってみたり。なんか売れてるって話がちらほら聞かれたりもしてますね。
それとも遊戯厨の何か?