水素の輝線スペクトル

 電離あるいは励起された原子から放射される光は原子内の電子のエネルギー準位が量子化されているため、ある特定の波長だけに限られている。このような光はプリズムで分光すると離散的ないくつかの光の線となる。この光の線を輝線といい、輝線からなるスペクトルを輝線スペクトルという。

 水素原子のスペクトルを見ると、様々な輝線が観測される。この輝線は、それぞれ電子のエネルギー準位間の遷移に相当する。水素原子の最もシンプルなモデルは、ニールス・ボーアによって与えられる。電子が高いエネルギー状態から低いエネルギー状態へ遷移する場合、特定の波長を持つ光(フォトン)が放出される。

 スペクトル線は軌道(n)の値によってそれぞれの系列にグループ分けされる。スペクトル線は系列の最大波長/最低周波数から、ギリシャ体を用いて命名されていく。例えば、n=2 → 1のスペクトル線は「ライマン-アルファ(Ly-α)」、n=7 → 3 のスペクトル線は「パッシェン-デルタ」(Pa-δ)である。

 ところが、これらにあてはまらない微細な輝線スペクトルが存在する。例えば21cmのスペクトル線など、いくつかの水素のスペクトル線はこれらの系列に含まれない。これらは微細構造・超微細構造などとよぶ。



 微細構造・超微細構造

 微細構造(fine structure)とは、原子物理学においては、原子のスペクトル線に現れる微細な分裂(splitting)を指す。一般にスピン軌道相互作用によって説明され、原子のエネルギー準位に対する一次の相対論的補正を考えることで自然に導入される。

 原子が放射するスペクトル線の微細構造よりもさらに細かい分岐構造である超微細構造(Hyperfine structure)が観察される。原子核のもつ磁気二重極モーメントや電気四重極モーメントと、原子核の位置に軌道電子によってつくられた電磁場との相互作用がその原因である。

 軌道角運動量がゼロのs殻電子についても、電子にスピンがあるため、超微細分裂が起こる。ここで、電子の確率密度は核の内部 (r=0) でもゼロにならないため、磁気双極子相互作用はより強い。

 超微細構造は1881年に既にアルバート・マイケルソンにより光学的に観測されていた。しかし、説明は1920年代の量子力学に依らなければできなかった。1924年にヴォルフガング・パウリは核磁気モーメントを理論的に提案した。

 1935年に M. Schiiler と T. Schmidt はhyperfine structure anomalyを説明するために核四重極モーメントを提案した。


 ラムシフトの発見

 ラムシフト (Lamb shift) は、原子中の電子のエネルギー準位がずれる現象。W.E.ラムとR.レザフォードは極超短波の吸収を使って水素原子の微細構造準位を精密に測定し、現在、ラム・シフトと呼ばれている量子電磁力学の重要な効果を発見した(ラム=レザフォードの実験)。

 1947年、ウィリス・ラムとポリカプ・クッシュが、超短波による核磁気共鳴実験から、水素原子の2s軌道、2p軌道の電子のエネルギー準位に、ごく僅かに差があることを発見した。

 ラムシフトは、ディラックの電子論では説明できなかった(2s、2pは縮退している)が、朝永振一郎、リチャード・P・ファインマン、ジュリアン・シュウィンガー等により、電子に対し、電磁気的な高次の摂動による補正を施すことにより、このエネルギー準位のずれを説明出来るようになった。 現在、水素原子のほかヘリウム原子で確認されている。


 ウィリス・ラム

 1955年のノーベル物理学賞受賞者。受賞理由は「水素スペクトルの微細構造に関する研究」である。

 ウィリス・ユージーン・ラム(Willis Eugene Lamb Jr., 1913年7月12日~2008年5月15日)は、水素スペクトルの微細構造に関する研究により1955年度のノーベル物理学賞を受賞した物理学者である。ラムとポリカプ・クッシュは、ラムシフトと呼ばれる、特定の電子の電磁気的性質を正確に定義することに成功した。ラムはアリゾナ大学の教授を務めていた。

 ラムはカリフォルニア州ロサンゼルスで生まれた。1930年に大学に入学し、1934年にカリフォルニア大学バークレー校で化学の学士号を、ジュリアス・ロバート・オッペンハイマーの指導を受け、1938年に物理学の博士号を取得した。1956年から1962年にかけてはオックスフォード大学で教授を務め、イェール大学、コロンビア大学、スタンフォード大学でも教えていた。

 1947年にロバート・レザフォードとともに、超短波による核磁気共鳴法を用いて、水素原子のスペクトル微細構造2S-2p遷移を観測し、非相対論的量子力学においても、ポールディラックの相対論的電子論の双方において、両準位に現れないエネルギー差を求め、ラムシフトとして発表した。

 このエネルギー差は量子電磁力学においては電磁場に量子的なゆらぎが生じそれに伴い電子の位置がゆらぎ、生じた電気的な位置エネルギーの変化によって電子間のエネルギー準位にずれが生じる。この実験結果は、後に朝永・シュウィンガーのくりこみ理論(1965ノーベル物理学賞)による計算結果によって確認された。

 ラムは原子および原子核の構造、マイクロウエーブによる電波分光学、水素の微細構造、マグネトロン、オッシレーターなどを研究。そして、電子と放射場との相互作用によって、生ずるエネルギー準位のわずかなずれ(ラム・シフト)の測定に成功。朝永振一郎、J.S.シュウィンガーのくりこみ理論に実験的根拠の一つを与えた。この業績により1955年ノーベル物理学賞を受賞した。


 ポリカプ・クッシュ

 1955年のノーベル物理学賞受賞者である。受賞理由は「電子のスペクトルの微細構造の発見」

 ポリカプ・クッシュ(Polykarp Kusch、1911年1月26日~1993年3月20日)はアメリカ合衆国の物理学者。1955年に電子の磁気モーメントに関する研究の功績でノーベル物理学賞を受賞した。

 ドイツのブランケンブルク(英語版)に生まれ、1912年に家族とともにアメリカに移住した。ケース工科大学、イリノイ大学で学んだ。マイクロ波の技術を用いて、ナトリウム、ガリウム、インジウムの磁気共鳴法の実験を行い、電子の磁気能率の直接的な精密測定を行った。

 電子と原子核はスピンを持つので、磁気能率をもち電子のスペクトルは微細構造をもつことになり、微細構造が量子力学の理論から計算される値と一致するかどうかは量子力学の理論の正しさを検証するのに重要な役割をもった。1944年にはベル研究所の研究員、1949年からコロンビア大学の教授となり、1955年ラムとノーベル物理賞を受賞した。

 1972年からテキサス大学ダラス校の教授をつとめ、1982より同大学名誉教授となった。

 クッシュは原子物理学・原子核物理学を専攻する研究者であった。1948年、W.E.ラムとともに電子の磁気二重モーメントの精密測定を行い。場の量子論の基礎を与えた。磁気モーメントとは、磁石、円電流、磁場中を運動する荷電粒子などに及ぼされるトルクと磁場の関係である。

 例えば、磁石をある強さの磁場中におく。磁石はその磁場によりトルクを受ける。このトルクは磁石の軸が磁場に垂直なとき最大となる。この位置でのトルクと磁場の強さとの比を磁石の磁気モーメントとよぶ。

 荷電粒子がスピンを持つとき、粒子が回転し電流が流れる。スピンは磁気モーメントを持つ小さい円電流に相当する。

 磁束密度が均一な磁場中に置かれた棒磁石について考えたとき、トルクは棒磁石の軸を磁力線と平行に向かせようと働く。ここで得られる比例定数は磁石によって異なることから、磁石によって依存した量であることがわかる。そしてこれを磁石の二重モーメントとよぶ。

 電子のスピン、それに伴う磁気二重モーメントは1925年にG.E.ウレナンベ、S.ゴドミットによって提唱されている。クッシュらはその精密測定に成功したわけだ。この業績により1955年のノーベル物理学賞を贈られた。


参考 Wikipedia: 超微細構造 ラム・シフト ポリカプ・クッシュ ウイリアム・ラス


スペクトル解析
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