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武に身を捧げて百と余年。エルフでやり直す武者修行 作者:赤石 赫々

第一章

第三話:シジマ流の伝道者

「あー! アルマさまだー!
 本物? ねえ本物!?」
「ふふ、元気のいい子だ。
 ああ、本物だよ。もっとも、私なんかの偽物がいるかはわからないけどね」

 エルフの間では知らぬ者がいない、伝説の武術家に、セリアが飛びついていく。
 ともすれば十二歳の少女が相手とはいえ、全力のぶちかましとなるそれを、アルマは苦も無く受け止める。

 父が我が子にするように、豪快に、されど優しく少女を振り回すアルマ。
 めまぐるしく動く視界に、セリアも楽しそうに叫びをあげている。

 少しの間そんな戯れを続け、やがてアルマはセリアを丁寧に地面に着地させる。
 セリアは少しだけ名残惜しそうだったが、それでも嬉しそうにしっかりと地面を踏みしめた。
 ……アルマは前世の私の前では常に敬語だったが……目の前の「アルマ=シジマ」は、凛とした強い口調を操っていた。
 私が死んでからこうなったのか、それとも私の前以外ではこうだったのか……そんなどうでもいいことを考える私の頭は、間違いなく混乱していた。

「さて、少し聞きたいんだけど──その前に、君の名前は?」
「私セリア! アルマさまはどうしてここにいるのー?」
「そうか、セリアと言うのか、いい名前だな。
 なに、少しこの学校に用があってね──ん? もう一人いたのか」

 セリアと微笑ましく話していたアルマが、私の存在に気付く。
 身を屈め、私の顔を覗き込むアルマ。私が一番か二番に見慣れている瞳と目が合うことで、妙な気持ちが私に満ちていた。
 彼女を遺して死んだ気まずさとか、あれだけ色々言っておいて結局生きている──と言っていいのかはわからぬが、とにかく罪悪感のようなものだとか──
 今、私の頭の中は理由のない使命感が支配していた。

 我が娘だけには正体を明かしてはならぬ。
 自分で言うのもなんだが、スラヴァ=シジマに心酔していた彼女のことだ。エルフの少年となった私をまさか本人とは思わぬだろうが……何気ない仕草から気付くやもしれぬ。

 元々、スラヴァ=シジマが死んだのは事実。死者は決して生き返らぬ。
 確かに私の心はスラヴァ=シジマのものだが、今の私はスラヴァ=マーシャルだ。
 で、あるならば今の私はスラヴァ=シジマでもスラヴァ=マーシャルでもないただの武芸家を志す少年という事になる。
 ──三十年も経ったのだ、スラヴァ=シジマはとうに故人である。それは変わらぬ事実で、娘も納得している事だろう。
 正体を明かすと言う選択肢は無かった。何せ私自身が信じられなかったほどの奇縁だ、悪戯に今の世をかき回す事は避けたい。

 ……などとは言うが、本音を言えば、前世の縁は今の私に不要と言ったところか。
 確かにアルマには正体を明かしてやりたい気持ちもあるが、晩年の私は当代最強の武術家などと呼ばれており、面倒な縁がいくらでもあったのだ。
 武術の大会が開かれれば招かれ、勝ちを重ねれば記者が訪れ、未熟な者に挑まれ──正直、晩年は思うように修行の時間をとる事も出来ずに、大分辟易していたように思う。
 ならばアルマにだけ正体を明かせば──と思うかもしれぬが、この子は間違いなく私を祭り上げる。いくらこの子が私を尊敬していたとは言え、多分、それは私の意志とは関係ないだろう。
 晩年のアルマは、どうにかして私の名を表舞台に広めようとしていたからな……せっかく手に入れた身軽な体、今失うのは惜しい。

 しかし、いつ訪れるかは分からぬ話だが──武の頂に手がかかる頃には、彼女に正体を明かしても良いかも知れぬ。
 眼前の愛娘に身を明かしてやりたい気持ちを抑え、私は正体を隠す意思を固める。
 勝手な父を許せアルマ。
 やり直してまで得た時間だ。私は今生こそ、最強と言う幽玄に辿り着かねばならぬ。

 そうと決まれば、是が非でもぼろが出ないようにせねば。
 アルマもまさか私の様な少年を我が父とは思わぬとは思うが──用心に越した事はない。

「む、ええと……初めまして?」

 なので、敢えて自分に意識させるよう「初めまして」という言葉を使う。
 流石のアルマとはいえ、ヒントなしでは夢にも思わなんだろう、アルマは私に微笑みを掛ける。

「ああ、初めまして。セリアのお友達かな?
 名前はなんていうんだい?」

 それでも、私にとって一番困る質問が来るのは避けられぬのだが。
 私の名前は前世の私と同じもの──というか、前世の私から「拝借」して付けられた名なのだ。
 多分アルマにその名前を言えば、苦い記憶を想起させるだろう。いや、それとも師の名が三十年後の今でも残っている事を嬉しく思うだろうか。
 どの道、あまり私を連想させることはしたくない。出来れば偽名の一つでも用意したい所ではあるが──セリアが居るためそれも叶わぬ。

「スラヴァ=マーシャルと言います。
 両親からはアルマ──様のお師匠様から貰った名だと聞いております」

 故に、悩む素振りもなく打ち明ける。
 私の存在を隠すと決めた時から、名前を聞かれたら素直に答えよう、と決めていた。
 娘の名前に様を付けると言うのはやはり凄い違和感で、思わずそのまま呼びそうになってしまったが──なんとか堪えたのは不幸中の幸いだ。

「……そうか、師匠(せんせい)の名から──」

 さて娘はどう思うか。そんな私の疑問は、悪い方の予測が当たってしまったようだ。
 凛とした笑みに僅かな影を落とし、アルマは俯いた。その目には、僅かな涙が湛えられている。
 ……三十年も経つと言うに、まだ悲しみを捨てられぬか。長く感じるその三十年という期間も、エルフにとっては長い時ではないので無理もない。私は師匠が逝った時、どれくらいの時間を悲しんで過ごしたか──スラヴァ=シジマは彼女の父親同然の存在だったため、単純には比べれぬが、それでもアルマが悲しみを乗り越えるには三十年では少し足りぬらしい。
 流石に娘の涙を見ては、今すぐにでも私の正体を打ち明けてやりたいという気持ちも生まれるが──どの道信じるかも分からぬ。そう言い訳をし、私はアルマの言を待った。

「良い名前だ。その名前は、史上最も強く、最も偉大な武術家の名前だ。
 名前に見合う、立派な男の子になるんだぞ?」
「は、はい……」

 涙を拭ったアルマは、もう元の調子に戻っていた。
 ……我が娘ながら強い子よ。
 武の頂に辿り着くまで、私は歩みを止めるわけにはいかぬ。
 だが、それを一刻でも早く手に入れようと。私はこの時にそう思った。
 そうして出来るだけ早く、娘に正体を明かそう、と。
 武への思いが一層強くなるのを、私は感じていた。

 しかし、なんだ。
 最も強く、最も偉大とは、いくら親とはいえ買いかぶり過ぎでは無いだろうか。
 他人の視点で自分への評価を聞くなどという、奇異な体験をする事になったが……流石に恥ずかしいのう。
 思えば、前世ではもはや宗教のように私を慕っていた時期もあったな。あの時期にしっかりと私への想いを矯正しておくべきだったか。

「さてと。それじゃセリア、スラヴァ。
 少し聞きたいんだが、校長先生が居られる部屋は何処かな?」

 調子を取り戻したアルマが、私の顔を覗き込むために屈めていた体勢を正す。
 そういえば、先ほど聞きたい事があると言いかけていたか。
 ふむ、校長室の位置か。伝える事は出来るが、少し伝えづらいな。

「ああ、それでしたら……いや、ご案内しましょう。少し複雑な構造をしているため、上手く伝える自信がありませぬゆえ」
「そうかい? ならお願いしよう」

 少しだけ入り組んだ位置にある校長室へと効率よく案内するため、私は「武術の歴史」をかばんに入れて立ち上がった。
 私の申し出を受け、アルマは顔に喜びの色を浮かばせた。

「わーい、アルマさまと一緒だー!」
「おっとと、元気だなあセリアは」

 立ちあがったアルマへと、嬉しそうに飛びかかるセリア。
 先ほどのようにそれをなんなく受け止めると、アルマはセリアを自らの腕にかける。
 人間で考えると二十歳やそこらになる少女に対して、いくら小柄とはいえど少女一人を片腕で支えるのは軽いとは言えぬ加重であろうが──アルマは、やはり重さなど感じさせない足取りで歩いている。
 すこし眼を凝らせば、非常に滑らかで力強い魔力がアルマを覆っていた。うむ、禅を欠かさずに続けているようだな。
 思わぬ所で弟子の成長の一端を知る事となり、私はつい嬉しくなって頷いた。
 十二歳の少年が分かった顔で頷く事でもないが──それを目撃するものはいなかったのは幸いであろう。






「では皆さん揃いましたので講堂へと移動しましょう」

 アルマの案内を終えたあと、教室へ戻ってうつらうつらとしていた私は、フィンレイ=マクガヴァン教諭の声で我に返った。
 穏やかな顔をした教諭の顔が、クラスを見回す。釣られて視線を横に向けて見れば、今日欠席している男の子を除いた殆どが席に付いていた。

 ふむ。そういえば今日は午後から集会があると言っていたか。
 興味がないためどんな用事だったかは、はて忘れてしまったが。ともあれ肝心な所を忘れてしまったのは戒めるべきか。
 十二歳になったばかりの子供達を集め、引率する教師に付いていく。
 ……何故だか学級を纏める委員長に抜擢されてしまった私は、フィンレイ教諭のま後ろに並ぶ事になっていた。
 委員の仕事として、列になった子供たちの中に居ないものが無いか等を確認していく。

「先生、全員居ります」
「はい、ありがとうございますスラヴァ君。では移動しましょうか。
 皆さんついてきて下さいね」

 今日登校している生徒が全員居る事を確認すると、私はフィンレイ教諭に全員がしっかり揃っている事を伝える。
 私の報告を受けた教諭は、一度自分の眼でさっと列を確認してから、歩きだした。
 まるでひな鳥か何かのよう。教諭の後ろにつく私が歩くと、前の教諭に付いていかんと二十数名の生徒達が歩きだす。

 他のクラスや学年の者達と合流し、同じペースで歩きながら、やがて私達はアルファレイア総合アカデミーの誇る講堂へと到着する。
 魔法的な加護をこれでもかと施した安全性。たとえ天より巨大な石が落ちてきても傷一つ付かない、と教師達は言っていたが、さて実際はいかがなものか。
 それに加え、美しきを好むエルフが力を入れて施した流麗な彫刻。
 どちらも人間の頃に通った学校では見る機会の無かったものだが──エルフにはエルフなりの拘りがあるのだろう。まあその拘りを知った所で、何のためにこさえたものかは分からぬが。

 そんな所へと到着した私達は、私達のクラスに割り当てられた場所へと腰を下ろした。
 千数百人を収容する巨大なスペース、既にその半数以上が収容されているというのに、講堂にはまだ余裕があった。

 ……さて。一体この集会では何を話すのだったか。

 壇上には既に校長が準備万端と言った状態で立っていた。
 エルフの血を流しつつもなお、白髪と白髭でいっぱいになった顔。噂では千歳を超えていると聞いたが──人間の歴史が刻まれ始めてすぐから生きているとは、それはもはや化石ではないのか。
 ……出来る事なら私もあれほどの時間が欲しい物だ。そうすればきっと、武の頂を覗きうるだろう。

「あー、ごほん。みな聞こえるかのう」

 壇上に設置された、拡音の魔石を通し、校長の声が広い講堂の隅々までいきわたる。
 私があの長寿に対して嫉妬を感じている間に、学校中の生徒達が集まり終えていたようだ。 
 気がつけば午後の集会は始まろうとしていた。

「うむうむ、聞こえておるようじゃのう。
 皆行儀が良くて大変結構。では校長の長い話と馬鹿にされる前に、さっそく本題に入ってしまう事にするかの」

 自らの長い髭を撫ぜながら、エルフの老人は朗らかに笑う。
 ……まあ、確かに言うとおり校長という存在の話はやたらと長い事が多い。百年以上前の話故、おぼろげな記憶だが──人間の頃通っていた学校の校長は、話が長かった気がする。
 あの頃はその話に異議を見出せなかったものだが──きっとそれは今でもそうだろう。学を重ねてきた老人ならともかく、私は強さだけを求めてきた馬鹿だ。多分、話の内容など頭に入らない。

 そういう意味では、校長の判断は英断である。
 この年頃の子どももまた、大いにやんちゃだ。小難しい話など理解できまい。

「うむ──では、入ってくれ」

 校長は生徒達に向けていた視線を、左へと向きなおした。
 講堂の左右は別の入り口から出入りできるようになっているため、私から見て右の方向から誰かが現れるのだろう。
 さて誰が来ると言うのか。私がそう推察しようと頭を動かし始めた瞬間、それはあらわれた。

 ……穏やかな歩調に合わせて揺れる、蒼い長髪。
 先ほど間近で見たばかりのそれが、遠くで揺れる。

 ……嘘じゃろう。

「では、挨拶を。アルマ=シジマ殿」
「承りました。
 ……知っている者もいるかもしれないが、私はアルマ=シジマと言うものだ。
 本日から此方の学校で、君達に武術を指導する事になった。
 ──君達には武術を通じて、身体以上に心を鍛えていって欲しいと思う。
 十年と言う短い間ではあるが、宜しく頼むよ」

 直後、巻き起こる大歓声。知っている者もいるかも──どころではない、これでは知らぬ者など居ないのではないか。
 流石に比喩と思っていた形容が、比喩で無かった事に口が開く。
 ……しかも武術を教える、とは。

 ……十年間、姿を隠しとおすなど出来るのだろうか。
 ただでさえやり辛い修行がさらにやり辛くなった瞬間を悟り、私は大きくため息を吐いた──

 
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