■『 韓国人の「反日」台湾人の「親日」 』(黄 文雄 著) 光文社 1999年
「朝鮮人の強制連行」問題の著作物は、地方の公立図書館へ行くと意外なほど
多い。戦前の日本国内では、朝鮮人の犯罪者が多かったので、いかにして朝鮮
半島からの人の流入を釜山港で阻止するかに悩み、たびたび朝鮮総督府に有効
な対策を求めていた。だが「朝鮮人の強制連行」問題の著作があれほど多くて
も、「犯罪」「入国阻止」関連研究書は、大学図書館でさえほとんど見いだす
ことが困難だ。
では、いったいどれくらいの朝鮮人が強制連行されたのか。ある著名な朝鮮史
学者は120万人と書いている。その数字の根拠は、戦後、在日韓国・朝鮮人
が120万人であったからだという。現在、在日韓国・朝鮮人一世や二世、三
世も強制連行されたという主張があり、ゆえに外国人でありながらも、別格と
して国家公務員資格や選挙権を要求する運動もある。
韓国人の著述には「日帝36年」について「強制連行」「強制労働」「強制徴
集・徴用」と表現することが多いが、その「強制連行」とは実は大陸文化その
もので、戦争や動乱があるたびに住民が「強制連行」されたことは、中国史に
も朝鮮史にも繰り返し書かれている。
しかし、日本文化は中国社会や朝鮮社会とはかなり異なる。近代になって台湾
に対しても朝鮮半島に対しても、いかなる公的な義務労働であろうとも、多か
れ少なかれ工賃を払うのが日本的なやり方であった。このことからも、日本文
化は中国や韓国の社会文化とはまったく違うことが判明する。
台湾領有初期の日本軍の征伐戦争・戦記・日記を見ると、住民を略奪しながら
敗退、逃亡した清国兵士に対してさえも、米と銭を与え、船で港から大陸へ送
還した。地方の村長・長老を集めて訓示した後でも銭を与え、細かい気配りを
していた。
そのような日本的気配りは、中国や朝鮮半島では絶対に見られないことだ。
韓国人の「日帝」糾弾のパターンは、たいてい決まっている。それはあたかも
日帝のすべての悪事悪行が隠蔽されてきたが、それが次から次へと考古学や犯
罪事件摘発のように、発掘されていくという図式である。
第二次大戦末期に、台湾からも多くの少年工が来日している。しかし、彼らは
「強制連行」ではなく、厳しい試験で合格した者だけが来日を許され、朝鮮半
島からは「強制連行」されなければならなかったのか。朝鮮人はそれほど立派
なのか。偉大なのか。
また「創氏改名」運動のように、なぜ朝鮮半島では任意申告制で、台湾人だけ
が許可制なのか。私には疑問がずっと残っている。
「強制連行」については、台湾人の子供まで連行され、海軍飛行場の建設工場
で酷使され息を引き取ったと、韓国有力紙に報道されたこともある。
この「子供強制徴用の実態」に関して、あたかも「歴史発掘」のように韓国で
は一時、歴史捏造に狂奔した。
「東亜日報」(91年10月23日付)は、「神奈川県で12から18歳の台湾少年工
8千名が、軍需工場で強制労働させられていたことが明らかになった。しかし、
8歳の少年強制労働と火葬というのは、ひょっとすると日本全国で初めて確認
されたことではないだろうか。」と日本の大学教授の発言を引用して報道して
いる。
日本の反日大学教授も不勉強であるが、韓国のマスコミも「反日」の話題でさ
えあれば、何でもかんでも派手に報道するという姿勢は問題であろう。
実は、台湾少年工についての歴史捏造と歪曲ほどひどいものはない。
戦争末期、台湾から日本に来た8千名の台湾少年工は、主に名古屋、大和市、
群馬県の戦闘機工場で働いた。彼らは「強制連行」ではなく、厳しい筆記試験
に合格、さらに身体検査にも合格、校長と両親の許可を得て来日したものであ
った。「強制連行」どころか、現在でいえば「東大入試」の狭き門をパスした
誇りある少年たちである。わたしが直接彼らから聞いたところでは、「隼」以
外に「ゼロ戦」を作ったという人もいた。
彼らは現在「高座会」をつくり、生存者は70歳前後になっているものの、な
おも5千人以上の会員を有している。会誌も発行されている。十数歳の台湾少
年工の作詞・作曲した会歌は日本の寮歌に似ていて、合唱すると実に感動的で
ある。
彼らは日本人の友人との絆が強く、94年の大和市の大会では2千人以上の会
員が台湾から来日し、大和市は交通大渋滞となるほどであった。
当時、日本のマスコミは彼らを「強制連行」と報道したため、自尊心を傷付け
られ、会長が会員全員を引き連れ、抗議に行くという話もあったほどだ。
戦争末期の米軍空襲下で共に働いてきた台湾人と日本人は、上官と部下の関係
のみでなく、その絆もなかなかに深い。私は台湾から来た昔の少年兵を連れ、
かつての日本人仲間の病気見舞いや、老後の不遇者の生活の面倒に奔走する戦
友を案内したこともあった。
日帝の「暴挙」ばかりを追求してきた韓国人には、日本国民として育てられ、
共に国家の存亡をかけた情熱と戦友としての絆は理解できないだろう。この5
千人以上の証人について、日本人ももっと「歴史」を勉強する必要があるので
はないだろうか。
台湾少年工は戦後、彼らなりに国民党政府支配下で多くの荒波を乗り越え、現
在の事業成功者としての地位をつかんだ者が多いのだ。
台湾の新聞記事や評論で、彼らの記事をときどき読むことがある。
彼らに言わせれば、彼らは「ゼロ戦」「隼」のエンジンまでを作ったエンジニ
アである。今日的にいえば、最先端のハイテク技術者である。しかし戦後、台
湾の権益はすべて大陸からやって来た中国人によって独占され、彼らが身に付
けた技術をほとんど生かすことができなかったのだ。もし彼らがもっと重用さ
れ、その技術を利用できたならば、台湾の産業発展は今日よりももっと進んで
いたはずであったという自負を持ち、日本での過去を誇りとしている。
韓国人がいかに「強制連行」「虐殺」「迫害」だけを喚いているかを示唆する
話ではないだろうか。
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