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武に身を捧げて百と余年。エルフでやり直す武者修行 作者:赤石 赫々

第一章

プロローグ

 生まれおちて百と余年。思えばずいぶん長く生きたものだ。
 いつも纏っている胴着を脱ぎ捨て、皺だらけの身体を露わにする。
 ……老いさらばえたこの身体、随分無理をさせたものだ。
 修練場に備え付けられた大きな鏡に映る皺だらけの身体を見て、私は思った。
 見れば、枯れ枝のようにやせ衰えた肉体には、それに刻まれた皺よりも多くの傷が残っていた。

 生まれ落ちて百と余年。武道に捧げてきた年月はそれとほぼ同等の期間。
 百年に及ぶ長い間いじめ続けてきた身体だ、よくもまあ文句も言わずについてきてくれたと思う。
 ……最強、か。たった二文字の泡沫を夢見てどれほど下らない事をしてきたのだろうか。
 肉体を酷使せぬ日は無かった。行住坐臥、身を闘いに置き、傷の上から傷を作った。
 そうして得た筋肉は無駄なものと淘汰され、残ったのはこの枯れ枝が如き身体のみ。
 だが私は筋肉の鎧を纏っている頃よりも強くなった。もっと早く技術と言う「武」の力を理解出来れば、初めからそちらを目指していたものを。

「かふっ……」

 咳き込むと同時に、私は干からびた身体のどこに隠していたのか、という量の血を吐きだした。
 百を超えた老体だ、喀血というのは相当に堪える。もはや絞りカスすらも残っていない体力がつき、私は正座したまま、前のめりに倒れこんだ。

 ……私は病を患っていた。肺を侵され、血を吐き、死にいたると言う奇病だ。治すことには治せるが、この老体にはとても耐えられぬ施術が必要だという。
 師匠ですら克つことの出来なかった病だ。未熟者の私に打ち破れる道理もなかったか。
 今際の際、師匠は言っていた。世界の果てよりも遠い所にある、師匠の故国である「ニホン」の医療なら何とかなっただろうに無念だ、と。
 あの時は武を極めた師匠にも後悔があるのか、と衝撃を受けたものだが、なるほど。今の私ならばその気持ちもよく理解できた。

「ふ、くくく……」

 意志とは裏腹に、血と共にかすれた老人の笑い声が押し出されてきた。
 ──思えば、後悔ばかりの人生であった。今更それに気付いた己の愚かさに、思わず笑いが出る。
 武に身を捧げ、子は愚か妻すら持たなかった。
 私財を肥やす事もなく、ただ武のみを求め続けた。
 娘のように思っていた弟子の大成すらも見る事が出来ず、私は死に逝く最中にある。

 ……だが、そんな事はどうでもいい。
 百と余年を武に捧げ、その頂きを観る事すらも出来なかった。それが心残りだ。
 あの師匠ですら自らを三合目まで足を踏み入れた所と言っていた。ならば私が到達した地点は、二合目か一合目か──
 若き頃から力に頼らぬ武に理解を示していれば。もう少し鍛錬を積む事ができたのではないか。
 後悔を重ねて生きていくのが人生とはよく言ったものだ。人間としては長い寿命を持ってしても、私の人生は後悔ばかりであった。

 妻も要らぬ、子も要らぬ。金も要らぬ、何も要らぬ。
 だから天よ、私に──俺に武を。武を極めるための時間を。
 我ながら駄々をこねる幼子の様だと思う。しかしそれでも、私は時間が欲しかった。

「──ッ、師匠(せんせい)!」

 道場の扉を破るような勢いで、愛弟子が駆けこんでくる。
 今の私の格好は、上着も纏わず血に塗れて倒れこんでいる状態にあった。
 私に駆け寄った彼女が、重さなど感じさせぬこの枯れ枝を手に取り、起こす。
 いっぱいに貯めた涙が、彼女の瞳を震わせていた。

「逝かないでください! 私を置いて逝かないでください、せんせぇっ……!」

 堰を切るかのごとく、少女の様な弟子の顔から涙が零れ落ちる。
 澄んだ一滴の雫が、私の顔に塗れた血と混ざりあう。
 人差し指で軽く叩かれたような優しい衝撃。私は、目を覚まされたかのように目を開けた。

師匠(せんせい)! 私です、アルマです! お分かりですか!?」

 我が弟子──アルマが、目を開いた私を見てか、泣きながら顔をほころばせる。
 叫ばなくても聞こえておるよ──そう、頭を撫でようとするが、どうにも体は動かない。
 ……四十の時に拾った、天涯孤独の少女。まさかこれほど長い付き合いになるとはな。
 拾った時十二歳だった彼女は、齢七十を超えてなお、十七・十八の少女の様な顔だ。
 人間であれば化生の類である、と師匠は驚いていたが──その外見の理由は、少女の出で立ちを見れば分かる。
 人間の物と比べ、長くとがった耳──アルマは、エルフと呼ばれる長命な種族の出であった。
 十二までは人間と同じように成長し、十二を超えてからは人間の約十倍の時をかけてゆっくりと老いていく種族。
 ……娘のように思っていた子だったが──やれやれ。百を超えた爺と十八程度の少女では祖父と孫ではないか。

「泣く……でない……アルマよ……
 シジマ流の者が……簡単に涙を見せるな」

 手は動かせなかったが、何とか言葉を絞り出す。
 すると、涙の奥に浮かぶ笑顔が一層強いものとなった。

「お気付きになられたのですね……っ!」

 言葉を発した私にいくらかの生命力の残滓を感じ取ったか、その声は震えながらも嬉しそうなものだった。
 ……かえって声を出さぬまま逝ったほうが良かったかもしれんな。
 先ほどから、アルマが私に対し必死に回復の魔法を施しているおかげか、喋れる程度の力は戻ってきた様だ。
 しかし、今の私は穴のあいた水筒の様なものだ。与えられた生命力が、注がれた傍から抜けていくのを感じている。元々は傷をふさぐと言う用途の魔法だ、理に従って死に逝く者をつなぎとめる魔法など、この世には存在しない。

 ……分かっているはずなのだ、我が子の様な愛弟子も。
 だが、それを認める事は出来ないのだろう。アルマにとって、私は親そのものだと本人から聞いた事がある。どうやらそれは真実の気持ちだったようで、少しだけ嬉しくなった。

「もうよい……魔法を止めなさい。
 私もまた、理に従う時が来ているのだ」

 ようやく動くようになった腕を、アルマの手の上に置く。
 確かな回復を感じつつも、アルマの顔は冷たい絶望に染まった。

「いや……いやです! まだ諦める様な時ではないではございませんか!
 私の修行も未だ成らぬと言うに、勝手な事を言わないでくださいっ!」

 駄々をこねる子供のように、私の言葉を聞こうとはしないアルマ。
 ……気持ちは、分からないでもない。私も師匠が逝く時は大層に駄々をこねて、同じ様な事を言ったものだ。
 しかしその時の気持ちは、言葉とはほとんど関係なかったのを覚えている。
 師匠の死期は、私にも十分に伝わっていたし、また修行を見てもらうと言うよりも──この世にとどまってもらいたいという気持ちのみが膨らんでいたとも思う。
 修行を見ろ、というのは方便だ。そう言えば、あの武のみに全てを捧げていた師匠がまだこの世に残ってくれると思ったから──

 ……結果は、推して知るべしであったがな。
 私も同じように逝くのだろう。もしかしたら、師匠にも似たような経験があったのかもしれぬ。
 ……先はああも思ったが、弟子の成長を観れずに逝くと言うのも、やはり残念だな。

「聞きなさいアルマ……これが私の最期の言葉となろう。
 父として、師としての遺言だ……よいな?」
「──やだ、やだぁ……逝かないで、師匠(せんせ)ぇ……っ」

 ついには、泣き崩れてしまった。
 すまぬアルマよ。せめて奥義を授けたかったが……どうやら、私はもうその切っ掛けを与えるのみで終わってしまいそうだ。
 軽く咳き込むと同時に、先ほどのように大量では無いとはいえ血が混じってくる。
 体中の臓物がもう、限界なのだろう。無理をさせ続け、老いさらばえた身体だ。それもまた道理である。
 残された時間は僅かだ。せめて、あの事だけでもいい残さねば。

 アルマが落ち着くのを待つ。ただ言うだけではない、伝わらねば、遺さねば意味がない。
 師匠より皆伝をいただき、名と共に継いだシジマ流、命果つるとて後世に伝えねばならぬ。

 少しだけ時間を要したが、涙は止まらないが──アルマも少し落ち着いたようだ。
 ……この子は強い子だ。この子の師で、父でよかった。

 小さく息を吐き、遺さねばならぬ事を整理する。
 いつ果てるとも分からぬ命の火、シジマの灯を遷すことを優先する私を許せ、アルマよ。

「まずは師としての、スラヴァ=シジマとしての言葉だ。
 ……手を出しなさい、アルマ」

 鼻をすすりつつも、アルマは私の言うとおりに、手のひらを上に向ける。
 私は命が零れおちる穴が広がるのを感じながら、ハカマと言われるズボンのポケットを漁る。
 なんとなく、今日が命日と悟ったか。私はいつの間にか何よりも大切なこれを、身近に忍ばせていたらしい。

「これは鍵、ですか?」
「うむ……道場に師匠の一筆が掛けてあるのは分かるな?」
「カケジク、と言うものでしたか……? はい、分かります」
「これは、その奥に隠されているモノを封じた鍵だ。
 封じているモノとは……シジマ流の奥義書。師匠が語り、私が記した秘中の秘。
 これの存在を知るのは、師匠と、私の二人しか居なかった……っ」

 吐き出しそうになる咳を飲み込みながら、私は小さく息を吐いた。
 ……残る時間は少ない。この子に父としての言葉を残すためにも、早く。
 乱れそうになる息を必死に整え、私は続ける。

「しかし、今、お前が三人目となった。
 ……アルマよ、この書の存在は何者にも伝えてはならぬ。
 お前が書の内容を極めた時、お前はシジマ流の免許皆伝となるのだ。
 ……シジマ流を頼んだぞ、アルマよ」
「……はい、確かに承りました、師匠」
「その暁には、お前はアルマ=シジマとなるなあ……くっくっく。
 ……かふっ、げふっ!」
「師匠っ!」

 畜生。いよいよもって持たぬか、襤褸(らんる)め。
 断続的な咳が、真っ赤な命の雫を連れ去ってゆく。
 咳の度に肺に穴が空いているのではないかと思うほどの激痛だ。
 まだだ爺、伝える事を伝えてねえだろう。

「そしてっ……ここからは、父としての──スラヴァ=ヴェサーとしての言葉だ……っ!」
「もうおやめ下さい! 本当に死んでしまいますっ!」

 普段の可憐な声など何処へ行ったか、震えて言葉を理解するのがやっとの声で、アルマは叫んだ。
 そう言ってくれるな一人娘よ。共に過ごしたこの六十年、親らしい事などそうはしてやれなかった。
 今更で悪いが、少しくらいは親らしい事をさせてくれ。

 必死に制止するアルマの頭に、手を置く。
 もうそんな力などとっくに残っていないとは思ったが──案外、人間何とかなるものよ。
 血で汚れた手を拒む事もなく、私の最期を悟ったアルマは、黙って唇を噛み締める。

「愛していた。妻も子もない私の元で、常に笑顔をくれたお前は、私にとって紛れもなく娘であった。
 ……お前は長く生きろ。良い男を見つけて子を生め。そして、その子を何よりも幸せにするのだ。
 それが、私が祈ってやれる我が娘の幸せだ──」

 自分でも信じられぬほどに、私は穏やかに言いきった。
 涙を流し続けていたアルマの瞳から零れる雫が、一瞬だけ止まったように思えた。
 ……親を亡くした子と、親代わりの私。いびつではあったが、幸せだった。
 願わくば、娘には幸せな家庭を築き、平和に暮らして貰いたいものだ。

 伝えるべき事は伝えた。私は先ほどの後悔など無かったかのように、信じられぬ程の満足感に包まれていた。
 ……しかし、新たな後悔もまた生まれる。こんなに幸せなら、結婚の一つでもしておくべきだったかもしれぬ。だがそれでは、アルマを我が子としていたかは分からない。

 ……では、これでいいか。

「師匠……? 師匠……っ!」

 アルマの呼ぶ声が遠ざかる。ぬくもりは感じる以上、遠のいたのは私の意識か。

 嗚呼──
 悔いの残る、良い人生だった。

 私の手がアルマの頭から滑り落ちると同時に、私の意識は闇に落ちて行った。
 ……願わくば、来世では悔いの残らぬ人生を過ごしたいものだ。









 ……などと想ったのは、一体どれだけ前のことだっただろうか。
 私の瞳には、見知らぬ男女が映っていた。
 顔の特徴……とがった長い耳から察すれば、この二人はエルフだろう。
 エルフといえばアルマくらいしか関わりの無い──そもそもエルフと言うのはエルフの国から出ずに一生を終える者が多いくらいに閉鎖的な種族──私には、この二人がエルフの者であるという事しか分からない。

「あなた、今この子私達を見なかった?」
「ああ、交互に見たな。……この歳で僕達が親と分かるのかな?」

 二人のエルフは、私の顔を覗き込みながら幸せそうに笑った。
 ……これは()な。今この男女は、私の動きを述べて笑ったように思える。
 隣に赤ん坊でもいるのだろうか、と。私は首を振るって視線を動かす。
 が、見えるのは木でできた柵のみ。背中に伝わる柔らかな感触と合わせて考えれば、私はベッドに寝かされているという事になる。

 ……いやいや待て待て。どういう事だ。そもそも私は死んだはず。
 それがなぜこんな場所で寝ているのだ? というか、このベッド、小さすぎやしないだろうか。

「おや、首を振るっているね。僕達の言葉を否定したのかな」
「いやだわあなた、そんなわけないでしょう。それに、そうだとしたらお母さんは悲しいわ」
「あはは、そうだね」

 二人の男女が、顔を見合わせて笑う。
 ……なんだ、この違和感は。何かおかしいぞ。
 私は一体どうなったのだ。

 色々な事を考えるが、答えは出ずに思考の糸が絡まってゆく。
 しかし同時に、頭は否定しつつも一つの答えが導きだされ、肝を冷やして行く。

「ねえ、抱っこしてもいいかな?」
「ええ、大丈夫だそうよ」

 幸せの絶頂、と言った様子の夫婦が、私の両脇へと手を伸ばす。
 ……ありえん、いくら老体といえど私の胴が細すぎる。
 いや、ふっくらはしている以上細いというよりもこれでは……小さい。

「よーし、パパですよ~」

 そのまま、私の体は抵抗する間もなく軽々と持ち上げられてしまう。
 持ちあげられ、男の眼が明確に私を捉えている以上、このパパですよ、という言葉は私に向けられたものなのかもしれない。
 まさか私は──

「うふふ、ママのことも忘れちゃダメよ。
 ねえ、スラヴァちゃん? 私がママよ~」

 ……突然、自身の名前が呼ばれた事で、私は硬直した。
 まさか赤ん坊になってしまったのかと夢想したが……夢想であったか?
 不思議な夢から現実へと掬い上げられたかのような気分だ。しかしこの身体の小ささは一体──

「ねえスラヴァ、スラヴァって言うのはなあ、伝説になった立派な武術家の名前なんだぞ!
 あのアルマ様が尊敬した唯一のお方らしい! 立派に育つんだぞ~スラヴァ!」

 ──いま、なんと? アルマ様だと?
 スラヴァとアルマ。その組み合わせに思わず頭が痛くなる。
 否定しつつも辿り着いた答え。己の名前を呼ばれたことで荒唐無稽と捨てたそれが帰ってくる。
 もしや、私は本当に──この夫婦の子になってしまったのか!?

「んー、この耳の形はママに似たかな? すらりとしててとても綺麗だ」
「あら、目鼻立ちは貴方にそっくりよ。私達の息子だもの、スラヴァはきっと素敵な子になるわ」

 現とは思えぬ眼の前の光景を、否定できる要素が何もない。
 強いて言うなら、今際の際に私が見ている夢と言うところだが──いくらなんでもこの意識のあり方は確りとしすぎている。

 で、あればだ。
 私は本当に──この夫婦の息子になってしまったのだろうな……

 ひたすら練り上げた人生の末、迎えた死。
 思わぬ形で反故になった死神との約定。
 夫婦の腕の間を交互に巡る私は、あまりの事に頭がついていけずに──はたまた、幼児の本能に従ってか──ひどい眠気に襲われた。

 これで、目を覚ませば私は天にいるかもしれない。
 だがもし、もしまだ赤ん坊としてこの夫婦の元にいたのならば──

 今度こそ後悔のない人生を送って見せる。
 私は一度は降りた武の頂への山道を踏破し、今度こそ頂に辿り着いてみせると。そう、固く誓いを立てるのであった。
+注意+
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