NHKスペシャル 医療ビッグデータ 患者を救う大革命

膨大なデータが医療を変える

世界中からセンサーのデータを集め、これまで救えなかった命を救う新システム。患者たちの大量の情報を分析して、入院期間の削減につなげている病院。

これまでの技術では扱うことのできなかった膨大なデータの固まり=ビッグデータが、今、医療の世界の常識を次々に覆しています。ビッグデータがもたらす人類の新たな可能性に迫ります。


病気を「予知」 命を守れ

アメリカでは、いま新生児集中治療室に入院する赤ちゃんの感染症をビッグデータから「予知」するシステムの開発が進んでいます。早産などにより免疫力が弱い赤ちゃんにとって、感染症は命の危機につながる大きなリスク。しかしこれまでの医療では、感染が進行するまで検査などで発見することが難しく治療の壁になっていました。そこで研究チームは心電図や呼吸モニターなどが生み出す赤ちゃんの全データを1000人分集めて分析。

赤ちゃんの体内で
増殖する細菌のイメージ
世界中から赤ちゃんの
データを収集

すると、感染症が判明する24時間前から、血中酸素量や心拍に「前兆現象」が起きていることが分かりました。ビッグデータの活用により、感染症を「予知」できる可能性が示されたのです。来年には、医療現場への本格的な導入を目指す臨床試験が始まります。


がん治療
ビッグデータで入院期間を半分に

取材した済生会熊本病院では患者の早期退院にも、ビッグデータを役立てていました。
この病院では患者の医療情報を、了解を得て毎日徹底的に記録しています。「体温」や「心拍数」から「トイレの回数」まで、記録する項目は1人300近くに上ります。年間のべ16万人をこえる患者のビッグデータに、入院期間を短縮させる鍵がありました。
患者が退院するまでの期間の長短には多くの要因が関わっていますが、ビッグデータの分析から分かった最も大きな要因は、患者が「痛み」を訴える期間でした。

入院患者から約300項目の
データを収集
年間のべ16万人のデータを
保管する巨大サーバー

以前は痛みがあれば安静期間を延ばしていましたが、分析結果からその方針を転換。痛みの度合いを細かく数値化し、その度合いに応じてリハビリを始めるなど、痛みに積極的に向き合う取り組みを進めています。

これによって、例えば以前は手術から退院まで平均2週間以上かかっていた前立腺癌の患者が、半分の1週間程度で退院できるなどの成果につながっています。


町ぐるみで「ぜんそく」激減

米ケンタッキー州最大の都市ルイビルでは、ぜんそく患者の割合が10人に1人を超え社会問題になっています。市では対策のため、患者が発作の際に使う「吸入器」にセンサーをつけてデータを収集する取り組みを開始。患者が吸入器を使うと、スマートフォンを介してその時間や場所、さらには天候や風向きの情報がデータセンターに送られます。臨床試験に参加した患者300人の発作パターンを詳しく解析したところ、それぞれの患者が発作を起こす「原因物質」が次々と判明。

位置情報を記録する
ぜんそくの吸引器
ビッグデータで描いた
ぜんそく発生マップ

患者にその物質を避けるよう推奨したところ、試験開始後の4カ月で発作の頻度が、平均で半分ほどになりました。市ではいま、さらなる対策として市内で特に発作が集中する「ホットスポット」の分析を始めています。

天候や風向きのデータと発作の関係を調べたり、大気汚染物質の濃度を調べるセンサーの設置を進めるなどして、ホットスポットが生まれる原因を明らかにし、ぜんそくの対策に結び付けようとしています。


ナースコール109万回を可視化

「ナースコール」を分析する

患者が困ったときに看護師などを呼ぶ「ナースコール」は年間どれだけ使われているのか。ある病院の場合、実に109万回で、中には数千回コールした患者もいた。この膨大なデータを病棟や時間、理由別に分析することで、医療現場の実態と、よりよい医療につながるヒントが見えてくる。

「ナースクロックヒストグラム」の見方

私たちは今回、熊本県にある済生会熊本病院(400床)の1年間のナースコールのデータを集計し瞬時に可視化する「ナースクロックヒストグラム(Nurse Clock Histogram)」を開発した。データを5分毎に集計し、1周24時間の時計型のグラフに表示する仕組みで、時計の左上のメニューを選ぶと、さまざまな分析結果が表示される。

※本データは、集計値であり個人に関わる情報は含まれていません。

男と女 どちらが多く看護師を呼ぶか

ナースコールの利用回数を男女で比較すると、どの時間帯も男性のほうが多かった(全体で女性より約33%多い)。1人当たりのコール数も10代を除いてすべて男性のほうが多く、70代では106.6回だった(女性は74.2回)。看護師によると男性は比較的病室でひとりで過ごすことが多く、女性よりナースコールに頼る傾向があるという。右下のボタンを押すと、男女別のデータを見ることもできる。女性のデータには8時半、12時半、18時半に3つのくぼみ(コールが少ない)があることが分かるだろうか。女性のほうが食事などを一定の時間にとる規則正しい入院生活を送っていることもうかがえる。

4割を占める年代は?

次に年齢別に見てみよう。色は年代別で、円の外側ほど高齢になっている。60代以上が全体の9割以上を占め、中でも80代が全体の42.7%を占めていた。入院患者の高齢化というだけでなく、発症年齢や再入院率の高さ、入院の長期化、病気の併発などさまざまな理由が考えられる。高齢者人口が3000万人を超えた超高齢社会・日本の病院において、80代の入院患者へのケアが、病院運営を考えるうえで最も重要になっている。

理由の最多は「事故の前兆」

ナースコールの理由で最も多いのは「トイレ」でも「点滴」でもなく、「転倒・転落防止センサー」だった。回数は59万7265回で全体の54.8%を占めている。この病院では患者がベッドの手すりに触れたり床のマットに足がつくと、転倒・転落防止センサーが察知して自動的にナースコールが鳴る仕組みで、看護師は転落事故などを防ぐために、毎回文字どおり全力疾走で病室に向かう。病院内の転倒・転落事故は毎年全国で620件起きていて、死者も出ている。年間約60万回のナースコールは、転落事故の前兆が、1つの病院だけでも膨大な数に上っていることを示している。

不安が起こす「魔の時間帯」

「事故の前兆」を示す転倒・転落防止センサーのコール数がこの病院で年間最多の11万回だったのが、脳卒中センター(38床)だ。このデータに看護師の勤務シフトを重ねてみる。青で示した日勤の時間帯は看護師の数は10人から12人。一方、夕方から翌朝にかけては4~5人で、夜間は看護師1人当たり10人の患者に対応しなければならない。特に対応に追われるのが、午後8時から10時までの2時間で、看護師によると原因は「不安」だという。20時に面会時間が終わり、消灯で部屋が暗くなる。特に脳卒中センターは高齢者や認知症の入院患者が多く、不安になってベッドから起き上がろうとする傾向が強いことが、「魔の時間帯」を作っているようだ。

負担軽減と適切な看護の両立を

コール数は病棟ごとに大きく異なる。最も多いのが脳卒中センターがある「3階東病棟」で約17万5千回。次いで消化器科がある「6階西病棟」で14万7千回、整形外科がある5階東病棟で14万6千回となっている。少ないのは泌尿器科がある5階西病棟で約6万回。3倍近い差はなぜ生じているのか。「看護の必要度」と「コール数」との関係を分析した結果、「点滴」「輸血」「呼吸ケア」などの医療的な処置より、「食事の摂取」や「衣類の脱着」といった患者の状況がコール数に強く関係していることが分かった。さらに細かく分析すると、整形外科で重傷度が低い患者が多くコールしているケースも浮かび上がった。
済生会熊本病院では、こうした病院全体のデータを使って医療スタッフを配置していくことで、看護師の負担軽減と患者への適切な看護の両立を実現しようとしている。


取材記

世界最先端の医療現場に触れて

番組の主人公の一人、マクグレゴーさん。もともと金融の世界でビッグデータを取り扱っていた経験を持ち、現在は新生児集中治療室の現場で、幼い体を襲う感染症を「予知」し、救えなかった命を救う新たなシステムの開発を進めています。「なぜわざわざ、畑違いの医療の世界に飛び込もうと思ったのか?」彼女は、自身の娘を新生児集中治療室で亡くした悲しい経験がきっかけだったのだと教えてくれました。
いまマクグレゴーさんと同じように、全く畑違いの分野から、ビッグデータ解析の技術を武器に飛び込む人が次々と現れています。「誰かの命を救う、多くの人を幸せにする」医療のために、その経験を捧げたいと願う強い思いが、その行動を突き動かしています。
アメリカで取材した、ある”医学部”の研究室では、中国・インド・ブラジルなど全世界から集まった学生たちがPCに向かい整然とコードを書き連ねていました。一種異様とも思えるその風景は、進みつつある”医療革命”を何より実感させてくれました。
この「うねり」が今後もっともっと大きくなり、現場で働く医療スタッフを助け、治療を必要とする患者の救いにつながるように。いま、強く願っています。

ディレクター市川衛

“可視化”でビッグデータは新たな聴診器に

ビッグデータの活用が進む一方で、データの収集や分析はまだまだハードルが高く、とりわけいのちと向き合う医療現場では時間も人手も足りません。番組ではエキスパートと組む事例を紹介しましたが、実はもう1つ力強い武器があります。データビジュアライゼーションです。
「Nurse Clock Histogram」は、109万回ものナースコールを“身近な時計の形”にしたことで、いつコールされているのか直感的にわかります。人の目はとても優秀で「出っ張り」「色の変化」「全体量」などを数式や文章を用いずとも理解できるのです。と同時に、見た人それぞれが自然と自らの経験を重ねているのです。
データは一度可視化の仕組みを作ればリアルタイム化も可能です。壁掛け時計のバックデザインに「Nurse Clock Histogram」を表示するなど、日々の空間にデータを溶け込ませることもできるのです。
医師が聴診器を首からさげるように、ビッグデータを使って患者や病院全体を“手軽に診察”できる日も近いことでしょう。

ディレクター阿部博史

出演者

石川光一

石川光一さん

国立がん研究センター
がん対策情報センター 室長

DPCなど医療ビッグデータ分析の第一人者。がんに関する統計的な研究だけでなく、医療機関の配置など地域医療の分析も行う。

長瀬 清

長瀬 清さん

岐阜大学
医学部附属病院 講師

麻酔科医として日々手術の現場に立つ。臨床現場で自らデータを収集し、ビッグデータに関する研究論文も発表。

小野文恵

小野文恵アナウンサー

広島県出身

「ためしてガッテン」「鶴瓶の家族に乾杯」「週刊 ニュース深読み」の司会・キャスターをつとめる。報道や生活情報、バラエティーや音楽番組など、硬軟取り混ぜ様々な話題を分かりやすく解きほぐす。

瀬田宙大

瀬田宙大アナウンサー

神奈川県出身

2014年春から「あさイチ」のリポーター。趣味はサイクリングや釣り、クラリネット演奏。人懐っこい取材と熱っぽいスタジオプレゼンが持ち味。愛称は"せたちゅー"。


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再放送 [総合] 2014年11月6日(木) 午前0時40分~1時29分(5日深夜)