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市民は児童相談所に不服を申し立てる「権利がない」 ②

   実際には児童虐待問題は激増しているわけでも、深刻化しているわけでもない。
   最近では児童虐待事件が起きるたびに、テレビではいかにも児童虐待が激増しているかのような大げさなニュース報道が行なわれ、その後はお決まりの文句として必ず、「児童相談所の権限が弱いために児童虐待を防げない。児童相談所の権限をもっと強化しなければならない」というコメントがつけ加えられる。しかしこれはまったく実態を知らないコメントであることを、私たちは知らなければならない。

   信じられないかもしれないが、実は日本には、児童相談所ほどの強権を持つ公的な機関は他にはないのである。児童相談所は警察よりも、検察よりも、裁判所よりも強大な権限を持っており、その権限で有無を言わさず「保護」と称して、家庭から子供を連れ去ることができるのである。つまり人権に関わるこれほどの大きな権限を、児童相談所長の判断だけで自由に好きなように采配できるのだ。

   見てきたように、虐待が疑わしい場合は早く児童相談所へ送るか、一時保護などの措置を取るようにという法律があった。しかし問題はもしそれが嘘であったり、誤解であったりした場合にはどうすればいいのだろうか? これまで3つのケースをお伝えしてきたが、そのケースがまさにそれに該当する。

   しかし実は、私たち市民には児童相談所に不服を申し立てる権利は、ないのである。

   (不服申立ての制限)
   第十条 臨検等に係る処分については、行政不服審査法(昭和37年法律第160号)による不服申立てをすることができない。

   
これによると、臨検等に関して裁判所が「許可状」を出しているために、基本的に不服が申し立てられないことになっている。そのゆえに児童相談所は保護と称して、子供を5年も親から取り上げておくことができるのであり、親からの「不服申し立て」に対しても応じる義務はないのである。

   この法律では不服を申し立てる権利そのものが存在しないわけで、それは警察や検察のシステムと比較してみることで、その異常性がよくわかる。つまり不服を申し立てることは法律違反になる。そして不服の申し立てができないということは、差し止めの訴えを起こすこともできないということなのだ。

   (行政事件訴訟の制限)
   第十条の六 臨検等に係る処分については、行政事件訴訟法(昭和37年法律第139号)第37条の4の規定による差止めの訴えを提起することができない。

   
つまり子供を児童相談所に保護された親は、こうした法律によって手足を縛られ、児童相談所に対して何の抵抗もできないようになっているのだ。お上の言うことには一切逆らうことが許されないということが、法律によって定められているのである。また第十二条では、保護した子供を児童養護施設に入れることが合法化されており、なおかつ児童相談所の権限で、親と子の面会や電話、手紙などの制限が明文化してある。

   しかも児童相談所がどう判断するかによっては、刑務所でさえが許されている面会や通信も完全に遮断することが可能であり、その安否すら知ることができない。そして当時6歳のA君に関してももう5年もその安否さえ、親に伝える責任が児童相談所にはないのである。

   時おり外部に漏れてくる事件があり、児童相談所が保護した児童を委託している収容所施設内で、日常的な職員による暴力がある。たとえば1995年に発覚した、千葉県船橋市の児童養護施設「恩寵園」での虐待事件は国会でも問題になった。また2006年に、横浜市の児童相談所の一時保護所では、当時3歳の男児が死亡する事故が起きている。さらに施設内にいる子供が「家に帰りたい」と言って泣いたり、情緒不安定になる児童に対し、児童相談所提携の精神科医が精神薬を処方し、ご飯に混ぜて服用させているという信じられない実態が明らかになっている。

   多くの人々は精神科医というのは、人の話をていねいに聞いて癒してくれる優しい存在だと思っているだろう。しかし実際には精神科医にとって人の心などどうでもいいのである。彼らにとって大切なことは新たに作り出される病名をあてがい、化学薬品を売ることなのだ。そして児童精神科医もまた同じである。科学的には何の根拠もない病名を子どもに貼り付け、児童相談所や児童精神科医の都合に合わせて操作する。それがPTSDであり、ADHDであり、発達障害、双極性障害、パニック障害、そしてうつ病などである。

   児童精神科医は、「この子は病気なので、親のもとから離して保護することが必要です」と言って、児童相談所に医師判断という「科学的根拠」を与えるのだ。そのようにして結局、すべての児童精神科医は子どもたちに精神薬を投与している。覚醒剤や麻薬と変わらない精神薬を子どもに投与し、子どもが自分自身で思考することができないようにコントロールする。あらゆる精神的な症状を麻痺させ、行動を沈静化させることでロボットのようになり、それを「良くなった」というのである。

   なかでも最大の問題は、児童相談所が責任を問われないシステムになっているという点である。警察や検察であっても、逮捕や立件した事件が冤罪の場合、ある程度責任の追及は免れないはずだ。しかし児童相談所においてはそのような「心配」は一切なく、一時的に保護された子どもに関してだけでなく、冤罪をかけられて子どもを連れ去られた親に対しても、最低限の責任と追求さえも親には認められていないのである。

   なぜこんなことになっているのか?
   それは前に述べた通り、児童相談所が国の機関である厚生労働省傘下の、地方自治体設置組織であることを考えれば理解しやすい。全国の児童相談所は表向きは、各地方自治体に属しているような独立採算制を思わせる形になっている。ところが実はここに落とし穴が存在しているのである。

   地方自治体に属してはいるが児童相談所の公務について、その指針を打ち出しているのは実は厚労省である。たとえば保護児童にかかる必要経費を厚労省が一部負担していたりするが、しかし基本的に厚労省は、児童相談所へはあらゆる介入は行なわないとしている。つまり児童相談所の公務に対する責任の所在が曖昧なのだ。こうして地方自治体の中にあっても、実際には治外法権的に存在しているのが児童相談所であり、特殊な業務ということもあって、その動向に関してはほぼお任せ状態の「離れ小島」なのである。

   それは具体的にどういうことかといえば、児童相談所の所長が決めることに、地方自治体では文句を言える者がいないということである。だからいざ責任問題が発生しても、その責任はいろいろなポストに転嫁されて、結局、厚労省も地方自治体も責任を取ることはない。しかもこうした曖昧なシステムの維持に裁判所までが加担しているために、問題が起きてきてもそれが正しくジャッジされることがない。このようにして児童相談所によって引き起こされる被害は、そのまま国民が被っているのだ。まさに児童相談所は国という権威を盾に、虐待の定義の曖昧さを利用し、法律を隠れみのにして、自ら行なっている犯罪を完璧に隠蔽できるシステムのもとに、成立している組織なのである。

   ではなぜ児童相談所は、こうした保護という「拉致」を繰り返すのだろうか。
   そこには行政上の予算の問題が横たわっている。児童相談所は地方自治体に属する組織なので、予算は地方自治体に請求する。それについて私たちが知っているところでは、国の組織にまつわる団体は結果や仕事量に応じて予算が請求されるということで、こうしたやり方が今のところ公務の通例になっている。

   つまり予算請求として求められた金額が年内に消化仕切れなかった場合、翌年の支給額が削られるわけで、そのために必要のない工事が駆け込みで行なわれたりしていることは周知の事実である。そして同じく児童相談所も、地方財政から予算配分を受けて運営されている。そうするとどうなるか? 

   児童相談所は保護した子どもの人数や、仕事量に応じて予算請求を行なうが、保護した子どもの数が前年を下回れば、当然予算を削られてしまうのである。そこで駆け込みで虐待と認定する子どもを増やし、保護する子どもを増やす必要が生まれるのである。これが冤罪の温床となるわけであり、私たちはここから考えていかねばならないのだ。


             book 「児童相談所の怖い話」 内海 聡著 三五館

                          抜粋      
   

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