とあるブログを定期講読していてふと思ったこと。まぁ他人についてあれこれ言うのは苦手だし美しくないと思うので、自分のことについて書く。
ぼくは徹頭徹尾自分のためにブログを書いている。
そりゃ「この世界のどこかにいる、自分のブログを読んで救われるであろう誰かのために書いてます」みたいな綺麗事が言えればいいのかもしれない。だけど、どう考えてもそれは第一位の理由にはなり得ない。
ぼくは、ぼく自身が「こういうブログが読みたかったんだ」と心の底から思えるブログを作りたいと思っている。
漫画や音楽の感想なら、自分なりに可能な深さまで潜って拾い上げた感想を。時事的な話題なら、そのことを知らない人に対しても入りやすく事柄への理解が深まる記事を。
もちろん、水準に達しない記事も山のように書いてきたし、「下らないこと書いちゃったな」と上げてから後悔したことは数えきれない。
それでもぼくは自分が上げた記事を読むのが好きで、それは先ほどの「水準に達しない記事」の場合でも同じだ。今まで書いたどんなショボいしょうもない記事でも、読むと「楽しかった」「面白かった」と思えた。なぜか。
それは、このブログを書くにあたって「自分が書きたいものを書く」「自分が読みたいものを書く」という目的意識が割とぶれないからなんじゃないか、と自分では思っている。
義務感や金銭のために書いたことはない、なんて口が裂けても言えない。そういうのを狙ったことも、正直に白状すれば何度もある。でも、根底にはそういう目的意識があるから、お金目当て(そう大して稼げもしませんが)の記事も楽しんで書けるし、読める。
「自分が書いた記事を読みたい」という欲求が、とりあえずここまで書いてこれた理由なのかな、とぼくは思っています。
……まぁ、PVやアフィの明細も励みにはなってるけどね。
ブログを書く理由は人それぞれ。お金、承認欲求、現実逃避、自嘲、キャリアステップ、攻撃衝動、啓蒙、後悔、自己憐憫、暇潰し。どんな理由も否定されるものじゃない。
なぜ書くのか。
その動機付けをはっきり意識して、適切なアプローチで書かれた文章は強い。
逆に、そういった動機付けと実際の成果にズレがあると、続けること自体がどんどん辛くなると思う。どういうリターンが得たいのかによって、同じ「ブログを書く」でもアプローチのやり方はかなり変わってくると思うし。
そんなわけで、自分のブログの方向性に悩まれた方は、一度原点に戻って「何のために書いているのか」「その目的に対するアプローチは方向性を誤っていないか」を見つめ直してみるといいのでは。
……って別にドヤ顔で言うことでもないよなぁ(´・ω・`)