前衛芸術家の赤瀬川原平さん死去10月27日 7時31分
前衛の芸術家で、作家としても芥川賞を受賞し、「老人力」という流行語も生み出した赤瀬川原平さんが、26日、敗血症のため、東京都内の病院で亡くなりました。77歳でした。
赤瀬川原平さんは横浜市で生まれ、美術学校で油絵などを学びながら公募美術展に芸術作品を出品し、芸術家として活動を始めました。
さまざまなものを包装紙で「梱包」するなど、前衛的な芸術作品の制作やパフォーマンスで活躍し、昭和40年には千円札を題材にした作品が通貨模造に当たるとして起訴され、裁判の行方が注目を集めました。
その後、漫画や文学作品の執筆にも活動の幅を広げ、昭和56年には尾辻克彦の名前で書いた短編「父が消えた」で芥川賞を受賞しました。
赤瀬川さんは、街中にある役に立たないものを「トマソン」と名付けてその意義を考えるなど、身の回りに着目した活動や、カメラの愛好家としてスナップ写真を発表したりといった活動でも知られています。
また、物忘れなど年を取ることに伴う現象を「老人力」と名付けて前向きに捉えるというユニークな発想も提唱し、平成10年の新語・流行語大賞を受賞しています。
赤瀬川さんはこの2年ほど体調を崩していて、入退院を繰り返していましたが、25日、容体が急変して、26日午前6時33分に亡くなったということです。
「新しいものの見方を提示してくれた」
赤瀬川原平さんと長年、交流があった建築家で、建築史が専門の藤森照信さんは「普通の人がちょっと気がつかない、おもしろい発想をする人で、戦後の都市の見方など今まで全くなかった新しいものの見方を提示してくれた人でした。細く長く、90歳くらいまでは私たちに新しい考え方を見せ続けてくれるものだと思っていましたが、もう聞けなくなるのだと思うと非常に残念です。人柄は、千円札事件から想像される戦う人というのとは違い、芯は強いが、穏やかで日常的には自己主張しない人でした。『老人力』に見られるように、彼の残したものは、本人にその気がなくても社会を変えてきたし、これからも脈々と息づいていくものだと思います」と話しています。