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最後は、逃げ場を失って推論

 投稿者:新参者  投稿日:2014年10月 3日(金)20時07分4秒
  曰く

「結局、「教学部レポート」と銘打たれていますが、何人かおられるはずの教学部員さんの
総意というよりも,個人的な意見が先行した執行部に対する牽制の意味合いが濃いと
考えますね。」

元教学部Mさんの、人となりを知っていってるのか?

失礼な話です。

http

 

まだ屁理屈言ってますね。

 投稿者:新参者  投稿日:2014年10月 3日(金)19時47分12秒
  H田さんの発言。

「小委員会の方針は、全て先生の御指導を受けて進めていることである。」

これ、嘘ですね。

O山さんが、否定しています。
 

Re: THJさん

 投稿者:THJ  投稿日:2014年10月 3日(金)19時42分54秒
  大勝利さんへのお返事です。

> 先生が入仏式を行なわれたと言う事は、すべてチェックしてると言う事です。
> すでに決着のついた話です。
> 今後それを、執行部の独断で変更するのは師敵対です。

独断でなければ可能な話しと言うところでしょう。
また、あなたの話は「執行部の独断で変更したら」と言う仮定の話しで、今現在、執行部幹部を批判する根拠にはならないのです。
「決着のついた話」を持ち出して執行部幹部を批判するのも正当性があるとは言えませんね。

私はあなたが言うような「御自分の師弟を語らず、他人の師恩を批判する」と言う話はしていません。
「教学部レポート」の内容では執行部幹部が独断で教義変更を指示したと言える部分は無く、
批判する根拠にはならないと言っているだけです。

「執行部の独断で変更したら」と言う仮定の話しで、無理に師敵対者を作り出し、批判をする必要性も感じないところですね。
 

それは感じました

 投稿者:阿部日ケ~ン(院政)  投稿日:2014年10月 3日(金)19時24分22秒
  ※教学部の言論闘争に望む姿勢の弱さを感じるところですね。

結局、「教学部レポート」と銘打たれていますが、何人かおられるはずの教学部員さんの
総意というよりも,個人的な意見が先行した執行部に対する牽制の意味合いが濃いと
考えますね。

池田先生の御書講義にこのような箇所があります。

※後輩が中心になって戦っている。それを応援すべく派遣されたが、
 それが面白くなかったのではないかと、私は推量しています。
 時期は日蓮門下の興亡をかけた戦いのさなかなのに、三位房日行の心を
 覆うものは、自分の出番のないことと不快に思うエゴの一念、所詮は
 名聞名利を願う気持ちだけでありました。
もとより、大聖人の大智は、日行の生命傾向を鋭く洞察されておられました。
そして、彼の京都弘教の折にも戒めておられる。
 その学智を惜しみ、それが驕慢と退転に結びつかないよう、いくたびとなく
 注意されようとしたに違いありません。
しかし、それを許さない雰囲気があったことが、かえって、彼の決定的な不幸を
 招き寄せてしまったのです。
「三世格別あるべからず」(御書一三六〇ページ)です。
今日においても、この教訓は少しも変わらず生きているわけです。

(我執、驕慢が異心の本源 : 「生死一大事血脈抄」講義 池田大作全集24巻)


大聖人在世の頃の三位房のお話を通じて指導されたものです。
いくら学智があるといっても、あんな幹部批判を文書にして、自分の配下に配布する時点で、
「不快に思うエゴの一念」と「名聞名利」でしかないでしょう。

大聖人の直弟子すら、己の宿業に翻弄され退転した。
日興上人の時代には、信心強盛で破邪をし土牢に入れられた日郎(五老僧)が違背した。

創価学会でも教学部長が日顕宗に下り、矢野もまた日顕宗に下った。
いずれも、池田先生に近かったはずの人々です。

この意味を考えれば、レポートの出所が「教学部だから」というだけで
信ぴょう性が高いなどと考えないほうが良いですね。
 

Re: 違うでしょう。

 投稿者:THJ  投稿日:2014年10月 3日(金)19時21分42秒
  新参者さんへのお返事です。

> 違います。
> 良く読めば分かることです。
> 執行部は、先生の御意向であると、方向性を示して指示しています。
> しかし、側近のO山さんは、先生は、そのような事を言われていないと、否定していますよ。
> 簡単なことです。

「方向性」に関して、先生の意向と異なるとは、教学部レポートには書かれていませんよ。
執行部の話と先生の指導で異なる点は「スピード感」だけでしょう。

良く読んでみてください。
教学部としても「方向性」に関して理解を示しているから、時期早々と言う話をしているのでしょう。

もっとも、学会として御本尊授与を始めてからも20年以上経っているのですから、教学部が「教学部としては、こうした教義の理解を徹底するには、主に以下の理由から、時間をかけて慎重に進めなければならないと考えていました。」と言う部分は、「更にどのくらいの時間をかける気でいるの?」と言う疑問も普通に感じるところでしょう。
 

THJさん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月 3日(金)19時17分16秒
  先生が入仏式を行なわれたと言う事は、すべてチェックしてると言う事です。
すでに決着のついた話です。

今後それを、執行部の独断で変更するのは師敵対です。
 

Re: 阿部日さん、THJさん

 投稿者:THJ  投稿日:2014年10月 3日(金)18時59分39秒
  大勝利さんへのお返事です。

> 貴方の意見は意見ですが・・・、
> 御自分の師弟を語らず、他人の師恩を批判するから、
> だったら口出すなってことになるんですよ。

どの部分を読んで「御自分の師弟を語らず、他人の師恩を批判する」としているのでしょうか?

私は出てきた「教学部レポート」では、執行部が先生の意向に反したことをしていたことにはならないと言っているだけです。

レポートの冒頭、「【1】 いわゆる「本門戒壇の大御本尊」と、総本部に安置される「創価学会常住御本尊」について、最高幹部の一部が、教義的な意義の変更を強硬に推し進めています。」とありますが、「先生の意向」として読めるのは「慌てて事を進めるなどということは、一切言われていない」と言う「スピード感」の違いであるだけです。

「教義的な意義の変更」に関しては、「スピード感」の違いこそあれ、「先生の意向に反した」とは言えないでしょう。
「教義的な意義の変更」に関して、先生が否定的な指導をされていれば、小委員会自体が続けられることはありえず、結果としても、先生が否定的な話をされたから「教義的な意義の変更」が見送られたのでは無く、「SGI主要国の中心者を招集した会議」で、合議的に「教義的な意義の変更」が否決されたと書かれています。

「本門戒壇の大御本尊」に関する教義的な位置づけは、学会として決めるまでは続く話でしょうし、日顕宗との決着を先にするのか、学会として教義的な位置づけを先にするのかだけでしょう。
教学部が「日顕宗との決着を先にする」と主張するのであれば、「いつ決着を付けるのか?」を回答するのが本来の回答でしょうが、その点の教学部の意思表明は無く、一方的に「最高幹部の一部が、教義的な意義の変更を強硬に推し進めています」と非難しているだけであれば、先生から失望されるのは教学部の方ではないでしょうかね。

この板でリンクされている「教学部レポート」では、教学部の言論闘争に望む姿勢の弱さを感じるところですね。
 

原理主義者は怖いですね

 投稿者:阿部日ケ~ン(院政)  投稿日:2014年10月 3日(金)18時57分46秒
編集済
  ※先生は、「悪い奴は、叩き出せ」ですよ

除名された人は悪いやつ?
除名するほうが悪いやつ?

簡単な理屈ですね(笑い)

先生が具体的に言われないことを実行するのは「悪」ではなかったのでしょうか?
実に論理矛盾を来してますね。

ちなみに、先生のこんな指導があります。

◎ここで気をつけなければならないことは、同志を憎むこと、小バカにし
 批判すること、怨嫉をし、同志と疎通のなくなること、これらは、
 謗法であり、信心しても功徳はない。
 むしろ堕地獄の因をつくってしまうことになります。
 卑しい、醜い自身の生命を浄化し、強化するのが妙法の信心です。
 題目をあげて成仏の因を重ねていく闘争を連続させていくべきです。

【指導集 質問に答えて 池田大作著:聖教新聞社刊】


スキャンダルや、金銭問題といった人格誹謗のネタを掲げて、ネットで幹部を批判する心に
「善」があったとしても、所詮は「小善」どまりだとおもいますよ。

なぜって?

境地冥合している人たちの会話をみれば、自分の為の情報収集しかしていないでしょ。

私が知る限り、除名処分された人は、たいてい現場を巻き込んで
徒党を組んだうえで、なにやら会館直訴みたいな事をしています。
やっていることが樋田といっしょ。

また伝聞の伝聞にすぎない内容をさらに重ねても「真実」ではありません。
まして、ほぼ同じ内容で、すでに2ちゃんあたりで手垢にまみれたネタなんて
日顕宗門徒が妙観講の「砦」のネタを使い回しているのと変わりませんよ。

 

阿部日さん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月 3日(金)18時56分26秒
  ※「伝聞の伝聞」ということで、通常は評価の対象にさえなり得ない。

本当にそう思うならもう評価するのやめなさい。
 

問題の本質が分かっていない

 投稿者:新参者  投稿日:2014年10月 3日(金)18時44分11秒
  今、教義変更は時期尚早と云うのが教学部の考え方。

今直ぐに、ことを進めると、日顕宗にも嘲笑されるのは明白。

この、根拠も書かれている。

しかも、一人の犠牲者も出してはいけない、とも。

方や執行部。

先生の御意向であるので早急に進める。
その上で、多少の犠牲者が出るのは、想定範囲。

先生は、一人の犠牲者も出してはいけない。

これが、分からないなんて。

やれやれ。
 

Re: 違うでしょう。

 投稿者:新参者  投稿日:2014年10月 3日(金)18時32分58秒
  THJさんへのお返事です。

違います。

良く読めば分かることです。

執行部は、先生の御意向であると、方向性を示して指示しています。

しかし、側近のO山さんは、先生は、そのような事を言われていないと、否定していますよ。

簡単なことです。

> 新参者さんへのお返事です。
>
> > それは、レポート作成者が先生の側近のO山庶務に確認を取り、執行部の虚偽が判明したと言うことです。
> > 結論は、出てるじゃないですか。
>
> 先生の意向と異なっていたのは「慌てて事を進めるなどということは、一切言われていない」と言うところで、
> 執行部が教学部に示した「スピード感」が異なっていたと言うことだけでしょう。
> このことから安易に執行部を「先生利用・師敵対」と断定することは出来ない話です。
>
> 創価学会として戒壇御本尊に関する懸案は、「創価学会としての戒壇御本尊の定義」を確立するか、もしくは日顕宗との決着を付けて、
> 大石寺伝承の戒壇御本尊が伝承のとおりに、弘安二年の御本尊かどうかを創価学会で判定できるようにならなければ続く話ですから、
> 現在も議論が続いていても不思議では無い話です。
>
> 先生が「創価学会としての戒壇御本尊の定義」を確立すること自体に否定的であれば、『いろいろな意見がありますので、慎重の上に慎重に進めます』と言う原田会長の話もありえず、
> レポートにある「20日午後3時から、執行部、SGIの首脳、教学部などが出席する会議が開かれ、出席者から、教義の根本を拙速に変えることについて、強い懸念が表明されて、実質的に、会長の方針が否決される形となりました。」
> と言った会議まで話が進むこともありえず、執行部が「戒壇御本尊の定義」を変えようとしていることが発覚した時点で、小委員会自体が解散させられることになります。
>
> 執行部の幹部を糾弾する人達が言うような「先生の意向に反している」ならば、小委員会自体が続いたことはありえないことですよ。
 

Re: おやまぁ

 投稿者:THJ  投稿日:2014年10月 3日(金)18時31分29秒
  阿部日ケ~ン(院政)さんへのお返事です。

> そうですね。そしてそのレポートが誰に対して送られたものかと
> 言う部分が大事だと思います。

レポートが本物であれば、教学部が執行部牽制目的で、学会本部内へ配布したものと言う話でしょう。

> 現執行部でなくとも、いずれ「戒壇」の義は創価学会として整備されると考えています。
> ただ「戒壇の大御本尊」が特定の場所のどの御本尊であるかを規定する必要性はない
> と考えます。

現状では「戒壇の大御本尊」が現物として現存しているかどうかも確認出来ないことですし、広流を進めていくことで答えを出すべき話だと思いますね。

> ただ、それと、執行部批判は別問題でしょう。
> だから公開されたレポートの後半部分は違和感があります。

そうですね。レポートでは小委員会の存在を先生が知っていると読め、にも関わらず、小委員会が存続しているのですから、先生は執行部と教学部の主張のどちらも否定していないと考えるのが普通でしょう。
弟子が合議的にその時点での課題解決や結論を出すことが先生の意向ではないでしょうかね。

> むしろ、一般に公開されない内々の文書を世に出している連中の意図を感じざる
> をえません。

学会の内部資料を外部に持ち出すことは、やはりそこになんらかの「悪意」を感じることですね。
仮に先生や学会のことを思って行った善性からの行為であっても、組織内を混乱させる結果となれば、善行とは認められないことでしょうね。

> できの悪い幹部がいるならば、直接その幹部に「信心」の上で指導すれば
> よいでしょう。

その通りですね。「ネットの影響力」を軽く見てはいませんが、「陰口」以上には見えないもので、若干の陰湿性が見え隠れしているように感じます。

> 伝聞の断片的な内容で感情的に判断するのは危険でしょう。

そうですね。それは話の内容を肯定するにしても、否定するにしても感情的に過剰に反応していたら、そもそもの相手の目的が風評の拡散、扇動である場合は、それを手伝っているだけになりかねませんね。
相手をするにしても、その話の根拠として出されたものを良く見て、「切り文」的な使い方をしていないか冷静に良く見るべきでしょう。
 

阿部日さんへ

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月 3日(金)18時18分35秒
  山本FKが更迭されたのはファクトですか?
伝聞によるデマですか?

私は山本FKとお話しした事もなければ、お会いしたこともありませんが、無関係とは考えておりません。
阿部日さんにとって無関係ですか?

若し、山本FKの更迭がファクトであり、自分と無関係でないと考えるならば、どのような意図でこのような人事が行なわれたかを推論する必要があると考えます。

私は池田先生の意志に反したことが現在進められているから起きた人事であると判断しております。

阿部日さんも、イエスバットの論評ではなく、
山本FKの更迭はファクトか?
ファクトならば御自分に無関係であるのか?
無関係でなければどのように判断するのか?
自分の意思の表明をきちんとして頂けませんか?
 

Re: 違うでしょう。

 投稿者:THJ  投稿日:2014年10月 3日(金)18時15分15秒
  新参者さんへのお返事です。

> それは、レポート作成者が先生の側近のO山庶務に確認を取り、執行部の虚偽が判明したと言うことです。
> 結論は、出てるじゃないですか。

先生の意向と異なっていたのは「慌てて事を進めるなどということは、一切言われていない」と言うところで、
執行部が教学部に示した「スピード感」が異なっていたと言うことだけでしょう。
このことから安易に執行部を「先生利用・師敵対」と断定することは出来ない話です。

創価学会として戒壇御本尊に関する懸案は、「創価学会としての戒壇御本尊の定義」を確立するか、もしくは日顕宗との決着を付けて、
大石寺伝承の戒壇御本尊が伝承のとおりに、弘安二年の御本尊かどうかを創価学会で判定できるようにならなければ続く話ですから、
現在も議論が続いていても不思議では無い話です。

先生が「創価学会としての戒壇御本尊の定義」を確立すること自体に否定的であれば、『いろいろな意見がありますので、慎重の上に慎重に進めます』と言う原田会長の話もありえず、
レポートにある「20日午後3時から、執行部、SGIの首脳、教学部などが出席する会議が開かれ、出席者から、教義の根本を拙速に変えることについて、強い懸念が表明されて、実質的に、会長の方針が否決される形となりました。」
と言った会議まで話が進むこともありえず、執行部が「戒壇御本尊の定義」を変えようとしていることが発覚した時点で、小委員会自体が解散させられることになります。

執行部の幹部を糾弾する人達が言うような「先生の意向に反している」ならば、小委員会自体が続いたことはありえないことですよ。
 

伝聞。

 投稿者:新参者  投稿日:2014年10月 3日(金)17時33分33秒
  旧社会党や共産党は、拉致問題なんて存在しないと、主張してましたね。

根拠は、何なったんでしょうか?

北朝鮮は、この世のユートピア、無謬だと信じていた、間抜けが居たからですね。
 

これはケッサクですね。アベヒさん。

 投稿者:新参者  投稿日:2014年10月 3日(金)17時19分22秒
  ※先生は、一人の犠牲者も出してはいけない

これが先生の御意向なら執行部も含まれますよね?

、、、、、、、、、、、、、、
なんですか?これは??

先生は、「悪い奴は、叩き出せ」ですよ。

もう、論理が無茶苦茶。

お話になりませんよ。
 

アベヒさん

 投稿者:新参者  投稿日:2014年10月 3日(金)17時09分50秒
  負け惜しみは、おやめになった方がいい。

すべて、レポートに書かれている通りです。

レポートを否定するなら、根拠をあげて下さいよ。
 

あいまいですね

 投稿者:阿部日ケ~ン(院政)  投稿日:2014年10月 3日(金)16時56分52秒
編集済
  御意向・御意向と金科玉条のように繰り返すのは、日顕宗が
法主本仏論の説明に「御内証・御内証」と繰り返しているのと同じです。

じゃぁ本当は「どんな御意向だったのか」が具体的に答えられない以上、
なんら中身の無い反論ですね。

※先生は、一人の犠牲者も出してはいけない

これが先生の御意向なら執行部も含まれますよね?
糾弾派の主張のつじつまの合わない部分はココです。
池田先生は誰一人会員を犠牲にされるつもりはないことは、よく理解されていますよね。
「未然防止」の理屈で、ネットの掲示版ごときを使って執行部をつるし上げ
「粛正」だと気炎をあげる。
これのどこが「池田先生の御意向」に叶うのですか?


大白蓮華2014/10月号 110ページをごらんになってください。

◎自分を犠牲にするのは崇高だが、万人にそれを要求することはできない。
 要求すれば、おかしなことになってしまう。

『青春対話Ⅱ』から
 
 

Re: 阿部日さんへ

 投稿者:阿部日ケ~ン(院政)  投稿日:2014年10月 3日(金)16時53分17秒
  大勝利さんへのお返事です。

※私は、信濃町さんとコンタクトしておりませんので、どのような
 レポートを配布しているのかは存じません。

京都の鬼さんのコメントでは「抜粋版」だとのことですね。


※ですが、「日蓮世界宗総本部」ではなく「大誓堂」なのか考えれば
 判ることではないですか?

名称や根本教義なんて、一部の幹部の一存では決まりません。
そこに「池田先生の意向」が挟まるかどうか以前の問題で、日顕宗ではありませんからね(笑い)
糾弾派の方々は、「会長勇退」の時の中央の動きと、今回の「教学部レポート」が
同じと見ているだけにすぎません。
日顕宗のように、一部の聖職者が勝手に宗規を変え法主絶対、坊主随順の
物理的圧力を加える術が、創価学会にはありません。
なぜなら「日蓮世界宗」にもなっていないし、常住御本尊が「本門の戒壇」と
して決定したわけでもありませんから。

※ですが、その伝聞に疑問を投げかけてもしょうがないでしょ。
少なくとも皆さんそれぞれ信用ある人脈から伝聞されてるんでしょうから。

個人的に信用があるというだけで、なんでも「情報」が正しいとは限りません。
法主がウソをついて、創価学会に責任を取らせた例は枚挙に暇がないのは
大勝利さんもご存じですよね。
文章に書かれていないよく解らない部分を「想像」で空白を補完して
それなりの肩書のある人がいえば、「お肉芽も生きている」という論も正しく
なってしまいます(笑い)

どうも、いざ創価学会の事となると、皆さんの熱い思いが冷静さを失わせて
しまいがちですね。
ネットで確認できる例を出してみましょう。

※「伝聞の伝聞」ということで、通常は評価の対象にさえなり得ない。
http://pullman.blog117.fc2.com/blog-entry-566.html

 

アベヒさん

 投稿者:新参者  投稿日:2014年10月 3日(金)16時19分24秒
  レポートを読まれたのでしょう?

結論は、出ているじゃありませんか。

執行部は、教学部に教義の改変を、先生の御意向なので、早急に進めるように指示した。

その指示に教学部は疑問を感じ、側近のO山庶務に先生の御意向の確認をとった。

結果、先生はそのような御意向は持っておられなかったし、指示もしておられない。

執行部は、教義変更で多少の犠牲者が出るのもやむなし。

先生は、一人の犠牲者も出してはいけない。

先生の御意向に、反することを進めるのが、師弟の道ですか?
黙って目をつぶる事が、師恩に報いることですか?

執行部は、先生を利用しているのでしょう。

こんな、簡単な事が理解出来ず、師恩なんて言葉を良く使えますね。www
 

阿部日さんへ

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月 3日(金)15時15分29秒
  ※あのレポートをお読みになって「先生が一蹴された」のはどの部分でしょうか?
切り文で本来の趣旨が失われたままコトバだけが先行するのはあらぬ誤解を
生みます。


私は、信濃町さんとコンタクトしておりませんので、どのようなレポートを配布しているのかは存じません。
また、「教学レポート」なる題の付された文書は読んでおりません。
ですが、「日蓮世界宗総本部」ではなく「大誓堂」なのか考えれば判ることではないですか?
日蓮世界宗案を一蹴されたとは昨年聞きましたよ。伝聞です。


※創価学会としての「常住御本尊」の意義はともかく、あたらしく
御安置しなおす場合は入仏式を行いますね。
日顕宗の場合は坊主がしないといけないそうですが(笑い)



先生が、です。伝聞です。


※自分の師弟を語るとは、具体的にどういう事でしょうか。
私は他人の師恩を批判しているのではなく、ネット公開糾弾活動に対して疑問を
投げかけているつもりです。
池田先生の指導を引用すれば、師弟を語ったことになるのでしょうか。
ちょっと意味が分かりません。
大勝利さんにも「師恩」があるように、私にも「師恩」があります。
もちろん、河内さんや鉄斎さんにも。
おそらく活動家の学会員さんであれば、それぞれに「師恩」があるでしょう。
師弟不二とはそういうことではないでしょうか。

また一言で「師恩」を語ることもできませんよね。



それはそれで良いんですが・・・。
私は「今年」の夏に、軽井沢において「僅か」数名の幹部の方に指導されたと聞いております。
これも伝聞です。
貴方は他人の伝聞を信じない。それはそれでけっこう。
ですが、その伝聞に疑問を投げかけてもしょうがないでしょ。
少なくとも皆さんそれぞれ信用ある人脈から伝聞されてるんでしょうから。
 

Re: 阿部日さん、THJさん

 投稿者:阿部日ケ~ン(院政)  投稿日:2014年10月 3日(金)14時13分13秒
編集済
  大勝利さんへのお返事です。

※先生が一蹴されたことが現在なお進められているから師敵対なのでしょう。

あのレポートをお読みになって「先生が一蹴された」のはどの部分でしょうか?
切り文で本来の趣旨が失われたままコトバだけが先行するのはあらぬ誤解を
生みます。
黒川さんの邪義を破折されている時のように、
「そこはこういう意味ですよ」と丁寧に示しながら、相手の機根に
合わせていくのが本当の姿でしょう。
大勝利さんの、日顕宗(というか黒川邪義)の破折の話の進め方は
非常に参考になります。

※ 入仏式をちゃんと行なわれているんですよ。

創価学会としての「常住御本尊」の意義はともかく、あたらしく
御安置しなおす場合は入仏式を行いますね。
日顕宗の場合は坊主がしないといけないそうですが(笑い)


※ 御自分の師弟を語らず、他人の師恩を批判するから・・・

自分の師弟を語るとは、具体的にどういう事でしょうか。
私は他人の師恩を批判しているのではなく、ネット公開糾弾活動に対して疑問を
投げかけているつもりです。
池田先生の指導を引用すれば、師弟を語ったことになるのでしょうか。
ちょっと意味が分かりません。
池田マイスターのオレへの批判は、師敵対だとするならば、日顕宗の大月天の
権威論証となんら変わりません。

大勝利さんにも「師恩」があるように、私にも「師恩」があります。
もちろん、河内さんや鉄斎さんにも。
おそらく活動家の学会員さんであれば、それぞれ心に刻む「師恩」があるでしょう。
師弟不二とはそういうことではないでしょうか。

また一言で「師恩」を語ることもできないとおもいますが
いかがでしょう。
 

阿部日さん、THJさん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月 3日(金)13時08分49秒
  日時をよく見て下さい。
先生が一蹴されたことが現在なお進められているから師敵対なのでしょう。

入仏式をちゃんと行なわれているんですよ。

それと、会長のご健康ということもあるわけです。

貴方の意見は意見ですが・・・、
御自分の師弟を語らず、他人の師恩を批判するから、
だったら口出すなってことになるんですよ。
 

Re: 違うでしょう。

 投稿者:阿部日ケ~ン(院政)  投稿日:2014年10月 3日(金)11時48分42秒
編集済
  新参者さんへのお返事です。

※先生の御意向に反することは、出来なかったと言うことですよ。

抽象的すぎて意味が分かりませんね。
教学部レポートは、複数人でおこなわれた「会議内」でのやりとりを
中心に話をすすめていることを忘れていませんか。
会議内、およびその結果で「池田先生の意向」とやらが反映されたと
いう証言はありませんね。
簡単に言えば、
池田先生が「そういう指示を出していない」から、戒壇本尊義も変わら
なかったし、各国SGIの権限も創価学会に譲られなかったという具体的な
証拠です。
それがない以上「御意向に反する事ができなかった」と考えるのは、
執行部に不満がある方々の感想にすぎません。


※ それは、レポート作成者が先生の側近のO山庶務に確認を取り、
 執行部の虚偽が判明したと言うことです。
  結論は、出てるじゃないですか。

なるほど。
では内部糾弾派の皆さんは、レポート作成者にくわしい内容の
確認を取られたのですか?

たとえば、教学部さんはどういった質問をされたのか。
執行部の発言の真意は?
すべてが断片的であるにも係わらず、糾弾派の皆さんは、自分たちが
池田先生の指導を引用したりして、ネットでの糾弾が正義であるかの
ように振る舞っています。
グレーは「黒」ではありません。

所詮、私も含めて、当事者の人はいません。
すべてが伝聞の伝聞です。
通常、伝聞の伝聞は参考意見程度のあつかいです。
特に「対人論証」は文書になっているからといって内容のすべてが
「真実」だとするのは牽強付会というものでしょう。

日顕宗が「二箇相承」を所持しているのを自分たちの正当性の根拠に
しているのと同じ理屈ではありませんか?



 

Re: おやまぁ

 投稿者:阿部日ケ~ン(院政)  投稿日:2014年10月 3日(金)11時42分57秒
編集済
  THJさんへのお返事です。

阿部日ケ~ン(院政)さんへのお返事です。

※レポート自体を仮に本物の教学部員の個人レポートだとした場合、教学部の
 現在の使命(立場)からのレポートでしょう。

そうですね。そしてそのレポートが誰に対して送られたものかと
言う部分が大事だと思います。


※まだ、教学部は日蓮正宗の教義を離れ、創価学会としての本格的な教義の定義を
 することは時期早々なのでしょう。

たしかに、混乱を危惧されているように見えますね。
私的には、「戒壇本尊義」に関して、大石寺にある「戒壇本尊」はさほど重要視
していません。
現執行部でなくとも、いずれ「戒壇」の義は創価学会として整備されると考えています。
ただ「戒壇の大御本尊」が特定の場所のどの御本尊であるかを規定する必要性はない
と考えます。


※教学部員個人が「先生を破門にした日顕宗と日蓮正宗の教義の上で決着をつける」と
 しているなら、それには正当性があります。

全く同感です。
ただ、それと、執行部批判は別問題でしょう。
だから公開されたレポートの後半部分は違和感があります。


※「教学部レポート」を出してきた時点で、明らかに扇動的な色合いが濃くなり、
 糾弾されている幹部を単純に「悪」とはしにくくなりました。

その通りだと思います。
繰り返しになりますが、誰にこのレポートが提出されたかを抜きにして
そういった「文書がある」というだけで、執行部を「悪」とするには根拠脆弱です。
むしろ、一般に公開されない内々の文書を世に出している連中の意図を感じざる
をえません。

※出来の悪い幹部を糾弾するのはそれほど抵抗は無いのですが、扇動的な色合いが
 濃くなったり、しかも、人事や除名などにまで言及するような話には
 賛同しにくい話です。


全く同感です。
仮に「確実」な悪事を掴んだとして、なぜネットをつかって糾弾運動を
するのでしょう。
学会本部がこの案件(ネットでの糾弾活動)を見て、改革を推し進めると
でも考えているのでしょうか。
できの悪い幹部がいるならば、直接その幹部に「信心」の上で指導すれば
よいでしょう。

いずれにしても、公開された「教学部レポート」には「ネット糾弾派」の
危惧している案件に「直に」係わる内容がありません。
伝聞の断片的な内容で感情的に判断するのは危険でしょう。



 

Re: 違うでしょう。

 投稿者:新参者  投稿日:2014年10月 3日(金)06時07分15秒
  THJさんへのお返事です。

違うでしょう。

よく結論部分を読んでごらんなさい。

先生の御意向に反することは、出来なかったと言うことですよ。

それは、レポート作成者が先生の側近のO山庶務に確認を取り、執行部の虚偽が判明したと言うことです。

結論は、出てるじゃないですか。

> > この教学部レポートとの言わんとしている、一番の問題点は、先生を利用し、先生の御意向に反することをしようとした、執行部の姿勢を問われているのでしょう。
> > こんな事がまかり通ったら、先生がお隠れになった後の学会は、更に、先生利用を続けるでしょう。
> > まったく、何を読んで偉そうな解説をしてるのやら。
> > 呆れました。
>
> 大本尊に関する話で、「先生の御意向に反すること」は誰もしていないでしょう。
> 先生の「学会常住の御本尊を根本に広宣流布を進めていくという」話を執行部幹部の一部が早合点した。と言う話でしょう。
>
> 「今までやってきたことが間違っているとならないようにというのが、教学に関する変わらぬご指導だ。慌てて事を進めるなどということは、一切言われていない。原田会長も先生の前では『いろいろな意見がありますので、慎重の上に慎重に進めます』 と言っていた。」
> と、あるように、大本尊に関して、「学会常住の御本尊を戒壇本尊に」と言う要望があること自体は先生の元にも届いているから、『いろいろな意見がありますので、慎重の上に慎重に進めます』と言う原田会長の話があるのでしょう。
>
> 結論から言えば、「先生の御意向に反すること」は誰もしなかったから、戒壇本尊の件はそのままなのでは無いでしょうか?
>
> 先生の元で結論が出たと言える話を、今更、出して来ている時点で、扇動的に利用しているように見えてしまうのですよ。
 

(無題)

 投稿者:abc  投稿日:2014年10月 3日(金)02時48分23秒
  宿坊の掲示板て、乗っ取られた?w  

Re: 違うでしょう。

 投稿者:THJ  投稿日:2014年10月 3日(金)01時43分33秒
  新参者さんへのお返事です。

> この教学部レポートとの言わんとしている、一番の問題点は、先生を利用し、先生の御意向に反することをしようとした、執行部の姿勢を問われているのでしょう。
> こんな事がまかり通ったら、先生がお隠れになった後の学会は、更に、先生利用を続けるでしょう。
> まったく、何を読んで偉そうな解説をしてるのやら。
> 呆れました。

大本尊に関する話で、「先生の御意向に反すること」は誰もしていないでしょう。
先生の「学会常住の御本尊を根本に広宣流布を進めていくという」話を執行部幹部の一部が早合点した。と言う話でしょう。

「今までやってきたことが間違っているとならないようにというのが、教学に関する変わらぬご指導だ。慌てて事を進めるなどということは、一切言われていない。原田会長も先生の前では『いろいろな意見がありますので、慎重の上に慎重に進めます』 と言っていた。」
と、あるように、大本尊に関して、「学会常住の御本尊を戒壇本尊に」と言う要望があること自体は先生の元にも届いているから、『いろいろな意見がありますので、慎重の上に慎重に進めます』と言う原田会長の話があるのでしょう。

結論から言えば、「先生の御意向に反すること」は誰もしなかったから、戒壇本尊の件はそのままなのでは無いでしょうか?

先生の元で結論が出たと言える話を、今更、出して来ている時点で、扇動的に利用しているように見えてしまうのですよ。
 

Re: おやまぁ

 投稿者:THJ  投稿日:2014年10月 3日(金)01時08分12秒
  阿部日ケ~ン(院政)さんへのお返事です。

>どんな具合に教学的に裏打ちされているのかなと

レポート自体を仮に本物の教学部員の個人レポートだとした場合、教学部の現在の使命(立場)からのレポートでしょう。
レポートした人の戦いは、正当な日蓮正宗の教義(教学部)vs日顕宗であり、正当な日蓮正宗の教義の上で、創価学会を破門にした日顕宗の誤りを正して行く使命(立場)がありますから、まだ、教学部は日蓮正宗の教義を離れ、創価学会としての本格的な教義の定義をすることは時期早々なのでしょう。
正当な日蓮正宗の教義の上で、創価学会を破門にした理由が無かったことを大石寺に認めさせ、日蓮正宗から日顕宗の誤りを取り除いた後でなら、戒壇本尊の定義変更は可能でしょう。
教学部員個人が「先生を破門にした日顕宗と日蓮正宗の教義の上で決着をつける」としているなら、それには正当性があります。
しかし、現在の創価学会として教義を確定して行こうとする執行部の意向が「悪」と言うわけではありません。
日顕宗と決別し20年以上経っているのですから、後継のために創価学会としての戒壇本尊の定義に結論を出したいと言う意向が出ても当然で、それを「悪」と断定することは出来ません。

>要するに、内部糾弾派の方々は、いかに組織がオカシクなっているかを
>示す「根拠」の一つとして、このレポートを扱っているだけですね。

そうですね。「教学部レポート」に関して言えば、内部糾弾派が他方を「悪」とするのに利用したのでしょう。

公開されている「教学部レポート」を読む限り、創価学会本部で議題自体があっても不思議では無い議題で、どちらかを「悪」「間違い」と断定することも出来ない内容で、どちらにもその立場での正当性が認められます。
ポイントになるのは、「今がその時か?」であり、私達一般会員から公式に見えている結果から言えば、おっしゃるように、会長人事や戒壇本尊の件は何もありませんから、創価学会執行部の判断は「その時では無い」が結論なのでしょう。

「教学部レポート」を出してきた時点で、明らかに扇動的な色合いが濃くなり、糾弾されている幹部を単純に「悪」とはしにくくなりました。
私個人の意見としては、出来の悪い幹部を糾弾するのはそれほど抵抗は無いのですが、扇動的な色合いが濃くなったり、しかも、人事や除名などにまで言及するような話には賛同しにくい話です。
もっとも、個人的に知らない幹部の話題は静観することしか出来ないのですけどね。
 

池田先生に弓を引く 阿部日ケ~ン

 投稿者:副会長  投稿日:2014年10月 3日(金)00時35分6秒
  こいつは教学レポートの破折文書作成を滋賀の青年部長に伝え、それを関西に回すように指示をしよった。

犯罪に手を貸し、犯罪者を庇う犬、こんなのが学会員なん。 (*≧m≦*)ププッ  
 

違うでしょう。

 投稿者:新参者  投稿日:2014年10月 2日(木)23時54分17秒
  この教学部レポートとの言わんとしている、一番の問題点は、先生を利用し、先生の御意向に反することをしようとした、執行部の姿勢を問われているのでしょう。
こんな事がまかり通ったら、先生がお隠れになった後の学会は、更に、先生利用を続けるでしょう。

まったく、何を読んで偉そうな解説をしてるのやら。

呆れました。
 

Re: おやまぁ

 投稿者:阿部日ケ~ン(院政)  投稿日:2014年10月 2日(木)22時27分30秒
  THJさんへのお返事です。

ご意見ありがとうございます。

※話では「1万8千字近くに及ぶ」と聞きますし。

「教学部レポート」というので、どんな具合に教学的に裏打ちされているのかなと
おもえば、あれだけでは、下書き程度の内容ですね。


※ 方向性を示されたことにより、対応が困難な意思表明を示した。
  と、言うだけにしか読めないものですね。

おっしゃる通りです。
仮に会社内で、これからの事業方針に関する会議上で、新しいコンセプトが提案
されたとしましょう。
当然、いままでの事業方針を違うことに意見が対立することもあろうかとおもいますが
その提案を執行部が出したこと自体が、会社の為にならないとか、社員が惑うなどと
個人的な感想を書いたレポートを、社内で回すでしょうか。
もともと「公開を前提にした文書」であるかどうかも疑わしい内容ですね。


※「教学部レポート」で創価学会内に組織を割るような大騒動があるとは読めませんね。

このレポートの内容が事実に基づいていると仮定しても、大誓堂が完成する以前の
内容です。
つまり、戒壇の御本尊としての位置づけも成らなければ、SGIが日本の創価学会の
統括下に置かれたこともないし、谷川さんが会長になったわけでもありません。
御書でも歴代会長の指導でも同じですが、その『文書』が作成され誰かに与えられた
た歴史と背景がわかっていないと、なんとでもコジツケができてしまいます。
むしろ、経文や御書でさえも、後付バイアスで自分たちの都合よい解釈がなされたり
仏の言葉と「人師」の言葉を同列にあげた結果、さまざまな宗派を生み、同じ宗派で
さえも分派するに至ったことを忘れてはならないでしょう。

要するに、内部糾弾派の方々は、いかに組織がオカシクなっているかを
示す「根拠」の一つとして、このレポートを扱っているだけですね。

 

(無題)

 投稿者:abc  投稿日:2014年10月 2日(木)07時02分20秒
  舛添都知事の訪韓が奏功したのか、日韓関係雪解けのムードになってきたようだ。  

(無題)

 投稿者:ニュース  投稿日:2014年10月 2日(木)06時15分16秒
  衆院議長 韓国国会議長を招く方向で調整
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141002/k10015049341000.html
 

(無題)

 投稿者:abc  投稿日:2014年10月 2日(木)05時57分43秒
  三師御伝土代
「日蓮聖人は本地是れ地涌千界上行菩薩の後身なり、垂迹は則安房の国長狭の郡東条片海の郷、海人の子なり」

現在石山は上記のような説を採っていない。他でもない座主の説を自ら覆しているのであり、他所の教義の変遷を批判する資格は無い。
 

(無題)

 投稿者:abc  投稿日:2014年10月 2日(木)05時36分19秒
  >教学部レポート

誰のレポート?w
 

おーい中華グルメくん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年10月 1日(水)20時56分13秒
  おーい、用事どころではないぞ。
なでしこサッカー応援しろ!
負けそうだ!!
 

Re: 大勝利さんへ

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年 9月30日(火)23時52分32秒
  秋晴れさんへのお返事です。

> 今晩は。お久ぶりでございます。
>
> 久しぶりにネットを開いてみました。
>
> 大勝利さん、頑張っておられますね。凄いです。ヽ(^o^)丿
>


お久しぶりです、、。
なんたって、中華グルメ君家のZUがかかってるから 笑
次の選挙までかかりそうだけどね。
 

大勝利さんへ

 投稿者:秋晴れ  投稿日:2014年 9月30日(火)23時26分44秒
  今晩は。お久ぶりでございます。

久しぶりにネットを開いてみました。

大勝利さん、頑張っておられますね。凄いです。ヽ(^o^)丿



 

Re: おやまぁ

 投稿者:THJ  投稿日:2014年 9月30日(火)23時12分43秒
  阿部日ケ~ン(院政)さんへのお返事です。

> これで全文なのですか?
> 入手先は「宿坊の掲示版」の信濃町くんでしょうか。

全文では無いのではないでしょう。
話では「1万8千字近くに及ぶ」と聞きますし。

創価太郎のリンクにある「教学部レポート」を読む限り、
「日蓮正宗(日興門流を含め)の教学的な正当後継教団が創価学会である」と言うスタンスで「日顕宗」との
言論闘争を行っていた教学部(教学部の使命は対日顕宗だけでは無いでしょうが)がこれまでの価値観と異なる
方向性を示されたことにより、対応が困難な意思表明を示した。
と、言うだけにしか読めないものですね。

「本門戒壇の大御本尊」に関する話は、「日顕宗」と決別以降、いずれは方針を決めなければならない話であることは
教学部も認識しているように、文面からは読み取れます。
本尊に対する本質的な点では「御本尊の本質は「一念三千自受用身」すなわち「南無妙法蓮華経即日蓮大聖人」という人法一箇の法体の顕示にある」
とあるように、対立面は無いでしょう。
このため、学会として「本門戒壇の大御本尊」の再定義をするのを、「教学部レポート」では単に「時期早々」と
言う主張をしているだけでしょうね。

「本門戒壇の大御本尊」の再定義は共通の懸念事項なのですから、扇動的な喧伝を行う人達が言うような
「教学部レポート」で創価学会内に組織を割るような大騒動があるとは読めませんね。
 

おーい中華グルメくん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年 9月30日(火)21時44分31秒
  http://9315.teacup.com/jijinewsnichiren/bbs/122

※おいおい、富士宗学要集第10巻131頁のは、熟と言う意味で使われておるのだろうが、君が宿=「出世」(生まれていない)と言う使い方をするからおかしくなるだよ。
まあ、これ以上は言わないが。

いや。そこは熟という意味ではないよ。
久遠元初の本仏から見れば、三千塵点の出世も一夜の仮宿のようなものだ。との意味だろう。
地涌の菩薩が大通下種で熟るわけないじゃんw




------------------------
>平成24年3月度 広布唱題会の砌 (於 総本山客殿)
故に「唱法華題目抄」には、「末代には善無き者は多く善有る者は少なし。
故に悪道に堕せん事疑ひ無し。同じくは法華経を強ひて説き聞かせて毒鼓の縁と成すべきか。然れば法華経を説いて謗縁を結ぶべき時節なる事諍ひ無き者をや」(御書P231)と仰せであります。すなわち末法今時では、順縁の衆生はもとより、たとえ逆縁の衆生であっても、三大秘法の南無妙法蓮華経を聞かせることによって正法と縁を結ばせ、将来必ず済度することができるからであります。

-------------------------

※君は、「少分」は生まれてくると言う根拠にしたかたったんだろう。
しかし、そのことは既に何度も言ってきたことだから省略な。

違うよ。佐渡已前の大聖人に、乗種による「本未有善」「本已有善」の考え方があった根拠だよ。


※しゃーーーないじゃん。「唱法華題目抄」では法然を破折されてんだから。

あんなぁ~法然を破折していても、佐前のこの抄では天台の仏像を肯定してんのよ。法然を破折してるだけの御書とだけ読むんじゃない!
日如はん なんか三大秘法までぶっこんでるだろ?



※だから、君が、「スマン。スマンコ」をスケベな発言だと言うからだよ。
君の理屈で言えば、「キンマンコ」がドスケベで、「キンマ○コ」はスケベではないことになる。


いや。話しをビシッと変えるのが一流と言うものだよ。マジで。

※君は、「勧心本尊抄日相聞書」の「過去に下種結縁無き文、執著等の点但だ一類の事と見るべきなり、二類となすは不可なり」と言う部分で、そのように判断したのだろうが、この日寛上人のお言葉は、「執著等の点」での相似点を言われているのであって、何も俺の書いたことを否定はされていない。

あっ ごまかしてるな~w
君は、はっきり「久遠の下種が無い者」を久遠元初の下種が無い者と解釈してただろ?
「久遠の下種が無い者」=「一には仏を見たてまつりて法華にして得道す」かい?
久遠の下種が無い者は正像で得脱しないんだよね?そうだよね?
そう言ったよね?
「執著等の点」での相似点だけ(一類)と似てるけど本当は違うとの意味かい?本当は(二類)なの?
でも(ニ類)こそ「仏を見たてまつらざれども法華にて得道する」んだから「本已有善」だぞ(笑



※後半は、また、無理な解釈をしたな。
君の言う順縁、逆縁は、久遠元初の聞法下種~正像時代までは亡失と亡失せざるという分類で存在するが、亡失した者もすべて三五の塵点と、正像時代に成仏してるよ。

すべてではない少分はある。

※ それが困るから、君はずっと「少分はある」と言ってきたのだろう。
本未有善、本已有善の違いはあくまでも仏乗種があるかどうかの違い。

だからぁ久遠聞法下種があるかどうかの違いが種家の文底だよ。
五百塵点劫は本門寿量で初めて明かされるんだから、迹門での本未有善、本已有善は三千塵点劫だろうが。
つまり、本門文底から見れば、「本未有善の衆生」も実は「本已有善」であることに気付くのだよん。


※生命は三世に渡るものであるから無始無終と捉えなければいけないだろうなぁ。
そうすると、新たに生命が生まれてくると言う考え方はないだろう。(←この考え方にも問題はあるが、今は置いておく。)
やはり、久遠元初の聞法下種の一切衆生とは、仏法の話を聞いて理解できる能力のある生命体と考えた方が整合性はとれるな。
仏法は道理だからな。


つまり、君の言いたいその生命体と言うのは、犬とか猫とかということかワン?
君の前世は猫かニャン?


新たな生命でなければ、冥福してる命と捉えればいいだろう?
まぁとにかく「生命」というのは大正以後の言葉だから1回外した方が良いこもしれんな


※ そうでなくては、仏乗種を持たない衆生が発生するとは考えられない。

発生するから末法に人が生きてるんじゃね?

※ 単に忘れているのなら、末法即久遠とはならないだろうが。

今から五百塵点劫先の未来から今を見れば「末法即久遠」だよ。
最初聞法下種も已にされたわけだし~~~w



※>成仏とは生死を離れる事だからね。
ん。必ずしもそうではないだろう。
即身成仏とは、現在の身のままで成仏することだからな。
生死はついてくる。

生死の輪廻を離れる事なの。じゃなきゃ、仏教ですらないじゃなか?
つーか君、今世に未練たっぷり感すごいな(笑
次も人間に生まれたいんだろ?(大笑

まぁ俺もだ。



※だから、久遠下種の時の「一切衆生」とは、仏法を聞いて理解できる生命体で、その時に理解できない生命体が存在すると考えないといけないだろうと言っている。
君が下記に引用した大白法にも、「この時、衆生に順縁と逆縁があらわれ、」とあるのは、その証左ではないか。
理解出来なければ、順縁も逆縁もない。

「仏法を聞いて理解できない生命体」ってなんなん?アリとかミジンコのこと?
それかジャワ原人とかそういうこと?


----------------------
>大白法・平成8年3月16日
すなわち、久遠元初において、名字凡夫の本仏釈尊は、文底本因妙の妙法をもって、一切衆生に下種されました。この時、衆生に順縁と逆縁があらわれ、下種の教法を信受した順縁不退の衆生は、凡夫即極の即身成仏の本懐を遂げたましたが、下種の妙法に背いた逆縁の衆生や、一旦順縁となっても退転した衆生などは、妙法誹謗の悪業により、無量劫という永い間、悪道に堕ちて様々な苦しみを受けることになったのです。
しかし、一度植えられた妙法の仏乗種は、必ず生命の奥底に宿ります。この順逆二縁の下種の宿善が本となり、彼らは本已有善の機根として、やがて熟脱の仏法により化導を受けることとなるのです。このため、久遠元初の本仏は、五百塵点劫の本果以来、色相荘厳の垂迹仏として世々番々に出現し、熟脱の教法をもって次第に機根を調えられました。そして、本已有善の衆生は、インド出現の釈尊による脱益寿量品で久遠下種を覚知し、ようやく即身成仏の本懐を遂げることができたのです。また、これに漏れた者も 熟脱の教法により、正像二千年までの間にことごとく得脱し終わったのです。

--------------------------

※この大白法のとおりだよ。

おーい!本未有善の人どこ行ったんすか?


※なんで、この文段を引用したんだ?

宿の為。


※ねえよ。
君の言うように地涌の菩薩は「復また次に久遠を種となし、過去を熟となし、近世を脱となす、」だから基本的に全て成仏していて良いんだよ。


それ天台の文上。
それに基本的ってなんだ?基本的じゃない少分はあるのかな?


※ しかし、虚空会の時に出てくるんだよな。でなきゃ動執生疑も上行菩薩への付属も出来ないもんな。
たしかに整合を図る必要はあるね。
で、君はその根拠を機根に求めたのだが、「得脱できるがあえてしなかった地涌の菩薩」が存在すると言う方が良いのでないかえ?

だからそれをずーーーーと、その説明してるんですけど!

※一言いいか?・・・・分からん。
上行菩薩の本地は、久遠元初自受用報身如来様。恐れ多くて下根とか機根で言えねえ。
また、虚空会の時の地涌の菩薩は上行菩薩だけじゃねえしなぁ。


君が上行菩薩はひとりっぼっちとか言い出しタンが最初だろ~~~~ぉ。がぁ
あんな~。
上根の地涌の菩薩は、久遠下種に順縁だから種即脱ですぐに得脱しちゃうでしょ。遅くとも大通の前で成仏よ。
ところがな~、この下根の地涌の菩薩はな~、仏のいない中間、中間に菩薩として生まれ人々を教化するんだよ。それほど尊い菩薩だからこそ末法に生まれるわけね。



※何を意味の分からぬことを書いているのだ。
前段から読みなさい。
日寛上人も、末法に於いて在世下種の者がいると言われている。

それは発心下種。つまり在世で(熟)の人。
在世に聞法下種は絶対にない。



※それらの者には、「在世下種の余類、末法を脱と為すの一機の為なり。全く本門下種の機には非ざるなり。然れば脱の為には有得道なれども、下種の為には無得道なること分明なり。」と言うことだよな。
当然これらの者には、迹門で良いわけだけど、大聖人様は、太田抄の御文で「悉く尽きぬ」と言われている。そうすると、整合が取れなくなる。

ここの本門下種というのは最初聞法下種ね。
んで、「末法を脱と為すの一機の為なり」の末法を脱となす一機の者というのは「本已有善」の者。「本已有善」だから「本門下種の機」ではないと言ってるのよん。
つまり本已有善の者が末法にもいると言ってるのよ。


※だから、どのように会通するのかと質問したのだろうが。
それに対して、「答ふ、此等の御文体は奪って之を判じたもうが故なり」と言われておるのだよ。

「末法を脱となす一機の者」、つまり本已有善の者を省略してると言ってるの。君全部反対だもん。固定観念で読むからそうなる。

※このことをもってしても、「末法に於いて在世下種の者」とは、理としての存在であることがわかる出でないか。
それから、与奪の意味は、実際に奪うとかと言う意味じゃねぇ~。まったく。

めんどいから省略w


※何遍言ったら分かるのだーーーーーーーーーーー。
>久遠元初に(種)→大通(発心下種なし)→虚空会(権小に執著して退)→正像時代(法華にても脱できず)
は、あくまでも理としては、存在するが実際にはいないんだよ。
でなければ、大聖人様の仰せに違背するだろう。
日寛上人も日詳上人も言われているだろうが。

大聖人も日寛上人も日詳上人も日善も「少分いる」と言われている。

※亡失した者=本未有善、亡失していない者=本已有善という立て分けではないんだよ。
種熟脱だから、あくまでも一端植えつけられた仏乗種は消えないんだよ。

おっ!
良いこと言った!
つまり、破門しようが除名しようが「一端植えつけられた仏乗種は消えないんだ」
つまり本已有善が本未有善になることは絶対にない!
そうだよ~~その通りだよw




※だから、末法においても理論上存在する在世の結縁の衆生には迹門でも良いのだよ。

ありゃ?あっさり末法に本已有善がいる事認めちゃったね。


※へぇ~へぇ~、五百塵点劫のお爺さん。
あのな~~。地涌の菩薩は、近世と虚空会ですべて得脱したんだよ。
君は三二相なのか?
ひょとして、陰蔵相?

ああぁ。なんで地涌の菩薩が虚空会で得脱するんだよ?
君は、近世の意味を間違えてるなぁ。つーかそれは文上だ。
「復また次に久遠を種となし、過去を熟となし、近世を脱となす」
これは久遠近世と言って、インドの三千年前の近世ではなくて、
三千塵点劫の前の近世になるよ。



※冗談は置いておいて、ただ、末法において大聖人様のみが地涌の菩薩の上首、上行菩薩の再誕として生まれてこられたんだよ。
君は大聖人様が下根と言うのか!

前述で説明済。
「恐れ多くも」と日善が言ってるんだから、そういう事だ
 

おやまぁ

 投稿者:阿部日ケ~ン(院政)  投稿日:2014年 9月30日(火)16時31分21秒
  これで全文なのですか?
入手先は「宿坊の掲示版」の信濃町くんでしょうか。
 

(無題)

 投稿者:創価太郎  投稿日:2014年 9月30日(火)14時48分50秒
  教学部レポート

http://megalodon.jp/2014-0930-1221-05/8243.teacup.com/shakuson/bbs/886
 

おーいい黒川店主さんや

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年 9月29日(月)18時21分18秒
  「朝鮮進駐軍」は出さんほうが良いぞ。
証拠出せ言われたら困るだろう?
従軍慰安婦と同じ捏造なっちゃうぞw
桜井誠も「朝鮮進駐軍が実在した」とは認めてない筈じゃよw
 

(無題)

 投稿者:員X  投稿日:2014年 9月28日(日)03時19分54秒
  仁川アジア大会開幕、誠におめでとうございます。  

(無題)

 投稿者:員X  投稿日:2014年 9月28日(日)03時18分21秒
  神奈川池田記念講堂完成、誠におめでとうございます。  

おーい中華グルメくん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年 9月27日(土)20時43分18秒
  http://9315.teacup.com/jijinewsnichiren/bbs/111

※今日は、アジア大会見るんで休みな。

じゃ、君の為に
もう少し丁寧に説明しとくよ。

「一には仏を見たてまつりて法華にして得道す」(一類)


久遠元初に(種)→大通(発心下種なし)→虚空会(仏を見て熟)→正像時代(法華にて脱)

これで(一類)が大通下種なしで(種)(熟)(脱)してることが判るね。

次に、「二には仏を見たてまつらざれども法華にて得道するなり」(二類)

久遠元初に(種)→大通(発心下種で熟)→虚空会(仏を見ず)→正像時代(法華にて脱)

これで二類は虚空会なしで(種)(熟)(脱)してることが判るね。

「其の上仏教已前は漢土の道士・月支の外道は、儒教・四韋陀等を以て縁と為して正見に入る者之有り。」

上記の判別からこれと「教外の得道是なり」まで二類に判別されるね。

「過去の下種結縁無き者の権小に執著する者は、設ひ法華経に値ひ奉れども小権の見を出でず。」

これは、
久遠元初に(種)→大通(発心下種なし)→虚空会(権小に執著して退)→正像時代(法華にても脱できず)

(発心下種)がないので(一類)に判別できるね。
そして!この機根のパターンをよく見て欲しいんだけど・・・、
正像で(脱)できないんだから、当然少分は末法に来るよね。
つまり、久遠元初下種→忘失→末法 のパターンね。
これ、本未有善なんよ。でも本当は善根を持ってる。

次に、前出の地涌の菩薩の下根のパターン、
久遠元初に(種)→五百塵点に(熟)→大通(パス)→虚空会(約束)→末法

つまり、地涌の菩薩と、この「過去の下種結縁無き者」(一類)との違いは、最初聞法下種に順縁だったか逆縁だったかに尽きるってわけさ。
まぁたぶん僕は順縁だったと思うよ。君は生まれてなかったみたいだから、僕の方が五百塵点劫年上だな(笑 ハッハッハ
 

中華グルメくん 補足

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年 9月27日(土)11時23分41秒
  ※勧心本尊抄に、「其れ機に二有り。一には仏を見たてまつりて法華にして得道す、二には仏
を見たてまつらざれども法華にて得道するなり。其の上仏教已前は漢土の道士・月支の外道
は、儒教・四韋陀等を以て縁と為して正見に入る者之有り。又利根の菩薩凡夫等の、華厳・
方等・般若等の諸大乗経を聞きし縁を以て大通久遠の下種を顕示する者多々なり。例せば独
覚の飛花落葉の如し、教外の得道是なり。過去の下種結縁無き者の権小に執著する者は、設
ひ法華経に値ひ奉れども小権の見を出でず。」と久遠の下種が無い者がいることを、ちゃん
と示されているではないか。(「過去の下種結縁無き者」以下の文を指す。)

(日相聞書)
「過去に下種結縁無き文、執著等の点但だ一類の事と見るべきなり、二類となすは不可なり」

つまり、ここの過去の下種結縁とは、久遠元初聞法下種を指すのではないのだよ。
三千塵点劫の発心下種の無い者という事だよ。

?
 

そぉい!中華グルメくーん

 投稿者:大勝利  投稿日:2014年 9月27日(土)11時03分33秒
  ※その後に何と書いてある?
「問うて云く、若し傍に迹門を弘むるならば、太田抄に云く「既に末法に入つて在世の結縁の者は
漸漸に衰微して、権実の二機悉く尽きぬ」云々。如何が之を会通せんや。
答ふ、此等の御文体は奪って之を判じたもうが故なり」

とあるね。
だから~~。
大聖人様の仰せと、日寛上人と日詳上人の言われていることが一致したわけだよ~~ん。
すなわち、「少分」の解釈は「与えて」言われているんだぞ。
おかわり?・・・じゃねえ。お分かり?

君、与奪が逆じゃね?
傍の方を奪ってるんじゃね?
正=本門、傍=迹門として正傍二義があるならば、何故「悉く尽きぬ」と言われてるのか?
それは、ここは「傍」を奪った御文だから。 との意味じゃね?
 

「破邪(はじゃ)顕正(けんせい)」とは正反対の宗門の"黒歴史"

 投稿者:宿坊  投稿日:2014年 9月26日(金)23時38分51秒
   日顕宗機関紙「大白法」9月1日号に「破邪顕正の実践」と題する記事が載
っているが、いい加減極(きわ)まる代物だ。記事は「日蓮正宗のみが破邪を実
践する宗団」との見出しのもと、「身延派をはじめ日蓮宗各派では破邪を全く
行っていません」「(日蓮宗各派は)布教ができなかった時代や軍国主義の圧
政などに影響され、破邪の精神を失った」「破邪を実践している宗団は、我が
日蓮正宗だけであります」などと言いたい放題である。

 事実はどうか。日蓮正宗宗門こそ戦時中、「軍国主義の圧政」に恐れをなし
て「破邪」を行わなかったのである。それどころか、当時の宗門は軍部権力に
媚(こ)びへつらって御書の御文の削除や御観念文の改変を行い、伊勢神宮への
遙拝(ようはい)を指示し、挙(あ)げ句(く)に謗法の神札を受け取った。その後、
大石寺は大火に見舞われ、時の法主・鈴木日恭が焼死した。

 歴史を改ざんし、過去への反省も無い、ご都合主義の邪教・日顕宗。その悪
を繰り返し糾弾(きゅうだん)し、追撃を加えてまいりたい。


10月の予定
 1日(水) 御会式(11月末にかけて各末寺で)
 5日(日) 広布唱題会(本山、末寺)
12日(日) 御講(末寺)
 

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