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愛知ダム沈む設楽・八橋に街道の遺産 「旅人落書き石」後世に
設楽ダムの建設で水没する設楽町八橋(やつはし)に、墨で文字を書き込んだ石がある。昔の旅人が書いたとされ、地元では「落書き石」と呼ばれてきた。一帯では間もなく、ダム建設に伴う付け替え道路の工事が始まる。八橋区長の金田直孝さん(67)は「貴重な遺産。後世に残さねば」と、保存に向けて奔走している。 落書き石は旧伊那街道に沿った水田の石垣にあり、幅六十センチ、高さ二十五センチ前後。右端に○で囲んだ卍(まんじ)の記号。その左に、文字が墨で書き込まれている。 十数年前、設楽町誌に掲載するため専門家が解読を試みた。かろうじて「三州宝飯(ほい)郡西××町×××百」まで判読したが、いつ、だれが書いたかは不明のままだ。 石垣の前は小さな広場になっており、街道はここから境川を渡って急な山道になる。子どものころから「旅人が書いたものだ」と聞かされてきた金田さんは「広場で休憩した人が、戯れに書き込んだのでは」と推測する。
石垣は長年、雑草に覆われ、落書き石の場所も分からなくなっていた。金田さんは昨年夏、草を刈り、記憶をたどりながら探索。石の表面を一つずつ水で洗い、ようやく確認した。 この辺りでは間もなく、県道10号(設楽根羽線)の付け替え道路の工事が始まり、石垣は取り壊される。保存先を求めて走り回り、町の博物館・奥三河郷土館が引き受けてくれることになった。自分で落書き石を取り外し、郷土館へ運び込むことにしている。 「落書きって、一人が書き込めば連鎖的に広がりますよね。ほかにも落書きされた石があるかもしれない」と金田さん。「取り壊しまでにもう一度、石垣を丹念に調べてみます」 (鈴木泰彦) <伊那街道> 豊川市小坂井町から新城市、設楽町を経て長野県根羽村に入り、伊那谷を通って塩尻市に至る街道。三河と信州を結ぶ幹線道路で、沿道の経済や文化を支えた。設楽町内では津具地区でも、旅人が記したとみられる墨書が街道沿いの石垣に残っている。 PR情報
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