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ミリオタでなくても軍事がわかる講座 作者:小田中 慎

騎兵・その栄光と挫折(後)

 ルネサンスを経て時代が近世に入ると、騎馬に適した平原が多く中東や中央アジアの騎兵を駆使する諸民族の影響を受けた東欧で軽騎兵が発展し、優秀な騎兵の伝統が生まれました。

 この時代、つまり17から18世紀になると、ヨーロッパの騎兵は重騎兵、軽騎兵の区別以外に様々なバリエーションが現れ、随分と賑やかなことになって行きました。
 そして、ココがようやく今回のキモですが、日本人には解り辛く、また勘違いされやすい細分化と名称が現れるのです。
 ロシアでは獰猛なコサック騎兵が軍の中に取り込まれて有名となり、ポーランドではフサリア(有翼重騎兵)とウーラン(槍騎兵)、ハンガリーではユサール(驃騎兵)が現れ、活躍します。

 この近世騎兵の名称、特にファンタジーやゲームを嗜む方は胸躍るような名前がどんどん出て来ますが、実体はどうも馬に慣れ親しんでいない私のような者にはピンとこないシロモノです。 

 では、この近世から20世紀までに活躍した騎兵の主なものを見てみましょう。


○軽騎兵
 遊牧民族が中心戦力として信頼を寄せ、アラブ馬など軽くて脚の速い馬に跨がり、鎧をせずに剣や投げ槍、弓などで武装した軽装備騎兵が近代化したもので、ピストルや刀剣、槍などを武器に颯爽と戦場を駆け回る格好の良い騎兵です。
 特にロシアを含む東欧諸国で発展し、ランサーやウーラン、ユサールもこの軽騎兵に分類されます。
 その軽装、機動力を活かした任務に活躍し、敵地浸透攪乱や偵察、略奪や奇襲、輜重襲撃、戦闘後の残兵狩りなどに使われました。
 特に歩兵戦術が集中配備や方陣(ほぼ四角形に固まった歩兵の隊列で騎兵突撃に対抗する戦術)から散兵(集団から離れて個々人で戦う戦術。猟兵が得意とする)へと多様化すると、この散兵「狩り」にも有効な兵力でした。

○重騎兵
 中世ヨーロッパの騎士の伝統を受け継ぎ、馬体の大きな重い馬で戦う重装備の騎兵です。武器や戦闘の近代化に従ってかつての鎧甲を脱ぎ捨て、胸当て(胸甲)だけを付けたり、派手な衣装をまとって敵を威嚇したりします。胸甲騎兵やドラグーンの一部、フサリア、砲騎兵などがこれに分類されます。
 任務としては戦闘の決定的場面で集団を組んで突撃を行い、敵の隊列を乱したり、軽騎兵の攻撃に対抗しこれを蹴散らしたりしました。
 しかし、火器が発達し、小銃や砲の発射速度や命中度、威力が高まると騎兵の突撃は次第に危険な「自殺行為」と化し、自然と軽騎兵に取って代わられ消滅して行きました。

○胸甲騎兵(キュイラッシャー)
 中世騎士の鎧が時代と共に小さくなって行き、行き着いたのがこの「胸甲(キュイラス)」です。鉄のかぶとに胸と背中を覆う鉄のベストを着用するのが一般的で、騎兵用に銃身を切り詰めた騎兵小銃(カービン銃)やピストル、サーベルで武装し、騎乗したまま戦うのが普通でした。決戦の切り札として集団突撃を行い、特にナポレオン戦争当時、フランスが重用して成功を収めたことで有名になりました。
 この胸甲、マスケット銃などの弾丸を受け止められたとも言いますが、ライフル銃が登場し、小銃の威力が増すと貫通され、更に機関銃の登場でほとんど飾りと化してしまい、衰退して行きました。

○竜騎兵(ドラグーン)
 元々、この兵種は歩兵で、馬に乗って移動し、戦場に到着すると馬を下りて後のカービン(騎兵)銃の元祖、銃身を切り詰めたマスケット銃で戦う兵隊のことを「ドラグーン」と呼びました。
 この「竜の兵士」の語原は諸説あってはっきりしませんが、彼らが持っていた「ラッパ銃」のことを「火を噴く武器=竜」として付いたのではないか、という説が有力なようです。
 最初は馬から下りて戦っていた竜騎兵ですが、次第に乗馬したまま戦うことが多くなり、歩兵から普通の騎兵の一種となって行きました。
 これも時代と共に変遷しましたが、この兵種は各国で大きな違いが現れ、重騎兵が重用されたフランスやロシアでは軽騎兵の扱いで、逆に軽騎兵が重用された中欧(プロシアやオーストリア、ハンガリーなど)では重騎兵扱い、イギリスに至っては「重竜騎兵」と「軽竜騎兵」という二種が現れました。
 これは我々日本人には全く訳の分からない分類で、これは各国ともそうだったようで、騎兵銃が騎兵全般の主要武器となる19世紀以降では名誉尊称として使われ、言葉だけの分類になっていきました。

○槍騎兵(そうきへい/ランサー)
 騎兵と槍という組み合わせの歴史は古く、中でもアレクサンダー率いる槍騎兵は有名です。この槍を騎兵で使うことは考えてみれば当然で、馬上から敵と戦う場合、刀剣よりリーチの長い槍の方が有利で扱いやすく、槍は長い間騎兵の主力武器であり続けました。
 しかし、これも投射兵器(弓矢から火器)が発展するまでで、集団となって投射兵器を撃ち掛ける歩兵に対し、槍を扱う騎兵は歯が立たず、こうして槍は武器として次第に軍の隅に追いやられることになります。
 これに再び光が当たったのは18世紀以降で、火器の更なる発展が歩兵の戦術を集団縦列・方陣から横列・散兵へと変化させると、槍騎兵が活躍する場面が登場、特にポーランド人の槍騎兵(ウーラン)が大活躍したので各国が取り入れ、ナポレオン戦争を全盛に20世紀まで生き残りました。
 槍騎兵は小旗を結んだ長い槍を片手に、接近戦用にピストルやサーベルで武装するのが一般的で、通常、軽騎兵部隊とは別の兵科として独立した部隊を組み、対歩兵への突撃や追撃戦、散兵狩りに活躍しました。
 槍が小銃に立ち向かうのは何かドンキホーテ的愚かさに見えますが、ドライゼ銃などの後込め銃や連発銃が現れるまで、早くなったとはいえマスケット銃は弾丸の装填に2、30秒掛かったので少人数の散兵戦術では槍騎兵に勝機があったのです。
 なんと第二次大戦の冒頭、ポーランド戦でもポーランドのウーランがドイツの戦車部隊に対し槍一本で突撃したと言われています。さすがにこの戦いの後、ウーランは消滅していきました。

○ポーランド型槍騎兵(ウーラン)
 近代型槍騎兵の本家本元、ポーランドで誕生した騎兵で、18世紀、後述するフサリアが衰退した後、中世ポーランド王国最後の国王であるスタニスワフ2世が自身の親衛隊に作った長槍(ランス)を主兵器とする騎兵部隊を「ウーラン部隊」と呼んだことが始まりです。ちなみにウーランとは中央アジアの「勇敢な戦士」を意味する「オグラン」から来ているようです。
 この後、ポーランドがオーストリア、ロシア、プロシアに分割されるとこの三国に移ったウーランたちはその国の軍隊で軽騎兵として活躍し、やがてこれらの国が槍を持ったポーランド騎兵を「ウーラン」と呼び、増強していくのでした。
 これを見た西欧諸国も自国騎兵に真似をさせたり、亡命ポーランド人騎兵によるウーラン部隊を創設し、ウーランは18世紀から19世紀ヨーロッパの戦場を駆けめぐったのでした。
 このウーラン、独特な出で立ちで、チャプカと呼ばれる頭頂に四角形の板が付いた前楯の高い帽子をかぶり、前合わせをダブルにした制服は美しい紺青で、後にこの色がプロシア兵の制服の色となります(プルシアン・ブルーとして有名ですね)。

○有翼騎兵(フサリア/ウイングド・ハッサー)
 1500年代末にポーランドがリトアニアと同君王国であった時代に誕生した騎兵です。
 この騎兵たちは、中世型の重騎兵が衰退する原因の一つとなったパイク(対騎兵用の長槍)戦術に対抗して、アレクサンダーの紀元前に先祖返りしたような長い槍と強固な団結力、そしてきらびやかな衣装と飾りを身にまとい、騎兵を再び戦場の華に昇格させて功名を馳せました。
 ポーランドの若い貴族たち(シュラフタ)から選ばれた者がなるフサリアは、実際、その突進と衝撃力は圧倒的であり、1610年に発生したクルシノの戦いでは3万5千のロシア軍を、フサリア隊を中心にした6500人で破り名を轟かせました。
 その派手な翼の飾りから有翼騎兵と呼ばれますが、突撃する際には邪魔になるので馬に固定したり、後年では行軍のみ飾りたて、戦場では取り外して戦うようになります。
 その飾りだけでなく次第に重く豪華な飾りと甲冑を身にまとうようになり、また、使用する馬もアラブ馬では大型の馬を選んで使用したため、非常にお金が掛かった部隊でした。
 お陰で馬の品種改良ではポーランドがヨーロッパ随一となりますが、国家財政にまで影響するようになったと伝えられます。
 この騎兵も財政問題などを理由に1770年の軍制改革で解散され、後述のユサールへ発展的に解消して行きました。

○驃騎兵(ユサール)
 ポーランドで発達したフサリアから甲冑や飾りを取って軽騎兵化したものがユサールと呼ばれる騎兵です。驃騎兵と訳されますが、意味はほとんど軽騎兵のことです。
 維持管理に金と時間(馬や人員の育成など)が掛かるフサリアと違って軽快、比較的低予算で部隊維持が出来るため、17世紀以降、各国とも騎兵部隊の主力として配備していきました。
 特にハンガリー(マジャール)人のユサールは勇猛果敢として有名になり、オーストリア帝国に属するハンガリーのユサール部隊は周辺国から恐れられました。
 また、プロシアではオーストリアの散兵戦術に手こずったフリードリヒ大王が敵方のユサールを真似て部隊を作り、成功させています。
 最初は東欧諸国からやってきた傭兵でユサール部隊を創設した西欧諸国も、次第に自国民で部隊を作るようになり、定着しました。
 フランス革命からナポレオン戦争にかけてはユサールが偵察に襲撃にと活躍し、ウーラン(槍騎兵)と並んでエリート部隊として若い貴族たち人気の職業となりました。
 ユサールは騎兵の主流として20世紀まで生き延び、現在でもウーランと並んでユサールの名を名誉尊称として部隊名に冠する国があります。

○猟騎兵
 散兵戦術を得意とする、元は猟師やきこりなどを集めたエリート兵、猟兵|(イェーガー/シャスール)が騎兵化したもので、下馬して戦う竜騎兵に近いものがあります。特にフランス軍で軽騎兵部隊の主流として扱われ、ナポレオン戦争で活躍しました。乗馬して戦うことの方が多かったので、その制服以外、軽騎兵の一種と考えても良いようです。

○砲騎兵
 大砲が軍隊で重要視されるほどに、その運搬が問題となっていきましたが、運搬と設置に時間の掛かる大きな大砲より、威力は小さくても馬数頭で運搬出来、設置と撤収、移動にさほど時間の掛からない小型の砲も好まれるようになります。
 砲兵も馬に乗って移動すればますます早くなり、使い勝手も良い、そう考えた一部の国で「砲騎兵」が誕生しました。
 竜騎兵がカービン小銃に代えて大砲を持ったと考えれば間違いないでしょう。特にイギリスで好まれたようで、現在でも名誉尊称で砲騎兵を名乗る部隊があります。

 こうして並べると、騎兵は正に戦場のエリートであり「華」であり、騎士の時代から続く戦士としての「嗜み」、騎士道を具現するものとして生き延びて来たことが分かります。

 しかし、歩兵、砲兵と並んで、三大兵科の一角であった騎兵はやがて、火器の更なる発達と自動化車両により滅びる運命にありました。

 既に19世紀中頃、歴史が東西で大きく動いた時代に騎兵は終焉の兆しを見せていました。

 私が今「プロシア参謀本部」で描いている「普墺戦争」では、プロシア、オーストリア両軍で多くの騎兵部隊が登場しますが、その活躍は数に比例することなく、残念ながら偵察斥候や敗残兵の追撃以外、目立つことはありませんでした。
 数少ない活躍の記録は殆どが同業者相手の対騎兵戦闘で、歩兵や砲兵が主役の戦場では、そもそも投入されずに後方に予備として拘置されたまま終わった、というケースばかりでした。

 この普墺戦争に限らず、19世紀中期以降の戦いでは歩兵が主役で、砲兵が「助演賞」と言ったところです。

 時代は確実に騎兵を過去のものとしようとしていました。小銃や大砲の発達と共に騎兵の突撃は歩兵や砲兵たちにとって「悪夢」ではなくなり、その発達による連射のスピードアップは騎兵の「悪夢」となりました。
 騎兵たち最大の武器であった「速度」は射撃間隔の短縮により相殺され、逆に射撃のスピードが騎兵の突撃を危険な冒険にしてしまったのでした。
 騎兵は偵察や敗残兵狩りなど脇役に徹することで命脈を保っている状態だったのです。
 戦場で活躍するのは所属する騎兵砲兵ばかりで、敵味方・自他共にエリートの集団と認められていた騎兵隊は憤懣やるかたなし、といったところでした。

 時代が20世紀になっても騎兵は残っていましたが、騎士と貴族の伝統を受け継ぐ「象徴」としてのみ存在しているに過ぎず、第一次大戦では塹壕と砲撃、機関銃や鉄条網の陰で、戦線後方に残置されたまま「無駄飯喰らい」と叩かれ続けます。

 最早騎兵は「博物館行き」を否めませんでしたが、自動化車両の登場は騎兵部隊に最後のチャンスを与えるものになります。
 騎兵部隊は馬を自動車に乗り換えて偵察部隊(日本陸軍では捜索部隊)へと変貌を遂げ、新しい時代に生き残って行きました。

 しかし、頑迷な一部エリートに率いられた騎兵部隊もあり、そうした部隊はエリートの自負と伝統から抜け切れずに、せっかく新機軸である「鉄の馬」、装甲車や軽戦車を与えられても小馬鹿にして活用せず、乗馬による訓練を続け、戦場の中心で突撃を敢行した先祖の偉業に憧れるまま朽ち果てていくのでした。

 近代騎兵の活躍したヨーロッパの戦場では、第二次大戦でポーランド・ウーランがドイツ軍戦車相手に突撃して散り、最後の騎兵たちは戦争末期のイタリア戦線や東欧戦線で戦い、消えて行きました。
 最後に騎兵部隊が活躍したのは1945年、中国戦線で日本陸軍騎兵第4旅団によるもので、老河口飛行場を騎兵突撃により占領した戦闘が史上最後の騎兵作戦と言われています。

 騎兵の名前は名誉称号として各国の部隊名に冠され、現代も残ります。
 そのどれもが軽装備の特殊部隊や偵察部隊、空中輸送兵部隊で、現代の「フサリア」たちはヘリコプターという「翼」を持って戦場を駆けるのです。

姉妹作品「プロシア参謀本部」編はこちら↓クリック!


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