剣豪 ~エピソードで見る武~
頻発する凶悪犯罪、緊迫化する国際情勢……こんな時代だからこそ、「暴力」と「武」の違いについて考えてみませんか。日本が誇る武の世界、中でも剣の道を生きたモノノフ達の生き様を、史実・伝説・創作を問わず印象的なエピソードでまとめてゆきます。※ 随時、追加してゆく予定です。更新状況は巻末。
更新日: 2014年05月09日
頻発する凶悪犯罪、緊迫化する国際情勢……こんな時代だからこそ、「暴力」と「武」の違いについて考えてみませんか。日本が誇る武の世界、中でも剣の道を生きたモノノフ達の生き様を、史実・伝説・創作を問わず印象的なエピソードでまとめてゆきます。※ 随時、追加してゆく予定です。更新状況は巻末。
更新日: 2014年05月09日
黒河内伝五郎(くろこうち でんごろう)
2013年の大河ドラマでは六平直政さんが演じていましたが、伝五郎は背が低く、色白で、女性のような容姿だったと伝えられています……。
■ 武芸百般を体現した天才 ■
剣豪、といっても剣のみを修行した人はむしろ少なく、対処法を学ぶため、咄嗟の護身のため、様々な理由から幾つかの武芸を学ぶのが普通でした。しかし伝五郎の場合、それらは余技に留まらず、すべてが師範クラスの腕前でした。
黒河内治助兼博に神夢想無楽流の居合術を学んでその養子となって、黒河内伝五郎兼規と名乗り、指南役となって藩士の指導にあたった。
医師の家に生まれながらも、居合に開眼、その技によって指南役にまで至りました。
「柔術は技芸の元素なり、これを窮すれば他の芸術は推窮するに難からず」と門弟に教えていた。
後に合気柔術系武術のキーパーソンとなる武田惣角。その母が実は黒河内伝五郎の娘なのです。
この人のモチーフ……かもしれません。
千葉周作(ちば しゅうさく)
晩年に弟子の依頼で書かれたものとされる肖像画です。当時としては大柄で、眼光も爛々としていたというその姿が偲ばれます。
■ 「技の千葉」が見せた怪力 ■
周作が拓いた流派、北辰一刀流は他の流派と比較されたとき、特に「技」を褒め称えられました。しかし周作自身はその腕力、膂力においても非常に優れていたのです。
水戸藩主徳川斉昭の眷顧を受け剣術指範となり(中略)その面前で重量のある舶載の大筒を軽々と扱いその膂力は列座を驚嘆させた。
船の大砲を軽く持ち上げ
厚さ六寸の碁盤を片手に持って五十目掛蝋燭を煽ぎ消したという
六寸=約18センチ=平均的なマットレス(寝具)と同等の厚みの碁盤を片手で持って
五十目=五十匁=約188グラム=グラスキャンドルに匹敵のロウソクを仰ぎ消す……!
東郷重位(とうごう ちゅうい)
激しいイメージの強い示現流ですが、開祖である東郷は日常生活では芸事にも長け、門人に優しく、穏やかな性格だったといいます。この絵にもそんな人柄が現れていますね。
天正十五年(1587)七月、島津義久公に従い上洛した重位は、天寧寺において善吉和尚と出会い、弟子入りして半年余、独り研鑽を積み、薩摩に並ぶ者無き剣の達人となったのです。
重位が剣に開眼したのは、京都で出会った師の影響によって、でした。
その名声が島津忠恒に聞こえるところとなり、慶長9年(1604年)、忠恒の御前試合でタイ捨流の剣術師範を破り、島津家兵法師範となる。
タイ捨流もまた非常に実践的な剣術で、難しい相手でした。それを主君の目の前で打ち破った東郷はこの頃が全盛期だったのかもしれません。
このとき逆上した忠恒に斬りかかられたが、丸腰の重位はとっさに腰に差していた扇子で忠恒の手を打ち据えて刀をかわした
ここまで見事だと、認めざるを得なかったことでしょう。
富田勢源(とだ せいげん)
肖像画に瞳が描かれていないのは、つまりそういうことです。三十を過ぎた頃、勢源は光を失いました。
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