東京五輪50年:聖火の記憶今も…希望と感謝、平和の火

毎日新聞 2014年10月10日 21時53分(最終更新 10月10日 22時14分)

1964東京オリンピック・パラリンピック50周年記念ウィークのスペシャルトークショーに登壇した(右から)大日方邦子さん、上村愛子さん、大林素子さん、三宅義行さん、小野清子さん=東京都千代田区で2014年10月10日午後2時19分、内藤絵美撮影
1964東京オリンピック・パラリンピック50周年記念ウィークのスペシャルトークショーに登壇した(右から)大日方邦子さん、上村愛子さん、大林素子さん、三宅義行さん、小野清子さん=東京都千代田区で2014年10月10日午後2時19分、内藤絵美撮影

 1964年東京五輪開会式から50年の10日、東京都内では各地で記念のイベントなどが相次いで行われた。

 日本オリンピック委員会(JOC)主催の記念祝賀会には皇太子さまや安倍晋三首相、政財界やスポーツ界から約850人が出席。JOCの竹田恒和会長は「(64年五輪の)聖火は国民の心にともし続けられ、2020年には被災地の方々の希望と感謝の火、平和の象徴として新たな聖火台にともされることになる」とあいさつした。64年五輪の体操女子でチェコスロバキア(当時)代表として3個の金メダルを獲得したベラ・チャスラフスカさん(72)も姿を見せ「50年前の五輪は施設や運営、大会組織委員会のすべてが素晴らしかった」。舛添要一都知事は「6年後の大会は最高のおもてなしで迎えたい。被災県とも連携し、日本全体の発展につなげたい」と語った。

 千代田区内のホールでは五輪・パラリンピック経験者や若手アスリートによるトークショーがあった。64年五輪の体操女子団体銅メダルメンバーの小野清子さん(78)は、裏返しにした跳び箱で幼い娘をあやしながら体育館で練習に励んだエピソードを披露。「『子供がいるから(五輪に)出られない』とは言いたくなかった。私の、私に対する挑戦だった」と振り返った。

 6年後を目指す若手アスリートからも。障害者水泳の一ノ瀬メイ選手(17)は「オリンピックもパラリンピックも、同じぐらい盛り上がり、同じように高く評価されればいい」と語った。【藤野智成、竹内良和】

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