2003年7月9日(水) 『東京物語』 1953年当時の本紙記事から ロケ決定に色めき立つ 天野市長 松竹社長、小津監督にあいさつ |
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(続報)小津安二郎映画監督の生誕100年を記念するイベン トが、ゆかりの地で様々に行われているが、その代表作とされる 『東京物語』(1953年の制作公開)のロケ地、尾道の撮影時 の様子はどうだったのか? ちょうど50年前、敗戦後まだ8年し か経っていない当時、混乱の世相を反映して今では考えられない ような事件事故の記事が多いなか、山陽日日新聞では『東京物語』 について何回も取り上げている。その初回となる1953(昭和 28年)年6月21日(日)付けでは、一面トップでロケの決定と市を 挙げての歓迎振りを華々しく伝えている(=写真)。 見出しは 松竹秋の大作『東京物語』の尾道ロケ 七月上旬小津監督名優 連従えて来尾 いよいよ本極り 本文は次のとおり(一部、現代表記に変換)。 いまは逝き林芙美子は名作「放浪記」や「風琴と魚の町」で、 過ぎし「おのみち」の姿や情緒を心憎いぱかりに描きだし文学愛 好者に尾道を紹介、芙美子ファンに尾道に対する憧憬を与えたが、 今度は松竹大船スタヂオの小津組が大挙来尾して劇映画の背景と して尾道を全国に紹介しようとしている。 この企画は松竹映画秋の大作として封切られる「東京物語」の ロケーション地として観光尾道が選ぱれたもので来月上旬大船の 至宝といわれている小津安二郎監督が原節子、杉村春子、笠智衆、 日守新一、東山千栄子などのソウゝたる名俳達を従えて尾道に乗 り込んで来ることになった、と古い松竹蒲田撮影所に籍を置いて いた中英之助市議の手許にもたらされたもので、早くも関係者は その歓迎準備をはじめ、特に二十日全国市長会議列席のため上京 する天野市長に付き添って中市議も上京相携えて松竹本社に城戸 四郎社長を、また大船スタヂオに小津監督を訪問して挨拶を行う などこの朗報に関係者は色めき立っている。今度ロケされる「東 京物語」は松竹脚本部長野田高梧氏と小津安二郎氏の共作になる シナリオで、鬼才小津監督が得意の親子の間に醸し出される愛情 をテーマとしたもので、そのフアーストシーンは、 「七月初旬の朝、海岸通りに賑やかな朝市が立っている−尾道 の市街はその海岸通りから山手の方にひろがっている」とシナリ オの冒頭に記されてあり、またダイアログの中にも「イヤーいい 按配に戦災を逃れましてなァ あのお宅がおられた西御所あたり は昔のままですけ」 −などと尾道弁も懐しく千光寺、鯛の浜焼、尾道・水道等々々ふ んだんに尾道のローカルカラーが盛り込まれる 東京と尾道を結 ぶ切々たる人情の機微を掘り下げる物語である。 次回は1953年6月24日(水)と25日(木)付け、ロケハン来尾 の記事について紹介します。 |