山陽日日新聞ロゴ 2000年5月11日(木)
映画資料館に 小津監督や原節子など
 ロケで宿泊の竹村家が直筆色紙と写真寄贈
   大混乱だった『東京物語』の撮影当時を彷彿
 小津安二郎監督や銀幕のスター原節子、田中絹代、佐田啓二らの直筆
サインが−。先月22日にオープンした久保1丁目、おのみち映画資料
館に、近くの老舗旅館「竹村家」から貴重な新資料が届けられた。
 1950年代、尾道ロケが頻繁に行われた映画全盛期に、ロケ隊の宿とし
てよく使われていた竹村家。オープンした映画資料館で、メイン紹介さ
れている小津安二郎作品『東京物語』(1953年8月15日から尾道ロケ)
の宿となったことはよく知られているが、他の映画でもスタッフや出演
者がたびたび宿泊、尾道での撮影をかつて支えていた歴史が同旅館には
ある。
 今回寄贈されたのは、『東京物語』の小津安二郎監督と主演原節子の
直筆サインが入った扇子をはじめ名脇役大坂志郎▽『集金旅行』(1957
年10月1日からロケ)の佐田啓二▽新藤兼人監督作品『悲しみは女だけに』
(同年ロケ)の主演田中絹代の色紙サイン▽同映画出演の京マチ子、宇
野重吉、望月優子、船越英二らと新藤監督による寄せ書き▽さらに同年
撮影『裸足の娘』(日活作品)の南田洋子、長門裕之夫妻による尾道の
風景画を描いた色紙サインなど約10点。
 他に、『東京物語』の原節子と香川京子の直筆サインの入ったブロマ
イド写真7点も寄せられた。
 平櫛資正氏の「尾道乃記録」によると、1957年のページには「この年、
各映画社の尾道ロケ多し」との記述があり、映画全盛期の50年代後半か
ら60年代前半にかけて、十数本の映画ロケがあったことが分かっている。
 『東京物語』の尾道ロケに関しては多くの伝説が残っており、当時の
尾道は銀幕のスターが来るとあって大混乱したという。先発隊で到着し
た笠智衆と香川京子は、ファンが殺到する尾道駅に降りられず、西御所
にあった貨物駅で特別に下車。さらに次の日遅れて入ってきた原節子の
時には、混乱が一層増していたため、松竹本社が機転をきかせて特急で
糸崎まで向かい、タクシーで竹村家に到着したという。
 現在尾道観光協会長でもある武田社長は「ファンがまわりを取り囲ん
で、板塀に上る者、海側から覗こうとする者、あまりの混乱で石灯篭ま
で倒される始末だった。潜り込んだ者にいきなり写真を撮られて、原さ
んがずいぶん怒ったことがあった。小津監督らはとても紳士だった」と
当時を振り返って話す。撮影前のロケハンでも宿泊。先代の社長ら家族
が尾道弁の言い回しを小津監督らに伝授、脚本に生かされたという。
 その時に使った台本3冊が同旅館に残されている可能性が高く、既に
1冊しか現存しないといわれている同作品の台本がもし見つかれば、さ
らに貴重な資料になってくる。


転載責任者メモ:尾道映画資料館は、ロープウエイ乗り場のある長江口から海岸通りに
        出て左折(尾道駅方向の逆へ)。少し行った左(山側)の蔵の建物。
        古い土蔵を改修した"レトロ風"ではない本物のレトロ。
        竹村家はそれをさらに行った右(海側)。

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