あの子のことも嫌いです

元サークラ、サブカルメンヘラクソビッチ女、現在しょぼいOLの備忘録。

サークラだったわたしが、好きな男に150万円貢いだ話

恋愛が、下手だ。

中学・高校の6年間は女子校のいじめられっ子、大学入学とほぼ同時にサークラ*1デビューしたわたしは、特定の彼氏を作らないまま、恋愛の駆け引きの部分だけを繰り返して成長してしまった。

ふたりで部屋着のまま、だらだらとベッドの上でDVDを観て適当なチャーハンを作ったり、記念日にお互いささやかなプレゼントを贈ったり、夜通しちいさな声でくすくすと電話をするような、そんな少女漫画的な恋愛に対するわたしの憧れは募るばかりだった。

 

桜を散らすような雨が降り続いた日、彼とふたりで飲むことになったきっかけはごくつまらないものだった。

本来複数人で飲む予定だったのだが、飲み会当日、幹事が愛してやまない彼女に振られてしまったのだ。ほかのメンバーは急遽開催された彼の宅吞みに行ってしまい、既に待ち合わせ場所近くにいて、しかし家に上がるほど幹事と親しくはなかった彼とわたしは、初対面にもかかわらず2人で飲むことになった。

中央線沿いの決してお洒落とは言えない居酒屋に入り、彼のことを殆ど知らなかったわたしは、身に染み付いた「相手に好印象を持たれる会話術」を笑顔で展開した。

例えば彼の大学時代の話や友人たちの話を聞き出しては厭味にならない程度に褒め、趣味であるクラシック音楽については「わたしはあまり知らないのだけど」と一歩引きながらも、彼がいかにバッハが好きであるのかの蘊蓄を聞いたりした。お酒はほどほどに抑え、カルピスサワーとか可愛らしいドリンクを選び、相手の好みを聞いて注文をしては、食べ物はきれいに取り分けた。

これまでの経験から言えば、ここまでもてなせば相手はわたしにも関心を持つはずだった。しかし彼はもともと、あまり語りたがらない性格でもあり、突こうが叩こうが殴ろうか蹴ろうが会話の糸口を引っ張りだすのすら難儀した。

26歳なのにたびたび年齢確認されると言う、10代の少年にも見える感情の良く読めない顔に憂いを含ませて、スマートフォンを弄っているので「彼女にLINEかな?」と冗談めかして聞いてみると、にっこりと「うん、そうだよ」と返された。おまけに「この娘が彼女」と見せられた写真は、ぽっちゃりした女の子が写っていた。「ぽっちゃりした娘が好きで、他の人は興味ないんだよね。だから鶉さんのことも何とも思ってないよ」

わたしのなかでの何かがブツッと音を立てて切れた。

そもそも、いわゆる「デブ専」は、わたしにとっての地雷だ。母から、痩せなければ愛されることなどないよ、と言うプレッシャーを掛けられ続けていたわたしにとって、未だに「太っている女の子が好き」という異性をどう受け入れて良いのかが難しかった。

どうしてこの人に媚を売り続けなければならないのか、どうせわたしのこと好きにならないならもう何でも良いわ!!と、とりあえず目の前の甘ったるいお酒を掴んで盛大に煽ってから、本当は好きで堪らない日本酒を頼んだ。

そして、相変わらずスマホに夢中な相手の横顔に向かって、恐らく相手にとってはどうでも良いだろうことを話し始めた。女子だけどAVが好きで、AVにも上映会があって足繁く通っていること、1日に1冊本を読むようにしているから書籍代が嵩んで仕方ないこと、オタクでコミケをはじめとする同人誌即売会で自分の本を売っていること、どうせ聞かないなら何を話しても構わん、と他の男の子と話しているときにはおくびにも出さなかった、趣味の話をし続けた。

すると彼はスマホからやっと目を離し「へえ、面白いね」と言った。今更何を言われたってどうでも良い、と思っていたわたしは適当に返しながら、向こうの話を聞くことを放置した。

帰り道、駅のホームで別れる瞬間に、彼がふっと「キスしても良い?」と言った。「マジで無理なので。何言ってんの?」と吐き捨てて、わたしは彼と反対方向の電車に乗った。

 

数ヶ月後。ふと共通の知人から彼の話を聞いたのをきっかけに、メールをしてみた。思いのほかレスポンスは良く、とんとん拍子に上野の都美術館に展覧会を観に行くこととなった。

美術館での彼の話は、面白かった。イタリアのルネサンス期の芸術に関しては彼は饒舌だった。出会いが出会いだっただけに、こちらも好きな画家の話や読んだ本に乗っていた知識の話をすると、それもまた面白がってくれた。久しぶりに、ごく当たり前のコミュニケーションが取れた気がして、楽しくて仕方なかった。わたしが話題を用意しなくても良い、相手のプライドを傷つけないように誉め称え続ける必要もない、たったそれだけなのに、その日は家に帰ってからもずっと気分が軽かった。

どうやら彼女と別れたらしかった彼は、それを引きずることもなく相変わらず飄々としていたが、それから、毎週末のように出かけるようになった。場所は毎回まちまちだった。下北沢で古着屋巡りをすることもあれば、渋谷の映画館で単館上映の映画を観たり、時にはなぜか大雨のなか青梅の鍾乳洞に行ったり、軽井沢の旧軽通りを散歩したりした。

わたしが彼のことを好きになるのは、時間の問題だった。半ば強引に付き合って欲しいと迫ったわたしを彼は一度は拒否したものの、結局は受け入れてくれて付き合うようになった。

 

わたしは「男の子に告白される」術は持っていたけれど「男の子との関係を築く」術は全く持っていなかった。

付き合ってからのバラ色のはずだった毎日は、いつ振られるんだろう、いつ捨てられるんだろうという恐怖が頭のなかを占めるばかりだった。そもそも彼の好みから外れる容姿なうえに、サークラのように相手の理想に振る舞っているわけでもない。わたしの何を彼が必要としているのか、さっぱり解らなかった。

彼は趣味のことになると、周りのひとがどうでも良くなるきらいがあった。付き合って1ヶ月ほどだったときに、どうしても欲しいけれど既に廃盤になっている時計があるのだ、と教えてくれた。もともと腕時計が好きなのは知っていたが、それからの彼は時計以外の話を全くしなくなった。わたしはその時計がCREDORの何という品番の時計なのかもすっかり覚えた。デートを直前でキャンセルされることもあった。理由は「どうしても観に行きたい時計があるから」だった。

時計に夢中の彼をどう引き戻して良いか解らなかったわたしは「その時計を探すのを手伝わせて欲しい」と申し出て、一緒に取扱店に電話をかけた。全国のデパート、時計店、CREDORを扱っているお店にひたすら電話をしたけれども、その時計は見つからなかった。

彼はいっそうのめり込んだ。わたしはもう怖くて仕方がなかった。彼にとってわたしがどんどん必要なくなっていっているのを強く感じたからだ。そしてそのCREDORの時計が見つかったと聞いたときに「一緒にお店に連れて行って欲しい、お金はわたしが出すから」と言った。せめて、その趣味を共有させて欲しかった。

それからというもの、わたしはお金を出すことで彼の気を繋ぎ止めようとした。デートのときの食事代とホテル代、彼の交通費は全て出した。時計はCREDORは60万円、MAURICE LACROIXは45万円くらい。クロスバイクはフルセットで10万円くらいしたように思う。Vivienne Westwoodのシャツは5万円くらいしただろうし、もはや細かい部分は覚えていない。

彼は「出さなくて良い」と言ったけれど、出していないと怖かった。他の手段が到底思いつかなかった。わたしは自分自身の欲しい服は買えなくなり、好きな本も映画も控えて、貯金を切り崩しながら彼にお金を押しつけ続けた。

そしてとうとう、一人暮らし用に積み立てていたお金以外の貯金の残高が1万円を切ったときに、ATMの前で、ひとりでぼろぼろ泣いた。一時は150万円あった貯金は、全て水の泡と化してしまった。

これは罰だと思った。いろんなひとの心を踏みにじってきたから、今自分に全てが帰ってきているのだと思った。

「お金がないから、もうきみとは付き合えない」と泣きながら彼に告げると、彼は驚いた顔をした。「お金は要らなかったのに。一緒に話しているのが楽しいと思ったから、付き合ったのに」

 

会話術や理論武装で取り繕うことで、たくさんの人に愛されていてもどうしても心は満たされなくて、誰かにありのままを受け入れて欲しかった。

どうしようもない、くだらないわたしかもしれないけれど、誰かと一緒に楽しく過ごしてみたかったやっとその相手が出来たと思ったのに、たったそれだけのことがお金を出していなければ心穏やかに過ごせない自分が情けなくて、仕方なかった。

 

だから、わたしは恋愛が全然上手ではない。

愛の言葉を引き出すのと、本当に愛されるのとでは、途方もない距離がある。

 

*1:本文中のサークラは、全てサークルクラッシャーを指します