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南条殿御返事(白麦御書)


本文

迦葉尊者の麦のはんは・いみじくて光明如来とならせ給う、今のだんなの白麦は・いやしくて仏にならず候べきか、在世の月は今も月・在世の花は今も花・むかしの功徳は今の功徳なり

(御書 1541㌻ 10行目~11行目)

「大白蓮華2014.11月号 50㌻」より


通解

迦葉尊者の麦の飯の御供養は、大変にすばらしく、その功徳によって迦葉尊者は光明如来になられました。

 この度のあなたの白麦の御供養が粗末で、仏にならないということがあるでしょうか。

必ず仏になることは間違いありません。

 釈尊在世の月は、今においても月であり、在世の花は今も花であるのと同じように、昔において功徳となるのは、今においても功徳となるのです。

「大白蓮華2014.11月号 50㌻」より


語訳

だんな ・・・・・ 檀那 布施の意。転じて施主・施者の意味で用いられ、とくに在家の信者をいう。

迦葉尊者 ・・・・・ 釈尊の十大弟子の一人。 衣食住に関する貪欲などを払う頭陀行『ずだぎょう』に勝れ、頭陀第一と称された。

光明如来 ・・・・・ 迦葉尊者が、未来世において成仏するときの名。


背景と大意

 本抄は、建治元年(1275年)7月、日蓮大聖人が身延で認められ、駿河国(静岡県中央部)の富士上方上之郷の地頭・南条時光に与えられたお手紙です。

 本抄執筆の前年、大聖人は流罪地の佐渡から鎌倉へ帰還。その後、身延に入山し、広宣流布を担う弟子の育成に全力を注がれます。しかし、身延での生活は、当時の飢饉の影響もあり、衣食もままならない状況でした。

 そのようななか、いち早く供養を携えて大聖人の元へ駆けつけたのが、青年門下の時光です。

本抄も、時光が白麦(精白した麦)や川海苔などを届けたことに対する御返事で、別名を「白麦御書」といいます。

 本抄で大聖人は、阿那律尊者や迦葉尊者などの話を引かれて、真心の供養に絶大な功徳が具わることを示されます。そして、法華経の行者である大聖人に供養した時光の成仏もまた、間違いないことを教えられます。

 さらに時光の真心からの志とは、そのまま「法華経の文字」であると讃嘆され、それはすなわち成仏の根源の種子であると仰せです。

 最後に追伸として、いかなる苦難があったとしても嘆くことなく、むしろ喜びと捉えて、いよいよ信心に励んでいくよう促されています。

「大白蓮華2014.11月号 49㌻」より


解説

 誓願を胸に、志を貫け

 広宣流布への真心の志に無量の功徳が具わることを教えられた御文です。

 釈尊の十大弟子の一人である迦葉尊者は、過去世において飢饉の時、麦の飯を供養した功徳によって、釈尊在世には大長者として生まれ、さらに法華経では未来に光明如来という仏になることが約束されました。

 迦葉に、このような大きな功徳があらわれたのは、仏法のために真心をもって供養した「志」にこそあったのです。

「大白蓮華2014.11月号 51㌻」より


 また、この御文の前文には、阿那律『あなりつ』の例もあげていますね。


 阿那律の稗『ひえ』の飯の供養は、何事も思い通りに得られる〝如意〟という福徳をもたらし、法華経で阿那律は普明如来の記別を与えられている。

 彼らの供養は、稗や麦の飯という粗末なものである。しかし、彼らは飢えたる世で、自らの生命をつなぐための食物を他人のために供養したのである。たとえ、供養の品物は粗末で、わずかであっても、そこには真心の浄らかさと深さが込められている。自分にとって最も大切なものを、あえて供養する真心が尊いのである。

「日蓮大聖人御書講義第三十六巻 342㌻」より


 今回、青年門下の南条時光が、大聖人に白麦をお届けしたことに対して、大聖人は供養が粗末だからといって、成仏しないことは絶対にないと断言されています。

「大白蓮華2014.11月号 51㌻」より


 なぜ、それほど大きな功徳があるのでしょうか。


 阿那律や迦葉が供養した相手は、いずれの場合も辟支仏『ひゃくしぶつ』である。無仏の世であるから、仏にも代わるべき尊い存在であり、福田『ふくでん』というべきである。辟支仏という福田に供養したゆえに、九十一劫もの間、勝妙の果報を得、また成仏にも連なったのである。

「日蓮大聖人御書講義第三十六巻 343㌻」より


辟支仏 ・・・・・ 「びゃくしぶつ」とも読む。独りで山林に住して修行し、しかも人々には説かない人。十界の中の縁覚のこと。

福田 ・・・・・ 福徳を生ずる田のこと。仏(如来)、僧(比丘)にあたる。

「仏教哲学大辞典」より


――本抄で大聖人は、御自身のことを「法華経の行者」(御書1541㌻)と仰せになっている。

 南無妙法蓮華経は、釈尊をはじめとする、三世十方の諸仏を成仏させた根源の法なんだ。その大法を不惜身命で弘めている「法華経の行者」に供養することは、万人の救済という広宣流布を支えることになる。それゆえに無量の功徳があるのだ。


 供養する人を間違ってはいけない。


――逆に、正法を誹謗し、広宣流布を阻もうとする「法華経の敵」に供養すれば、自らも「法華経の敵」に連なることになるので、悪業を積んでしまう。

 ゆえに大聖人は、「まことの心なれども供養せらるる人だにも・あしければ功徳とならず、かへりて悪道におつる事候」(御書1486㌻)等、悪への供養を厳しく戒められている。 


 大聖人の御遺命である広宣流布を忘れ、腐敗堕落した日顕宗に供養してはならないことは明らかですね。


――時光は、自らも広宣流布に生き抜いた。熱原の法難のため、幕府から圧迫を受ける中でも、御供養を続けた。

 自身が苦境の渦中にあっても、「法華経の行者が山の中で雪に責められ、食物も乏しいことであろうと思いやられて銭一貫文を送られた」(御書1575㌻、通解)時光の真心を、大聖人は最大にたたえられている。〝師匠を支えたい〟という純粋な心を、大聖人はなによりも大切にされたのだ。

「大白蓮華2014.11月号 52㌻~53㌻」より


 大聖人は、いかなる迫害にも屈せず、万人成仏の旗を掲げて妙法を弘通される「法華経の行者」です。そして、その大聖人への供養とは、末法広宣流布を支えることにほかなりません。迦葉と同様に、仏法のための真心からの実践であるから、必ず成仏の因となると教えられています。

 釈尊在世の時代も、大聖人の時代も、月や花に違いがないように、同じ真心の供養に対して「むかしの功徳」も「今の功徳」も全く同じです。

 私たち学会員もまた、広宣流布への志を貫いていった時、必ず、無量無辺の福徳が具わっていくのです。

 「大白蓮華2014.11月号 51㌻」より


 そういえば、「大誓堂」の写真集を作成したのは、昨年の今月の座談会でした。

 あれからまる一年になります。借金返済に追われながら、毎月がピンチの生活を、唱題根本に過ごしていました。

 信心にも、自分にも自信が持てず、未来への不安を抱えておりました。

お金もありませんので、本も買えず、インターネットで先生の指導や、御書などをむさぼるように探していた頃、あるブログと出愛ました。

「創価の森の小さな家」といういち壮年の学会員さんが運営するブログです。そのブログにコメントで参加するようになり、ちょうどその頃、「大誓堂落慶」の瞬間で、そのブログでの話題も「大誓堂」で盛り上がっていました。ブログオーナー様が撮影された写真を、日々掲載されていました。

 そして、ある日、その写真で写真集を作成し、座談会に参加された方に配布する、という、なんとも心温まるお話を観て、私も、この「大誓堂」の勇姿を、我が地区の皆さんにも見てもらいたい!きっと、皆さん、喜んでくれる!そんな思いから、ブログオーナー様である菊川様に連絡を取り、許可を得て、大誓堂の画像をダウンロードして、見よう見真似で、慣れないパソコンで、数日間睡眠時間を削って写真集を作りました。

一番痛かったのは、プリンターのインクが切れた時です。貧乏な私にとっては恐ろしく高額なものでしたので(汗)・・・・・それでも、皆さんに喜んでいただきたい!という一念は揺らぎませんでしたので、食費を削ってインクを購入し、印刷をしました。

全部で25部作成しました。

 私は、ウキウキして座談会に出席し、参加してくださった皆さんに、無事に御配りすることができました。

出来映えは、いまいちでしたけど、ありがたくも、皆さんには、本当に喜んでいただけて、ホッとしました。

 これも、何度もお話ししてきましたけれど、私は、その前年に離婚しており、地区の皆さんには、本当に励まされてきましたので、何かで恩返しをしたい!と、いう思いでいました。その思いを叶えさせていただけたのです。

 その後の財務も、わずかばかりでしたけど、真心をもって感謝をこめて、収めることができました。

 今、思い返せば、そういった行動が、その後に功徳となって現われています。

おかげさまで、借金もスッキリ無くなりましたし、今では貯蓄もできます♪

淋しかった私に、彼女もできました,、'`,、 (´∀`) ,、'`,、

 ケンカばかりしていますが、これもお互い「人間革命」の途上なので、短気な私と、短気な彼女。

どちらが早く変われるか、試されているのかもしれません(笑)

 収入源となる、仕事の方も順調です♪

今年は、三回も信濃町『しなのまち』の本部へ行けました♪

 広宣流布のために供養したことは、必要な時にそれ以上になって返ってくることを体験させていただきました。

 加えていえば、人生は山あり谷ありですけど、広宣流布のために、なんとかお役に立てる自分になりたい!と、思って、実践しだしてから、この一年を見ただけでも、色々な状況が良くなりましたし、離婚から、2年半が過ぎて思う事は、心配ばかりして不信を起こすよりは、「そういうことを、一切諦めて」、腹を決めて、御本尊にすべてを委ねて、信心に没頭した分、必ず護られていくし、きちんと軌道に乗っていくし、順調になる♪要するに自分が想像していた以上に幸福になる。

 腹を決める!と自ずと、そうなっていくんだなぁ♪と、納得できました。


 池田名誉会長は語っています。

 「妙法のため、広宣流布のために真心を尽くすことが、どれほど尊いことか。どれほど偉大な功徳があるか。大変な時に護られる。一家も栄える。人間革命していける。生々世々、そして子孫末代まで豊かな福徳に包まれゆくことは間違いない。それこそ、世界一の王者のごとき境界になれるのである」

 どこまでも、法のため、広布のためという誓願を胸に、喜び勇んで日々の学会活動に励んでいこうではありませんか。

 「大白蓮華2014.11月号 51㌻」より


大誓堂落慶一周年

さあ! 今日から、また心も新しく、信心激熱で精進していきましょう(o´・ω-)b ネッ♪

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