( ※ 長文です、注意。/誤字は修正済み。)
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私は別に、片瀬久美子さんに恨みがあるわけではない。また、片瀬久美子さんのようなトンデモマニアと違って、特定の個人を攻撃することは原則としてやらない。だから先月までは、特に彼女を批判したことはなかった。(ちょっとだけ言及したことはあったが。)
しかるに、笹井さんの死の場合には違う。
第1に、片瀬さんは大隅さん(分子生物学会会長)に対する影響力が強かった。たとえば、大隅さんは、( NHKの STAP番組についての)片瀬さんのツイートを twilog にまとめるほどで、かくも心酔・同調している。
→ (メモ)NスペSTAP関連片瀬久美子氏ツイートまとめ(7/27)
第2に、この影響力によって、分子生物学会は声明を発した。これが(読売新聞を通じて)笹井さんの死に直結した。図示すると、こうなる。
片瀬久美子 → 大隅典子 → 分子生物学会の声明 → 読売新聞 → 笹井さんの死
この意味で、片瀬久美子さんは、笹井さんの死をもたらした根源的な責任者だと言える。大隅さん自身は、特に多くの発言をしていなかったので、多大な発言をした片瀬久美子さんが、直接的な根源だと言えるだろう。
以上の理由によって、今回は例外的に、片瀬久美子さんの発言を検討する。(本当は、私はトンデモマニアと違って、弱い者イジメ・女性イジメは、したくないのだが、笹井さんの命を犠牲にした問題だとあれば、心を鬼にせざるを得ない。)
- 【 注 】
分子生物学会の声明に影響をもたらした彼女の発言[論拠]を検証する、という意図である。その意味で、発言者が誰であっても同様である。
本項は、片瀬さん個人を攻撃する意図ではない。お間違えなく。
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片瀬さんの発言については、すでに別項でも述べたことがある。
→ 遺書の公開後の反応(STAP) (2014年08月14日)
本サイトを始めて訪れた人は、そちらを先に読んでほしい。そのあとで、続編として、本項を読むといいだろう。
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片瀬さんは、最近のツイートでは、次のように語ってっている。
繰り返し言っていますが、STAP細胞事件の前半(科学の場で起きた事)はヘンドリック・シェーン事件とよく似ていて、後半(不正発覚後の社会の受け止め方)の一般の人達の反応はファン・ウソク事件と似ています。
— 片瀬久美子 (@kumikokatase) 2014, 8月 22
このことからして、いまだに「捏造だ」という主張を固持して、笹井さんと小保方さんを攻撃するつもりのようだ。つまり、「笹井さんを死なせたことは正しいし、小保方さんも自殺してしまえ」という意思を、暗黙裏に持っていることになる。少なくとも「小保方さんが自殺するまでは攻撃をやめるつもりはない」という方針を維持しているのだろう。
「STAP論文ができた経緯を深追いしない空気も出ているようだが、逆だろう。悲劇を繰り返さないためにも詳細な調査が必要だ」 / 日本経済新聞:STAP、悲劇防ぐためにも徹底究明を(真相深層) キーマンの理研・笹井氏自殺 http://t.co/TEI4hpJsHp
— 片瀬久美子 (@kumikokatase) 2014, 8月 22
ここでも同じ方針を取っているようだ。「詳しく調査することで、不正の実態を究明せよ」というふうに。これで正論を述べているつもりなのだろう。
しかしここではすでに、彼女の自己矛盾がさらけだされてしまっている。なぜなら、彼女の方針は、「徹底究明をするな」「調査をするな」というものだったからだ。
彼女の方針は、「不正を先にせよ。それまでは再現実験による実態調査をするな」というものだった。つまり、「詳細な調査をしないまま、とにかく処罰せよ」というものだった。(後述 (7) )
なのに、今では「徹底究明を」というふうに方針を転じている。というわけで、現在では、すでに自己矛盾が露呈されている。
これが本日(2014-08-22)の彼女の状況だ。笹井さんの死に留まらず、もう一人の死を生み出しかねない。となれば、片瀬さんの発言について、詳しいメスの手を入れるのもやむを得まい。
以下では、詳細を示す。
(1) 不正か?
政治家の不正を厳しく追及している人が、研究不正を指摘するのはイジメだと言う。。。
小保方さんと笹井さんに不正だと指摘した事を謝りなさいとか、トンチンカン。
— 片瀬久美子 (@kumikokatase) 2014, 8月 11
この発言では、「研究不正を指摘するのはイジメだと言う」と述べている。しかし、勘違いだ。
「研究不正を指摘するのがいけない」とは誰も言っていない。「不正でないものを不正と言うのがいけない」と言っている。
比喩的に言えば、「泥棒を批判するのが悪い」とは言っていない。泥棒でもない無実の人を泥棒扱いすること(冤罪)が悪い、と言っている。
なのに、彼女はそこを理解できない。理解できないまま、小保方・笹井さんの行為を「不正」と決めつけている。そのような決めつけは、「不正の指摘」ではなくて「中傷」であるにすぎない。
なるほど、理研の調査委や改革委も「不正」というふうに述べた。だから彼らにも同様の責任はある。彼らの責任は免除されない。だが、片瀬さんにも同じ責任はある。特に、理研のような科学的な調査は別として、ツイートという短文で論証もなく、しつこく「不正」というふうに表現したという点では、科学性の欠落した「中傷」と呼んでもいいだろう。
調査委や改革委の見解は、科学的な分析をともなっていたがゆえに「見解の不一致」や「見解の誤り」で済ませることも出来るが、科学的な分析もなしに「不正だ、不正だ」とツイッターで喚いていた片瀬さんの行為は、「中傷」に値する。
( ※ 実際には不正はなかった、ということは状況証拠からもわかる。仮に不正があったなら、笹井さんが自殺するはずはなかったのだ。不正がなかったからこそ、ありもしない不正を批判された笹井さんは、心労がたたって、死ぬハメになった。……この件は、前項 最後の [ 付記 ] でも述べた。そちらを参照。)
(2) 不正でない
近藤さんの雪男の例え話は一般の人達にも分かり易いと思うのですが、調査委員会が認定した2つの不正行為(電気泳動写真の改ざんとテラトーマ画像の捏造)についての小保方さんの反論を信じて単なる不注意と善意に解釈している人達には、捏造扱いは他の科学者達のやっかみにしか見えていないという…。
— 片瀬久美子 (@kumikokatase) 2014, 7月 15
.@tomamifromtakah @Nagapiii 故意ではないうっかりミスならば、不正とは判断されません。捏造とされた画像は、故意に文字の書き直しがありました。改ざんとされたDNA電気泳動写真も「切り貼り」という故意の操作が行われていました。これらは、うっかりではできません
— 片瀬久美子 (@kumikokatase) 2014, 7月 14
実はこの二つが、片瀬さんの「不正」論の根拠だ。
・ 二つの画像の問題(加工と取り違え)は不正だ
・ それは単なるうっかりミスではない
このこと自体は、間違っていない。
電気泳動の画像の加工も、テラトーマの画像の取り違えも、一般的には「不正」と見なされる。また、それは「単なるうっかりミス」ではない。その意味では、片瀬さんの主張は正しい。
ただし、そのあとがおかしい。このようなミスは、現実には、研究者の間ではよくあるミスであるに過ぎず、大騒ぎをするほどではないのだ。なのに、針小棒大に大騒ぎをした、という点が根本的な問題なのだ。
たとえれば、こうだ。
「あの子供は、赤信号を無視した! これは重大な法律違反だぞ。だからこれを悪として、徹底的に指弾するべきだ。日本中で攻撃の手をかけて、この子供を自殺させよ!」
「あ、実際に自殺したな。しめしめ。これで狙い通り。でも、私のやったことは正しいんだよ。だってあの子供は赤信号を無視したんだからね。あんな悪人が死ぬのは、自業自得というものだ。あくまで本人の責任だ」
これが片瀬さんのやったことだ。本人はそれを正しいと信じて疑わない。しかし、そこには大いなる錯誤がある。
@ 電気泳動の画像の加工は、厳密には不正であるが、実質的には不正と呼ぶようなものではない。実際、同様のことを理研の委員長がやったが、大騒ぎにはなっていない。
そもそも、この加工では、真実と虚偽とを取り替えたのではない。真正画像を別の真正画像に取り替えただけだ。(シェーンや黄禹錫の例とはまったく異なる。)
ここでは、次のことが重要だ。
「画像を差し替えても、『画像を(良好な別の画像に)差し替えました』という表示さえしておけば、何も問題はなかった」
このことは、サイエンスの査読者も指摘している。該当の画像を赤線で囲んで、画像を差し替えた旨を記述しておけば、何ら問題はなかったのだ。
つまり、ここでは、画像を加工したこと自体は不正ではなくて、画像を加工したことを示さなかったこと(加工の記述が欠落していたこと)が問題であったにすぎない。
当然だが、画像を差し替えたことで、論文の意味が変わるわけではない。論文の画像を、もともとの画像に戻したとしても、論文の価値はまったく同じである。(シェーンや黄禹錫の例とはまったく異なる。)
なのに、片瀬さんは、そこを故意に混同している。「真正画像を別の真正画像に取り替えた」という点を歪曲して、「虚偽画像を真正画像のように見せかけたシェーンや黄禹錫と同類だ」というふうに述べている。
はっきり言って、これは一種の捏造だ。片瀬さんは「捏造があった」というふうに捏造しているにすぎない。(でなければよほどの阿呆だというしかない。)
なお、このことから小保方さんの評価をすれば、「たとえ真実だからといって画像の差し替えをしてはいけないということも知らなかった無知」と言える。実際、自分自身で、「知らなかった」と無知ぶりをさらしている。これを「悪意ゆえに虚偽を真実に見せかけた不正だ」などと指弾するのは、狂気の沙汰だろう。片瀬さんはそういう狂気的なことをやっている。
A テラトーマの画像は、詳細が不明なので、よくわからないが、小保方さんの主張を信じるならば、「画像の取り違えがあった」というにすぎない。理研の調査委でも、その認定だ。これもまた、形式的には「不正」であるが、たかが画像の取り違えぐらい、ほとんど「うっかりミス」に近い。
もちろん、尋常ではないほどの「うっかりミス」ではあるが、そこから得られる結論は、「尋常ではないほどの粗忽者」であって、「意図的な不正」ではないのだ。
そもそも、ここで「意図的な不正」をする動機がまったくない。これまでの調査では、小保方さんは ES細胞のコンタミで幹細胞を何度も作っているのだし、実際、新たに幹細胞からテラトーマの細胞を得て、新たに写真を撮ったようだ。これほど容易に写真を撮れるのだから、「意図的な不正」をする意味がない。
比喩的に言おう。誰にでも簡単にできる操作がある。たとえば、「1+1=2」と紙に書くことだ。誰でもこんなことは簡単にできる。これを捏造することの意義などはない。ところが小保方さんはどういうわけか、「1+1=3」と紙に書いて持ってきた。すると 11jigem さんが批判した。「小保方さんは捏造をしたぞ!」。そのあとで小保方さんは詫びた。「てへへ。実は間違えちゃったんです。あたしってダメね。新たに書き直しました。はい、これ」。それを見て、多くの人は「粗忽者だな」と思って納得した。しかし片瀬さんだけはずっと批判しつづけた。「小保方さんは故意に不正をしたんだ! うっかりミスじゃなくて、悪質な不正をしたんだ! だから自殺に追い込め! 自殺するまでは攻撃の手を緩めるな!」
結局、どうということもない小さな不正(ただのミス)について、過剰に騒ぎ立てたのが、片瀬さんであるわけだ。
(3) 論理の飛躍
小保方さんの犯した二つの画像の不正は、形式的には不正であるとしても、いちいち大騒ぎするような問題ではない。その程度の不正なら、あちこちにたくさんある。(実際、理研の調査委の委員長もそうだ。)
なのに、これを過剰に批判するために、片瀬さんは論理を飛躍させた。それは、「故意は悪意と同じだ」という珍説である。
( ※ ここでは「悪意」に「故意」と「悪質」との二重の意味をかぶせている。))
理化学研究所の研究不正行為に関する規定における「悪意」とは、国語辞典などに掲載されている法律用語としての「知っていること」の意であり、故意と同義のものと解されることになると説明。
http://t.co/oHk5GGicFX (PDF)
— 片瀬久美子 (@kumikokatase) 2014, 5月 8
前にも説明しましたが、研究不正は故意であるほど悪質だと判断されます。今回発覚したNature Articleの図2eは、単なる図の取り違えではなく、明かな画像操作が加わえられています。これは故意がないとできません。
— 片瀬久美子 (@kumikokatase) 2014, 3月 10
同様の発言は、下記にも見られる。
→ 片瀬久美子(@kumikokatase)/「不正 故意」の検索結果 - Twilog
ともあれ、彼女の見解では、「故意は悪意と同じ」かつ「故意と悪質は同じ」ということになる。
しかし、これは滅茶苦茶だろう。故意と悪意と悪質が同じであるはずがない。たとえば、あらゆる実験は意図的になされたものであるが、意図的である(故意である)ことは、悪意であることなのか? まさか。
意図的である(故意である)ことが、悪意であると見なされるのは、その行為が「悪の行為」である場合だけだ。つまり、「悪の行為」をなした場合には、意図的である(故意である)ことが、悪意であると見なされる。
ところが、今回の例では、「不正であるかどうか」「悪の行為であるかどうか」が問題であるのだから、そこは前提とならない。
要するに、「悪の行為を意図的になすことには悪意がある」というのは、一種のトートロージーみたいなものだ。言葉自体のなかに「悪」の概念が含まれている。とすれば、「故意は悪意と同じ」という理屈を適用することは、「悪だと仮定すれば悪だ」と言っているにすぎない。(ただのトートロジーだ。)そして、そこからは「これは悪だ」という結論は出ない。なのに、そこを勘違いしているのが、片瀬さんだ。(論理をごちゃ混ぜにしている。)
彼女のが言っているのは、「小保方さんが悪だとすれば、小保方さんは悪である」ということだけだ。そしてそこから、だから小保方さんは悪である」と結論する。これはとんでもない論理的な誤謬だ。彼女は論理的な誤謬ゆえに、小保方さんを断罪しているのだ。(捏造と同様だ。)
では、真相は? 次に述べる。
(4) 錯誤
意図的な行為(故意の行為)があったとしても、それが悪だとは限らない。通常のほとんどの実験は、そうである。意図的にやり、正しい結果が得られる。それこでは「意図的」と「悪意」とは別のことだ。
一方、意図的にやったのに、実験が失敗に終わることもある。この場合、意図的にやったとしても、何らかの手順ミスがあったのだろう。では、この場合、「意図的」または「故意」にしたからといって、「悪意」があったと言えるか? もちろん、言えない。
一般に、実験ミスのような場合に当てはまるのは、「悪意」ではなくて、「錯誤」なのである。つまり、自分では正しい実験をしているつもりであるのに、実際には間違った実験をしてしまうのだ。たとえば、砂糖を入れたつもりで塩を入れてしまう、とか。あるいは、STAP細胞を入れたつもりで ES細胞を入れてしまう、とか。……こういうことは、たとえその操作が意図的なものだったとしても、「悪意」とは言えないのである。
たとえば、「砂糖を入れたつもりで塩を入れてしまう」という行為がある。ここでは「砂糖らしいものを入れた」という行為は、意図的なものであり、故意のものである。しかるに、「実際には塩を入れてしまった」というのは、意図的でも故意でもない。それはただの錯覚による錯誤である。
つまり、正しくない実験には、「捏造」のほかにも「錯覚」というものがある。ここで、「正しくないから捏造だ」と決めつけたのが、片瀬さんだ。実際には、「正しくないとき、捏造の他に、錯誤もある」というのが事実なのだが。
実際、人は多くの錯覚をなす。たとえば、次のように。
→ 錯覚の科学 (文春文庫)という本の紹介
こういうふうに、「錯覚」によるミスということも起こることがあるのだから、「正しくないから捏造だ」と決めつけることはできないのだ。
にもかかわらず、片瀬さんは「正しくないから捏造だ、不正だ」と決めつけた。そこに、論理の飛躍がある。
実際には、どうだったか? もちろん、錯誤があったのだろう。
@ 画像の加工については、「そのくらいのことをしてもいいのだ」と思い込んでいた。無知ゆえの錯誤。
A テラトーマの画像については、古い画像を「これは正しい画像だ」と思い込んでいた。無知ゆえの誤認。
たぶん、小保方さんは、テラトーマの画像を正しく認知できるだけの画像認識力がないのだろう。単に「ゴチャゴチャの画像だ」と思っているぐらいなのだろう。このような図形認知能力が欠落している、という人は、ときどきいる。知能テストで似た図形の区別が出来にくい、というタイプの人だ。小保方さんもそういうタイプだったと思える。……そして、このような能力の低さゆえの誤認を、「意図的な捏造だ」と見なすのは、あまりにも論理が飛躍している。なぜなら、それを捏造するだけの動機がないからだ。(1+1=3 をいう紙を捏造する必要がないのと同様だ。前出。)
人のくだらない失敗を見たら、「捏造だ」と大騒ぎするよりは、「間抜けなミス」と見なす方が、はるかに妥当なのである。
(5) 非科学性
片瀬さんの批判は、ツイッターばかりで、長い論考がない。これは先にも述べたことだ。
とにかく彼女の批判は、短文による指摘という形で、ただの中傷ばかりだ。科学的・論理的な長い記述などはない。その点では、調査委や改革委の科学的な記述とはまったく異なる。
片瀬さんは、自分のブログももたず、ツイッターでやたらと短文で喚くばかりだ。まともな科学的な論証がないという点では、科学者の資格がないとも言える。そういう非科学性がある。要するに、ああだこうだと語る資格がないのだ。まともな論拠もなしに、単に短文で中傷するだけ。
彼女のやっていることは、2ちゃんねらー並みだ。いや、もっとひどい。2ちゃんねらーだって、もうちょっと科学的・論理的に書く。片瀬さんははるかに短い短文による攻撃ばかりだ。実にひどい。そして、その中傷を大量に乱発することによって、人の死を導いた。
(6) 剽窃
すぐ上では、「片瀬さんはまともな論考を書かない」と述べたが、実は、例外的に、まともな論考を書くこともある。たとえばこれだ。
→ STAP細胞の問題はどうして起きたのか (2014.03.28)
ここでは、「STAP論文の投稿に際して、理研の内部で再現実験をしなかったこと」(再現性を確認しなかったこと)が根源的な問題だ、と指摘している。
これは実に素晴らしい。まさしくその通りであり、STAP細胞の問題の根源をズバリと突いている。物事の核心を突いているという点で、実に素晴らしい指摘だろう。実際、この論考が掲載されたあとで、はてなブックマークでは多くの共感の声が寄せられた。
→ はてなブックマーク
では、これは、彼女が素晴らしい知性の持主であることを示すのか? これまでまともな科学論文を一つも書いたことがないし、研究者としては落ちこぼれた経歴しかないし、科学評論も二番煎じみたいなことばかり書いていた著者が、STAP細胞事件では、いきなり大ホームランを打ったのか?
いや。違う。彼女がここで述べたことは、その前々日に、私が書いたのだ。渾身を込めた感じの力作。
→ STAP細胞事件を評価する
ここの (5) で、「STAP論文の投稿に際して、理研の内部で再現実験をしなかったこと」(再現性を確認しなかったこと)が根源的な問題だ、と指摘した。そして、その翌日に彼女が原稿を書いて、翌々日に Web雑誌に掲載された。
これは、どう考えても、私の話を読んだあとのパクリであろう。
つまり、彼女が書いたことは、私の話の剽窃(ひょうせつ)にすぎなかったのだ。しかも、引用や典拠を示すこともなく、まるで自分の説(自説)のごとく書き示した。
これは、学会ならば、「論文の剽窃」に該当する行為だ。
つまり、片瀬久美子さんは、「論文の捏造」をするかわりに、「原稿の剽窃」をしているわけだ。それでいて、自分が何をやったかも忘れて、偉そうに他人の「不正」を批判する。それも、不正ではないものを「不正」だと見なすという冤罪の形で。
( ※ 「剽窃」でなく「偶然の一致」という可能性も考えられるが、まず、あり得ない。この論点は独自性が高いからだ。日時についても偶然の一致ということはありえそうにない。特に、片瀬さんが、これ以外には STAP細胞の論考をほとんど書いていないことからしても、独自の識見を出せるとは思えない。実際、彼女の主張は、ほとんど独自性のない平凡な見解ばかりだ。もともと独創性の欠落している人が、特別に独創的な見解を出すことなど、あり得ない。)
(7) 再雇用?
私は前に、「小保方さんを解雇したら、そのあとで再実験をさせることはできない」と述べた。
→ STAP:分子生物学会の謎
つまり、解雇した職員を理研で働かせることはできない、ということだ。これを理解できない人々(分子生物学会・片瀬さん・理研の高橋さん)を、批判した。
ところが、あとで調べたところでは、片瀬さんには次の発言があった。
私を小保方さん再現実験・断固阻止の代表者の様にして批判する人達がいますが、私の意見は「理研で定められている規則に従い、まず先に疑義の調査を全て完了して公表し、次に関係者の懲戒処分を行い、それでも必要と判断されるのなら理研は小保方さんを特例として再雇用して再実験させたら良い」です。
— 片瀬久美子 (@kumikokatase) 2014, 7月 14
「理研は小保方さんを特例として再雇用して再実験させたら良い」と述べている。これは驚いた。本人はこれで道理が通っていると思っているのだろう。しかし、これはあまりにも非常識だ。
何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
( → 日本国憲法第22条第1項 )
憲法には「職業選択の自由」が謳われている。なのに、これを堂々と否定して、小保方さんを強引に理研の職員に出来ると思い込んでいる。
呆れた。いったん解雇された小保方さんが、「雇用してやる」と言われて、「はいそうですか」と応じるわけがないだろう。馬の鼻を引きずる回すようなつもりでいるのだろうが、小保方さんは馬ではない。勝手に再雇用することなどはできない。
仮に再雇用するとしたら、最低限、次のことが条件だ。
「解雇を撤回して、解雇が間違いであったと謝罪すること」
これは最低限の条件だ。そして、その条件が満たされる可能性は皆無だ。ゆえに、再雇用が実現する可能性は皆無だ。そのようなことを実行しようというのだから、片瀬という人は憲法無視の滅茶苦茶をやろうとしていることになる。
いや、もっとひどい。片瀬さんはおそらく、
「解雇を撤回して、解雇が間違いであったと謝罪すること」
が必要であるわけを、理解できないのだろう。だから私が説明しよう。
なぜ解雇の撤回が必要か? 仮に、解雇が撤回されないとしよう。だとすれば、解雇は正当だったということになる。とすれば、捏造または不正があったということになる。とすれば、再現実験においては、「捏造または不正があった」ということを証明することが必要だ。(そのために再現実験をなすことになる。)
しかし、どこの阿呆が、「捏造または不正があった」ということを証明するための再雇用されるだろうか?
@ 仮に実際に「捏造または不正があった」とすれば、「自分は悪党です」と証明するために実験することになる。そんな阿呆はいない。この場合には、再現実験には応じるはずがない。
A 仮に「捏造または不正がなかった」とすれば、正直に実験すると、そのことが判明する。しかしそれは、理研の意向(捏造または不正があったと認定すること)に反する。ゆえに、理研はその結果を却下する。理研としては、「捏造または不正があった」という結果しか受け入れない。ということは、仮に「捏造または不正がなかった」とすれば、その事実に反する実験結果を捏造するしかない。……現実には、これになる。
要するに、仮に再雇用が実現した場合には、小保方さんは、「自分は捏造や不正をしていません」という実験を正直に実行することは許されず、「自分は捏造や不正をしました」という実験をすることだけが許される。つまり、「捏造しました」という捏造をすることだけが許される。しかし、これはとんでもないことだ。こんなことを主張するのは、馬鹿げている。狂気の沙汰だ。
先に (2) では、次のように述べた。
はっきり言って、これは一種の捏造だ。片瀬さんは「捏造があった」というふうに捏造しているにすぎない。
片瀬さんは、自分自身が「捏造があった」というふうに捏造をしている。
同様に、小保方さんについても、「捏造があった」というふうに捏造をすることを強いている。自分の捏造行為と同じことを、小保方さんにさせようとしている。しかし、これこそ最悪の捏造だろう。
STAP細胞事件において、最悪の捏造を試みているのは、片瀬さんなのである。そして、そこから、「笹井さんの死」という最悪の結果がもたらされたのだ。
( ※ 物事は単に法律やルールに従えばいい。刑法に違反したのであれば、警察が摘発すればいい。警察に任せるだけでいいのだ。論文の問題ならば、論文の取り下げでカタが付いている。これ以上、やたらと倫理的に問題にするのは、過剰な反応であるにすぎない。その過剰な反応が、「不当なバッシング」という形で、笹井さんの死を招いた。)
( ※ 一方、小保方さんの問題は、「論文の取り下げ」という形で形式的には決着している。これ以上は特に問題視するには当たらない。)
(8) 最後に
最後に一言述べておこう。
私がこれほど片瀬さんを批判することは、「やりすぎでは?」と思う人も多いだろう。私としても、感情的には、そう思う。弱い女性を虐げるというのは、私の騎士道精神に反する。しかし、ここは、心を鬼にして、「死者を一人でも減らす」とか、「殺人者の殺人計画を未然に防ぐ」というふうにする必要がある。
そもそも、このような追求は、彼女自身が望んでいたことだ。
「STAP論文ができた経緯を深追いしない空気も出ているようだが、逆だろう。悲劇を繰り返さないためにも詳細な調査が必要だ」 / 日本経済新聞:STAP、悲劇防ぐためにも徹底究明を(真相深層) キーマンの理研・笹井氏自殺 http://t.co/TEI4hpJsHp
— 片瀬久美子 (@kumikokatase) 2014, 8月 22
ここでは「笹井氏自殺」というテーマを掲げて、「悲劇を繰り返さないためにも詳細な調査が必要だ」という見解がある。とすれば、笹井さんを死に至らしめた過程については、十分に考察して解明することが必要なのだ。
だからこそ私は詳細にそれを究明しようとしてきた。片瀬さんや分子生物学会やNHKや読売。さらに、改革委や調査委。これらの責任を、あちこちで何度も指摘してきた。……そういうふうに真実を解明することが、「悲劇を繰り返さないために」何よりも大切なのである。それは、片瀬さんが自分自身でツイートの形で示したことでもある。
実を言えば、もっと重要なこととして、「STAP細胞の謎の解明」という問題がある。この件は、上の日経の記事でも指摘されている。そして、その解明のためには、再現実験がどうしても必要だった。また、その際、笹井さんがどう指導したかも、知るべきだった。
ところが、片瀬さんは、そのすべてに反対した。「真実の解明」のかわりに、「再現実験の休止」を要求した。あくまで「処分せよ・処罰せよ」という悪意ばかりがあって、「再現実験による真実の解明」を徹底的に阻害した。
そして、それは、見事に結実した。小保方さんは激痩せの精神状態となったし、笹井さんは鬱状態になってから死んでしまった。こうして、片瀬さんによる「再現実験の阻止」という狙いは、かなり成功してきた。
とはいえ、本日になって、片瀬さんもようやく「真相の解明」が重要だと思うようになったらしい。たぶん、「本丸の一人である笹井さんを処罰することには成功した。自殺という形で、大成功だ。だから、このあとは、再現実験をさせてやってもいいな」というふうに、譲歩しているのかも知れない。これまではあれほどにも「再現実験の延期」にこだわってきたのだが。
ただし、片瀬さんのことだから、またしても「解雇のあとで再雇用」という条件を付けるのかも知れない。
なるほど。そうすれば、小保方さんは、「自分は捏造をしました」という結果を捏造するしかない。……それこそが、片瀬さんの最終目的なのだろう。
ただし、それは、とうてい実現するはずがない。正直な小保方さんが意図的に捏造をするはずがない。となると、小保方さんに残された道は、ただ一つ。笹井さんのあとを追うことだけだ。
そして、それを狙っているからこそ、片瀬さんは相も変わらず、「不正だ、不正だ」と大騒ぎしているのだろう。
そして、そういう彼女の行動(殺人をめざす行動)を、私はここに明らかにしているわけだ。
( ※ ただし、本当は、片瀬さんは小保方さんを殺そうとしているのではなく、「殺すつもりはないのに、結果的に小保方さんを殺してしまう」という道を選んでいるのだろう。ちょうど、「殺すつもりはないのに、結果的に笹井さんを殺してしまう」という道を選んだように。……これは、一種の「錯誤」である。ただし、錯誤による行為は、「故意」があるがゆえに「悪意がある」というのが、片瀬さんの論理だ。とすれば、錯誤ゆえの殺人も、そこに「悪意」や「殺意」があると認定するしかない。片瀬さんの理屈に従えば、そうなる。つまり、片瀬さんを「殺人を狙っている」というふうに認定するのは、片瀬さん自身の論理なのである。ブーメラン。)
[ 付記 ]
話は変わるが、「理研は STAP細胞の特許を取得しようとしていた」という事実がある。
このことからしても、笹井さんたちが「STAP細胞は存在する」と思い込んでいたことは、疑いを容れないだろう。もちろん、小保方さんもそうだ。
彼ら全員は、揃いもそろって、夢を追っていたのである。そして、それは、ただの「研究の失敗」であるにすぎない。事の真偽が判明したあとでは、「あれは間違いだった」と認定することは可能だ。
とはいえ、研究にミスがあったからといって、いちいちその研究者を指弾して自殺に追い込むようでは、一国の研究において独創的な研究などは存在できなくなる。
国の研究において大切なことは、ミスした研究者を「不正だ」と指弾して自殺させることではない。「ミスを恐れずに独創的な分野にチャレンジせよ」と推奨することだ。なのに、片瀬さんのやっていることは、その正反対だ。これでは独創的な研究者たちが「ミスをするまい」というふうに萎縮するばかりだろう。
そもそも、片瀬さんには、まともに研究歴がない。そのせいで、「研究とは何か」を理解できていない。失敗を批判することは上手だが、独創的な開拓者精神をもつことの重要性は理解できていない。
「独創的な研究は、999の失敗のあとで1つの成功がある」
というのが真実だ。たった1つの成功のためには、999の失敗が必要だ。その多大な失敗を経なくては、1の成功は得られないのだ。
なのに、片瀬さんは、それを理解できない。「人のミスを指弾すれば、ミスがなくなり、成功だけが生き残る」と思ってるのだろう。こういうのは、独創的な研究をしたことのない人に、特有の発想だ。
世の中の人々は、小保方さんを「コピペしかできない無能」と述べているが、実は、たいていの人も同様なのである。片瀬さんと同類の凡人は、独創的な研究はできないし、独創的な研究とは何かも理解できない。だから、笹井さんのような独創的な天才を死なせても、平気の平左でいるし、何一つ反省の言葉を書かない。
ただの無能な人間は人畜無害だが、無能でありながら「自分は正しい」と思い込む人間は、きわめて有害なのである。それは社会における独創的で有能な人に死をもたらす。このような危険があるからこそ、私は何度も STAP細胞の問題を書かざるを得ない。
自分は利口だと自惚れている阿呆を指摘するために。
( ※ このような阿呆の代表が、「トンデモマニア」だ。他人を馬鹿にすることで、自分の有能さを示そうとする人々。研究者になりたくて、なり損ねた人々。……片瀬さんはその典型だ。他人の失敗を咎めて鼻高々。彼らは「独創性」というものをまったく理解できないがゆえに、社会にとって有害極まるのだ。)
【 追記 】
本項は、二つの点からなる。
第1に、「STAP細胞事件は、ごく小さな事件にすぎなかった」ということだ。そこには形式的な不正はあったとしても、実質的にはただの無知や不注意によるミスがあるにすぎなかった。理研の調査委の委員長のミスと大同小異であり、世の中にたくさんあるミスや失敗の一つにすぎなかった。
第2に、「STAP細胞の真偽がどうであれ(たとえ虚偽であれ)、それをいちいち大騒ぎするべきではなかった」ということだ。
この二つの点は、明白に異なる。
第1の点については、異論が成立する。「実際に捏造があった」と思うのは勝手である。そこには「思想の自由」や「表現の自由」がある。だから、2ちゃんねるで何を書こうが、ブログで何を書こうが、それは本人の勝手である。
第2の点については、その発言には責任がともなう。大騒ぎするのは勝手だとしても、発言したからには発言に責任がともなう。
片瀬さんに即して言えば、「不正があった」と語るのは勝手である。本項を読んだあとでも、なおも「不正があった」という意見を持つことは勝手である。ただし、「不正があった」という発言には責任を持つべきだ。特に、笹井さんの死については、責任を持つべきだ。
「不当なバッシングに疲れた」
これが笹井さんの遺書に記してあったことだ。とすれば、彼が「不当なバッシング」と感じた発言については、責任を持つべきだ。
片瀬さんの問題は、「この論文は不正だ」という見解をもったことではない。そういう見解を持つことは憲法で認められた自由だ。その見解自体には問題がない。だが、その見解を公にして、繰り返し中傷したことで、笹井さんを死なしめた。その結果には、責任を持つべきなのだ。どんな発言をしようが勝手だが、その発言には責任を持つべきなのだ。
とすれば、当然、「笹井さんを死なせたバッシングを私はしました」と認めるべきだ。なのに彼女は一切、そういうことをしない。「私は正しい、私は正しい」というふうに(第1の点について)述べるだけであり、「自分の言葉が死をもたらした」というふうに(第2の点について)述べることがない。
ここに片瀬さんの問題がある。要するに、政治家と同じで、自分のもたらした惨事の責任を取らない。東電の社長と同じ。責任回避をして、ただ逃げ回っているだけだ。
実際、弔辞の一言もなく、まして、お詫びの一言もない。「私は責任がありませんよ」ということを、しきりに何度もツイートしているだけだ。
→ 片瀬久美子(@kumikokatase)/「笹井」の検索結果 - Twilog
ま、あえて死なせた本人が、お詫びするはずもないが。
なお、この点については、前項末の [ 付記 ] を参照。
つまり、不正があったのならば、いくら批判しても、自殺者は出なかったはずだ。しかるに、自殺者が出た。とすれば、不正はなかったことになる。……つまり、「不正があった」というのは、完全な冤罪だったことになる。このことからして、お詫びの必要があることは自明だろう。当初は「わからなかった」としても、今となっては「冤罪だ」とわかっているのだから。
最後に、片瀬さんのために、一言。
自分の言葉のせいで死者が出たんだから、せめて、「ごめんなさい」と頭を下げて、弔辞の一言でも書けばいい。たったそれだけのことで済むのだ。別に解雇されろとか賠償金を払えとか言われているわけじゃない。自分の罪を懺悔する言葉を書くだけでいい。
片瀬さんは小保方さんたちにあれほど「不正だ、不正だ」と責めていたのだから、自分が失敗したことについては一言ぐらいお詫びをすればいいのだ。だから、そうするべきだ。そうすれば許されるのだから。
世間は、片瀬さんが詫びれば、片瀬さんを許すはずだ。片瀬さんほど意地悪ではないからだ。お詫びをした小保方さんをいつまでも執拗に責め立てた片瀬さんのような真似を、世間はしないはずだ。これほど意地悪な人は、片瀬さんしかいないからだ。(有名人では。)
だからせめて、お詫びをするべきだ。片瀬さんのために、そう勧告したい。片瀬さんにとって幸運なことに、いつまでも失敗を執拗に責める「もう一人の片瀬さん」はいないのだから。
【 関連項目 】
本項と似た趣旨の項目。
→ 笹井事件は殺人か?(STAP)
→ 遺書の公開後の反応(STAP)
→ 《 お知らせ 》(故意と悪意)
→ 分子生物学会の声明 (責任回避)(STAP) (前項)
法律用語としての悪意は、悪の認識ではなく、単に認識していること、すなわち故意の意味です。
片瀬さんの指摘が正しい。
本文の話をよく読んでください。そうすれば誤読がわかります。
法律行為の場合には、対象が触法行為に限定されます。その前提のもとでは、「(それについて)認識している」ことが「故意」になります。
一方、単なる「認識」は、法律用語の対象外です。
仮に、あなたの意見が正しいとしたら、あなたはその法律知識を認識しているし、さまざまな学問知識を認識しているので、あなたは悪意の塊だということになります。
また、あらゆる学問は、知識を得て真実を認識することになるので、それは悪意だということになり、あらゆる学問が禁止されます。
あなたの主張だと、あらゆる学者は処刑されないといけない。ポルポトみたいですね。
ま、片瀬さんをポルポトと見なすという意味では、あなたの主張は正しい。あなたも片瀬さんも、ポルポト派です。
──
あと、おまけで言うと、小保方さんは「認識」していません。かわりに「錯誤」しています。笹井さんも同様。
少なくとも、私はそういう主張をしています。
揚げ足取る気はありません。単純ミスは直した方がいいですよ。
例。民法において、結婚する男女は、相手の性別を認識している。そのことは悪意なのか?
常識で考えればわかるでしょ。
そもそも法律の世界には「科学実験における錯誤を処罰する」というような発想はないので、法律の世界の対象外です。どこの世界に、科学を法律で決めることがあるものか。ガリレオの宗教裁判じゃあるまいし。
科学の分野に法律を持ち込むのはムチャクチャ。実験をミスったかどうかは、法律では決まりませんし、裁判官が法に基づいて決めることでもない。
そんな規定はないですけどね。
アホ理論には付き合い切れん。
※ 男女の別を認識して女風呂に入らない男は悪意があり、男女の別を認識しないで女風呂に入る男は悪意がないことになる。変態者理論。
アホ理論って、単なる法律用語ですよ。
ご勝手にどうぞ。
そんなことは当り前だから、いちいち法律書には書いてないんです。
そもそも、民法や刑法を持ち出すなら、裁判所がそれらの法律で裁けばいい。「刑法××条に違反しているので有罪(または違反していないので無罪)」と。だから理研やその他が法律によって裁定する必要はないはずです。
なお、何かを認識しているがゆえに「悪意がある」と認定されて、「解雇」となるのだったら、何も知らない白痴者以外はすべて解雇される必要があります。ね?
理化学研究所の研究不正行為に関する規定における「悪意」とは、国語辞典などに掲載されている法律用語としての「知っていること」の意
上記の指摘は、当たり前のことを述べているだけです。
例えば民法162条2項
10年間、所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と他人の物を占有した者は、その占有の開始の時に、善意であり、かつ、過失がなかったときは、その所有権を取得する。
この場合の善意とは、他人の物であることを知らないことです。10年間占有すれば時効取得できる。
逆に、他人の物かも知れないという認識があれば、悪意とされて、20年間の占有で時効取得できる。
他人のものであることを知っているか否かの区別であって、道徳的非難は含んでいません。
組織の内規と言えども、法律用語を用いるのが普通ですからね。
ただし、管理人殿の論旨はそこではないので論争は不毛です。
問題は、片瀬氏が「笹井さんの死をもたらした根源的な責任者である」
という確たる証拠はないということ。
いわゆる状況証拠はあるでしょうがね。
それなら、STAP捏造論者が主張する捏造の状況証拠の類と
大差ない。
ますい、これでは二重基準になってしまいます。
さて、どうやって片瀬氏を批判しましょうか?
職業は職能であり、人の資格に関する法律によって報酬を受ける以外のジャンルであっても、当然ながら社会的責任は生じる。自らの発言からもあり、世間的に、客観的にも博士の発言は科学的であるとのことになる。世間への発信は、ツイッターばかりで、長い論考がないものの、繰り返され、バッシングを導く者としての位置にあった。
一つの研究に対する科学的であることの見解は、同じテーマを自己の論文にて述べることが科学的な対応である。■■からの「不正」「捏造」キャンペーンは受けた者からしたら研究妨害、名誉毀損になることも考えられ、特に論文を取り下げても検証をしてはならないなどの発言は、規則のある研究機関へのバッシングとも言える。
バッシングを受けた本人または弁護団から誹謗中傷の被害他について、法的に検討されるべき■■の行為であることに変わりがない。この検討は人文科学の領域である。
民事係争において評論家が告訴されるケースはたくさんあった。
──────
※ 個人情報に関する箇所は検閲しました。(管理人)
両氏は捏造の主犯は小保方さんで、笹井さんも騙されたというスタンスとであると認識していたのですが。
管理人さんは実験ミスを主張されているのでこの辺りの発言を一緒くたに不正批判と感じられるようですが、私は小保方さんの捏造に笹井さんも騙されたと考えているので、小保方さんを責めているのであって笹井さんを責めているように感じません。
さらに言うと片瀬氏の「小保方さんに騙されて名前を貸した笹井さん」と、管理人さんの「小保方さんの実験ミスをもとに論文のストーリーを書き上げた笹井さん」という主張は、笹井さんに対する批判としては同等のレベルに感じます。
つまり「あんな子に騙されて馬鹿だね」と「馬鹿な論文書いたね」。
問題ないですよ。私は別に片瀬さんを「解雇・処分せよ」とは主張していないのだから。また「世間で指弾せよ」とも主張していない。単に世間の片隅で「責任はあるよ」と言っているだけです。
彼女が「そうですね。責任あります。ごめんなさい」と言えばそれでおしまいです。私は別に彼女を傷つけるつもりはない。むしろ「ごめんさいと言えば、彼女のところに押し寄せてくる攻撃を避けられますよ」と教えて上げている。
彼女のためを思って、「真実を知れ」と教えて上げているんです。「自分は責任が無い」という捏造をしているから人々から批判されるんだよ、捏造をやめなさい、と。
民法ならそうですね。民法の事件について民法を適用するのは、まったく正しいことであり、私は問題視していません。
( ※ なお、この例では「公然と他人の物を占有した」という触法行為が話題になっています。このように、民法または刑法における事例は、最初から「悪」「触法」であることが含意されています。その点に注意。……ここを理解できないと勘違いする。)
( ※ ここでは「知っていること」とは「触法性があることを知っていること」を意味します。それが「悪意」と認定されるのは当然でしょう。それ以外の「知っていること」を「悪意」と認定するのは、とんでもない拡大解釈です。)
一方、片瀬さんの説は「研究不正は故意であるほど悪質だと判断されます」ということであり、ここでは「悪意」を「知っている」ではなくて「悪質」の意味に解釈しています。
つまり、
悪意 = 知っている (理研の規定)
悪意 = 悪質
というふうに、二重の定義をして、
知っている = 悪質
というふうに結論しています。そこには「論理の飛躍」「論理のペテン」があります。(二重基準ふうに、二重定義をしている。)
このように「論理の飛躍がある」というのが、本項の趣旨です。
ところが、科学的思考さんは、上記のうちの1番目だけがある、と主張しています。しかし、そこは問題ではない。
1番目があることが問題なのではなくて、1番目と2番目を併用して、論理の飛躍をなすことが問題なのです。それが本項の趣旨。
科学的思考さんは、本項の趣旨を理解できていません。
比喩:
・ 左翼は飛行機の翼だ
・ 左翼は社会主義者だ
結論「飛行機の翼は社会主義者だ。ゆえにあらゆる飛行機は放置すれば左旋回する」
上の論理に対して、「こんな理屈は成立しない」と指摘しているのが私です。
それに対して、「左翼は飛行機の翼だ、というのは正しい。百科事典にそう書いてあるのだから間違いない。ゆえに管理人さんは間違っている! 本項を書き直せ!」と主張しているのが、科学的思考さん。
誤読による見当違い。
そうですよ。私は前からそう主張しています。「誤爆」という用語を検索すれば見つかります。
本項の最後でも同様のことを述べています。「ブーメラン」という用語を検索すれば見つかります。
> 「あんな子に騙されて馬鹿だね」と「馬鹿な論文書いたね」
思うだけなら勝手です。それは思想や言論の自由。私はそこは批判していません。
問題は、分子生物学会などが、声明という社会的な影響力を持つ政治的活動をして、「処分せよ」というふうに理研に働きかけたこと。そこが問題となっています。
片瀬さんが捏造説を採ることはまったく問題がありません。「真相を解明せずに処分せよ」と主張したことも、それ自体では問題ありません。それが大隅さんを経由して、分子生物学会の形になったことに、「影響がある・責任がある」というふうに述べています。
当然ながら、処分の対象にはなりません。「ごめんなさい」でおしまいです。間接的な影響に対する、責任感を持つだけで十分です。
一方、分子生物学会の方は、声明に重大な責任があるので、「ごめんなさい」では済まないでしょうね。会長が(東北大教授を)解雇されるぐらいのことがあって、ようやくバランスが取れます。少なくとも、彼女たちの主張によれば、そのくらいが当然でしょう。あれほど「処分せよ」と主張していたのだから。
これは捏造の有無に関わらずということですか?
仮に捏造があって大隈会長の主張が極めて真っ当なものであっても、笹井さんの自殺の責任を取って解雇されるのが妥当だというお考えですか?
そもそも不正の有無は大隈会長や分生が判断することではないので、私は調査委員の不正判定に則っての要請であれば問題ないと考えます(今後実験ミスであったことが判明したとしても、少なくともあの時点においては)。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20140815/1408060050
ご一読を。
http://mainichi.jp/feature/news/20140526mog00m040008000c.html
『オネスト』を『悪意のない』と訳しているというのは、特に誤訳とは言えないと思います。
それよりは「悪意」は「知っていることだ」というふうに解釈することが誤りなのでしょう。そのことが、原文が『オネスト・エラー』であることからわかります。
本件とは別に、一般論としてですが
刑法230条「名誉毀損罪」は、条文に「事実の有無に関わらず」とあり、事実であっても成立します。
罰を受ける事と、大勢に言いふらす事は別だからと思われます。
同条2項では、公益的に必要な場合は、糾弾も許されるような規定もありますが、「繰り返し」行っている場合は、これにも該当しないと思われます。
この一般的な解釈が、本件、STAPへの批判者に当てはまるかは分かりませんが。
調査委員の不正判定に則って日本中で小保方さんをさらに攻撃して自殺させてしまっても問題ない。そういう意味ですか? たとえそれが調査委の錯覚によるものだとしても?
失礼しました。 AOOIさんの意見は、「笹井さんは捏造をしたのだから自殺するほど攻撃されるのは当然だ。こういう悪党は死んで当然だ」ということなのでしたね。
読めばわかることをいちいち質問して、申し訳ありませんでした。お手数をおかけしました。
例えば大隈さんのツイッターでの一連の書き込みは確かに粘着的でもあり、やり過ぎな部分はあるかもしれません。
ただ逆に一切口を閉ざすというのもおかしな話。
当初大隈さんは小保方氏の功績に対して賞賛のコメントを幾度も寄せてますからね。
ブログでも複数回に渡ってリケジョの代表人物として取り上げていましたし、例えば
>彼女の視線が「いのち」に向き合っていることを感じました。
こんな感じの持ち上げ方もしているわけですよ。
それが不正と分かった瞬間に押し黙るのは変でしょう。
分生を通しての声明自体は妥当の範疇と私は感じます。
>kemt44
>AOOIさんの意見は、「笹井さんは捏造をしたのだから自殺するほど攻撃されるのは当然だ。こういう悪党は死んで当然だ」ということなのでしたね。
>私は小保方さんの捏造に笹井さんも騙されたと考えている
ちゃんと日本語を読みましょうね。
捏造の有無については、その時点では「まだ判明していない」ことから「推定無罪」しか成立しません。
調査委が報告を出すのは調査委の仕事ですが、それを勝手に真実だと決めつけて「処分」を要求するのは、「推定無罪」に反するので、道理が通りません。
本人が「絶対にやっていません」と言っているのに、検証実験もしないまま「有罪」と決めつけるのは、ただの魔女裁判です。
ここでは「捏造の有無」は関係なく、「未判明」ということが大切です。
タイムスタンプは 下記 ↓
ということは、担当者処罰が緊急的に必要なことで、実態解明の検証実験は停止してしまえという論旨を支持するということですね。
科学者として、問題外。
片瀬さんは正否はともかく、自分なりの論理で腹をくくって主張をしてきました。まさに体を張って主張しているわけだし、オリジナルの意見も多いです。(だから批判されるんだろうけど)。彼女個人を批判すること自体は、自由ですが、科学コミュニティにとって不毛な行為。彼女の主張は、いずれ時間が判断してくれるでしょうから。
一方、大隅さんは、東北大学の教授であることや、学会の会長としての権威を活用して、片瀬さんの意見を引用しながら小保方さんを批判する。このことは、科学界の健全性を脅かす危険な行為であると思います。
私が小保方さんだったら、ライターである片瀬さんに批判されてもたいして困らないけど、学会で大きな力を持つ大隅さんに批判されることは非常に困る。科学界への影響力が全然違う。
大隅さんの立場であのように執拗な批判的コメントを続けたことは、間違っているかどうかはともかく、科学的には不必要であり、同じ女性研究者として、正直薄気味悪いのです。
そうですね。私も片瀬さんの責任はそれほど大きくないと思います。「お詫びの一言を書けば済む問題」と示しているとおりです。
本項で指摘したのは、片瀬さん自身が悪いというよりは、分子生物学会の批判の根拠がダメだと指摘するためです。理論的詩集の論拠を指摘するのが目的であり、片瀬さん自身を攻撃する意図はありません。(だから「一言お詫びをして済ませなさい」と勧告している。)
最大の責任者は、やはり、大隅さんです。こちらが本丸です。
片瀬さんは、その理論的支柱という役割です。片瀬さん自身よりは、その主張が論点となる。それが本項の意味。
( ※ ここでは「知っていること」とは「触法性があることを知っていること」を意味します。それが「悪意」と認定されるのは当然でしょう。それ以外の「知っていること」を「悪意」と認定するのは、とんでもない拡大解釈です。)
上記の主張から、管理人さんが独自の法解釈を展開されていることがよく分かります。触法性があろうがなかろうが、法律的には、あるいは理研の当該規定では、単に知っていることが悪意なのです。
そして、知って行った行為すなわち悪意乃至故意行為が、知らずに行った行為すなわち過失行為よりも責任が重いと評価されることは、単に知っていることを悪意と定めることと、全く矛盾しません。
本稿の主題から外れるのでこれ以上の指摘は控えますが、誤った法解釈を断言的に正しいと主張される態度によって、それ以外の主題の信用性が大きく毀損されているのではないかと感じます。
科学的思考さんは日本語が読めないんだろうか? 私は法解釈なんかしていません。「法の枠外だ」と述べている。実際、刑法でも民法でもない。
もういっぺん語っておくと、要点は下記。
この問題は法の問題ではない。法的解釈をするのは誤り。
さらに、法律では「知っていること」と「悪意」は等価ではない。
例。あなたはこのブログの題名が「Openブログ」であることを知っているが、それを「悪意」と認定されることはない。
さらに言えば、たとえその理屈が成立するとしても、「錯誤」では「知っていない」のだから、無意味。たとえば、砂糖だと思って塩を使った場合には、それが塩だということを知っていない。STAPだと思ってESを使った場合には、それがESだということを知っていない。
> 理研の当該規定では、単に知っていることが悪意なのです。
前出の通り、誤訳だと判明しているでしょ。
http://mainichi.jp/feature/news/20140526mog00m040008000c.html
honest (=悪意がない・誠実である)というのは、「知っている」という意味ではありません。
要するに、これは、法の問題じゃなくて、英語の問題。いちいち「法律では〜」と我田引水するのは、とんでもない見当違い。誰も法律のことなんか述べていないのに。
honest の意味がわからなかったら、英和辞典を引けば済むのに。そのくらい、やってみたら?
大事なことなので繰り返して言います。
私は独自の法解釈を展開していません。法解釈なんか全然関係ない。それはあなたの妄想世界にある議論です。
管理人さんは、認識という要件と、責任という効果をごっちゃにして論じています。
また、悪意という訳は、不正確ではありますが、誤訳とまでは言えません。悪意のない間違いとは、間違いと知らずに行った間違いの意ですので、誠実に行った結果の間違いを含意しています。
それならば何も問題はありません。
しかし片瀬さんの理屈はそうではありません。
「間違いだと知らなかったとしても、故意にやったことであれば、悪意(悪質さ)があると認定する」
これが片瀬さんの方針です。
具体的に言うと、
「小保方さんは真正画像を別の真正画像に取り替えてはいけないということを知らなかった。知らなかったのだから、悪意はない」
これが私の見解です。(あなたの上記主張とも合致します。)
一方、片瀬さんの理屈は、
「小保方さんは真正画像を別の真正画像に取り替えるということを、故意にやった。単純なうっかりミスではなかった。故意にやったのだから、悪意がある」
ここが論点です。
あなたのように法律論を持ち出すのは、てんでお門違いです。そのせいで、法律論に従っている私の見解を「法律論に反する」というふうに、誤認の形で非難しています。
私が「白だ」と述べると、「黒だと述べたのは間違いだ」と批判する。それがあなたです。妄想世界に住んでいる。
〉しかし、これは滅茶苦茶だろう。故意と悪意と悪質が同じであるはずがない。たとえば、あらゆる実験は意図的になされたものであるが、意図的である(故意である)ことは、悪意であることなのか? まさか。
意図的である(故意である)ことが、悪意であると見なされるのは、その行為が「悪の行為」である場合だけだ。つまり、「悪の行為」をなした場合には、意図的である(故意である)ことが、悪意であると見なされる。
例えば、上記主張が明らかな勘違いです。
悪意とは、単に知っていること。悪の行為を為したかどうかとは無関係です。
片瀬さんの主張
「小保方さんは真正画像を別の真正画像に取り替えるということを、故意にやった。単純なうっかりミスではなかった。故意にやったのだから、悪意がある」
悪意の意味を、単に知っていることと規定すると、上記主張は当然のことで、言い換えているに過ぎないことになりますよね。
片瀬さんの主張は、「悪意」を「故意」と規定した上で、さらに「悪意」を「悪質さ」と認定しているという、二重性にあります。つまり、「故意 = 悪質」と認定するという論理的ペテン。
あなたは私の話をまったく読んでいないので、該当箇所 =(3) をきちんと読んでください。
人の話を聞いてから反論する、という常識を知りませんか?
さらに言えば、すぐ前のコメントでは「小保方さんは真正画像を別の真正画像に取り替えてはいけないということを知らなかった。」と述べています。 「知らなかった」ゆえに「悪意はない」というのが、私とあなたの共通理解であったはずです。
自分の言ったことを忘れてしまっては困ります。
片瀬さんは「悪意」という言葉を「故意」という意味で使った。その反対概念は「うっかりミス」です。本項はこの話題を扱っています。
一方、「悪意」を「知っていること」という意味で扱う立場もあります。その反対概念は「知らないでいること」です。これは科学的思考さんが話題にしていることです。
この二つはまったく別のことです。なのに、双方を混同しているのが、科学的思考さんです。前者を扱っている本項に対して、強引に後者の話題で議論を挑んでいます。しかし、両者は別のことだから、まったく噛み合わない。
人の話を理解しないで、自分の話だけをしたいのであれば、本項には書き込まないでください。誤読がひどすぎる。
悪意の意味を、単に知っていることと規定した上で、片瀬さんの次の主張を読むと、形式的には当然のことを言っていると分かります。
〉前にも説明しましたが、研究不正は故意であるほど悪質だと判断されます。今回発覚したNature Articleの図2eは、単なる図の取り違えではなく、明かな画像操作が加わえられています。これは故意がないとできません。
知って行った画像操作と、知らずに行った図の取り違えを比べると、前者の行為が悪質だと判断されることは、何ら不合理ではない。
両者を分けるのは、画像の交換があったことを知っていたかどうか、すなわち故意があったかどうか。悪意を単に知っていたことと規定すると、悪意があったかどうか。
論理的ペテンはありません。
〉さらに言えば、すぐ前のコメントでは「小保方さんは真正画像を別の真正画像に取り替えてはいけないということを知らなかった。」と述べています。 「知らなかった」ゆえに「悪意はない」というのが、私とあなたの共通理解であったはずです。
認識の対象の捉え方が誤っています。
故意乃至悪意の対象は、画像が交換されている事実です。
画像を交換することがいけないことだ、ではありません。それは不正認定の後になされる小保方さんの弁解であって、むしろ故意の存在、画像の交換を知って行ったことを裏付ける弁解です。
しかし、これまでの「知っているか否か」「法的解釈か否か」というような議論は、まったくの見当違いであり、本項とはまったく関係がありません。
そのことを理解してください。
つまり、未判明なことを根拠として過剰に批判すること、
これが問題である というのが管理人殿の批判の本質です。
批判対象と同じ土俵に立つことなく、時にシニカルに
論を展開して独自の視点を提示する という、
管理人殿らしい知的な言説を期待しています。
あなたは私の言っていることとは別のことを論じているので、議論が噛み合いません。私の言っていることとは関係なく、常に自分の勝手な意見を言っているだけ。
日本語力を磨いて、私が何を言っているかを理解してもらうしかないですね。
知っている事をもって<悪意>と規定してあると。ならば不適切な行為については、これに則り等身大に処分され反省があればいい。しかしここで云う悪意は<悪質な意図>とは別のものなのですから、分けなければならない。ここが混同され、あるいは意図的に歪曲されている。STAP現象騒動の根幹にはそういうものがあるようです。
それを前提にして、矛盾が生じる現実に対処、環境の正常化の為に働きかけ、また科学者が不当な扱いを受けない様に救済・支援し配慮するのが、本来の学会やライターの立場であってほしいと個人的には思うのですが、それと魔逆の事をやっている。それが時に意図しない巨大な暴力に発展し得るという認識に欠けているか、自らの苦痛の発散の捌け口として利用しているのか。あるいは実態とはかけ離れた意図を持つネガティブ・キャンペーンなのか?いずれにせよ心ない行為と云わざる得ない。
何故かと云うと、Openブログの存在を知っていながら、こちらの記述で一連の行為を振り返る事もなく、現状固持しているからです。全て鵜呑みにする必要はない、反論もあるでしょう。けれど、果たして本当に悪質な意図があったのかどうか?そこは慎重に何度でも検証されなければならないはずです。
再度検証した上で確信を持って自説を固持しているのではなくて、そもそも初めから、そして今でもきちんと核心に向き合う事もなく行動していて、今さら降り替える事も立ち止まる事も出来ぬ精神状態なのではないだろうかと。間違ってしまう事は責められない。理解しようとしない事が問題だと思うのです。
どうも読んでいないようですよ。都合の悪いことには一切、見ざる・聞かざる、という方針のようです。
私としては、読者向けの発言というより、自分のための資料置き場みたいなものと見なしています。
「シェーン事件とSTAP事件の違い」
→ http://blog.livedoor.jp/pyridoxal_phosphate/archives/11869530.html