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迷宮で石ころは光り輝く 作者:乙黒

第八話 リーダー

 イリスはナダの言うとおりに、一度自室へ戻って身だしなみを整えた。
 そして、部屋を出る。
 そこにいた彼女は、ナダの前に現れた彼女ではなかった。
 変わっていた。
 シャワーを浴びたおかげで臭いは全て消えており、代わりに薄く柑橘系の匂いがする香水を付けている。服装も鎧の下に斬るような機動性と耐傷性重視の服ではなく、白いシャツに赤いプリーツスカートという組み合わせだ。また足元は茶色いブーツで締まられており、スタイルの良さが引き出されていた。だが、腰にはやはりククリナイフが付けられている。開いた胸元といい香りに道を歩く度、男たちは彼女に視線を向けるが、すぐに腰元のナイフを見つけて、その顔に見覚えがあると目を背けた。
 その顔とは、産毛や髭などは全部剃り、元々の白い肌に薄く化粧をしていた。目元には水色のアイシャドーがなされて、口元は薄赤色の口紅が塗られてある。男性ばかりではなく、女性も惹きつけられるような美しさだった。
 ただ、化粧でも隠せないほど、目つきは鋭かった。
 捕食者のような目だ。
 彼女を眺める中には屈強な男たちもいたが、誰も誘うものなどいない。
 イリスの強さは、ここ学園内に置いては、神がかっているのだから。
そんな彼女が向かっているのは、一時期はイリスもよく通っていたアギヤ専用の部屋だ。

「さ、あいつらはいるのかな?」

 イリスは薄笑いを浮かべながらパーティー専用の部屋が並ぶ建物へと向かう。部外者が入れないように受付には眼鏡をかけた男がいたが、パーティーの証を持っていないイリスを止めなどしなかった。門番が丁寧にイリスの用件を聞くと、「後輩に会いに来た」との短い言葉だけで通されたのである。
 そしてイリスは何のためらいもなく、アギヤの扉を開いた。

「勝手に入らないでください。誰です……か?」

 そこには見知った顔が四つと、新しい顔が一つイリスを出迎えた。

「久しぶりね――」

 五つの顔は、イリスを見つめた。その内の三つの顔は苦虫を噛み潰した顔をしている。
 イリスの知らない顔は、赤髪の少年だった。
 まだ顔にあどけなさが残っている。十五歳ぐらいだろうか。背は高く、猫目が印象的だ。また髪と同じような赤い服を着ている。記憶のそこを探ってみると、注目されている新人として写真を見たことがあったような気もする。
 確かその時の名前が――ライオだ。
 だが、イリスはすぐに視線を一つに定めた。

「お久しぶりです。イリスさん。どうぞ。そちらにお座りください」

 レアオンである。
 彼は、アギヤの中でただ一人、イリスを優しく微笑んで出迎えた。

「ええ、そうさせてもらうわ」

 イリスはレアオンとは向かいの席に座った。まるで相対するように。
この机は四角い長机なので、他のアギヤのパーティーメンバーは、イリスとレアオンの間に座っている。
 パーティーメンバーの中のひとり、イリスも知っている女性――ナナカは新しくお茶を入れてイリスへと差し出した。それに一口つけると、机に両肘をついたレアオンが口を開いた。

「それで、イリスさん、今日はどんな御用ですか?」

「そうね。ちょっと――可愛い後輩を見に来ただけよ」

 イリスは薄めになって、またお茶を飲む。
 彼女の好きなお茶だった。
 ほんのりと甘い香りがして、心が落ち着くような味のするお茶だ。茶葉自体に甘みはないのだが、ナナカはイリスの好みを熟知しており、わざわざハチミツを入れたのである。
 だが、イリスの心は全く落ち着かなかった。

「どうですか? 久しぶりに後輩を見に来て――」

 レアオンは暖かく微笑していた。

「残念ながら、ここには私の可愛い後輩はいないみたいだから、あなたたち不出来な後輩を見に来たのよ」

 淡々と告げるイリスに、レアオンは表情が厳しくなった。

「そうですか。僕たちは可愛い後輩ではないのですか――」

「ええ。そうなるわね。それにしても――私がパーティーに自ら入れたナダを追放するとは、ね」

 イリスはレアオンを薄く睨んだ。

「……どういう意味ですか?」

 ナナカは隣にいたアギヤのメンバーであるゴウショウに尋ねた。
 ゴウショウもまた、イリスの知っているアギヤのメンバーだ。
 ゴウショウは怒っているように見えるイリスの前で口を開いていいか分からなかったが、イリスから「説明してあげなさい」との言葉を受けると、静かに語りだした。

「パーティーに入るには2つの方法がある。自薦か他薦。俺とおまえも他薦で、レアオンは自薦だ。だがな、イリスさんが推薦した人は後にも先にも、ナダだけなんだよ」

「そうだよ。イリスさんにとって、彼は大切みたいなんだ――」

 レアオンは含みがあるように付け足した。
 だが、そこには顔を落として、唇が酷く歪んでいるようにイリスには見えた。

「何か言いたいことがあるみたいじゃない?」

イリスは視線をお茶に落とした。

「いや、後輩一人を目にかけるにしては、些か特別扱いがすぎるんじゃないか、と思いましてね」

 真正面からレアオンは言った。
 他の四人は張り詰めた空気を感じている。

「そうかしら?」

「はい。あまりそういう特別扱いは止めたほうがいいかと思いますよ。ほら、邪推
する人は良からぬ方向に頭を働かせますから」

 レアオンは優しく微笑んだ。
 まともな女性なら、一目で恋に落ちるような魅力的で情熱的な笑みだった。

「私とナダに肉体関係があるとでも言いたいのかしら?」

 イリスも首を傾げながら微笑んだ。

「ええ。そう勘違いする人もいますからね。そうでなくても、彼はあなたが唯一パーティーに誘った者として一部では有名です。これ以上、彼に余計な負担をかけないほうがよろしいのではないですか? 彼もこれまで以上に学園で生きにくくなると思いますよ?」

「あんまり変わらないんじゃない?」

「どうしてそう思うのですか?」

「だって、あいつ、“そういうの”には慣れているから。今更――ねえ」

 イリスはまた、お茶を一口のんだ。

「なら、僕の忠告も無駄そうですね」

 わざとらしそうにレアオンは肩を落とした。

「それで、どうしてあいつをパーティーから外したのかしら? 仮にも私が誘ったメンバーよ」

「ですけど、今のリーダーは僕です」

 強くレアオンは言った。

「そうね。でも、前のリーダーの顔を立てようとは思わないの?」

 イリスは目つきが鋭くなった。

「何度も言いますけど、今のリーダーは僕ですから」

「そう――」

「それに……彼は、アギヤに必要ないと常々思っていたのです」

 レアオンは机の上で両手を組んだ。

「どうして?」

「ほら。未来がない。彼はあのまま――何も変わらない。身長が伸びることはもうないだろうし、筋力が上がることもないでしょう。僕と彼は五年生なので、後三年アギヤにいると思いました。その時、彼がいれば、アギヤは上を目指せない。そう思ったんです。だから、彼を新しく仲間に入れた」

 レアオンは一呼吸を置いて、

「僕はですね――もっと上へ行きたいんです」

 体内に溜まっていたうねりを吐いた。
 そこには、レアオンの思いが募っていた。

「そう――」

「はい。僕はあなたのようになりたいのですよ」

「そう――」

「それで、イリスさんはアギヤに戻るつもりはありませんか? もちろん、貴女がリーダーとしてです。僕は……もう一度貴女と潜りたい」

 レアオンはまっすぐにイリスを誘った。
 その瞬間、アギヤのパーティーの中に不協和音が奔る。特にナナカは肩を一度、びくんと飛び跳ねさした。
 イリスはレアオンに向かって、満面の笑みで言った。

「――嫌よ」

「そうですか――」

 そっと、肩を落としたレアオン。上段だと大げさに肩を落とすが、いくらか本気のようで暫くは言葉が続かなかった。
 代わりに、イリスが続けた。

「ええ。戻る理由がないわね。今はダンジョンに潜ってまで倒したいモノもないから、パーティーを組んでまで下に潜る気がないもの。楽に潜りたいの。それに、あなたの方向とは合わないわ。合ったとしても、まあ、戻ることはないでしょうね」

「それは“彼”がいないからでしょうか?」

 レアオンは厳しい表情で問う。

「さあ、どうかしら? 変に勘ぐったらいいんじゃないの? どうして私がそこまで言わなくてはいけないわけ?」

 イリスは挑発的に笑った。

「そうですね。それで、聞きたいことは聞けましたか?」

「ええ。もう、アギヤに関わることもないでしょうから――」

 冷たい表情のイリスは立ち上がって、扉を開けた。その足取りはゆっくりとしていて優雅であった。だが、優しさはない。まるで長年の敵に背を向けるようだった。
 部屋を出ようとするイリスに、レアオンが最後の質問をした。

「――最後にいいですか?」

「何かしら?」

 振り返らずイリスは言った。

「……どうして、彼なのですか?」

 その時のレアオンは唇を噛み締めていた。
 イリスには見えなかったが、同じパーティーメンバーにはとても良く見えた。

「さあ? あなたには一生分からないんじゃない?」

 逆にイリスはレアオンへと振り返って、花が咲いたような笑顔で言った。
 それだけを残して、イリスはアギヤと決別した。
 後の部屋の中ではレアオンは、握った拳を見つめていた。
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