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迷宮で石ころは光り輝く 作者:乙黒

第七話 仮面の女

イリスは学園内で最も有名な生徒の一人だ。
 学年は七年。最高学年が八年のこの学園では最高学年ではないが、学園の五本の指に入る腕前なのは間違いないとされている。そんな彼女の強さの“箔”は、現役の冒険者と比べても遜色なく、周りの生徒とは一段も二段も違う。
 まずは、ギフト――勝利の女神と呼ばれるアテネのギフトを持っている。仮にも過去の大英雄が授かっていたギフトだ。その効力は他のギフトを退けると云われていて、パーティーを組んだ時にその強さは発揮される。
 そして、ナダと同じく、イリスも少数派マイノリティに属していた。だが、その実態は逆だ。ナダが両方とも“持っていない”なら、イリスは両方とも“持っている”のだ。もちろんギフトも使えないのではなく、強力で、それだけでも学園の中でも最強と数えられる。
そのアビリティこそ――『もう一人の自分アナザー・ペルソナ』。
発現時には顔に奇妙なマスクを付けるアビリティで、装身具を生み出すそれは現代の英雄――マナに例えられることもあった。
 もちろん、本人の“素”での戦闘力も凄かった。靭やかな筋肉と凡人以上にいい目、さらに卓越した技術の吸収力を持っている。
 また、彼女の実家も有名だ。スカーレットという家名で、国の中でも有数の大貴族の三女が彼女だ。
 そんな彼女の実績としては、他方のダンジョンの大型モンスターを討伐や平均年齢が最年少のパーティーで五十階を突破や七十階まで潜ってドラゴンを倒して地上まで戻ってきた最速記録は未だ誰にも破られていない。その他にも様々な伝説を残してきた。
 当然ながらそんな伝説を多く生み出した彼女がいたアギヤも、また有名だった。半年ほど前にイリスが後輩の成長の為に自ずから身を引いたのだが、そんな慎ましい態度も彼女の評価を上げていた。現在では多数のパーティーに期間限定の助っ人として入って、学園の発展に貢献していると言われている。
 また、巷では、彼女の黄金のように美しい髪と彫刻のように整った容姿も有名で、告白されたことは多数で、憧れている者も多いと云われている。
 そして、腰の後ろにはナダと同じククリナイフが付けられていた。
 そんな人物が、ナダの前に立っていた。

「イリス、相変わらず、ふざけたような顔をしているな」

 ナダはその広間の隅にある花壇の縁に腰掛けて、目の前に仁王立ちするイリスを眺めた。
 そこにいた彼女はどう見ても、学園で噂の女性には見えない。むしろ、新しい干し肉を薄い髭の生やした口で噛む姿は年をとった男のように見える。凛々しさも何もない。

「失礼ね。数週間ぶりの地上だから仕方ないでしょ」

 どうやら彼女の容姿や体が酷いのは、数週間にも渡ってダンジョンに潜っていたかららしい。

「その顔で出てきて大丈夫なのか?」

「ええ。あっちでは、ずっと仮面を被っていたから」

「その顔を見たら誰もが驚くだろうな。てか、ここに来るまでに誰かに驚かれなかったのか?」

「今の顔だと、誰もあたしのことをスカーレット家のイリスだとは気づかないわよ。だってこれは、あんたと、後はニレナしか知らないから」

「ニレナさんって、あのアギヤにいた時の先輩だろ?」

「そうよ」

 久しぶりに出会ったナダとイリスの会話は円滑に進む。
 そしてついに干し肉を飲み込むと、イリスが切り出した。

「そうそう。それで、あんた――アギヤを脱退したそうね」

 射殺すような目をしながらナダを睨めつけたイリス。

「……はあ、まあ、まずは水くれ。俺も喉が渇いた」

 イリスはそんなナダに表情を変えずに水筒を投げた。
 ナダは水筒を受け取ると、すぐに口をつけて中に入っていた水を大きな口で何口も飲んだ。その水は柑橘系の香りと味がした。飲みやすかった。迷宮に潜る冒険者の中には飲水に柑橘系の果物の果汁を混ぜる者がいる。理由としては多々あるが、大きな理由の一つに、通常の水よりも長持ちするのだ。また体力の回復にも役立つとこれを好む人が多い。もちろん、イリスもその一人である。
 手のひらで口を拭うと、ナダは喋りだした。

「そうだよ。アギヤは抜けたよ」

「それはいつのこと?」

「ほんの一週間前ぐらい前だよ」

「やけに急な話ね」

「だろ? 俺もそう思った」

「抜けた直接の原因は?」

「……さあな。俺よりかレアオンに聞いてくれ」

 ナダの言葉を聞くと、イリスは不思議そうにナダをまた睨めつけた。

「どういう意味なの?」

「結論から言うと、一週間前ほどか。あいつが新しい後輩を増強するらしくてな、俺のような無能はいらないんだとよ」

「なにそれ? そんなの私は聞いていないわよ」

「迷宮に潜っていたんだろうが」

 呆れたようなナダ。

「他のものならいざ知らず、ナダをアギヤに入れたのは私なんだから連絡があってもいいんじゃない。事前に」

 拗ねたように口を尖らせたイリス。
 アギヤを抜けてからも、やはり元いたパーティーを目にかけてはいたらしい。

「レアオンは言ってなかったのか?」

「そうみたいね」

「なら俺の知ったことじゃねえよ」

 あくまで当事者なのに、部外者だと言いはるようなナダの態度が気に食わなかったイリスは声を鋭く落とした。

「それで、あんたはどうしてそれを大人しく受け入れたわけ?」

「受け入れたって、まあ、そういう事になるな」

 ナダはあっけらかんとしていた。

「仮にも、あんたは私が手塩にかけて育てた冒険者であるはずよ」

「あんたに育てられたわけじゃねえよ」

 すぐさま、ナダは否定した。

「そうかしら? 色々とこの町に来た当初は色々と教えてあげたじゃない」

「……そうだな」

 ナダは忌々しげに呟いた。
 どうやら過去にイリスといろいろあったらしい。その思い出をイリスは喜々として語るが、ナダとしては消し去りたい汚点だった。

「その話はいいわ。それより、私がパーティーから離れる時に今後のアギヤは任せた、と言ったじゃない。何、それを放棄して、こんなところで呑気に槍を振っているのよ」

「……別にイリスの言葉を忘れていたわけじゃねえよ」

 ナダは痛いところをつかれたのか、顔を少しだけだが顰めた。
 目ざとくイリスがそこを責める。

「じゃあ、どうして大人しく抜けたのよ? 私が来るまでその話を引き伸ばしたらどうにかできたかもしれないでしょ?」

「かもな。だが、今のリーダーはあいつだ。最終的な決定権はあいつにある」

「……そうね。これなら、無理矢理あんたをリーダーにしたほうがよかったかしら?」

「無理だろ。イリス以外のメンバーやイリスの前のアギヤのメンバーが連ねてレアオンを押したんだから。イリスもそれに納得したんだろ?」

 イリスがパーティーを抜ける時に、パーティーの引き継ぎを行った。
 その時のリーダーは状況などを考えて、先代のパーティーで卒業するメンバーの中やもしくは先々代の人たちに相談してリーダーを決める。その時にレアオンのオシが強かったのだ。彼の威光に誰もがアギヤのリーダーに相応しいかと思ったのかもしれない。それほどに、ナダの輝きは薄すぎた。

「そうだったわね。ただ一つ訂正しておくなら、ニレナもあなたを押していたわよ」

「それは嬉しいな」

 ナダは無表情だった。

「それを聞いたらあの子も喜ぶわよ。……でもね、私はあんたが大人しく抜けた理由を聞いていないわ。レアオンの提案を受け入れた理由を教えてもらえるかしら? 撤回はまだしも、リーダーの命令にしたって、強制的なパーティーの脱退なんてそう簡単に出来るもんじゃないでしょ? 上への報告や正当な理由の審査。場末のパーティーならまだしも、学園内では一定の処置は設けられているから、一週間は軽く粘れたはずよ。どうしてそれをしなかったの?」

「別に、未練がないだけさ」

「それだけかしら?」

「そうだな。付け加えるとしたら、レアオンとは反りが合わなかった。それだけだ。」

「反りが合わない?」

 イリスは訝しげに見た。

「ああ。理由は知らないがあいつは俺のことを煙たがっていた。それと同じように、俺もリーダーのあいつを嫌っていただけ。そんな奴が率いるパーティーなんかに未練なんかあるはずが無いだろ? 少なくとも――俺はない」

 ナダは言い切った。
 その言葉の端々に清涼感が混じっていた。本人にしてみれば、アギヤを抜けたことに全く不満は無いらしい。
 逆に不満があるイリスは、清々しいナダを見て溜息を吐いた。

「そう。あんたは中々に良い性格をしているのね。結局……納得はしていないけど、理解はしたわ。それで、一つだけ聞きたいんだけど、どうしてあんたは大剣を持っていないの? 私が作らせたあの黒い大剣を。どうしてそんなふざけた武器を使っているのかしら?」

「いい武器だろ?」

 ナダは青龍偃月刀を見せびらかすように自分の前へと立てた。
 彼としては、この武器はまだ扱いづらいじゃじゃ馬だが、気に入っていた。何故かよく手に馴染むのだ。重たいからだろうか。

「茶化さないで。あんたはあの大剣を持っていたはずよ。それに鎧も……もしかして売ったんじゃないわよね?」

「違う。リーダーのあいつがな、大剣はアギヤの備品なんだと。だから俺ものし代わりに鎧付きで置いて行ってやったさ」

 ナダは広角を上げた。
 本当にレアオンが嫌いなようだ。
 その短絡的な行動にイリスは信じられないものをみるような目をしていた。

「あんた……それで今後に迷宮へ潜る時の苦労は考えなかったの? どう考えても、鎧も、武器も、以前の武器より位は落ちているはずよ。特にその武器なんて、ウーツ鋼でしょ?」

 ウーツ鋼の武器は一目でも分かる独特の模様がある。だからある程度武器に詳しいものなら、一瞬でその武器に気づくのだ。
 ウーツ鋼の特製は、重量と切れ味。それに耐久性。重たい武器など誰も好まないから、武器としてのランク自体は最低まで落ちている。

「ああ」

「そんな時代遅れの武器をよく使っているわね。重量も扱いやすさも、以前の武器より随分と下のはずよ。まあ、素材から言えば、切れ味はあまり変わらなそうだけど」

「そうだな。まあ、どうでもいいさ。そんな事は――」

「どうでもいいって……ちょっとは自分の命を大切にしなさいよ!」

 イリスは声を荒らげた。
 冒険者にとって、死なないために装備にお金をかけるのは当然のことなのだ。余程の実力者でない限り、効果な装備を持ったほうが生存率が高い。

「しているさ。ただ、この武器も俺の性に合っているだけさ」

 ナダの変わらない態度に、イリスは深い溜息をついた。

「話は大体わかったわ。それじゃあ、私は次にアギヤに行ってくるから」

「あいつらにも話を聞きに行くのか?」

「そうね」

 振り返ってアギヤのところに行こうとするイリスをナダは呼び止めた。

「行くんなら、シャワーを浴びて身だしなみを整えろよ。誰もが驚くぞ。イリスのそんな格好を見たら」

 イシルは一瞬だけ振り返って、微かに笑った。

「それもそうね。なら、私からも一つだけ。あんた、槍を使うつもりなら、大剣にはない突きをもっと活用しなさい。今のままなら不細工だわ」

 イリスはそれだけ言うと、ナダに完全に背を向けた。
 ナダもそんなイリスをいつまでも眺めてなどおらず、すぐに立ち上がって偃月刀を振り回し始めたのだった。
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